幸豊かな国の食――新潟、土地の記憶
【第2話】海の底力:完璧な岩ガキと、きらめく日本海の主役たち
山を降りて日本海の海岸線へ出ると、今度はどこまでも深い「青の恵み」が我々を迎えてくれる。ここでも世間の人間は、「南蛮エビ(甘エビ)」や「イカ」の鮮度ばかりをちやほやして、したり顔をする。確かに、佐渡の冷たい深海から揚がる南蛮エビの鮮烈な赤さは美しい。だが、本当に粋な人間は、獲りたてのピチピチにすぐ飛びつきはしない。一日ほど徹底した温度管理のもとで静かに寝かせる。そうすることで身の中のアミノ酸がジワリと引き出され、獲りたてを遥かに凌ぐねっとりとした妖艶な甘みが増すことを知っているからだ。夜の海に漁火を浮かべて獲るスルメイカやアオリイカの、噛むほどに増す品の良い甘みも、こうした時間の魔法と管理があってこそ生きてくる。
新潟の海の本当の恐ろしさは、そんな分かりやすいブランドの表層ではなく、季節の境界線と、職人たちの執念のなかにこそ隠されている。
その最たるものが、梅雨(露)から夏にかけて極上の旬を迎える「岩ガキ」だ。
冬の浅瀬で短期間で育つマガキとは違い、夏の日本海の、それも外海の荒波が洗う深い海底で数年もかけてじっくり育つ岩ガキ。大河が運んだ山の豊かなミネラルをたっぷりと吸い込んだその身は、殻を開ければ驚くほど大粒で、海のミルクと呼ぶにはあまりに濃厚な、命そのものの旨味がパンパンに詰まっている。
同時に、忘れてはならないのが佐渡の湖(加茂湖など)で育つ牡蠣だ。日本海の荒波が育てる岩ガキが「動」の旨味なら、山の栄養がたっぷりと流れ込む穏やかな湖水辺で育つ牡蠣は、どこまでもクリーミーで品のある「静」の旨味。この二つの個性を愉しめるのも新潟の贅沢である。
しかし、これらを生でツルリといただくには、絶対に誤魔化せない絶対条件がある。それが「温度と衛生管理」だ。
生ガキを扱うということは、一歩間違えれば客の命に関わる。水揚げされた瞬間から、滅菌海水での浄化、厨房での徹底した温度管理、そして殻を剥く職人の厳しい衛生への執念。この張り詰めたプロの仕事があるからこそ、我々はその凄みのある「生の味」を安心して愉しめるのだ。キンと冷えた地酒でそれを流し込むとき、職人への敬意が五臓六腑に染み渡る。
さらに、地元の人間が静かに、しかし狂喜して舌鼓を打つ初夏の隠れた主役たちがいる。砂浜の女王と呼ばれる「釣りキス」の、透き通るような美しい白身の刺身。そして、他県ではまずお目にかかれない「フナベタ(タマガンゾウビラメ)」だ。小ぶりながらも旨味が凝縮されたフナベタを、地元の技で仕込んだ刺身でやれば、その濃密な滋味に驚かされる。
ここに、荒磯で揉まれて角が力強く育った「さざえ」の豪快な壺焼きを合わせる。さらに、柏崎・笠島の岩場から手摘みされる、細くも強烈なシャキシャキ感を持つ天然の「岩モズク」や、佐渡のさらに荒い岩礁が育む、極太で圧倒的な噛みごたえの「鬼モズク」を並べてみればいい。太さも食感も異なる二つのモズクの競演だけで、これ以上ない夏の宴が完成する。
しかし、新潟の海は夏だけで終わらない。一年を通して、信じられないほどの底力を見せつけてくるのだ。
春先になれば、粟島の激流のなか、伝統の一本釣りで仕留められた鮮やかな桜色の「鯛」が、引き締まった身の美しさで魅了する。さらに柏崎の深海からは、幻の高級魚として珍重される「アラ」が揚がる。その上品な白身からは想像もつかないほど濃厚で気品のある脂は、まさに冬の贅沢の極みだ。
そして季節が本格的な冬へと向かうと、冷たい風のなかで身体の芯から温まる「鱈の粕汁」が恋しくなる。身だけでなく、濃厚な白子やエラ、骨までを地元の濃厚な酒粕のスープで煮込んだ粕汁は、厳しい冬を生き抜く雪国の知恵そのものだ。
さらに北へ目を向ければ、三面川を抱く村上が待っている。冬の寒風(コオリ風)のなかに吊るされ、独自の湿度と風によって「適度に脂が抜けて旨味が熟成された」伝統の「塩引鮭」は、発酵に近いメカニズムでイノシン酸が極限まで高まっており、一切れで飯が何杯でも食える。
極めつけは、新潟が誇る加島屋の「イクラの粕漬け」だ。定番の醤油漬けとは一線を画す、厳選された鮭の卵を芳醇な純米酒の酒粕に漬け込んだその逸品は、プチッと弾けた瞬間に熟成された大人の香りが口いっぱいに広がり、誰もが降参するしかない。
完璧に管理された初夏の岩ガキや寝かせた甘エビから、冬の鮭やアラ、粕漬けにいたるまで、新潟の海はいつだって、網を引く漁師のプライドと、それを最高のかたちで届ける職人の「手」によって昇華されている。
この冷たくも豊かな日本海の主役たちを、地酒と共にたっぷりと味わい尽くした後に、我々はついに、この国が誇る最高の「平野の奇跡」へと辿り着くのだ。




