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『舞台裏のシステムを視る —— 表現と社会の往還』   作者: あっちゅ寝太郎


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第4話 火炎式土器の物語り

【前書き】

ご訪問ありがとうございます。

本作は、歴史と日常を独自の視点で結ぶ、全六話の短期連載コラムです。

私たちの手元にある当たり前の「ご飯茶碗」と、五千年前の「火炎式土器」。

その間にある途方もない距離を、世界史の鏡と科学のデータを用いて、のんびりと測ってまいります。

どうぞ、お茶でも飲みながらお気軽にお付き合いください。

『火炎式土器とご飯茶碗』

第4話:壊れることの思想――中国篇

 壊れない美と、壊れる美の話を続けよう。

 前回、エジプトは「永遠のための美」を追求したという話をした。石と黄金で作られた王の器は、五千年後の現代まで形を保っている。美の耐久性という点では、人類史上最高の成果と言っていい。

 今回取り上げる中国の話は、少し違う。

 エジプトが「壊れない素材で永遠を目指した」とすれば、中国はある時期、「壊れると分かっていながら、壊れる寸前の美を追求した」。

 そしてその選択は、縄文の火炎式土器と奇妙な共鳴を持ちながら、決定的な一点で枝分かれする。

卵殻陶という、不可能への挑戦

 今から五千年前から四千年前にかけて、黄河流域で竜山文化が栄えた。火炎式土器とほぼ同時代だ。

 この文化が生んだ「卵殻陶」は、土器の概念を根底から覆す。

 厚さ〇・五ミリから一ミリ以下。文字通り、卵の殻ほどの薄さだ。表面は漆黒で、金属のような光沢を持つ。轆轤の技術と焼成の精度が現代の工芸家をも驚かせるほど高く、薄さを保ちながら均一な黒を出すために、どれほどの試行錯誤があったかは想像もできない。

 しかし、この器には決定的な欠陥がある。

 薄すぎて、何も入れられない。

 熱はもちろん論外だ。水を注いでも、その重さで割れかねない。卵殻陶は、実用という概念を完全に放棄した器だ。出土する場所のほとんどは墓の中、あるいは権力者の儀礼の場。日常の煮炊きには、絶対に使われなかった。

 中国は、「使えないほど美しいもの」を儀礼の器とした。

縄文との、一点の分岐

 ここで、二つの器を並べてみる。

 卵殻陶と、火炎式土器。

 どちらも、日常使いには向かない。どちらも、作り手の全意志が込められている。どちらも、儀礼や祭祀の場で使われたと考えられている。

 しかし決定的に違う点が一つある。

 卵殻陶は、火にかけられなかった。

 縄文の火炎式土器は、火にかけられた。

 おこげがある。スス がある。脂肪酸が染み込んでいる。あれほど脆い構造を持ちながら、縄文人はその器を炎の上に置き、中身をグツグツと煮立てた。

 中国が「壊れるから使わない」を選んだとき、縄文は「壊れると知りながら使う」を選んだ。

 なぜか。

アスファルトの執念

 一つの物証がある。

 火炎式土器の中には、壊れた突起を修復した跡を持つものがある。使われた接着剤は、天然アスファルトだ。

 天然アスファルトは、縄文時代の日本では希少な素材だった。産出地は限られており、遠方から交易によって手に入れた痕跡もある。現代の感覚でいえば、かなり高価な材料だ。

 考えてみてほしい。

 もしこれが「学者の言う通り、日常の鍋」だったなら、突起が折れた時点で捨てればいい。横には、装飾のない頑丈なバケツ型の土器が必ずある。毎日のご飯を炊くだけなら、そちらで十分だ。

 しかし縄文人は、貴重なアスファルトを使ってまで、その「形」を直した。

 これが意味することは一つだ。その突起の形そのものに、捨てられない価値があった。日常の実用を超えた、何かが宿っていた。

 アスファルトで接着された突起の跡は、縄文人の「その形でなければならない」という執念の、無言の証言だ。

壊すことの、儀礼

 しかし一方で、縄文の遺跡からは、わざと壊された土器や土偶が多数出土する。

 これをどう解釈するか。

 有力な説は、「役目を終えた神聖な器を、意図的に打ち砕いて土に還す」という儀礼があったというものだ。魂が宿った器を、ただ捨てるのではなく、儀式的に破壊することで神の世界へ送り返す。

 アスファルトで修復してまで使い続けるという執念と、役目が終われば打ち砕くという潔さ。この二つは矛盾しない。

 その器が「使われている時間」には、形が命だった。だから直した。その器が「役目を終えた時間」には、形を壊すことが礼儀だった。だから砕いた。

 縄文人にとって、器の一生は始まりから終わりまで、すべて儀礼の中にあった。

 卵殻陶は、壊れないように守られた。墓の中で、触れられることなく、永遠に形を保つために。

 火炎式土器は、使われ、修復され、そして砕かれた。その全過程が、祭りだった。

脆さの、二つの解釈

 中国と縄文、二つの選択を並べると、「脆いもの」への態度がまったく違うことが分かる。

 中国は、脆いものを守った。壊れないように、触れないように、墓の闇の中に封じた。その結果、卵殻陶は五千年後の現代まで形を保っている。

 縄文は、脆いものを使った。壊れると知りながら火にかけ、壊れたら直し、最後は自分たちの手で砕いた。その結果、出土する火炎式土器のほとんどはバラバラだ。

 どちらが器を大切にしたか、という問いへの答えは、単純ではない。

 守ることが愛情なのか。使い尽くすことが愛情なのか。

 私には判断できない。ただ、縄文人が選んだ「脆いものを使い尽くす」という道は、現代の私たちがほとんど失ってしまったものだという気がする。

 私の台所の土鍋は、丈夫だ。十年使っても割れない。それは確かに優れた器だ。しかし、アスファルトで直してまで使い続けたいと思うほどの執念を、私はその土鍋に持っているだろうか。

 役目が終わったとき、儀式的に砕いて土に還す気持ちで、その土鍋と向き合っているだろうか。

 おそらく、違う。

 欠けたら捨てて、新しいものを買う。それが現代の「器との付き合い方」だ。

 五千年前の縄文人と現代の私の間にある、その距離をしみじみと感じながら、第5話へ続く。

結びの一句

 砕けても 土に還れば また土器

【第5話予告】 科学が証明した、意志の重さ――物理検証篇

【後書き】

本話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

当たり前の日常を一歩踏み外したところにある、五千年前の景色。

ほんの少しでも、その夜の炎の熱や、文字なき民の息遣いを感じていただけたなら幸いです。

それでは、また次のお話でお会いしましょう。

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