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『舞台裏のシステムを視る —— 表現と社会の往還』   作者: あっちゅ寝太郎


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第2話 火炎式土器の物語り

【前書き】

ご訪問ありがとうございます。

本作は、歴史と日常を独自の視点で結ぶ、全六話の短期連載コラムです。

私たちの手元にある当たり前の「ご飯茶碗」と、五千年前の「火炎式土器」。

その間にある途方もない距離を、世界史の鏡と科学のデータを用いて、のんびりと測ってまいります。

どうぞ、お茶でも飲みながらお気軽にお付き合いください。

『火炎式土器とご飯茶碗』

第2話:文字を持った文明が土器を捨てた日――メソポタミア篇

 五千年前の地球を、少し俯瞰してみよう。

 縄文人が信濃川流域の竪穴住居で火炎式土器を囲んでいたその頃、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた土地では、人類史上初めての「都市」が誕生していた。現在のイラク南部にあたるメソポタミア、シュメール人の都市国家群だ。ウル、ウルク、ラガシュ。数万人が一つの城壁の内側に暮らし、神殿がそびえ、市場に物資が溢れ、役人が帳簿をつける。

 そしてこの文明は、人類史上初めて「文字」を持った。

 粘土板に葦のペンで刻む、くさび形文字。最初期の用途は詩でも祈りでもない。「小麦を何袋、誰それに配給した」という、実に即物的な帳簿だった。

 文字が生まれた瞬間、世界は変わった。そしてその変化は、土器の形にも、静かに、しかし決定的に現れた。

ベベルド・リム・ボウルという名の革命

 メソポタミアの遺跡から大量に出土する土器がある。「ベベルド・リム・ボウル」、日本語に訳せば「粗製傾斜縁土器」とでも呼ぶべき器だ。

 見た目は、驚くほど素っ気ない。

 縁がわずかに外側に傾いた、浅い皿。装飾は一切ない。表面は粗く、指の跡が残っていることも多い。ろくろを使って短時間で大量に生産され、焼成も最低限。現代の感覚でいえば、使い捨ての紙皿に近い。

 実際、その用途はほぼ「使い捨て」だった。

 研究によれば、このボウルは神殿や大規模農場で働く労働者への「配給計量カップ」として機能していた。一杯分の麦粥、あるいは一日分のビール。縁の傾斜は、液体をこぼさず素早く計量するための工夫だという説もある。配給が終われば捨てられ、また焼かれ、また配られる。

 美しさへの意志が、微塵もない。

 これがメソポタミアの「日常の器」だった。

神への捧げ物は、土器ではない

 では、メソポタミアの祭祀の場ではどのような器が使われたのか。

 答えは、土器ではない。

 神殿の儀礼に捧げられたのは、青銅の器、金の杯、ラピスラズリをはめ込んだ装飾品。現在のアフガニスタンからはるばる交易で運ばれてきた深青色の宝石は、当時のメソポタミアで最も珍重された素材の一つだった。神に捧げるものは、最も遠くから、最も高い代価を払って手に入れたものでなければならない。土などというものは、足元にいくらでもある。

 メソポタミアでは、日常と祭祀の間に、素材という名の絶対的な壁が立っていた。

 土は平民のもの。金と宝石は神のもの。

 この分離は、都市の誕生と文字の発明によって加速した。社会に階層が生まれ、王と奴隷が分かれ、神官と農民が分かれた。器もまた、その階層を忠実に映す鏡となった。

文字を持たない民の、もう一つの選択

 ここで、信濃川流域に戻る。

 縄文人は文字を持たなかった。

 神への祈りを粘土板に刻むことができなかった。権力者の偉業を石碑に記すことができなかった。季節の変わり目に感じた畏れを、言葉として残すことができなかった。

 では彼らは、その「語れないもの」をどこに注いだのか。

 火炎式土器を、もう一度見てほしい。

 渦巻く突起、絡み合う紋様、天に向かって伸びる炎の形。あれは装飾ではないのかもしれない。文字を持たない民が、文字の代わりに土の上に刻んだ「語彙」だったのではないか。神への畏れ、自然への感謝、季節の死と再生。それらすべてを、文字ではなく「形」として焼き固めた。

 メソポタミアが文字を得た瞬間、土器は情報を運ぶ必要がなくなった。だからベベルド・リム・ボウルは、あれほど潔く素っ気なくなれた。

 縄文人には、その選択肢がなかった。だから土器は、限界まで叫び続けた。

効率の極致と、叫びの極致

 二つの土器を並べてみる。

 片方は、縁がわずかに傾いた素っ気ない皿。大量生産され、配給に使われ、用が済めば捨てられる。デザインへの意志も、祈りへの意志も、そこにはない。あるのは徹底した合理性だけだ。

 もう片方は、炎のようにうねる四本の突起を持つ、高さ五十センチの怪物。脆く、重心が高く、日常の煮炊きには明らかに向いていない。しかしその形には、作り手の全意志が込められている。

 どちらが「進んでいる」かという問いは、意味をなさない。

 メソポタミアは効率を選んだ。それは間違いなく一つの知性だ。文字と大量生産と階層社会が組み合わさって、やがてあの地域は世界最古の帝国を生む。

 縄文人は叫びを選んだ。それもまた、間違いなく一つの知性だ。文字も階層も持たなかったからこそ、土器という唯一の表現媒体に、全エネルギーを注ぎ込んだ。

 ベベルド・リム・ボウルが「効率の極致」なら、火炎式土器は「叫びの極致」だ。

 そして私の台所にあるご飯茶碗は、どちらの末裔だろうか。

 おそらく、ベベルド・リム・ボウルの方だ。軽くて、丈夫で、洗いやすい。それ以上でも以下でもない。

 五千年前に分岐したその二つの道の、私たちは確かに片方に立っている。

結びの一句

 粘土板に 刻めぬ祈り 火に託す

【第3話予告】 格差が生んだ美と、平等が生んだ美――エジプト篇

【後書き】

本話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

当たり前の日常を一歩踏み外したところにある、五千年前の景色。

ほんの少しでも、その夜の炎の熱や、文字なき民の息遣いを感じていただけたなら幸いです。

それでは、また次のお話でお会いしましょう。

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