047「目覚め 7」
魔導学の講義は順調に進み、開始から三ヵ月で基礎を学び終えた仁成は、そこから各専門科目を学び始めた。特に魔導鎧や魔道具の制作に興味を示している仁成にとって、講師である十波が魔導工学に明るい人物であったことは幸運と言えた。
その十波だが、何と結婚が決まり、結納まで既に済んでいた。
仁成は結婚が決まって嬉しそうにしている十波から、お相手の男性の写真を見せてもらったが、男でも惚れてまうくらい、ぐうの音も出ないほどのイケメンだった。
さらに話を聞くと相手の家はなんと華族。しかし結婚相手は次男。だが魔導関連の会社社長をしており、十波は来年の春には晴れて社長夫人という肩書が追加される事が決まっている。
なら寿退社ならぬ、寿引退かと思っていたが、本人はこれまで通り大学教員を続けるつもりでいるという。ただ、年齢の事も考えて子供を先に産むため、今から計画的に子作りを始めているという。
こっちだと婚前交渉は当たり前なのかと思った仁成だが、それは否定された。
セクハラになるかとそれ以上聞かない方が良いかと思っていた仁成だったが、華族と魔法師について少しは知っておいた方が良いだろうと、十波の方から今回の結婚について詳しい話してくれた。
華族は家を第一に考える。家督を継げるのは男児のみ。女児しかいない場合は婿に継がせるか、一族から次期当主を決めるのが当たり前だった。
しかし、時代の変化と共に長子継承に変わり、今では女でも当主になっている家はそれなりにある。
また、意図的に魔法士の血を迎えて来た事で、華族のほとんどの家は魔法士の家系になっていることから、長子以外の婿あるいは嫁には庶民でも魔法師とそれなりの教養が備わっていれば問題無く迎えられる。
また華族は体面を気にする。華族であることに義務は存在しないが、彼らはより多くの優秀な魔法士を輩出することを、自ら課していた。
つまり、子作りを強く勧められるのである。
十波も相手の両親から期待されており、また十波自身も子供を欲していたため、婚姻前から子作りに積極的になっているという訳である。
「相手の男性も?」
「えぇ、既に話し合って三人は子供を作ることになってるわ。ただ、これはかなり特殊というか、一般的な家庭の話ではないから勘違いはしないでね」
「上流社会の常識みたいなものか」
「そうね。そうかもしれないわ。でも、私が嫁入りする家はそこまで家格が高いわけじゃないわ。庶民の私に、殿下が配慮して下さったんだと思う」
「三男とは言え良家の出で、その本人は上場企業の経営者。見事な玉の輿だね」
「ふふふ。そうね。確かに玉の輿だわ。来年には上場企業の社長夫人よ」
鼻高々に宣言する十波の顔は、社長夫人になれる事よりも結婚そのものを純粋に喜んでいる様に、仁成には見えた。
「婚約おめでとう。十波先生」
「ありがとう」
今回の十波の結婚話は、とんとん拍子に話が進んだ。と言うのも、十波は庶民だが三級魔法士。それに加え、若くして魔導大学の助教授の地位についていることで、高位華族は別としても中位以下の華族からすれば、次男以下の嫁候補としてはかなりの優良物件であることは間違いなかった。
実際、隆愛が自派閥で十波の婿候補を見繕い始めた時、その噂を何処からか聞き付けた華族から、頼んでもいないのに釣書が大量に送られて来た。
その数ざっと40枚前後。その中にはまだ十代の少年もいれば、しれっと貴族派の家まで混じっていたのだから、十波の人気度が窺える出来事と言えた。
もちろん隆愛は、自派閥以外の家には断りを入れ、家格と年齢、十波から聞いた条件に合う者。そして、隆愛が押さえておきたい家の者も選んで、釣書を十波に送った。
そして十波が選んだのは、隆愛が最も自派閥に引き入れたいと願っていた天乃家の三男。十波より五歳年下ながら、魔導大学在学中から会社を立ち上げ、数年で上場企業にまで成長させた敏腕経営者。
ついでに言えば、大学在学中に密かに十波に惚れていたらしく、本人自ら隆愛の元を訪れ釣書を渡してきたことで、婚約反故の心配も少ない。
経営する会社は高度な魔導工学技術を要するものであり、隆愛と仁成が計画する鎧製造には欠かせないピース。それを知ってか知らずか、十波はその男を選んだわけである。
十波からの返事を聞いた隆愛の行動は早かった。両者の気が変わらぬうちに、それ以外の候補者に断りを入れると同時に仲人となる家も決め、結納まで二週間足らずで済ませた。ちなみに、断りを入れた家についてもフォローを忘れない隆愛は、嫁や婿候補を自身の交際関係から全力で見繕い、声を掛けている。その中には天月彩音の名前もあったが、彼女に関しては既にとある家の嫡男の嫁にと考えているため、今回は見送られた。
十波の婚約という幸せなニュースが入った一方、仁成の魔力感知は今だ成功していなかった。
魔導大学には、魔法実技や実験のための施設が揃っている。その中であまり使われない実習部屋の一つが、仁成の魔力感知の訓練に使われている。
訓練と言っても主にすることは瞑想。仁成の訓練時間の半分が瞑想で占められている。
その他に魔力感知を目覚めさせる方法として『外部魔力浸透法』と呼ばれる方法がある。この方法は、他者から魔力を注いでもらい、体内の魔力を動かしてもらうもので、一般的にはこの方法と併用して魔力感知訓練は行われる。のだが、仁成の体内には隙間が無い程魔力で満たされているため、この方法は使えない。
そして、もう一つ。魔法をその身で受ける『魔力衝撃法』があるが、これは方法の割に効果が低いため今では誰も行っていない。瀧川もこの方法は初めから除外しているほどだ。
「魔力の知覚は五感と密接に関係している」
「感覚器官が目責めて、魔力を感じ取れるようになるんだよね」
「そうだ」
仁成は小さなテーブルを挟んで向かい合う瀧川からも講義を受けながら、テーブルの上に置かれた瀧川の手の平に人差し指の先端を当てていた。
一見すると何をしているか分からない光景に映るが、これも立派な魔力感知の訓練。
人の触覚の中で、人差し指の感覚は最も敏感な箇所の一つとされている。これは、その人差し指の触覚で、瀧川が手の平に不規則に集める魔力を感じ取る訓練。
五感の中で触覚に目覚めれば、他の五感でも自然に感じ取れるようになる。そのため、魔力感知の訓練はまず最初に触覚から、それが常識となっていた。
感覚が目覚めたかを確認する方法は、概ね以下の通り。
視覚は、対象者が相手の眼を見詰め、その瞳の色の変化を知覚出来れば成功。
聴覚は、魔力を流すことで音が鳴る特殊なヘッドホンを対象者に着け、相手が不規則に流す魔力の音を拾えれば成功。
嗅覚はも聴覚同様に専用の器具を用い、魔力独特の匂いを嗅げれば成功。
味覚は、複数置かれたショットグラスに入れられた水の中から、魔力が込められた魔力水を感じられれば成功。
そして最後の触覚。これは、今仁成が行っているように、身体の敏感な部位を使って相手の魔力に触れれば成功となる。
この五感訓練の中で、最も魔力を知覚しやすいのが最後の触覚となっている。
「お前は体内魔力が多いどころか、身体中から魔力を垂れ流すほど隙間なく満たされてる。それが無ければ、俺の魔力を無理矢理押し込んで強制的に起こすことも出来るんだがな。本当に面倒くせぇガキだぜ」
講義が始まった二日目の午後。和彦と瀧川、そして十波の三人で、仁成の身体に魔力を流し込む試みがされた。だが、三人掛かりでも仁成の身体を満たす魔力を突破出来ず、失敗に終わっていた。
「それは悪かったねぇ。でも、そのせいで俺も苦労してるんだよ」
「治癒が効かねぇんだろ?」
「そうそう。自分の再生頼りだから、治癒と並行して治療すれば助かる可能性のある大怪我でも、死んじゃうからね」
「だが、同時にお前には精神系魔法は一切効かない。何回やられた?」
「知覚できないのに、やられた回数なんて分かると思う?」
「・・・ははは、確かにそうだ。これは俺の質問が悪かったな。ははははは」
顔を天井に向け楽しげに笑う瀧川に対し、仁成は馬鹿にされたことに不満げな顔を向けた。
「十波さん曰く、おそらく大学に来る日は毎日だよ。特に学食。琥珀たちもね」
「・・・そうか。お前らも大変だな。こんなガキの世話を押し付けられてよ」
瀧川はその分厚く固い手で、テーブルの両脇に伏せている琥珀と千影を順番に少し乱暴に撫でる。
それを琥珀と千影は気持ちよさそうに眼を細め、受け入れていた。
それを不思議に思い月夜に聞いた所、「丁度良い固さと強さで気持ちいいらしい」とのことだった。
「魔獣専門のマッサージ師になれるんじゃない?」
「ははは。そりゃあいい。魔獣狩りを引退したらやってみるか…。冗談は此処までにして、そいつらの狙いは分かってんのか?」
「さぁ?ちょっと厄介な相手ってことくらいかな」
ちょっかいを掛けてきている相手は分かっている。ただ、目的は不明。だが、さすがに潰すとなると他所からの横槍が必ず入るのか、隆愛からは「反応するな」とだけ言われ、様子を見ていた。
「これは私の独り言です。どうも裏には別の影が御座います」
隆愛が講義に出ている間、爺は基本的に仁成の講義や訓練に付き合い、世話をしている。その爺の独り言に、瀧川は一際面倒な顔を見せた。
「陰?」
「お前は知らねぇ方が良い」
「ふ~ん、まぁいいや。その影が裏でちょっかい掛けて来てるから、隆君もおいそれと反応する訳に行かない訳ね」
「お前も大人しくしとけ。それより、続けるぞ」
「ほいほ~い」
人差し指を瀧川の手の平に乗せ直し、指先に意識を集中させる。だが、同時に頭の中では、ちょっかいを掛けて来る相手に対する嫌悪が渦巻いていた。
邪魔をするな。邪魔をするなら容赦はしない。
陰が誰なのか分からないが、例えそれが皇族でも。それが仁成の本心。
仁成の魂の奥底に眠る、誰も知らない、本人さえ気付かない本来の記憶が叫んでいる。
「二度も死んでたまるか」
仁成が誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた言葉は、目の前に座る瀧川にも、傍に控える爺にも届かない。ただ、陰の中に溶け込み消えて行った。
予定されていた座学の基礎講義が一通り終わり、仁成は十波の専攻分野である魔導工学を中心に講義を続けてもらった。
この追加講義は、早ければ数年以内に隆愛と共に立ち上げる事業にも関わりが深く、今の仁成に一番必要な知識だった。
また仁成はこの数ヵ月の間、一度も休まず講義を真面目に受け続けていた。それが良い方向に向いたのか、十波も最初に抱いていた仁成への恐怖は薄まり、講義の追加を快く引き受けてくれた。
ただ、彼女は本来魔導大学の助教授としての仕事があり、その中にはこの大学に通う学生への講義もある。
講義は臨時講師に任せていたが、その雇用期限も迫っているため、これまで通りの個別講義は出来ない。週に一度か二度の不定期という条件で続けられることになった。
では、講義が無い日は何をして過ごすかだが、実は既に仁成には魔導学の講義と魔力感知の訓練以外にしなければならない事がある。それは―――。
「う~ん。少しコンセプトからずれてる気がするのと、インパクトが足りないかなぁ」
仁成は渡されたデザイン画と設定を照らし合わせながら、机を挟んで立つ男に話しかける。
「駄目ですか?」
既に数えるのを止めた男は肩を大きく落として、仁成の駄目だしを聞いていた。
「駄目って訳じゃないよ。この型のデザインはかなり攻めてるのに違和感がないでしょ?確実に良くなってるよ。ただ、これから出そうとしている製品には世界観を持たせる事になってるけど、ある程度購入者側の考察余地も残すことにしてる。ガチガチに公式が設定を固め過ぎてもいけないんだけど、緩すぎれば世界観が崩れる。妥協できるところは妥協するけど、この機体はライバル機だからね。主人公機以上に妥協できないだけだよ」
「はい、わかりました」
とぼとぼと自分の席に戻る男の背を見送り、仁成は書類に目を落とした。
「あのぉ。部長は何を見据えてるんですかぁ?」
部長と呼ばれた仁成が、一度落とした視線を上げると、部屋にいる全員の視線が自分に向けられていた。
魔力感知の訓練は一時間ほどで終わる。その後は和彦か隆愛の予定が空いていればそちらに足を運んでいるが、忙しい二人と予定があわない日の方が多い。
そんな日は、街に繰り出すこともあるが、カブキヤに顔を出して店内の整理を手伝ったり、オリジナルブランド事業の相談に乗ったりしていた。
そして何時の間にか仁成は、カブキヤの製品開発部の責任者にされていた。
今までカブキヤは家族経営の零細企業だった。そこに仁成と隆愛、それと和彦ともう一人、和彦の誘いに乗った華族が個人的に出資を申し出てくれた。
そして、その華族からある提案がカブキヤに出された。
その提案こそ、新事業の製品開発を仁成に任せてみてはというものだった。
いきなり責任者にするのはどうなのかと疑問に思った琴音だが、多額の出資をしてくれた華族からの声を無視も出来ずに悩んだ彼女だが、隆愛からその意図を聞いたことで仁成を開発部部長に迎えることにした。
隆愛と出資者の華族が琴音に伝えたことは二つ。
一つは、サブカル文化が此方の世界よりも発展している世界で生きていた知識と経験を仁成が持つという点。二つ目は、ふらふらされるよりも何処にいるか分かった方が護衛がしやすいという点だった。
かくして、当の本人がせっせと講義を受けている間に、大人達がその隙を突き決められた人事が発表され、仁成は無事に裸の王様になった訳である。
「ん?あぁ、将来的にメディアミックス出来ればいいなくらいに思ってるだけだよ」
話しかけて来た真衣に返事をしながら、仁成は再び書類に目を落とした。
「メディアミックス?」
「あぁ、そうか。こっちには無かったっけ。多角展開のことだよ。今開発しているオリジナル作品。これを原作にアニメとか漫画、音楽とかの別分野に広げて行って、宣伝と同時にブランドイメージをより強固にしようかなってこと」
「…そんなことまで考えてるの?」
開発部に配属された鏑木真衣は、まだ一つも製品が出来上がっていないというのに、さらにその先を見据えている仁成に呆れていた。
現在のところ、カブキヤの開発部は五人しかいない。
部長である仁成、事務員の真衣。琴音と一緒に最初のオリジナル製品をデザインした蕪木家末子の蕪木宗助と分家筋の圓真香。最後に、仁成が和彦を通じてどこかから連れて来た設計士の多守茂也。この五人で、カブキヤの製品開発部は始動した。
これが出来たのも、出資者の華族から通販事業のノウハウをよく知る人物を紹介され、半月もしない内に一部業務が事業所兼倉庫となる建物に移行。同時に魔導大学を含む近隣の学校や地域でアルバイトとパートを募集して、人員を確保できたからである。
そして手の空いた真衣達が、開発部に移動できたわけである。
「部長。言われた通り、部品の色毎に分けてみたけど。予定より二枚多くなった。どうする?」
「う~ん。こうなると金型が一枚多くなるよね?」
「そうだな。生産性も落ちるし、生産コストも増える」
「それだけじゃないよ?箱の大きさも見直さなきゃ」
真衣からの指摘に、仁成と茂也は顔を見合わせる。
「そっちもあったかぁ」
「それに売値も少し上げる必要がある」
「う~ん。これは次回の全体会議に出して決めるよ。ここから削ったとして、一枚減らせる?減らせるなら金型を増やす必要が無くなるでしょ」
「見直してみる」
「頼むね。こっちも何か解決策が無いか考えてみるよ」
「まぁ、無理すんなよ。部長は部長で工具の方で忙しいだろ」
「まぁね。でも、工具や塗料はまだ先の話だよ。まずはオリジナルブランド製品をしっかり売り出すところからだよ。既存の玩具メーカーに正面から喧嘩を売りに行くようなものだからね」
「確かに…そうか。しっかし、本家から話が来た時は何で玩具?と思ったが、これはこれで楽しいな」
「俺は逆だね。アイデアだけ出して誰かにやらせて、自分はそれを買って作ることしか考えてなかったよ」
「ははははは。墓穴掘ってるじゃねぇか」
「木乃伊取りが木乃伊になったの方が正確だと思うよ」
「違いねぇ。まぁ、さっきも言ったが無理すんなよ」
「そっちもね」
まだ十代の部長にして執行役員。別に舐められている訳ではないが、周りは自分より年下で、つい最近まで命を狙われ続けていた仁成のことを、どうしても保護者目線で見てしまっていた。
その事に仁成も気付いてはいるが、それで円滑に部署が廻るなら良いかと、特に気にすることなく、言葉遣いなども指摘したことは一度も無い。そもそも、仁成自身が今の状況をむず痒く思っているので、親しく和気藹々と接してくれる皆に逆に感謝していた。
今はまだカブキヤの製品開発部は一つだが、何れはプラモデル、フィギュア製品を扱う課。塗料、工具、製材を扱う課の二つに分けることを視野に入れている。
だが、今のところは人数不足。柱となるプラモとフィギュアにまずは注力し、カブキヤのオリジナルプランドを確立し広める事を第一に動いている。
そのため、専用工具類などは仁成自身が草案を纏め、少しずつ進めることにした。一人で進めることにした理由は他にもある。まず、プラモが売れなければ意味がないということ。そして、どの様な工具や設備があればいいかを考える時間が欲しかった。
また、自前の工場を持たないカブキヤにとって、それらを製造してくれる工場も探さなければいけない。
「部長、何で切れ味の違うニッパーを造るんだ?」
唯一設計図面を書ける茂也は、仁成が考えている工具を図面に起こす仕事を手伝っている。その茂也は複数あるニッパーの図案を見比べ、疑問に感じていた。
「あぁ、用途が違うんだよ」
「用途?」
「一つはランナーからパーツを切り離すよう。太いランナーを切っても刃こぼれしずらいように頑丈で耐久性重視。もう一つは、パーツに残ったランナーを切る時に、パーツに傷がつかない様に切れ味と精密さ重視したものだよ」
「すまん、分からん」
「見せた方が早いね」
言葉で説明するよりも見せた方が早い。そう判断した仁成は、部屋の隅に置かれたプラモの箱と、サンプル用にカブキヤに置いてあるニッパーを二つ用意すると、皆が見ている前で実際にキットからパーツを切り出す工程を始めた。
仁成が手に取ったプラモはキット数も少なく、低学年の小学生でも簡単に作れるもの。箱を開き、既にニッパーの試し切りで何度か切られた跡がある物は避け、一度も刃が入っていないランナーキットを取り出すと、皆に見える様に少し腕を伸ばした。
「まずキットからパーツを切り取る際、一番やっちゃいけないのがパーツにぴったり刃を当てて一度で切ろうとすること」
「なんでだ?一度で切ればいいだろ」
「ノンノン。パーツによっては接合部に強い負荷がかかって亀裂が入ったり、繋がっている部分が抉れたりする。それに切っちゃ駄目な部分を切った場合、修正が効かないでしょ。そういった事故防止のためにも、二度切りが推奨されてるんだよ」
仁成の説明に、茂也はカブキヤの従業員でもある三人に「そうなのか」と確認する様に視線を飛ばすが、当の三人も茂也と同じ気持ちなのか、互いに「お前知ってた」と言いたげな視線を交わしていた。
「まぁ、見ててよ。少し解り易くするためにわざとするけど、本来はそこまでパーツもランナーも軟じゃないからね。そこは勘違いしないで」
前置きを言いながら、仁成は手慣れた手つきで先程自分で言ったNG行動でランナーからパーツを数個切り出し、机の上に並べる。
「これが一度切りの断面。これなんて分かりやすいね。少し接合部の部分が抉れてるでしょ?あとはこっちはパーツにランナーが少し残ってる」
仁成は意図せず出来た駄目なサンプルを二つを茂也に渡した。
渡されたサンプルの断面を見て、指先で触った茂也は隣にいた宗助に渡す。渡された宗助も同じ様に確認すると、次は真香に。そして最後に真衣の手に渡り、仁成に戻ってくる。
「で、これを防ぐために二度切りをするわけか?」
「基本はね。次はまず最初にこの刃が太いニッパーでパーツを切り取って、その後にこっちの刃が薄いニッパーでパーツに残ったランナーを切り取るよ」
仁成は再びニッパーを手に取ると、パーツとランナーのつなぎ目にはを当てた。だが、先程と違いパーツから離れたランナー寄りの部分にはを当てて切り取る。
「まずはこの状態。見ての通り、パーツにランナーが残ってるでしょ?」
指先で摘まんだパーツを高く上げ、それを全員が見終わったの確認した仁成は、別のニッパーに持ち替えて二度目の切り取りを始めた。
「このニッパーは出来るだけ刃が薄く、切れ味の良いものを選んで。そうすればパーツにより密着させれるからね」
説明をしながらゆっくりと二度目の切り取りを行い、先程同様に切り取ったパーツを茂也に渡す。
「どう?違うでしょ」
先程よりもランナー跡が薄く、断面に凹凸がほとんどない事を指先で確認した茂也は、それを先程同様に宗助に渡した。
「全く違うことはわかったんだが、ここまでするものなのか?」
「綺麗に組み立てたいならするべきだけど、素組だけで満足する人なら拘らなくていいと思うよ」
「素組?」
「ただキットからパーツを切り取って、組み立てただけの状態の事だよ。ここで終わっても良いし、パーツに溝を彫ったりして改造するも良し。塗装も塗り直しても良し。それはその人の自由だよ」
「部長が造りたいのは、素組だけじゃ満足できない人向けってことか?」
「というか、俺が欲しいから作ってるだよ。他にも鏨やデザインナイフ、各ヤスリ。小さな万力とか他諸々」
「それをカブキヤで全部作るのか?それなりに技術力のある工場と協力して造ればいいと思うが?」
「別にカブキヤが造らなくてもいいのは確かだね。それに技術を持ってる町工場は探せばすぐに見つかるはずだよ。ただ、俺が考えてるのはそこに付加価値を付ける事なんだよ」
「付加価値?いつも言ってるブランドか?」
「そう、それ。カブキヤのニッパーはプラモ制作に最適化されてて使い易いっていう印象を植え付ける。もちろんプラモ以外の用途で使ってもらってもいいだよ。切断面が綺麗だから、これを切る時は欠かせないんだとかね」
「うーん、分かるような分からんような」
「少し考えてもらおうかな。例えば、包丁には色々な種類があるよね。分かりやすい所で言えば出刃包丁、柳葉包丁、牛刀あたりかな?出刃は魚を三枚におろしたり、分厚い肉を切ったりする時に使う。柳葉は別名刺身包丁とも呼ばれる通り、刃が薄くて切れ味もある。刀身も長いから一度で切り身を造る時には便利。牛刀は一般家庭で一番使われてる一番馴染みのある包丁じゃないかな。でも、別に食材を切るならどの包丁を使っても切ることは出来るよね?違う?」
「まぁ、そうだな」
「だけど、柳包丁は魚の硬い背骨を折って切るには薄いから刃こぼれする可能性が高いし、重さもないから力がいる。でも出刃なら刃こぼれしにくいし、重いから必要な力も少なくて済むよね」
「確かにそうだが、それが何の関係があるんだ?」
「はぁ、例えばって言ったんだけどなぁ。仕方ないなぁ。今のプラモ業界にはね、飲食業界と違って牛刀しかないんだよ。出刃も無ければ、刺身包丁も無い。ペティナイフの様な小型ナイフも無い。鍋もフライパンも1種類しか無い。無い無いずくし。そこにプラモを売り出してる会社が、プラモ専用と銘打った工具や塗料を売り出せば?」
「そういう事か…。大手が参入してくる前に、市場を独占したいんだな。だから付加価値、ブランドが欲しいのか」
「正解~。大手や専門工具を作ってる会社が参入して来れば、あっという間にシェア率を持っていかれて負ける。その前にブランドを確立する必要がある。これには他の狙いもあるけどわかる?」
「すまん、俺には分からん」
「分かるかも」
「真衣ちゃん、何かな?」
「うちみたいにプラモを販売してる店舗に置いて貰うんでしょ?」
「正解」
「「???」」
「分からない?カブキヤに置いてる工具はそこらの店でも買える市販品なんだよ。別にわざわざうちで買わなくても良い。なんなら、うちで買うより安い店もあると思う。けど、プラモ専用工具なんてそこらの量販店が扱うと思う?同じ工具だとしても」
「「あっ!!!」」
「それに、店からしてもありがたいよ。用途別に専用工具があるなら説明もしやすい。それ用ですってこっちから宣伝すれば、置いてくれる店舗は必ずあるよ。店側はわざわざ他の工具を並べる必要もなくなって、うちの製品だけを並べればいい。なんたって、専用なんだから。お客さんにも勧めやすい」
真衣の説明に、仁成の意図に気付いた3人は仁成に視線を集中させる。そして3人は同じことを思っていた。「こいつ、ガチで市場独占を狙ってやがる」と。
「ふふふふふ。真衣ちゃん。70点」
「えっ?何で?」
「今のカブキヤの主業務は?」
「…通販」
「そう、通販事業だ。最初は店頭で手に取って、その使い心地を実感して貰う。それは間接的にカブキヤのブランド宣伝にもなる。次からは?」
「うちの通販で購入する人もいるかも」
「それだけじゃないよ。店舗にどの商品を置くかはその店次第だ。種類が増えればそれだけ在庫も増えるし、置き場所にも困る。おそらく店舗に置いて貰えるのは、ライトユーザーにも手に取ってもらえるものに偏ると思う。売れない商品は利益にならないからね。それこそ、改造や塗装までする人の方が少ない。そこでカブキヤの通販サイトが輝くのさ。店舗に置いていない専用工具の数々、それらの使い方や詳細を載せた商品ページ。それこそ、通販もしくはカブキヤ直営店限定商品があってもいいはずだ。というか、初めからそれ狙ってるし」
「「・・・・・・・」」
仁成の展望を聞いた4人は、とんでもない男を部長に据えたかもしれない事に、ようやく気付くのだった。




