035「彷徨う魂 5」
絶賛混乱中の白世に、待望の上位神が降臨すると、白世を管理者である中位神や職員の下級神達は歓喜に沸いた。
「皆、よく耐えた。此処からは私がしばらくの間管理を引き継ぐ。まずは私が連れて来た神々を送る」
白世に居る全ての神ろ天使に思念を飛ばした上位神はまず、通常なら窓口一つに付き一柱を原則とする輪廻選定を二人に増強した。一人は魂の審議を見定める特別な眼を持つ神を配置し、訪れる魂が自由か、それとも擬態した空の魂かを鑑定させた。鑑定後、その結果を元に選定に送るか、戦神の元に送るかを判断する。そしてもう一人が、窓口に通された自由なる魂に通常通りの選定を行わせた。
この二柱体制に移行してから、滞っていた輪廻選定は随分と楽になり、徐々にではあるが白世は周り始める。
そして各地から集めて来た戦を得意とする神々で、白世内をうろつく擬態する前の空の魂と鑑定後に送られて来た擬態した魂を片っ端から消滅させ、増え続ける空の魂の母数を減らすことになった。
空の魂を刈る神々は荒事を専門にする戦神と、それに仕える従属神や英霊達で構成されている。
彼らは日頃持て余している力を発散させる良い機会であると同時に、天界でも過去に有ったか無いか分からない事態を直接見たいと、上位神からの誘いを嬉々として受けた者達。
それぞれが各世界を代表する名のある戦神であり、中には現世から天界の神に昇格した実力のある元現世神もいる。
そんな彼ら彼女らは、ただ空の魂を刈るのでは面白くないと上位神の許可を得て、様々なルールを設けて『空の魂狩り大会』を開催。
優勝神のチームには、上位神から最高級の神酒が贈られることになった。
神酒が贈られると知った彼らはやる気を漲らせ、狩りが開始されるやいなや、白世内に溢れていた空の魂を刈り始めた。
その余波で、普段は微動だにもしない白世が揺れるという珍事まで見られ、白世の管理者の女神は白世が壊れないかと戦々恐々としていたりした。
だがそのおかげで、現世の時間に合わせれば数ヵ月間、白世を混乱に陥れていた空の魂は、たった半月もしない内に母数を大きく減らし、第一回大会は第81453557896号世界の戦神が率いるチームの優勝で幕を閉じた。
だが、まだ根本的な解決には至っていない。どれだけ数を減らそうとも空の魂は生まれ続け、自由なる魂を探し彷徨い始める。
大会終了後は、すぐに元の世界に戻らなくても良い戦神たちだけが残り、湧き続ける空の魂を刈る役目を担った。
そして手が空けば、それぞれが抱える英霊自慢大会を始めて刻を過ごすのだった。
後に、この大会を真似て天界では戦神達による天界一武術大会が定期的に開催される様になるのは、また別のお話し。
順調に役目をこなす戦神達とは反対に、輪廻選定前に擬態した空の魂を鑑定する神々は、時に彼らの目を欺くほどの擬態を見せる空の魂に手を焼いていた。それでも、彼らは自らの誇りに傷を付けまいと、一体たりとも擬態した魂を選定に通さず守り抜いた。
そんな彼らを見て、上位神は満足気に頷くと同時に、虚ろで何かが起こっていることを確信する。
それを感じたのは上位神だけではなかった。
一部の戦神、そして鑑定を行っている神々の中でも力ある神達には、はっきりと見えていた。擬態した空の魂が全て、虚ろから抜け出した記憶の欠片である事を。
そして、彼らの中で虚ろに入れる者達は、写し身をこっそり虚ろに忍ばせ、無限に湧き続ける空の魂の元凶を観察し始めた。もちろん、その中には上位神もいる。
彼らはそこで、管理者を相手に一発芸を披露する虚ろに溶け込む虚の魂を見つけた。
その虚の魂は、彼らの神の眼から見ても異質で面白い魂だった。記憶を自ら創り、それを魂に注ぎ続けていたのだ。
だが、記憶がない魂に容は宿らない。注がれた記憶はすり抜け、虚ろの外へと流れていた。
完全に世界から切り離されながら、虚ろと言う特殊な環境下と記憶を自ら創り続ける事によって、ギリギリのところで踏みとどまり続ける虚ろう魂。
何より、虚ろに入ることしか出来ないそこらの神よりも虚ろに溶け込み、虚ろを全力で楽しんでいた。
「爺さん。あれ、俺にくれよ。面白そうだ」
「あなたは駄目よ。脳筋なんだから。それより私に頂戴。連れ帰りたいわ」
「いやいや。あれは私にこそふさわしい」
「いや、お前こそ駄目だろ。お前、あの魂を解剖するつもりだろうが」
「むっ。そ、そんなことはない…たぶん」
「駄目。…あれ、僕の」
この虚ろの管理者にも気付かれず、虚ろう魂を見ていた神々の中から、何れは自分の手元に置きたいと願い出る者がで始め、共に眺めていた上位神に願い出ていた。
だが、それをたった一言で止めた神が現れる。
「うおっ…。て、誰かいるのか?」
「だ、誰?」
「…気配が一切無い」
「起源の一柱。虚空の神だ」
その気配を辿れないほど虚ろに溶け込む存在を前に、力あるはずの神々も緊張を強める。そんな彼らに、上位神は天界でもほとんどの神に知られていない古き神の名を口にした。
「あれ、僕の。だから駄目」
再び声だけが届く。だが、上位神でさえ気配を僅かに感じるのみ。少しでも気を逸らせば、その気配は虚ろに隠れる。いや、上位神にのみ分かるようにわざと気配を晒しているのかもしれない。
「あぁ、好きにするといい。記憶も創るか?」
久々にその声を聴いた上位神は、気さくに虚空の神と話しながらも慎重に言葉を選ぶ。
格こそ上位神の方が高い。だが、虚空は起源の一つ。格だけで測れる存在ではない。何より彼らが今いる場所は虚ろ。この場に限り、虚空の神は此処に集まる神々が束になろうと、それを凌駕するほどの優位を誇っている。
「それは…、面倒だから…」
「相も変わらずだな。まぁ、よかろう。其方と紐づけて創るか…。何が適当か」
「なら、陰と影かな」
提案された因果に、上位神は少し思案する。
陰と影。どちらも陽と光と対をの為す因果。もし影が闇ならば、さらにその因果は傾きその存在を月からも隠すだろう。
「それだとちと、濃過ぎる気もするが?現世に存在できるか分からぬぞ?」
「たぶん、大丈夫。既に眼は啓きかけてる」
上位神は改めて虚の魂を覗き見た。魂の底、そのさらに深い頂点を覗き、虚空の神が言った眼を探る。
「ほう、面白い。確かに啓きかけておるな。ならば、それで創ろうか」
「よろしく。あっ、そろそろ止まるから」
それを最後に虚空の神の気配は完全に消えた。上位神でさえ、その行方を追えず、ただ虚ろだけが広がっていた。
「本当にあ奴は気紛れだな…」
虚空の神が去り際に告げた言葉。それが正しいなら、白世の混乱は収束するはず。それを見届けつつも、上位神は虚ろう魂に相応しい因果を求め、虚ろから一度去った。
そして、何も分からないまま置いてけぼりを喰らった神々だけがその場に残り、虚ろう魂を観察し続けるのだった。
管理者より、魂の記憶が創られることを告げられて約一月。この頃から、さらに仁成の虚ろに溶け込む力が何故か増した。
それをすぐ傍で観察して居た管理者も困惑していた。
何故なら、仁成の虚の魂に少しずつ容が生まれ、新たな起源と記憶が刻まれ始めているのを、彼はそのすぐ傍で感じ、見ていたから。
確かに仁成は虚ろに溶け込める。だがそれは、彼の魂が空っぽのまま存在して居たからに他ならず。そこに容が在り、中身が伴えば、それは虚ろからかけ離れた存在に傾き、彩と形を持つことになる。
それはつまり、矛盾した魂である虚ろう者から、整合の取れた『実ある者』に生まれ変わると言う事。
虚ろに入るには様々な条件が存在する。
管理者が仁成に説明したのはあくまで触りに過ぎず、言ってしまえば子供に「夜更かしすると身体が大きくならないよ」と教える感覚に近い事しか教えていない。
もちろん、出鱈目を教えた訳ではない。だが、全てを教えていないだけ。
しかし管理者の眼から見て、仁成はその条件を満たしていない。それどころか徐々に条件を満たせない普通の魂に戻っていっている。
なのに何故か、より深く、より彩濃く、虚ろに溶け込み始めていた。
管理者はその原因を、新たに創られている魂の起源と因果に起因するのではないかと予想し、それを覗き見た。
「普通、だよな…」
覗き見た魂の起源とその因果はどれも至って普通。本当に普通過ぎて、管理者は何度も何度も見返した。
既に創られた基本的な生まれから、幼少期、そして思春期。その基礎的な記憶はどれも平々凡々。何処にも、虚ろに紐づく起源も因果も存在しなかった。
「…まぁ、いいか。これなら現世に戻せる」
管理者は考えるのを止めた。何故なら、上位神が関わっているから。
彼は虚ろに入り溶け込む力と管理できる才能があったから、虚ろの管理者に選ばれた。
だが、格と階級は本当に低い。今も創られ、上書きされ続けている彷徨う魂の記憶。既に上位神がこの虚ろに入っている証拠。
だが、彼にはその気配さえ感じることが出来ない。つまり、それだけ彼と上位神の間には、埋めようのない力の差があることを物語っていた。
そしてもう一つ。彼は一度も虚ろの統括神に会ったことがない。いや、一度だけ声を掛けられたことはある。
それはこの虚ろの管理を任された初日だった。「じゃ、よろしく」。そのたった一言だけ。だが、彼はその一言で絶対的な力の差を感じた。気配を一切悟らせることなく、声だけを届ける。
今の彼でも出来ないことを、その存在は息を吸うかのように自然に行っていた。
「確か、触らぬ神に祟りなしだったか…。言い得て妙な諺だな」
虚ろの管理者は、今も上書きされ続ける彷徨う魂の記憶を見ながら、別れの刻が刻まれ始めたことに寂しさを少しだけ覚えるのだった。
それから程なくして、白世を彷徨い、虚ろう魂になった自由を与えられた魂に、新たな起源と記憶の植え替えが終わる。
それにより、虚だった魂に容が形成され、中には魂の記憶が注がれた。
そして彷徨いし魂は白世からも、そして虚ろからも姿を消した。同時に、白世に彷徨う空の魂も消え去り、白世は完全な秩序を取り戻す。
新たな自由を得た魂は本来あるべき場所。現世と繋がる魄に導かれ、その器に戻るのだった。
「うぬら。降りて来るぞっ。備えよ」
現世。仁成の魄を護る女が叫ぶ。
「いきなり、なに?」
「…???」
そこに丁度居合わせた仁成の警護部隊隊長佐那里香子と、同じく仁成の警護を言い渡された京都御庭番棟梁蕪木琴音の二人は、突如叫んでソファーに寝ころんだ仁成に困惑し、すぐには動けなかった。
「童が戻ると言っておるのよ。久々の現世。うぬらのおかげで随分と楽しんだ。その礼と言っては何じゃが、うぬらに少しだけ力を貸してやろう。さらばじゃ」
それを最後に、仁成から命の気配が完全に消える。
横たわる仁成の魄は、誰が見ても亡骸と分かるほど、命の鼓動が消えていた。
身体はまだ癒えていない。全身に広がる痛々しい傷痕はまだ残っている。
特に髪の再生は殆ど進んでおらず、何かが外に出掛ける際は鬘を常に身に付けていた。
だが、何かは告げた。「後は童次第」と。
つまり、何かが手を貸すのは此処までだと言う事。あとは蘇った仁成が自力で治す他ない。
窓から注ぐ暖かな陽の光とは対照的に、部屋の中はやけに寒く感じられた。
そして、皆が固唾をのんで見守る中、ソファーに眠る躯の瞼はゆっくりと持ち上がる。
「あ、あれぇ?此処どこだぁ」
声は一緒。だが、雰囲気は全く違う。
酒を煽り、傍若無人さも有りながら、何処か触れがたく近寄りがたい。まるで厳かな神社仏閣の空間そのままの何かに対して、彼女達の目の前で目覚めた青年の雰囲気は、普通だった。
「お帰りなさい。仁成君」
「お帰り?どこから?」
仁成は覗き込むように視界に入って来た里香子の言葉と、その眼に溜まる涙に困惑した。
「ふふふ。そうね…。何処から話せばいいかしら…あれっ?」
「どうしたの里香子さん?」
仁成の反応に里香子は優しく微笑み返し、この数ヵ月の出来事を思い出していた。だが、その記憶は彼女が知っている記憶でありながら、何処か違和感を覚える記憶だった。
「里香子。どうしたの?それより、仁成君。次はあんな無茶しちゃダメよ。追い詰められたからって、プロパンガスを引火させて自分ごと敵を燃やすなんて。君がどれだけ再生力の高い魔人だからって、無謀過ぎです。救助が遅れてたら本当に死んでたはずよ?」
「いやぁ~、ごめんごめん。でも、あの時はああでもしないとこっちが殺されてたかもしれないからさ。あいつら、俺を拘束したままリンチしやがって。運良く拘束が取れて逃げたけど、隠れた先で見つかっちゃってさぁ~。ははは」
困惑する里香子を他所に、隣から覗いていた琴音が目覚めたばかりの仁成に説教を始める。そんな琴音に、仁成は何の疑いも持たず、言い訳を始める。
しかし、二人の会話にさらに違和感を覚えたのは里香子だった。
「二人は何を言ってるの…。仁成君は一度死んで…。あれっ?死んだ?何で?私が助けたわよね。確か…」
「さっきからどうしたの?あなた大丈夫?」
さらに変な事を言いだした里香子に、琴音達も困惑する。それは仁成も同じだった。
仁成は死にかけていたが、死んだ事実はない。
遡る事五か月前、仁成は京の都で食事中に薬を盛られて攫われた。
攫ったのは、かつて花井町で仁成を攫おうとした元第四師団所属の行方不明扱いで死亡認定されていた魔導兵部隊。
彼らは花井町で仁成に受けた屈辱と、大勢の仲間を殺された恨みから仁成を攫い、今では誰も住んでいない廃墟となった集落に彼を監禁した。
そして複数人で仁成を拷問にかけた。
暴力は五人程の集団で行われ、日付が変わると次の集団に入れ替わり、連日連夜続けられた。
その間、仁成は眠ることも、気を失うことも許されず、死にかけた時だけ僅かに許された。
だが、彼らの狂気はここからだった。彼らは仁成の身体が再生するまでの間、違う形で仁成に苦痛を与えた。
再生途中でまだ傷だらけの口内に、冷たい水と固形物をねじ込み、無理矢理食べさせ始めたのである。その眼はこう言っていた。「まだ死なせない」と。
当初は抵抗し、無理矢理捻じ込まれた食事を吐き出していた仁成だったが、それを不快に感じた彼らは、仁成の目の前に誰が見ても妊婦と分かる女を連れて来た。
そして女の顔面を殴り始めた。
仁成はしゃがれた声で止めるように訴えたが、彼らがその手を止めることはなかった。逆に、彼らはその必死な姿を見て笑い、女に暴力を振り続けた。
そして腫れ上がった女の顔を仁成に嬉々として見せながら言った。「次はこいつの義母親だ」と。
それから仁成は、どれだけ痛みを伴う拷問にも耐え、無理矢理捻じ込まれた食事も彼らの命令通りに食べ続けた。吐けば妊婦に再び暴力を振るうと脅されながら。
仁成誘拐から一月が経つ頃、ようやく里香子達は仁成の居場所を突き止め、監禁場所である集落を急襲した。
しかし、彼女達が到着した頃には、既に集落はもぬけの空だった。
唯一救出できたのは、仁成と共に監禁されていた妊婦とその義母親。二人は仁成が誘拐されたレストランの店主とその息子の伴侶であり、救出対象として仁成と共に行方の捜索がされていた。
発見時、二人は衰弱し暴力を振るわれていた痕跡も見られたが、里香子が連れて来ていた上級治癒士の治療のおかげで、腹の子も無事に救助された。
だが、仁成の救出には至らず、また振出しに戻るのだった。
誘拐犯達が逃げ出せたのは、彼らを裏で動かしていた朝廷議員達が、ぎりぎりのところで里香子達の動向に気付き、報せたからでである。
ただ報せが届いた時、既に包囲が完成しつつあったため、仁成以外の人質は連れて行けなかった。
彼らは隠れ家の集落から脱出した後、朝廷議員が用意していた別の隠れ家に身を隠した。もちろん、その場所でも仁成への拷問は続けられた。
だが、決して仁成を殺すことはしなかった。
彼らが朝廷議員から出された条件が、仁成を殺さない事だった。それ以外なら、例え手足を切り落とそうが、目を潰そうが黙認することを約束されていた。
誘拐犯達はそれからも、用意された隠れ家を転々として、追跡者である里香子達から逃げ続け、仁成に拷問を続けた。
そして、彼らは最後となる隠れ家に辿り着く。
そこは京の都から遠く離れ、鳥取との県境。人里から遠く離れた山中に、地図からも削除された元化学工場跡だった。
彼らは工場跡に到着すると、何時も通り仁成の監視役を二人置き、周囲を警戒する班、居住環境を整える班、そして隠れ家の全体を確認する班に分かれて行動を開始した。
彼らの隠れ家は、最低限住めるだけの環境が用意されている。
今回もこれまでの隠れ家同様に、彼らが到着するより前に朝廷議員の手の者によって居住環境は用意されており、彼らがする事は隠れ家全体の把握と脱出経路の確認だけ。
それらが終わり、全員に情報の共有と各班が実際にその眼で脱出路の確認を終えると、いよいよ仁成への拷問が始まる。
だが、拷問班が仁成を監禁している部屋に入ると、そこに仁成の姿は無く、床に血を流して倒れる監視役二人しかいなかった。
彼らは仁成に出し抜かれた事に気付くと、すぐに仁成の行方を追った。
仁成は常に逃げ出せない様に、手足を折られた状態を維持されていた。さらに、強力な魔獣用拘束具が手足に付けられていたことで、自力での脱出が不可能だった。
だが、この拘束具が解かれる時がある。それが、手足への拷問を施す時。当初は拘束具を付けたまま、手足への拷問が行われていた。
だが、いちいち仁成の身体を起こしたり、うつ伏せにしたりするのが面倒になっていたのか、それとも腕や脚を折っているから問題無いと判断したのか、途中から手足への拷問する時は拘束具が外される様になっていた。
そして、最近では拷問を始める前に必ず腕と脚の骨を折るようになり、再生待ち以外の時は外されたままになっていた。
そして仁成は、これを逆手に取って脱出を図ることにした。
隠れ家の移動後、仁成の監視役にはある特権が付与される。その特権とは、移動後最初の拷問をする権利。
大抵は、到着後すぐに仁成の再生具合を確かめることもせずに、監視という名の拷問が始まる。そして拷問班が来る前に、仁成は気を失うのが常だった。
今回も何時も通り、監視役は仁成を部屋に連れ込むと拷問し始めた。
仁成への拷問は多岐に渡る。殴る蹴るは通常セットのため省くが、そこからは拷問をする者の好みによって方法が分かれる。
細い千枚通しを延々と腕に刺し続ける者もいれば、トンカチを使って指先から一関節ごとに骨を折っていく者。ペンチを使い、再生したばかりの爪を剥ぐ者。剝いだ爪痕に鋭利な針を刺すこともセットな事が多い。
そして仁成は、その全ての好みと傾向を把握していた。
今回仁成の監視に着いた二人は、どちらも足の爪を剥ぎ、刺し、そして折ることを好んでいる。そんな二人が組めばどうなるか。答えは簡単、どちらが先に拷問するかで揉める。しかし、これはあくまでも揉める可能性があるだけで、実際には揉めないかもしれない。仁成はもし揉めなかったら、運が無かったと諦めるつもりでいた。
だが、運は仁成にあった。
既に腕と脚を折って安心しきっていた二人は、拘束具を外した後に揉め始めた。始めは互いに様子見をしながらの揉め合いは、次第に激しい口論になり、手まで出そうになった時、急に冷静になった二人はコインでどちらが拷問を先にするか決めることにした。
そして片方の男が懐からコインを一枚取り出し、それを親指で空中に弾いた。弾かれたコインはやや前方に放物線を描きながら落ち始めた。
そして床に当たる直前、コインを弾かなった男が「表」と告げた。
二人の視線が集中する中で、床に転がったコインは綺麗に立ち上がり、その場で回転を始めた。そして次第に回転の勢いがなくなり、裏側を向いてコインは動きを止めた。
コインを投げた男は笑みを浮かべ、裏表を選んだ男が悔し気にその笑みを向ける男を睨でいた。
「阿保」
明暗分かれた二人の視界の隅には、同じ物が映っていた。
それは先程、自分達が仁成の腕と脚を折るために使ったハンマーだった。
一人を奇襲で仕留めた仁成は、返す刀でもう一人の男にハンマーを横凪に振った。しかし、油断していたとはいえそこは鍛えられた兵士。
男は予想していたのか、冷静にハンマーのリーチ外に出るように一歩下がった。だが、それは仁成も予想していた。
仁成は遠心力で勢いを増したハンマーから手を放し、一歩下がった男の鳩尾付近にハンマーを当てると、くの字に身体を折り曲げ顔が下がった男の喉元に、千枚通しを突き刺し押し倒した。
押し倒した後も、仁成は千枚通しを手放さず喉を執拗に狙い続ける。それは、仁成の喉を握り絞めている男の手から力が抜け、床に落ちるまで続いた。
初めて明確な殺意を持って人を殺した仁成は、暫しの間その場で放心していた。
それから少しして、ゆっくりと立ち上がった仁成は、二人から拳銃を奪うとふら付きながら部屋を後にした。
だが、さすがに工場内の間取りを把握していない仁成は、すぐに追い詰められ包囲された。
自分を囲む魔導兵の血走った眼を見て、捕まれば今度こそ殺されると感じた仁成は、覚悟を決めた。
仁成が追い詰められ逃げ込んだ部屋には、大量のボンベが当時のまま放置されていた。仁成は中身が何なのか、そして中身が有るのかもわからないままに、そのボンベに向けて拳銃の引き金を引いた。
そして、仁成の視界は一瞬で光に包まれた。
彷徨う魂の記憶。その消失を端に発し、後に『空繰の乱』と呼ばれる一連の事件は、天界でも瞬く間に情報が共有され、魂の記憶の扱いに関して見直される切欠となるののだった。
「よくぞ手遅れになる前に虚ろに隔離した。其方の判断があと少しでも遅ければ、白世が一つ虚ろに飲み込まれていただろう。その功績を持って、階級を一つ上げる」
「ありがたく」
異質で愉快な虚ろう魂が居なくなった虚ろ。再び静寂を取り戻した虚ろで、管理者は上位神よりお褒めの言葉と同時に、神の階級を一つ上げられた。
階級は格とは違う。格は神自身の力を示す指標だが、階級は天界内での地位を示す指標。
今だ下級神の中でも下から数えた方が早い格の彼だが、階級は下級神の中でも頭一つ飛び抜けた存在となった。
「どうであった?」
「中々に見どころのある魂でした。少しとはいえ、私の真の姿を見破られました」
「ははははは、なれば重畳。何れ、あれには虚ろを任せるやもしれぬ。其方はその時までに、己の研鑽に励み、あれを導くために備えよ」
「分かりました。…上位神様。あれに何を施したのですか?」
「…今は、己を磨け。それが分かるようにな」
「失礼致しました。研鑽に励みます」
上位神は、まだまだ成長の余地を残す管理者の返答に満足気に頷くと、虚ろから姿を消した。
上位神が消えた後、管理者も虚ろに溶け込むように姿を消す。
その光景を、少し離れた所から見ていた者がいた。
「また会おうね。彷徨い、虚ろう魂。君程虚ろが似合う魂はいないよ」
その存在は、既に虚ろから現世に回帰した魂に向け、再会の言葉を残すと、虚ろと同化し姿を消した。




