文学賞に思う 直木賞の憂い その2
直木賞の憂い――黒木村松と選者たちへ
「直木賞」という名を知らない日本人はほとんどいない。しかし直木三十五という人間を知っている者は、どれほどいるだろうか。
本名・植村宗一。借金と病気と女性問題を抱えながら、「私程度の作品を一日三十枚平均で書けないやうなら、作家になる資格はない」と言い放った男だ。肺結核と脊髄カリエスに冒されながら書き続け、四十三歳で死んだ。あの時代は骨太だった。正直に言えば、私でも生き残れなかっただろう。
その名を冠した賞が、今何を選んでいるか。
荒木村重という武将がいた。有岡城に籠城し、織田信長に追い詰められた末、家族を残し、家臣を残し、城を捨てて逃げた男である。謀反の顛末として、これほど人間の業が剥き出しになる史実も珍しい。なぜ逃げたのか。なぜ戻らなかったのか。答えは歴史の闇の中にあり、それゆえに作家が向き合うべき素材である。
『黒牢城』は、その有岡城を舞台にした。ポスターの出来栄えは良かった。手に取る前から、何か骨太なものへの期待があった。しかし内容を調べて、その期待は静かに消えた。作者が選んだのは、業への格闘ではなかった。密室の謎解き、推理の構造、近代的な問答――歴史の衣を纏ったミステリーとして仕上げられていた。
推理小説として読めば、よく出来ている。それは認める。
しかし問いたい。それは歴史小説か。
有岡城に人質として囚われていたのは、黒田官兵衛である。一年の幽閉で脚が腐りかけた。その男が後に関ヶ原で「天下に隙あり」と動く。松寿丸の件は今も闇の中にある。そういう人物だ。若い頃に読んだある劇画の一場面が、今も頭を離れない。解放された官兵衛の前に引き合わされた子供。本物か、そうでないか。官兵衛は無言だった。そこに全てがあった。劇画でさえ、歴史の重さを引き受けていた。
荒木村重という素材が持つ本来の重さ――人間が極限で見せる醜さと哀しさ――は、謎解きの舞台装置に変換された時点で、静かに消えている。架空の人物でやるなら架空を通せばよい。歴史を借りるなら、歴史の重さごと引き受けるべきだろう。私はその作品を、心の中で「黒木村松」と呼ぶことにした。
近年の歴史小説を並べると、ある共通の不足が見える。
司馬遼太郎が残したのは史料ではなく、史料と格闘した痕跡だった。歴史上の人物の内側に踏み込み、動機を問い、時代の構造と人間の意志がぶつかる場所を書いた。その格闘の跡が、読者に骨太な手触りを与えていた。
『峠』は史実の転写で終わった。大河ドラマの家康は人物の内側への踏み込みが浅かった。それぞれ器はある。しかし作家が歴史人物の業と格闘した痕跡が、薄い。
これは才能の問題ではないかもしれない。時代の圧力の問題かもしれない。骨太な社会が骨太な文学を要求した時代は、確かにあった。
選者たちへ、問いを一つ申し上げる。
推理小説の巧みさと、歴史小説の深さは、別の尺度ではないか。前者で後者を測るなら、直木三十五が想定した「大衆文学の面白さ」とは、別の場所に着地する。
直木賞は今や日本最高峰の文学賞と呼ばれる。だからこそ、その選択の基準を問うことは、文学への礼儀だと思っている。
直木三十五本人が今の受賞作を読んだなら、何と言うだろうか。おそらく何も言わない。ただ静かに、原稿用紙に向かうだろう。一日三十枚、黙々と。
あっちゅ寝太郎




