045「目覚め 5」
肩が砕けたからと言って、仁成の生活はあまり変わらない。日中は三角巾で腕を吊ったまま、片手でカブキヤの棚の整理を進めながら、琴音を始めとした蕪木家の主要メンバーを交えて、通販事業の移転準備も進めた。
通販事業に関して仁成がした事と言えば、ただ口を出すだけ。
通販店舗予定の敷地に行けば、出入り業者の搬入搬出ルートを決めたり、倉庫と事務所内でリフォーム計画の草案を口だけで話したりするだけ。
それを、鏑木真衣が必死にメモを取っていた。
そうして、魔導講義が始まるまでの残りの時間を過ごした仁成は、月が替わった最初の月曜日に、再び魔導大学を訪れていた。
「宜しくお願い致します。十波先生」
「はい。よろしくお願いします。改めて自己紹介をしましょう。京の都魔導大学助教授十波瑠璃。三級魔法士です。大学では魔導工学を教えていますが、基本となる魔導学でも博士号を幾つか持っているので安心して下さい」
「おぉ~。博士号が何か分からないけど、何かすごそう」
「ふふふ。実は博士号ってそんなに凄いものじゃないのよ。博士号を持っている人はかなり多いわ」
「あれ?そうなんだ。意外だね」
「知らない人からすれば、博士号持ってるんだ凄いとなるけど、中身を見れば大したことない人が多いわ。さて、早速始めましょう。今日は午前中は君に教える授業内容と予定を話すだけになります。その後、構内を案内。昼食を挟んで、望月教授の部屋に行きます」
「受け持ってる授業とか大丈夫なの?」
「大丈夫です。私の代わりに臨時講師を雇っていますし、望月教授は名誉教授で籍を大学に置いているだけなので、基本は研究室にいる事が多いんです」
「なら、俺が気にするような事じゃないんだね」
「そうね。君が気にすべきことは、一日でも早く魔力感知と操作、そして魔導知識も身に付ける事です」
授業名とその内容、そして一週間の予定表を受け取った仁成は、ざっと一読すると高校に通っていた記憶を思い出していた。
「本来、大学は学生側が進級及び卒業必須単位を選びます。もちろん単位の中には全学生対象の必須の単位があり、専攻学科毎に必須単位が異なります」
「でも、俺は単位を取りに来たわけじゃない」
「君の場合は完全に個別指導。塾に通うイメージですね」
「別に魔導大学に通う必要はないけど、教授に渡したメモやらもあるから、通わせちゃえってことかな?」
「そこまでは私には解りませんが、概ねその通りでしょうね。ただ、最優先は先程も言った通りです」
「分かった。俺も魔力はちゃんと自分で制御したいからね」
「では、冊子の一ページ目から、今後の予定を説明をしましょう」
ド素人である仁成の講師に選ばれるだけあり、十波は教育者として優秀だった。彼女が作ったと思われる冊子は、素人の仁成でも解り易く書かれているだけでなく、その説明も専門用語などは一切使わずに淀みない説明が続く。
また、要所毎に仁成が理解しているか確認し、質問時間も設けていた。そして仁成の疑問にも、間を開けずに返すことから頭の回転も早いことが分かる。
仁成のイメージする大学教授や助教授は、人に教えるのが下手というものがあった。だが、それが彼女には当て嵌まらない。どちらかというと中学や高校教師の方が向いているのではと思わせる優秀な人物だった。
この仁成の大学教授への印象はただの偏見なのだが、同時に人に説明するのが下手な教授や助教授がいる事も確か。間違ってはいないが、正しくもないというのが本当の所だろう。
当初は少し心配していた仁成だったが、この短い時間で十波は一定の信頼を仁成から勝ち取っていた。
すんなりと説明会が終わった後、仁成は十波の案内で構内を周ることになった。以前はほぼ一直線に望月の元に足を運んだため、あまり大学に来たという実感はなかったが、様々な施設や講義室を見て回ると、自分が大学生になったような気分になっていた。
ただ一つ、以前も感じた大学生からの奇異なものを見る視線は相変わらずだった。
「皆、ぎょっとしてるけど何でだろ?」
「それは、君が魔力を垂れ流しているからよ。ここに通う学生は、ほぼ全員が準魔法士以上の資格を持つ人ばかりです。君は今、堂々と魔力制御が出来ませんって宣伝しながら歩いているんですよ」
「あぁ、そゆこと。つまり、何で魔力制御も出来ない奴が此処に?ってことか」
「まさにその通りね。ついでに、琥珀と千影もいるから余計に目立っているんでしょうね」
「それは仕方ない。こいつらの自由だからね」
「誰も止めないわよ。皇族の紋章付けた魔獣ですもの。ねぇ~、琥珀ちゃん、千影ちゃん」
そう言いながら、自分は琥珀と千影のふさふさの毛並みを堪能する十波。それを遠目から羨まし気に見詰める学生の姿が幾つかあった。
これまで仁成の情報は関係者以外には秘匿されて来た。しかし、去年の暮に発生した誘拐事件以降、仁成を巡る情勢が落ち着いたのを機に開示された。
とはいえ、全てが開示された訳ではないし、開示された情報の多くは改竄されたものである。
仁成は異世界人で17歳で此方の世界に渡ってきた。だが開示された情報では、15歳の頃に事故によって天涯孤独の身になり、17歳まで意識不明のままだったことになっている。魔力に目覚め、魔人化したのもこの意識不明の間の事になっている。さらに記憶も一部喪失と共に、魔力感知と操作に不具合が発生していることにもなっている。
特に仁成はこの設定を守っている訳ではない。そもそも異世界人である仁成にとって、この世界の常識がある訳もなく、何もしなくても無知を晒すため、逆に記憶喪失の信ぴょう性が増して問題にすらならなかった。
そんなこんなで、奇異の眼で見られながら構内見学を終えた仁成は、これから多用するであろう学食に昼食も兼ねて案内された。
昼時には少し早い時間だが、既に席の半分近くが埋まり、それぞれ友人と談笑したり、一人で黙々と食事をしている者がいた。
「中学校とは全く違うでしょ?」
「だね。普通は時間割があって、休憩時間は決まってるもんね」
大学は単位制。講義の時間は決まっているが、どの講義を受けるかは学生が時間と相談しながら決める。曜日によっては顔を出さない学生もいれば、午前か午後だけの学生もいる。
同じ大学に進学したとしても、同じ講義を受ける訳じゃない。専攻次第では全く違う生活を送ることになるのが大学。
「学食は年間パスもあるけど、どうする?」
「…う~ん、完全無料になる訳じゃないけど、買っとこうかなぁ」
学食の壁に貼られた年間パスのチラシ。それを見ながら少し悩んだ後、仁成は年間パスの購入を一旦保留にした。
年間パスは三つあり、一番安いものは学食で提供しているメニューの三割、日替わり定食と500円以下のメニューが無料になるだけ。二つ目に安いパスには、季節毎の特別メニューと800円以下の食事が半額が追加されている。
そして最も高いパスには、従魔用の食事の割引が追加されていた。実質、従魔を持つ人専用パスと言える。
「とりあえず、この従魔用の食事を全部試してからにするよ」
仁成が購入を渋っていた理由は、従魔用の食事が琥珀たちが気に入るかどうかだった。もし気に入るなら一番高いパスを買っても良い。気に入らなければ、逆に仁成が大学側にお金を払って、三頭それぞれのお気に入りの餌を学食に置いてもらうつもりでいた。
「ほほう。従魔用の食事が10種類もあるのか。すげぇな」
「従魔にも草食と肉食主体で分かれているからな」
学食の壁際に置かれた食品サンプルとメニュー表。それを眺めながら、自分の食事と琥珀たちの食事をどれにするか悩んでいた仁成は、声を掛けられ顔を上げた。
声を掛けて来たのは、琥珀たちよりも一回り小さい猫型魔獣を連れた目付き鋭い男子学生。仁成よりも少し背が低いが、体格はラグビー選手の様に筋肉が盛り上がっている。
「あぁ、すまん。急に声を掛けて悪かった。驚かせるつもりはなかったんだ」
見た目に反し、声は少し高く礼儀正しい学生。仁成も丁寧に返事を返すことにした。
「いえいえ。こっちも初めて利用するから、分からないことだらけで」
「それならよかった。実は午前中に君を見かけてね。気になっていたんだよ」
「あぁ~、かなり目立ってましたからね。只野です。こっちは琥珀で、こっちは千影」
「俺は大善。三回生だ。こいつはサトリ。大学が管理している従魔なんだが、懐かれてな。卒業と同時に正式に従魔になる予定なんだ」
「へぇ、そんなことが可能なんだ」
「その代わり、色々と手続きが面倒だがな。結構ある話しらしい。魔獣も元は動物だ。相性があるんだそうだ。そっちは訳ありそうだな」
何時の間にか肩によじ登って来たサトリの顎を優しく撫でる大善の眼は、その厳つい見た目とは逆にとても優しかった。
「それで、聞きたいことがあるんですけど、肉食主体ならどれがおすすめ?」
「安心しろ、訳は聞かない。おすすめか…、先に行っておくと従魔を持ってる奴はこの学食のメニューはあまり利用しない。肉食主体なら、1から3だな。4から6は草食主体。7と8が鳥類。9と10は昆虫食だ」
「てことは、持参は有りなのか」
「サトリは大学が管理してるから餌は別に用意されてるが、個人所有の従魔はこの学食のメニューか、持参が基本だ。二体共賢いなぁ」
「なら、持参しようかな。こいつら人間よりグルメでさ。いった…。何すんだよ」
「はははははは。違うらしいぞ」
仁成の愚痴に琥珀と千影は、それは違うと言いたげに前脚パンチを繰り出す。その姿に仁成と大善、そして横で見守っていた十波の顔は、自然と笑みがこぼれるのだった。
大善とサトリは既に食事を終えていたため、その場で別れることになったが、彼から大学側に申請することで餌を置いて貰えることを教えてもらった。
「じゃあな」
「色々教えてくれてありがと…サトリもバイバイ」
大善とサトリを見送った仁成は、琥珀たちの分も食券を買うと、少し離れて待っていた十波の元に向かった。
「従魔友達って言えばいいのかしら?」
「…う~ん。違うかな」
「あら、そうなの?最後の方は随分親しげに話してたけど」
「琥珀、千影。次、あいつから何かされたら容赦するな。命さえ奪わなければ、手足を千切ってもいい。あとサトリだっけ、あれにも気を付けろ。何なら飼い主より先に必ず仕留めろ。わかったな?」
「ばうばう」「わう」
仁成の冷徹な指示に、琥珀と千影はやる気満々に返事をし、十波は固まった。
「何かされたのね?」
「まぁね。でもこいつらには効かないから、安心してよ」
「すぐに調査しましょう」
「それならもう誰かしてるでしょ。十波さんは知らないだろうけど、この学食にも何人か護衛が紛れてるはずだよ?」
「…そ、そうなの?」
「たぶんね。まぁ、泳がせて裏もしっかり調べ上げてから、吊るすんじゃない?それより、ご飯にしようよ」
一切表情を変えず恐ろしい事を口にする仁成に、あくまで一魔導大学の助教授でしかない十波は、立場と状況が許さなかったとはいえ、踏み込んだ世界の恐ろしさを実感し始めた。
「大丈夫だよ。十波さんにも護衛がついてるよ。たぶんね」
「え?そんな話聞いてない」
「わざわざ言う訳ないじゃん。俺だって護衛がどれくらいいるか知らないし、雷電の試射にいた護衛だって知らない顔ばかりだったよ。だから、知らないまま過ごせば良いよ」
カウンターに歩き始めた仁成の背を見て、彼がこの世界に来てどの様な経験を積んで来たのか、十波には分からない。だが、確実に言えることは一つ。
仁成が普通の年頃の青年が送る青春とはかけ離れた場所に、その身を置いている事は確かだった。
「やぁ、仁成君。肩の調子はどうだい?それと聞いたよ。不届きものがいたようだね。彼方で処理するから手出し無用だそうだ」
昼食を食べて、予定より少し遅れて仁成は望月の部屋をを訪れていた。
以前は隆愛もいたが、今日はいなかった。
「肩はもう少しかかりそうかなぁ。それにしても早いね。一時間くらい前だよ?」
「ははは。それにしても初日から釣れるとは、舐められてるな」
「だねぇ。まぁ、それならそれでいいよ。容赦しないから。でしょ?」
互いに悪だくみを考える悪代官の様な笑顔を向け合い、仁成と和彦は笑い合う。
それに対し、何時の間にかいた仁成の護衛の二人は俯きながら首を振り、十波は呆気に取られていた。
「ごめんなさい十波さん。まずは座って。そう。貴方には申し訳ないけど、しばらくは続くと思って頂戴」
呆気にとられ困惑する十波を見兼ね、里香子は彼女をソファーに座らせると、全ては明かさず安心させることだけを意識して説明を始めた。
「い、いえ。大丈夫です。瀧川さんからも覚悟して置けと言われていましたから。その、初めからですか?」
「えぇ、初めから計画されたものよ。発案者はあそこで高笑いしてるクソガキ本人よ。それと、あなたにも護衛が密かに配置されているので安心して下さい」
「そ、そうですか…」
「ね、言った通りでしょ。もう何回か懲らしめれば、もう少し大人しくなるでしょ。そういえば教授。雷電なんだけさぁ―――」
それだけ十波に告げると、仁成は鞄から数枚の用紙を取り出しながら、和彦に雷電の試射で思ったことを話し始めていた。
自分よりも10以上も年下の青年。しかも狙われているのは彼自身。なのに、まるで何も無かったかのように飄々としたその態度を見て、仁成にとってこれが日常なのだと改めて実感することになった。
仁成が持ってきた提案書は雷電だけに収まらず、魔道具全般に関わる内容だった。
「…十波君。君も見なさい」
和彦に呼ばれた十波は、ソファーから立ち上がり二人の元に向かった。
そして、無言で渡された用紙を静かに一読した。
「出来そうかね?」
「…可能です。ですが、適した素材の選定、あるいは開発が必要でしょう」
「そうか…。仁成君。特許についての知識はあるかね?」
「特許かぁ。あんまり知らないかな。あっちだと数十年は守られてたと思うけど」
「君が持ってきたこの技術案だが、この技術特許を取るにはこの技術が使われた実物と同時に、詳細な原理説明などを書面に書き起こさなくてはいけない」
「原理説明だけじゃ駄目なのね」
「あぁ、駄目だ。だが、この技術が実現できたなら、君の懐には年間億単位の金が入ってくる事は保証するよ」
「いえ、教授。数十億は固いでしょう。おそらく多数の企業から特許の買い取りの打診も来るはずです」
「ふむふむ。共同開発で連名は可能?」
「可能だが、将来的に揉めるケースが多い」
「例えば?」
「金に困って、訳の分からない海外の企業に売られ、権利が渡った場合が一番最悪だ」
「…ふむ。隆君と会える?」
「連絡しておこう。確か、今日は講義に出ているはずだ」
「…それで?」
教授室に呼び出された隆愛は、次の講義までの間だけという条件で足を運んでくれた。
「これ読んで」
渡された数枚の用紙。それを流し読みした隆愛は、大きく溜息を吐いた。
「分かった。これを知ってるのは?」
「教授と十波さんだけだよ」
「君達は知らないのか?」
隆愛は仁成の護衛である里香子と一馬に視線を向けた。
二人はただ首を横に振り、内容は把握していないことを伝えた。
「…教授、実現できますか?」
「十波君と検討して見たが、幾つかの問題はあるが可能と判断した」
「そうですか…。悪いが、二人は部屋の外へ。誰も通さないでくれ」
二人と言われ、動いたのは里香子と一馬。二人は隆愛に言われるまま、部屋の外に出て、扉の前で待機した。
「教授。私と仁成君はある目的のため、会社を立ち上げようと思っています」
「あの、殿下。私が聞いても?」
「既に君はこれを見たんだろう?それに造ってみたくないのかい?」
「出来る事なら、携わりたいです」
「よろしい」
「それで、そのとある目的とやらを聞いてもいいのかな?」
「仁成、いいかな?」
「いいでしょ。元々教授には立ち上げ当初から協力して欲しかったし、十波さんは魔導工学が専攻らしいから、この際巻き込んじゃえ」
仁成と意見が一致し、隆愛は自然と笑みが零れる。そして、少し溜めを作ってから口を開いた。
「私専用の鎧の開発だ」
隆愛の宣言に、和彦と十波の二人は固まった。
「俺の魔導鎧はぁ~」
「あぁ、そうだったな。仁成の魔導鎧の開発もあったな。忘れていた訳じゃないぞ」
時が止まったかのように固まり続ける二人を他所に、隆愛は初めからこうするつもりだったことを察した。
「…殿下。それは電力や化石燃料など、全く魔力に頼らない鎧ということですかな?」
「違う。私の力で動く鎧の開発を目指す」
「…ですが、それは」
「出来てないだけでしょ。出来るかもしれないじゃん」
和彦が溢しそうになった否定の言葉を、仁成は軽い口調で遮り止めた。
「これから話す事。他言無用」
仁成から軽い口調と表情は消え、真剣な声色に変わる。
「約束しよう。爺」
「私も御約束します」
「私もだ」「私も」
隆愛が真っ先に約すと、それに続くように部屋にいる全員が仁成に返事を返した。
「俺は魔力も神通力も同じ力だと考えてる」
「同じ?私の力と魔力が?」
日ノ本のみならず世界的な魔導の権威である望月和彦にとって、仁成が出した一つの可能性。その可能性を彼は考えた事すらなかった。
和彦がそうであるように、神通力を持つ隆愛もまた突拍子もない可能性に、反論する思考さえ止まっていた。
「そう同じ。少し言い方を変えると、魔力から不純物を取り除いた力が神通力なんじゃないかな」
「不純物…」
傍仕えである爺を除く、三人の学者は黙り込み、それぞれが深く思考の海に沈んでいく。彼らの頭の中は、仁成が示した可能性が廻り続けた。
しばしの時間、部屋には沈黙が流れる。そんな中、後ろに控えていた爺が口を開いた。
「仁成様。御質問よろしいでしょうか?」
「どうぞ。あと様付けは止めてほしいかな。なんかむず痒いよ。俺は庶民だもん」
「ほっほっほっ。分かりました。では、これからは仁成君とお呼びしましょう」
「それでお願い」
「殿下のお力である神通力は、神の加護を持つ事から現れるとされております。それについては?」
「それは俺もかなり考えたんだけど、神様の力を人が使うってあり得る?もしつかえるとしたならさ、その人が神にならないと使えないと思うんだよね。隆君は神様?」
「違うだろうね。神の血を引くと言われてはいるが、もしそうだとしても血はこの数千年の間に薄まり、人と変わらないだろうね」
「だよね。魔蔵は?」
「ある」
「そっか、やっぱりあるんだね。たぶん、隆君に神の加護があるのは本当だと思うよ。なんとなくだけどね。ただ、神の力と人の力はやっぱり違うと俺は思う。神通力と呼んでる力は神様の力じゃない。純粋な生命の力だと思う」
「純粋な生命の力…」
再び至高の海にダイブする三人に対し、仁成は爺にコーヒーのお代りを頼み、暫し待つことにした。
「お熱いのでお気を付け下さい」
「ありがとう。爺の淹れてくれる珈琲はまじでおいしいから、俺好きだよ」
「ほほほ。それは有難う御座います」
「本当だよ?俺ブラック珈琲は飲めないんだけど、爺の淹れてくれる珈琲は飲めるんだよね。自分で入れると雑味が多くて苦みが強いし、香りもここまで立たないんだ」
「お湯の温度でも、大きく変わります」
「帰ったら試してみるよ。この珈琲だけど…」
言いかけた所で、仁成はカップを口に付け、砂糖もミルクも何も入っていない珈琲を口にする。
口に入ってきた少量の液体は、一気に口内から鼻にその香りを届け、舌にはすっきりとした苦みを残し、喉を通り熱を体内に伝えた。
「やっぱり全然違うや。…この何も入っていない状態が生命力だとする。そこに」
仁成は置かれていた砂糖壺の蓋を開き、真っ白な角砂糖を一つ小さなトングで掴み、珈琲に加えた。
まだ固形の砂糖をゆっくり溶かすように、スプーンで回すこと数回。仁成はまた口にカップを運ぶ。
今度は苦みの中に砂糖の柔らかな味がとろみとなって舌を転がり、香りもそれに引っ張られ変わる。
「砂糖を入れて苦味が和らいだこの状態が神通力。そして」
最後に仁成は、ミルクが入った小さな瓶を手に取り、少し高い位置から少し多めに入れる。すると、それまで黒かった珈琲の色は薄い茶色に変化した。
「さらに変化して、元が何色だったか分からないこれが、魔力だよ」
そこからさらに少し時間は経ち、隆愛は次の講義の時間が迫っていた。
「すまないが、私は講義に出なければいけない。仁成、悪いが待っててもらえるか?」
「良いよ。この話は俺達にとって大事な分岐点だと思う。だから、待ってるよ」
「教授、悪いけど」
「殿下、お気になさらず。私ももう少し考えたい」
「ありがとう。では、また後で」
隆愛が部屋から出ると、入れ違いで里香子と一馬が入って来る。しかし、和彦と十波はそれにも気付くことなく、黙ったままただじっと目の前の珈琲を見詰め、仁成はそんな二人を見ながら優雅に珈琲を楽しんでいる所だった。
「あの、なにが?」
「お気になさらず。御二人も如何ですかな?」
爺は二人に見える様に、アンティーク調のポットを掲げ、珈琲を勧めるのだった。
仁成が十波と昼食を楽しんでいた頃、ある男が魔導大学の校門を潜り、都内に繋がる駅に向かって歩いていた。
鍛えられた身体から滲み出る自信と鋭い目つきを持つその男は、学食で仁成に話しかけた大善。本来持ち出し禁止のはずの大学所有の従魔であるサトリも、彼の足元にピッタリ寄り添い歩いていた。
「ちっ、厄介なことになりそうだ」
仁成と接していた時と違い、その目付き通り粗野な言葉がつい口をつく。
「まぁ、いい。さっさと逃げればいいだろ」
「な~う」
「そうだな。お前もそう思うか?」
「な~うっ」
ートゥルルルルー
ポケットから鳴る呼出音。大善はすぐに手に取り、画面に表示された名前を確認するとすぐに出た。
「あぁ、俺だ。悪ぃ失敗した。それより、情報が違ぇぞ。あっ?何だって。もう一度?馬鹿言え、誰がやるか。…ちっ。分かった。ただし、次駄目だったら他当たれ。・・・・・・ちっ」
通話を切った大善は、命令と小言を言うだけの無能の相手をさせられ、再び湧き上がって来たイラつきに舌打ちが自然と出る。
「…はぁ、逃げるか」
一瞬感じた視線。何時もなら気にしないはずのその視線に、大善は長年の勘から嫌なものを感じ取った。
大善は魔導大学の学生ではない。普段はフリーの中堅魔獣狩り。だが、それも彼が持つ顔の一つでしかない。本職は、以前仁成が出会った金崎と小番の様に、裏の仕事を請け負う無法者。
大善という名も、魔導大学に入るために用意した偽造IDの名前で、本名ではない。
ただ、犯罪者しか相手にしない金崎達と違い、彼は一般人相手にも犯罪を犯す、完全な裏世界の住人だった。
今回の仕事も、何時も通り裏社会の組織を通じて来た依頼。依頼人の顔も名前も分からないのも何時もと同じ。
ただ、依頼内容はそれほど難しくないにも拘らず、報酬が高い事が気がかりではあった。だが、そろそろ金が底を着きそうだった大善は、その気がかりを無視し、依頼を受けた。
依頼内容は、魔導大学の学生が連れた二頭の従魔の洗脳。奪取の必要は無く、ただ洗脳するだけ。洗脳の魔道具を嵌めた手で対象に触れ、枷に干渉し、魔道具を嵌めた者を主人と勘違いさせるだけの簡単な仕事だった。
対象が構内を周ることを組織を通じて事前に把握していた彼は、構内にいた適当な従魔を洗脳し、話しかける切欠も作っていた。
あとは話しかけるタイミングを見計らい、従魔に触れるだけのはずだった。
だが触れたその瞬間、体毛で隠れていた首輪の意匠に気付き、魔力操作を誤った。その結果、枷を突破出来ず失敗に終わった。
何とか顔には出さずやり過ごせたが、彼はすぐにその場を離れ、大学を後にすることにした。そして、先程組織から電話を受け、同時に嫌な予感を覚えた所だった。
「あぁ~あ~、最悪だぜ。さっさと逃げとば良かったぜ。ちくしょうめっ」
駅構内に逃げ込んで安堵していた矢先、気付けば馴染み深い固く冷たい金属の感触が、彼の背中に当たっていた。
そして、洗脳を解く手間を省いて連れて来たサトリも、目の前を歩いていた男の腕の中で意識を刈り取られていた。
「大人しくついて来い。あぁ、抵抗は無駄だ。最悪、死体でもいいと言われている」
「…分かった」
何時から?そんなことを聞くのも馬鹿らしいほど、実力の差を見せつけられた大善は、大人しく男の背中について歩くのだった。




