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第18話 河西正臣の手帳

河西美津子から電話が来た。


日曜日の朝だった。


「主人のものが出てきました」


古い納戸を整理していたという。


「あなたに渡していいのか分かりません」


「無理なら」


「でも、私が持っていたくない」


午後。


久世と一緒に河西家へ行った。


久世を呼んだのは私だった。


彼女は何も言わず来た。


古い一戸建て。


庭の朝顔。


軒下の風鈴。


美津子は七十を過ぎている。


私を見て。


久世を見た。


「会社の方?」


「本社総務の久世です」


美津子の表情が。


一瞬だけ変わった。


「本社」


「はい」


「そう」


居間。


麦茶。


仏壇。


河西正臣の写真。


普通の男だった。


眼鏡。


細い顔。


笑っていない。


美津子が紙袋を出す。


手帳。


1999年から2004年。


六冊。


最後の一冊。


ページの後半。


文字が変わっている。


最初は予定、訪問先、売上、家の用事。


途中から。


時刻。

風向き。

煙。

水位。


〈13〉


〈203〉


〈五本〉


何度も。


そして。


8月9日。


〈線が合った〉


8月10日。


〈森山に見せる〉


〈二回目はさせない〉


私は久世を見る。


彼女は黙っている。


8月11日。


ページは。


破られていた。


「奥様、このページは?」


「知りません」


久世が手帳を持ち上げる。


綴じ目を見る。


「最近破ったものではないですね」


そのとき。


風鈴が鳴った。


チリン。


一度。


窓は閉まっている。


美津子が顔を上げた。


「また」


「また?」


私が聞く。


「主人がいなくなってから、ときどき鳴るんです」


「窓閉まってても?」


「ええ」


久世が風鈴を見る。


目。


ほんの少し。


冷たくなった。


私は見逃さなかった。


帰り。


車。


「久世さん」


「はい」


「風鈴」


「何です?」


「気にしてた」


「珍しい風鈴だったので」


「嘘」


久世が。


初めて。


黙った。


車は田んぼの間を走る。


「君、何を知ってる?」


「富樫さん」


声は穏やか。


「今ここで私が何か言えば、信じますか」


「内容による」


「では、まだ言いません」


「ずるいな」


「二回目です」


私は笑えなかった。


久世も笑わなかった。


「ただ一つ」


彼女は前を見たまま言った。


「風が吹いたら、立ち止まってください」


私は彼女を見る。


「なぜ?」


「それくらいなら、信じられるでしょう」


答えになっていない。


だが。


その夜。


私は河西の手帳を読み返した。


最後の方。


小さな文字。


ページの端。


〈風は線を切る〉


私は何度も。


そこを読んだ。


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