046「目覚め 6」
とある休日。私、十波瑠璃は朝早くから、魔導大学にある自分の助教授室に一人籠り、とある問題について思い悩んでいた。
私の目の前には、三枚の釣書がある。最初はもっとあった。確か10枚くらい。
この釣書は、以前殿下におねだりして御約束して頂いた結婚相手候補。どれも庶民の私からすれば良家の御子息。さすがに嫡男は一人もいないが、釣書に書かれた肩書は、たかが大学助教授の私と比べるべくもなく、社会的地位の高い方ばかりだった。しかも、全員私より年下…最高!
「くっ、齢29にしてようやくモテ期が…」
容姿に自信がない訳ではない。何なら、そこらの良家のお嬢様より美人だと自負もしている。だが、何故か学生時代からモテたことは無い。
いや、女には何故かモテた。
二十代前半には、あまりにもモテない事に気が狂ったのか、学生時代からアプローチして来ていた同窓生(雌)と同棲し、堕ちかけたこともあった。
だが、私は踏ん張った。素敵な殿方との甘い生活の夢が捨てきれず、追いすがる彼女と別れた。そして、気付けば三十路。
恋愛は尽く失敗したが、その反対に仕事は順調だった。若くして魔導だ威嚇の助教授になり、研究も順調。あとは…寂しい独り身からの脱却。
だが、それももうすぐ終わる。殿下の傍仕えである爺の話では、どの殿方も性格に難は無く、私が魔導大学で研究を続けることにも同意して下さっているとのこと。さらに、日ノ本ではだいぶ行き遅れの私の年齢も問題にしない事も確約されている。どの家の御両親も、私を迎える事を歓迎してくれているらしい。
それに私が誰を選んでも良いように、殿下が口添えもして下さっていた。
つまり、選び放題!何と素晴らしいことだろう。
そして今、私は三人の殿方まで候補を絞り、その間で迷い続けていた。
「…そろそろ時間か」
私は壁掛け時計に眼を向けると、広げていた釣書を片付け始めた。今日、これからこの部屋に人を招くことになっている。軽く掃除をし、出迎える準備をしなければならない。
三枚目の釣書を手に取った時、その下に置いていた書類に目に入る。
『経過報告書』
これから来る御方に提出する書類だが、題名は敢えて何も書かず、経過報告書としか書いていない。そうせよと言われ、私はその通りにしているだけだ。
私にはもう一つ悩みがある。その悩みはこの報告書に関係する。
私が殿下より請け負った依頼、それに関係する一人の青年について。
請け負った依頼は、ほぼ魔導学に触れたことがない一人の青年に、魔導学の基礎を叩き込むこと。そして、可能なら魔力感知を身に付けさせること。
授業を始めて半月ほど経った今のところ、魔導学については順調に進んでいる。青年が魔導学に興味があり、積極的に取り組んでいるからだろう。
ただ、もう一つの魔力感知は上手く行っていない。
だが、私はあまり焦ってはいない。後天的魔力覚醒者の中には、魔力をすぐに知覚出来ない者が一定数いる。特にほぼ魔力が無い者が覚醒した場合に多く見られ、知覚出来るまで数ヵ月から一年ほどかかることもある。
だから、まだ焦る必要がない。本人もこれまで知覚出来ていないからと、焦ってはいない様に見える。どちらかというと、知覚できないのに何故魔力を使えているのか、その事について二人で議論しているくらいだ。
今のところ、特に問題も発生せず順調。だが、私は悩んでいた。
それは、青年が度々投げ掛ける質問が、私が修めて来た魔導学の常識とは全く違う視点や解釈を持っているからだった。
その問いの中には、私のみならず、恩師であり上司でもある望月教授をも悩ませるものまであった。その筆頭と呼べる問いは、今も私達を悩ませている。
それは『神通力と魔力は同一の力』というもの。
私の知識では、神通力は神の加護を得た者だけが使える神聖な力で有り、魔力とは全く別の力。神の力の代行という認識だった。
だが、あの日の青年は、神通力を持つ尊き御方を前にしてはっきりと言い切った。「人が神の力を使える訳が無い」と。
その後、珈琲を使って私達に三つの力の関係を表し、その可能性を提示した。
それを眼で見て、耳で聞いた瞬間、私の足元は大きく揺らぎ、崩れ落ちた気がした。
もしこれが、同じ日ノ本人。この世界の人間から示されたのなら、真っ向から否定していたかもしれない。
だけど、誰も否定しなかった。神通力を持つ尊き御方もショックを受けておられる様子だったが、決して否定しなかった。そして私も。
それから私達は、時間を作っては三人と爺の四人で集まり、青年が提示した新解釈と講義中に投げ掛けられた問いを議論するようになった。
今日もこれから、この部屋で、新たな問いの議論が始まろとしている。
同じ特級でも、雷神の旦那ほど俺には力が無い。固有魔法も地味で使い勝手は悪い。だが、それなりに修羅場は潜って来たつもりだ。国内外の特級魔獣の討伐や足止めにも20回以上参加している。
まだ32の自分の年齢を考えれば、20回はかなり多い方だろう。同じ特級でも5回も参加していない腑抜けに比べれば、よく国に貢献していると自分でも思う。
それのおかげか、何時の間にか『重撃』二つ名まで付いた。
そんなある日、俺に依頼が舞い込んだ。それも拒否できねぇように、この国で最も尊き御方からの伝言付きでだ。
依頼内容は魔人化したガキの面倒を見ろというもの。
俺は依頼書を遠征先で受け取ると、その足で依頼主である隆愛の元に行った。
隆愛は継承権を持つ皇族だが、魔導学に興味を持ってる変人だ。魔導大学に通うために、俺が当主を務める瀧川家の人間ということになっている。
アポも取らず会いに行ったが、意外な事に待たされることなく隆愛の部屋に通された。
何時もいる爺以外は人払いされた部屋で二人きりで話をすることになった。
そこで、俺が面倒見ることになるガキの全てを教えられた。
名はタダノヒトナリ。18歳。魔人化して約一年。推定等級は俺や雷神の旦那と同じ特級。だが、その力は未知数。また、魔力を見ることも感じることも出来ない。
高濃度汚染地域の中でも、最も危険な瘴気溜りの近くで半年も暮らしていた正真正銘の化け物。
それからしばらくして、そのガキと実際に会った。
初めましての印象は、普通のそこらのガキ。特別容姿に優れてる訳でも、千人の魔導兵を死地に追いやれるようにも見えなかった。
それに、覚醒したばかりのガキや赤子じゃあるめぇし、魔力を垂れ流していることに俺は頭を抱えそうになった。一応話には聞いてたが、あそこまで酷い奴を俺は見たことがなかったからだ。だが、そんな考えは顔合わせが終わる頃には吹き飛んでいた。
何故なら、そのクソガキは常に魔力を垂れ流しているはずが、一度も魔力酔いも魔力切れも起こさなかったからだ。
魔人や特級魔法士でも、あれだけの量を常に垂れ流していれば魔力酔いの一つは起こす。場合によっちゃあ、見てる側が酔うだろう。実際、一緒にいた共にガキの面倒見る羽目になった十波は、途中で眼鏡を魔力遮断用のものに変えてたのが何よりの証拠だ。
毎日、プール数杯分の水を垂れ流し続け、それでも余っている。ただのガキじゃない事だけは、それを見ただけでわかった。
だから、俺はガキの実力を見ることにした。魔力を知覚することも、操作も出来ない癖に、何故か雷電を撃ったというその実力を。
二週間後、俺は十波や隆愛と共に、例のガキも連れて軍の演習場にいた。
そこで、ガキの実力を試すことになった。
朧に乗れるとはしゃぐ姿は本当にただのガキだった。特に不可視化の魔導技術を見て即座に風俗に繋げたところと、朧を自分で動かせないことが分かるとテンションが駄々下がりでいていたのには、本当に笑えた。
だが、笑えたのはそこまでだった。
常にリミッター上限いっぱいの魔力を込めて雷電を撃ちながら、けろっとした顔で不満を溢す。そこから段階を踏んでリミッターの上限は解放され続けた。そして最後の30発は、雷電の魔導回路が耐えられる限界ギリギリで行われた。
それでもガキは、一度も魔力酔いも起こさず、まだ不満を漏らしていた。その姿に全員が恐怖を覚えたに違いない。
合計すれば400発近い試射をこなしておきながら、まだ魔力を垂れ流し続けるその姿に。
翌朝。俺達は昨日の試射が、ガキにとってはお遊びだった事を思い知らされる。
結果は言うまい。言っても誰も信じねぇからな。
京の都に戻った俺は、共に試射を見届けた十波と、そこに雷神の旦那を加えて話し合いを重ねた。
そこで判明したのが、雷神の旦那でさえガキの身体に干渉できないという事実だった。
当初、俺は無理矢理自分の魔力をガキの中に送り込み、魔力の五感を目覚めさせる予定だった。だが、それが出来ないとなると相当面倒なことになると感じた。
それは雷神の旦那も感じていたのか、旦那の提案で三人で魔力を押し込むことが決まった。が、僅かに皮膚に届いただけで、見事に全員跳ね返された。
雷神の旦那はある程度予想していたのか、特に驚きもせず嬉々としてレポートをまとめ始めた。
その反対に十波と俺は、盛大な溜息を吐きながら後悔し始めていた。
「面倒な依頼を受けちまったぜ」
八月の第一週から、仁成の生活は学業優先になっている。
月曜から金曜の週五日、午前中は十波から魔導学の講義を受け、午後からは瀧川が居れば彼から、いなければ引き続き十波から魔力感知の訓練を施された。
そして余った時間は、望月や隆愛を交えて仁成のアイディアの詰まったメモ用紙から実現可能か検討したり、ただ雑談に花を咲かせる。二人と予定が合わなければ、訓練が終わるとそのまま自宅に帰る日もある。
訓練を始めて一月ちょっと、今のところまだ魔力を感じる事が出来ないため、瀧川による実践的な実技講義は行われていない。
しかし、十波と瀧川の二人からは焦る必要は無いと言われている。その理由は、仁成が後天性魔力覚醒者と同じだからというものだった。特に仁成の場合は、同時に魔人化している可能性も有り、余計に焦る必要が無いとも言われている。
何故なら、後天性魔力覚醒者の中には魔力感知に数ヵ月から一年以上かかる場合があるからである。それを聞いた仁成は、落ち着いて訓練に取り組むようになり、そのおかげかは分からないが、偶にではあるが駄々漏れの魔力が一瞬止まるようになった。小さな一歩かもしれないが、十波や瀧川からそれを聞かされ、仁成は訓練が少しかもしれないが実り始めたことを喜んだ。
同時に、何故知覚出来ない状態で魔力を使えるのかについて、十波と議論を重ねるようになった。実の所、十波もその点について不思議に思っていたようで、発表されるかは不明だが論文に残したいと打診され、仁成はこれを快諾している。
この問題については、望月と隆愛、そして瀧川も相当気になっていたらしく、十波が仁成の進捗報告を開くときには、四人は必ず集まり議論している。
仁成は瀧川も?と疑問に思ったが、何と瀧川は地方の魔導大学数校で特別講師という肩書で、月に数回だが特別講義を行っている教育者だった。さらに、瀧川は小学校教員の資格まで持っていることが判明すると、本人を目の前に仁成は大きな声を上げて驚愕した。
瀧川はその反応を見て、少し不機嫌そうに「これでもそれなりに名の知れた魔獣狩りで、実績もあって、二つ名もあって、男児には人気あるんだぞ」と、不貞腐れ気味に仁成に教えてくれた。
魔導学を学んでいるとはいえ、仁成は一般人でも知っている様な事さえ知らない赤子同然。そこで、魔力覚醒者が皆通る基礎中の基礎から学び始めることになった。
国語ならひらがな、カタカナ、数字、簡単な漢字の読み書き。算数なら足し算と引き算になるだろう。これらを知らなければ、文章も読めないし、計算も出来ないからである。そんな基礎を今、十波から学んでいた。
しかしそんな仁成でも、天月から始まり、月夜、その他これまで出会った人達から学んでいることもある。だが、それらを一度忘れ、仁成は0から学ぶことを選んだ。
何故なら、中途半端な知識がこれから十波から教わるこの世界の一般的知識の邪魔になるかもしれなかったから。
「今日は此処までですね。昼食に行きましょう」
講義は大学内の小会議室で行われている。これは人目を気にしているからという訳ではなく、単に生徒が仁成しかいないからである。なら、十波に自宅に呼べばいいのではと思うかもしれないが、仁成は魔導学を学ぶ以外にも和彦と隆愛の二人と進めている案件が複数存在する。
それらを一日の間に完結させる必要があり、仁成が魔導大学に通うことになった訳である。
「そうだ。気になったことがあるんだけど、魔導系の学校って少ないの?」
学食に行く道すがら、特に重要でもないが気になっていた事を十波に聞くことにした。
仁成が知る魔導を教える学校は、今通っている大学しか知らない。だが、大事な魔法士を育成する教育機関が一校しかない訳が無い。だが、街中にはそれらしい教育施設は一つも見当たらないことに気付いた仁成は、疑問に感じていた。
「基本的には無いわね。魔力持ちは日ノ本に数百万人はいるけど、その内就学中の子供の数を考えると、専門の学校をあちこちに建てるのは税金の無駄になるわ」
「それは確かにそうだね。となると塾?」
「そうね。幼い頃から英才教育を施すなら、中級以上の魔法師資格を持つ家庭教師を雇うけど、それなりにお金が掛かるわ。お金を掛けれない家庭は塾に通わせるのが一般的ね。基礎を教えるだけなら、準魔法師でも可能だから。それに覚醒時期はバラバラの事が多い事は教えたわよね。魔導塾は未就学児に混じって、小学生や中学生が一緒に学ぶことも多いの」
「あぁ、そっか。そうなるよね」
「義務教育の9年間は基本、魔力持ちと非魔力持ち関係無く同じ学校に通うことになる。けど、卒業後は三つの選択肢があるわ」
「三つってなると、魔導系の学科がある高校に専門学校、あとなんだ?」
「日ノ本軍よ」
「あぁ、なるほど」
「軍に入隊して、魔力値が準魔法師以上なら、専門学校と変わらない教育を受けられるの。その代わり、履修後は数年間の軍役が課されるし、その間に任務中に殉職するリスクもあるでしょうね」
「まぁ、それは仕方なくない?金貰って学べるんだから。魔法士資格を持ってる人の軍役ってあるの?」
「基本は個人の裁量に委ねられてるわね。ただ、準軍属として登録しているだけで減税や補助金が受けられるから、大抵は有事の際の招集可としている魔法士が多いでしょうね。ただ、拒否した場合は契約違反で、それまで受けた恩恵に加えて追徴金が課されることになる。場合によっては罪に問われる。それを嫌がって不可にしている民間魔法士も多いと聞くわね」
「まぁ、そうだよね。魔法士だからって皆が皆、命賭けれるかって言われるとそうじゃない人もいるでしょ」
「そうなのよね。だけど、一般人からすれば魔力を持っているだけで、強いと思われがちなのよね。こっちからすれば、魔法は使えるけど身体は普通の一般人と変わらないのに」
「ん?でも身体強化があるんじゃないの?」
「あれはかなり身体に負担が掛かる危険な魔法よ。普段から身体を鍛えている魔法士なら問題無いでしょうけど、一般社会で生きてる普通の魔法士が使えば、その場で悶えるだけよ。数日は動けないでしょうね」
「そうなの!?」
「だから、魔力が扱えるようになったからと言って、いきなり使っちゃ駄目よ。最悪、心臓が負荷に耐えられず止まることもある危険な魔法なの」
「まじかぁ。一番使ってみたい魔法なんだけど。そうなるとちゃんと訓練で身に付けた方が良さそうだね」
「そうして頂戴。残念だけど、私は見ての通りか弱い女だから教えられないわ。滝川さんに教わってね」
「分か…?何かあったのかな?」
学食に向かう途中、廊下の窓の外から言い争う声が二人の耳に届く。
「喧嘩かな?」
窓に近づき舌を覗いた二人の目に飛び込んできたのは、二人の学生を中心にした二つのグループが、互いに対峙しながら言い争っている光景。
どちらもかなり頭に血が上っているのか、互いに罵詈雑言の浴びせ合い、今にも取っ組み合いのストリートファイトが始まりそうだった。
「はぁ、またあの二人。懲りないわねぇ」
十波は二人の学生を知っているのか、深い溜息を吐き面倒臭そうに肩を落とした。
「有名人?」
「そうね。ある意味、どちらも有名よ。右の金髪の子は圓堂誠司。左の黒髪の子が斎藤零士。どちらも三回生で、二級認定済みの優秀な魔法士よ。ただ…」
「ただ?」
「家同士の仲が悪いのよ」
「おうふ。まさかのしょうもない理由に俺氏困惑~笑笑」
「そのワラワラってなに?」
「スラング。笑うって感じを二つ並べるて、爆笑を表現するの」
「はぁ…、元は同じ家系から分かれたのが圓堂家と斎藤家の始まりよ」
「ほうほう。そんで、どっちが正統なの?」
「どちらも違うわ。事の発端は中世から近代に変わる転換期に起きた将軍家の御家騒動よ」
まだ藩制度が残る近世と近代の変わり目、時の将軍が突然亡くなったことで、次期将軍の座を掛けた家督争いが勃発した。
次期将軍候補は三人の息子。その内の次男は、早々に跡目争いから離脱し、天皇の御膝元である京の都に逃げた。そして、次期将軍の座を賭けた戦いは長子と三男の一騎打ちとなる。
このお家騒動は日ノ本全国に波及し、長男派と三男派で分かれた。
両派閥は、まず日ノ本全国の藩を治める諸大名の調略に掛かった。時には自ら大名の元に足を運ぶ調略合戦は、一進一退の攻防を見せ決着はつかなかった。
結局、両者は武力による決着を決断すると、日ノ本を二分する大戦に向けて準備に入る。そして、運命の決戦の日を迎える。
「で?どうなったの」
「将軍家の長男と三男は天下分け目の合戦でどちらも討ち死に。結局、将軍家は何もしなかった次男が継ぐことになった」
「んん?雲行きが一気に怪しくなってきたぞ。そこからどうやって二つに分かれる訳?」
「これからが少し複雑なのよ。戦死した長男にも三男にも男児がいた。そして継いだ次男というのがこれまた馬鹿で、遺児二人を養子にしたの」
「阿保だねぇ」
「君ならどうする?」
「年齢にもよるけど、八歳以下なら寺に出すか、他家に預ける。それ以上なら残念だけど。くいッかな」
仁成は手を首に近づけると水平に動かし、首を切るジェスチャーで答えた。
「それなら二人とも生きてはいないわね。でも、次男にはそれが出来なかった。まぁ、そんな為政者がまともに幕府を回せるはずも無く、その数年後にまたやらかしたの。天下分け目の戦で疲弊した家を切り盛りするのが精一杯だった彼は、日ノ本の統治にまで手が回らなかった。そこで彼は、天皇に統治権を返還したの、勝手にね。まだ戦からそれほど経っていない時期、混乱してる諸侯の隙を突いて責任から逃れた訳。これに対し、諸侯も二つに割れた。実質統治機能を失い、お飾りになっていた幕府を潰すことに賛成する天皇派。それに対し武士政権を維持したい幕府派に分かれ、日ノ本はまた二つに割れた」
「お~い、何やってんのその次男。もう少し日ノ本が落ち着いてから、天皇側と結託して事を進めなさいよ」
「それが出来てたらもっと違った結果になっていたでしょうね。そうして始まった二回目の天下分け目の戦いは、始まる前に終わったわ」
「えっ?何故?」
「日ノ本初の大規模瘴気災害が、当時幕府が置いてあった武蔵の国で発生したからよ」
瘴気そのものは約350年程前から確認されていた。その規模も小さく、当時の少ない魔法士だけでも対処は可能だった。
しかし200年前に発生し、当時の幕府が置かれていた武蔵国を襲った瘴気災害は、それまで発生していた瘴気溜りの規模を大きく超え、幕府の中枢である武蔵城とその城下町を一瞬で飲み込み、地域一帯を汚染した。
当時の文献では武蔵にいた住民のほとんどが死に絶え、将軍職を返還した元将軍家も運命を共にした。
同時期に、世界各地でも日ノ本同様に大規模な瘴気溜りが発生し始め、小さな小国はそのまま正気の中に取り残され、滅びている。
それから200年。武蔵国の瘴気溜りは成長を続け、日ノ本最大の瘴気汚染区域として、今もなお成長を続けている。
「発生当時、二人の遺児は武蔵国から離れていたおかげで生き延びたの。ただ、政権を取り戻した朝廷の判断で二人は引き離され、別々の土地に送られた」
「つまり、継ぐ家も土地も無くなっちゃったのね」
「そうね。だけどこれにはもう一つの理由があるの。当時はまだ、完全に政権が天皇に戻ったとは言えなかった。だから、幕府派の神輿にされないようしたのよ。そして、送られた土地で生涯を閉じるはずだった二人は、そこで魔力に覚醒した。時期は違うけどね。それを知った朝廷は、二人にそれぞれ家名を与え新たな家を興すことを許したの。それが」
「圓堂家と斎藤家というわけか」
「そうよ。長男の遺児が圓堂家を興し、三男の遺児が斎藤家を興した。そして両家の悲願は、武蔵国の奪還と徳川家の再興よ」
「徳川?!」
「あら、知ってるの?」
「知ってるも何も、あっちでも最後の将軍家が徳川なんだよね。でも大政奉還までがだいぶ早いね。今から200年前ってことはあっちだと1800年くらいだから、50年から60年以上早い。いや、歴史の流れが違うから下手したら100年近く違うかも」
「そんなに違うのね…。さっ、学食に行きましょう」
話し終えた十波は、窓から離れると歩き始めた。
「えぅ?止めなくていいの?」
一触即発だった中庭は、殴り合いの取っ組み合いが始まり、遠巻きで見ていた生徒達も巻き込まれの御免と言いたげに、そそくさとその場から逃げ出し始めていた。
「何故?」
足を止め振り返った十波は、不思議そうな顔で仁成を見ていた。
「いやいや。あんたこの大学の助教授でしょ?」
「だから?…あぁ、ごめんなさい。そうよね。本当にごめんなさい。うっかり失念してたわ。大事なことだから覚えておいて。華族には基本関わらない。これは庶民の常識よ。特に家同士の争いには首を突っ込んじゃ駄目よ。場合によっては両方から睨まれるかもしれないわ。それに」
「それに?」
「さっきも言ったでしょ?両家の悲願は?」
「徳川家の再興」
「そして、その徳川家の継承権は?」
「まぁ、話を聞く限りは両家にもあるね」
「その徳川家だけど、実は存続しているの」
「あぁ~」
存続している。それだけで仁成は、十波が何を言いたいのか理解した。
「つまり、両家はその徳川を認めていないし、それを認めている朝廷も憎んでるのかな?」
「朝廷を憎んでいるかは分からないわ。少なくとも両家が華族になれたのは、朝廷が家を興すことを認めたからだし、ある程度の恩は感じてるはずよ。ただ、どちらも貴族派。前時代の武士政権を夢る乙女であることに間違いないでしょうね。つまり、殿下とは敵対派閥に属しているということよ」
「あぁ~はいはい。了解、了解。近づくなってことね」
十波の忠告に大きく頷いた仁成は、すぐに窓から離れると十波と並んで歩き始めた。しかしその後ろではまだ、殴り合いが繰り広げられている中庭を興味津々で見つめる琥珀と千影の姿があった。
「琥珀~、千影~、行くぞぉ~」
仁成の呼びかけに、琥珀と千影は身を乗り出し見ていた窓から離れて、その後ろ姿を追いかけた。
中庭では目の前の乱闘など無視して、自分達を見ていた二頭の魔獣が立ち去る姿を見詰める四つの瞳が怪しく光っていた。




