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『舞台裏のシステムを視る —— 表現と社会の往還』   作者: あっちゅ寝太郎


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第3話 火炎式土器の物語り

【前書き】

ご訪問ありがとうございます。

本作は、歴史と日常を独自の視点で結ぶ、全六話の短期連載コラムです。

私たちの手元にある当たり前の「ご飯茶碗」と、五千年前の「火炎式土器」。

その間にある途方もない距離を、世界史の鏡と科学のデータを用いて、のんびりと測ってまいります。

どうぞ、お茶でも飲みながらお気軽にお付き合いください。

『火炎式土器とご飯茶碗』

第3話:格差が生んだ美と、平等が生んだ美――エジプト篇

 ピラミッドの話をしよう。

 クフ王の大ピラミッドが建設されたのは、紀元前二千五百年頃とされている。火炎式土器が信濃川流域で作られていたのと、ほぼ同じ時代だ。片や、底辺の長さ二百三十メートル、高さ百四十六メートルの石の山。片や、高さ五十センチの土の器。スケールの違いに思わず笑いたくなるが、笑ってから少し考えると、笑えなくなってくる。

 なぜ人間は、あれほど巨大なものを作ろうとしたのか。

 そしてなぜ、あれほど小さなものに、あれほどの意志を込めようとしたのか。

 その問いの答えは、おそらく同じ場所にある。

ナイル川の泥と、ファラオの石

 エジプトの日常の器は、地味だ。

 ナイル川の氾濫が運んでくる肥沃な泥を焼いた、赤茶色の土器。「ナイル・シルト土器」と呼ばれるそれは、パンを焼く型、ビールを醸造する甕、水を運ぶ壺として、庶民の日常を支えた。形は寸胴で実用的、装飾はほぼない。メソポタミアのベベルド・リム・ボウルほど露骨な使い捨てではないが、それでも「道具」の域を出ない。

 一方、ファラオの葬送儀礼で使われたものを見ると、世界が一変する。

 細かく磨き上げられた閃緑岩や斑岩の石器。人間の頭を模した蓋を持つ「カノポス壺」。これはミイラ化の過程で取り出した内臓を収める容器で、蓋の形はそれぞれ四人の息子神をかたどっている。素材は石、あるいは金。表面には精緻な象形文字が刻まれ、来世での復活を祈る呪文が記されている。

 平民の器は泥。王の器は石と金。

 この分離は、単なる貧富の差ではない。エジプト人にとって、それは宇宙の秩序そのものだった。王は神の化身であり、王の死後の旅を支える器もまた、神聖な素材でなければならない。土などというものは、農民が踏みつける地面の素材だ。それを神の器に使うなど、論外だった。

美は、誰のものか

 ここで一つの問いを立てたい。

 エジプトの美しいものは、誰のためのものだったか。

 カノポス壺の精緻な彫刻を、庶民は見ることができなかった。ピラミッドの内部に描かれた壁画を、生きている間に目にできたのはごく限られた神官と職人だけだ。ファラオの黄金のマスクは、ミイラの顔に被せられた瞬間から、永遠に闇の中にある。

 エジプトの美は、来世のための美だった。王一人の、死後の旅のための美だった。それは確かに息を呑むほど精緻で、五千年後の現代人を博物館に引き寄せるほどの力を持っている。しかし作られた当時、その美に触れられた人間は、ほんの一握りだった。

 では、火炎式土器の美は誰のためのものだったか。

平等社会の、逆説的な豊かさ

 縄文社会には、王がいなかった。

 これは証明が難しい命題だが、縄文時代の遺跡から出土する人骨を調べると、特定の個人だけが突出して豊かな副葬品を持つという例が極めて少ない。メソポタミアやエジプトの王墓と比較すると、その差は歴然としている。富の集中が、少なくともあの時代の日本列島では、起きていなかった。

 王がいなければ、最高の美を独占する者もいない。

 神官だけが触れられる黄金の器も、ファラオだけのために磨かれた石の壺も、縄文社会には存在しなかった。最高の技術と最高の意志を注ぎ込んだ器は、集落のみんなのものでなければならなかった。

 火炎式土器を囲んで煮炊きをしたのが、集落全体のお祭りだったとすれば、あの美は全員のためのものだ。老人も、子供も、猟師も、土器を作った職人も、同じ炎の前に座り、同じ器を囲んだ。

 エジプトが「王一人のための永遠の美」を追求したとすれば、縄文は「みんなのための、その夜限りの美」を追求した。

 どちらが豊かかという問いに、簡単には答えられない。しかし少なくとも、美の届く範囲という点では、縄文の方が圧倒的に広かった。

来世の美と、今夜の美

 エジプトとの比較でもう一つ、見えてくることがある。

 カノポス壺は、永遠に残るために作られた。石は腐らない。黄金は錆びない。ファラオの美は、来世まで続く旅に耐えられなければならなかった。だからエジプト人は、最も硬く、最も変わらない素材を選んだ。

 火炎式土器は、壊れるために作られたのかもしれない。

 これは第4話で詳しく掘り下げるが、遺跡から出土する火炎式土器のほとんどはバラバラに割れた状態で見つかる。しかも、わざと割られた形跡があるものも少なくない。役目を終えた神聖な器を打ち砕き、土に還す。その行為自体が儀礼の一部だったという説がある。

 永遠を目指した美と、壊れることを前提にした美。

 どちらが本物かという問いも、意味をなさない。ただ、美というものの射程が、エジプトと縄文ではまったく違う方向を向いていたことは確かだ。

 エジプトの美は、時間の軸を縦に、来世まで貫こうとした。

 縄文の美は、その夜の炎の中で、横に、集落全員の胸を貫こうとした。

私のご飯茶碗は、どちらの末裔か

 私の台所のご飯茶碗は、丈夫だ。落としても、よほどのことがなければ割れない。電子レンジに入れても、食洗機で洗っても、びくともしない。

 それはエジプトの「永遠のための美」の末裔かもしれない。長持ちすることが、器の美徳とされている。

 しかしよく考えると、私のご飯茶碗に、これほどの意志が込められているだろうか。

 量販店で三つ千円のご飯茶碗に、王の来世を祈るほどの意志も、集落全員の胸を貫くほどの意志も、おそらくない。エジプトでも縄文でもなく、メソポタミアのベベルド・リム・ボウルの末裔として、私の茶碗は静かに食器棚に立っている。

 軽くて、丈夫で、洗いやすい。それ以上でも以下でもない。

 五千年前の二つの文明が、美のために注いだ意志の総量を思うと、少しだけ、その素っ気なさが切なくなる。

結びの一句

 黄金の 壺も土器も 土に還る

【第4話予告】 壊れることの思想――中国篇

【後書き】

本話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

当たり前の日常を一歩踏み外したところにある、五千年前の景色。

ほんの少しでも、その夜の炎の熱や、文字なき民の息遣いを感じていただけたなら幸いです。

それでは、また次のお話でお会いしましょう。

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