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ただの人也。  作者: 梅酒
彷徨う魂
33/51

033「彷徨う魂 3」

 新暦100年。世界中でこの記念すべき年を迎えたことが盛大に祝われ、そして次の100年に祈りを込めた。

 仁成のいた世界では、西方諸国を中心に西暦が主に使われていたが、此方の世界では世界議会発足年を元年とした『新暦』が使用されている。

 それとは別に、各国は建国から続く年号や暦も併用していた。

 この日ノ本も天皇の代替わり毎に年号が移り変わる所は、仁成のいた世界と変わらない。そして今の「大成(たいせい)」に変って、十五年目の節目に入っていた。

 


 洛外の一角にあるホビーショップカブキヤ。その裏手に在る住居を隠れ家では、仁成の魄に住まう女に佐那里香子がとある問題について話していた。

「大陸の動きが怪しいとな?」

 話の口火を切ったのは里香子。彼女は第20旅団から一時的に所属が離れ、連絡することも禁止されていた。だが一月前、景月が独自のルートで里香子との接触に成功し、一方的ではあるが重要な情報を定期的に渡されていた。その中の一つに、大陸に動き有りというものだった。

「大陸とはどこの事じゃ?広くて分からんぞ」

「日ノ本で大陸と言えば、日ノ本海を挟んだ大陸国家『()』三国を指すことが多いの」

「おお、ならば初めからそう言え。ここか」

 テーブルに置かれた世界地図。女は確かめる様に、日ノ本海を挟んだ先にある「華」の文字、その一点を指差した。

「ここは日ノ本よりも古き歴史を持つ地じゃな。ん?今は三つに分かれておるのか?」

 その地図には華の文字が三つ。それぞれ東部沿岸、北西、そして東南アジアに隣接する南部に表記が分かれていた。

「分かれているというよりも、そうせざる負えなかったという感じね。今、華は三つに分かれているけど、一つの国家でもある」

「ほう。何があった?」

「瘴気汚染の拡大と特級魔物の暴走で地形が大きく変わったことで、北部、中央東部、南部の三つに分割統治がされているのよ。中央東部の中華が主権を持っていることになっているけど、北部と南部にはそれぞれ自治政府が立てられて運営されてる。三つの国家は一つと言う認識で、以前は世界議会に席は一つだったけど、分割統治が30年目に達した頃から席が三つになった。最近では世界議会で華の代表同士が良い争う姿も多くなっていて、いよいよ危ないと言われていたのよ」


 東アジア最大の国土を誇る華。瘴気災害が広がり始めた100年前。腐敗した前王朝が倒れ、新たに興ったのが華王朝である。

 しかし、同時期にヨーロピアで勃発した戦争が拡大し、周辺各国を巻き込んだ大戦に発展。その影響は、アラブや東欧を通じて東アジアにまで及んだ。

 特に華は前王朝との内戦も終結したばかりということで、その影響は周辺各国よりも大きかった。物価の高騰にエネルギー問題、そこに瘴気災害も加わったことで、華国内には再び内戦の二文字が浮かび始める。

 そこで当時の華王朝は情報統制とプロパガンダを用いて、民の不満を国内ではなく国外に向けさせることにした。当初はただ国民の不満のはけ口程度と考えていたが、その効果は彼らの想像以上に膨れ上がり、引き返せない所まで来てしまった。

 この事態を治めるため、政府は国境問題で常に争っていた隣国インディア国境付近に軍を集結させた。

 侵略戦争ならいざ知らず、国境に軍を集結させるとなると何かしら名目が必要だ。でなければ、近隣諸国からの容赦ない制裁が待っている。

 この時、華が用意した名目は領土奪還。前王朝から政権を奪取した華王朝だが、決して無血ではなかった。少なくない犠牲と血を流しながら前王朝を打倒し、華を起こした。。

 この前王朝と新王朝が戦いを繰り広げている裏で、隣国インディアは隣国の戦火が自国に飛び火しないために、軍を国境に集結させた。そして、いよいよ前王朝が倒れるというタイミングで軍を越境させ、係争地域を支配下に置いた。

 この地域の奪還。それが華が掲げた侵攻理由である。

 だが、これがさらなる事態の悪化を招いた。

 インディア側はこれを実質的否宣戦布告と受け取り、即座に軍を国境に集め臨戦態勢を取る。実はインディア側も、華が起こした今回の軍事行動が国内向けの見せかけであることは承知していた。

 両国は軍は集結させたが、適当な所で外交で話を付けるつもりでいた。

 だが、それを待たずに両国の前線部隊がしょうもないことで小競り合いを起こし、それを発端に本格的な戦闘に発展。

 引けに引けなくなった両国は、外交努力も空しく終わり、なし崩し的に戦争に突入することになった。

 この戦争はもちろん周辺各国にも飛び火し、日ノ本も巻き込まれている。

 だが、この戦争は長くは続かなかった。何故なら、この間に世界中で瘴気災害が同時多発的に拡大し始め、戦争どころの騒ぎではなくなったためである。

 その結果、東アジアで起こった大戦は被害が拡大する前に、誰が言いだしたわけでもなく自然消滅に近い形で終結。それに続くように、ヨーロピアでも休戦からの講和が次々と締結され、世界大戦は徐々に収束していった。

 しかし、東アジアは戦後もなかなか講和の締結が進まなかった。

 と言うのも、勝戦国と敗戦国の区別がつかぬ間に戦争が終わったからである。東アジア各国の講和が進むのは、数年後に発足される世界議会まで待たなくてはならなかった。

 世界議会での裁定は、結局のところ戦争の発端となった二ヵ国に責があるとはいえ、最も被害が大きいのも華とインディアの二ヵ国だったことが考慮され、国境線を戦前に戻すことと、少額の賠償金のみで決着した。

 その後、各国は国内の瘴気災害の対策に追われ、魔との長い戦いに突入することになる

 東アジアで特に被害が大きかったのが華。東アジアで最も領土が広く、地域よっては険しい山岳地帯や未開発の森林が広がっている華は、全ての瘴気発生源に対処が出来ず、放棄せざる負えない地域が最も多かった。同時に魔獣被害も拡大した。

 それら放棄地は華国内を分断する様に広がり、ついには華北と中華は瘴気汚染地域によって分断されることになる。

 その結果、華は三つの地域に分かれて、分割統治がなされることになる。

 華王朝が直接統治する中央東部を中華。中央東部と一部地域で繋がる華南(かなん)。そして、瘴気汚染地域によって完全に分断されている華北(かほく)である。


「華北地域は大国ロシアナ連邦と接していることで、社会主義の影響を長年受けていた。下地が出来上がっていたと言えばいいかしらね。今では華王朝の支配が殆ど及ばない地域になっている。華南は西洋文化と共に流入した民主化運動が盛んで、華王朝が今も直接治める中央東部との関係が年々悪化してるわね」

「つまり、華北は既に独立国家としての体を成しており、華南はまだ華王朝の支配下にはあるが、年々その支配に綻びが見えておると」

「そして、その中央東部と南部の対立が、水面下で激しくなりつつあるの」

「危ういのか?」

「そこはまだ何とも言えないのよねぇ。それよりも先に華南内部で事が起こりそうなの。華南でも東部地域は華王朝を支持してる。逆に中央と西部は民主化と独立に向けて積極的に動いている感じね」

「それで。その華南には何処ぞの国が裏で手を引いておるのじゃ?」

「…複数の西方国家が動いているけど、何処の国が華南の主導権を得るかで、そっちはそっちで水面下で争ってるわ。それに華王朝側には、声明こそ出していないけど、ロシアナ連邦とアメリア連邦の二大国が支援していることもあって、動きづらいのでしょう」

「ほう。アメリアとは日ノ本の東に広がる大洋を越えた先にある国家じゃったな。だが、そこは民主国家ではなかったか?そこが何故?」

「簡単に言えば、これ以上華国内の政情不安を広げたくないのよ。アフリカ大陸と南アメリア大陸の二大陸で、瘴気汚染が進んでいることは教えたわよね。それを抑えるために、各国が戦力を供出し合って除染や魔物の駆除を行ってる。特に二大国は他国より戦力を送っているの。日ノ本からも南米に軍を派遣してるわ。国内の瘴気汚染地域の対策をしながらよ。そこに東アジア最大の領土を誇る華も加わるとなると、大国と言えどもさすがに手が回らない。それに、中華は独自に華南との境界にある汚染地域の除染を進めて、人類生存圏を広げてるの。逆に華南側はあまり積極的に動いていないわ。それもおそらく西方国家の思惑でしょう」

「なるほどのぉ。汚染除去と魔物の駆除に戦力と金を使わせ、中華が疲弊した所を喰らおうとしとるわけか。ほんに人の欲とは底無しよのおう。かかかかかかか」

「中華を狙っているかはまだ分からないわ。独立が先でしょうね。でもその後は分からない。裏で手を引く西方諸国の動きも活発になりつつあるし、大きく情勢が動くかもしれないわ」


 海を挟んでいるとはいえ、そのすぐ喉元に強欲な西方諸国が裏で支配する国家の誕生を、日ノ本としても手放しで歓迎する訳にはいかない。

 北方のロシアナ連邦もそれはまた同じ。自国の影響下にあるとはいえ、遠く離れた華北の地続きに、思想の異なる国家の誕生を危惧している。

 そしてアメリア連邦。北アメリア大陸の半分以上を領土に持つ超大国。彼の国が華王朝を支持している理由は、表向きには汚染拡大を危惧しているからだが、何かと世界議会で対立する西方諸国に中華を渡さないためでもある。

 日ノ本とアメリア連邦とロシアナ連邦。この三国の思惑はそれぞれ違うものの、華王朝の存続と言う一点で目的を同じにしており、三国は密かに歩調を合わせて中華を支援していた。


「だけど西方国家の予想よりも、華南内部の対立が思った以上に進んでいるみたいね。制御しきれていないのよ」

「かかかかかかか。つまりじゃ、華南の連中も傀儡になるつもりはないということじゃろう。西方諸国が予定しておる時期より早く、事が起きそうなのじゃな?」

「そう上は見てる。早ければ数年以内に、華南で政変が起きるかもしれない。でも、まだその時期なら、中華にも介入できるだけの力が残ってるし、介入する名目もある。それに、ロシアナとアメリアも黙っていないでしょう。もちろん、日ノ本ね」

「しかし、何故西方諸国は何故それほど華南に拘っておるのじゃ?」

「魔鉱石よ」


 魔鉱石。瘴気汚染地域、その中でも汚染度が4を超える地域で採掘される鉱石ことを指す。

 長い間瘴気に晒された事で、魔を帯びた鉱石が変質したものとされている。

 この魔鉱石は魔導具や魔導鎧など、その製造に必要不可欠な素材となっている。雷電内部に張り巡らされている魔導回路。これも純度の高い魔鉱石の粉末が使用されている。

 そのため、各国は積極的に瘴気汚染地域内の鉱山開発を行っている。資源に乏しい日ノ本では、この魔鉱石が採れる鉱山が少ない。そのため、輸入に依存している。そのため魔導技術の提供や、輸出国への魔人や特級魔法士の派遣を積極的に行い、良好な関係性を維持しながら魔鉱石を調達している。

 そして、日ノ本が中華を支援する理由の一つも魔鉱石が関係している。

 華中央部に広がる汚染地域には、幾つか魔鉱石が採掘できる鉱山があり、日ノ本の魔鉱石の輸入先の一つとなっている。

 また、手付かずの鉱山が中央深部に残っており、華王朝は三国の力を借りて、その鉱山までの道の開発計画を立てている。


「魔鉱石か。確かにそれなら拘るか。多いのか?」

「えぇ。華の中央部には鉄鉱山があるし、南華の離島周辺には希少金属が採れる。島の方は瘴気汚染が高く、特級魔物がいるせいで開発は進んでいないけれど、探せば手付かずの鉱山や採掘地が見つかる可能性も十分にあると言われている」

「西方諸国は華南を橋頭保に中華を締め上げ、もしくは南から中央部に進出するつもりでいると…。まぁ、出来ると良いがのぉ。かかかかかかか」

「何かあるの?」

「かかかかかかか。彼の地の歴史は古い。それこそ日ノ本よりもさらに千年以上もの刻を刻んでおる。故に古の神々や神代を生きた英霊も数多く存在する。その中には悪神や堕ちた英霊もおるのじゃ。藪をつついて邪神を引き当てねばよいがのぉ」

「…神々と英霊…。厄災や怨霊の様なものかしら?」

「かかかかか。そうとも言えるし、そうでない者もおる。この日ノ本にも怒り荒ぶる御魂を神として祀り、鎮めることがあるだろう。または織田上総介信長の様に、その死後に英霊として祀られることもある」

「荒ぶる御魂…。もしかして、悪鬼酒呑童子も?」

「そうじゃ。だが、あ奴の場合は自ら魔に堕ち、悪鬼となった大馬鹿者じゃ。頼光公が討伐した際は、人の性が残っていたとされておる。そのおかげで悪鬼はまんまと奸計に嵌り、頼光公の一太刀の前に敗れた」

「でも、復活した」

「頼光公の慈悲じゃ。まだ人の性が残っておった故、荒魂は鎮められ、再び自由ある魂にと戻る機会を与えられた。じゃが、あの悪鬼は改心せなんだ。完全に魔に堕ちた哀れな御魂よ。それを只の人の身で討ち取ったあの信長(わっぱ)はまことに見事よ。英霊に祀られて相応しき御魂よ」

「只の人?」

「なんじゃ、知らぬのか?信長は魔法使いでも無ければ、魔人でもない。ただの人の体と技と心だけで、悪鬼に挑みし男子(おのご)よ」

「と、とんでもない人だったのね」

「かかかかかかか。確かにの。じゃが、だからこそ悪鬼に討ち勝つことが出来たと言える。うぬも覚えておくことじゃ。人の持つ真の力は魔力などではない。じゃからこそ、人は魔を一度は退けたのよ」

「…胸に刻んでおきます」

「それでよい。…それにしても、あの童め。何時までほっつき歩いているつもりやら」

「神託はないの?」

「あれから一度あっただけじゃな。それもどうも曖昧な神託じゃった」

 女は火葬の折り、天界からの神託が降りたと言い火葬を中止した。その内容を、女は誰にも明かしていない。隆愛内親王にさえ明かしていないと言う。

 そして、新年が開けて一月が経つ頃、再び神託が降りた。が、この時の内容も女は誰にも明かさなかった。ただ一言「うむ…。まだ、しばらくかかるかもしれん」とだけ、里香子と琴音に告げただけだった。

 それから三ヵ月。四月に入ってもなお、仁成の魂が現世に戻ってくる気配はなかった。



「ほんに面倒なことになりよったわ」

 女は里香子との話しを終えた後、「翌朝には戻る」と告げて隠れ家から気配を消した。

 そして、日ノ本の何処かにある緑豊かな荘園で、知古の男と共に酒を酌み交わしていた。

「面倒とは?」

 彼女の対面に座る男は、珍しいものを見ていた。

「あの童の事じゃ。前にも話したじゃろう。どうも虚ろに堕ちたようじゃ」

「虚ろに?ならば既に取り込まれているだろう」

「それがのぉ。どうやら溶け込んでおるかもしれんのじゃ」

「真か?」

「虚ろに住まう神から神託が我に降りてきた。ただのぉ」

「なんだ?」

 何時も自身に満ち、相手が誰であろうと小馬鹿にする女にしては珍しく、言い淀むその姿に、男は嫌な予感を覚える。

「それがのぉ、彼方の格が低いのか、届く声は途切れ途切れでのぉ。童が虚ろにいること。魄はそのまま維持しておくこと。この二つくらいしかまともに聴き取れなんだ。他にも何か笑いながら降しておったが、雑音が多くてぇのぉ」

「…虚ろは入ったことのある者にしか分からぬと聞く。しかし、信じられんな。自由ある魂が、虚ろに溶け込めるなど聞いたことがない」

「我もじゃ。だから危惧しておる。もしもじゃ。童が虚ろに在るなら。現世に戻して良いのか分からぬ」

「確かに危険だ。だが、戻すしかないと言う事は、白世に留めて置けない何かがありそうだな」

「…これは我の予想じゃがな。もしやするとあの童。魂の記憶を持たずして。此方に渡り寄ったのかもしれぬ」

「…はぁ。要は童そのものが(から)っぽであったか」

「真かは分からん。だが、そうであれば色々と辻褄が合うのも確かなのじゃ。虚ろは他に『(から)』とも言う。魂の記憶が空の童が、虚ろに溶け込めるのも納得じゃろ?」

「確かにな。だが、それなら何故虚ろに?魂の記憶を此方に移せば良いだけだろう。それとも何か移せぬ理由でもあったのか」

「さぁの。それは我にも解らぬよ。そもそも魂の記憶を持たずして、あの童はどうやってこの現世に存在して居られたのか。それさえも分からん。所詮、我らは現世に縛られた存在。天の思惑を測れる立場にないとはいえのぉ」

「そうだな。此方に戻すと言うなら、少しは詳細を告げて欲しいところだ。最悪はこの現世が崩壊する。そうでなくとも、この現世は徐々に崩壊しているのだからな」

「だから、我もどうすべきか悩んでおるのよ。魄を燃やし、次なる依り代に送れるなら話は早い。じゃが、神託では残せと言ってきおった。つまり、まだ何か童を戻す方法があるのじゃろう。ただ、それがこの現世に禍を齎すなら話は別じゃ」

「それで、私に何をして欲しいのだ」

「我は童の魄から長く離れることが出来ん。我の代わりに各地を巡り、今回の件を話してきて欲しいのじゃ」

「よかろう。それにしても、其方も難儀だな。此方に戻って来たかと思えば、妙な縁と繋がったものだ。顔も出さぬから、何をしておるのかと思っていた」

「仕方なかろう。我もまさか…はぁ。そういう事か…」

「どうした?」

 男は本当に珍しいものを見ていた。

 男が知る彼女は、相手を見下すことこそしないが、常に余裕を持って相手と接し、尊大に振舞う。だが、そんな彼女は今、疲れた顔で大きな溜息を吐き、何時もの余裕ある姿は何処にもなかった。

「いやの。我も耄碌したものじゃと思うてな」

「だから、どうした?こんな事を言っては何だが、其方らしくないぞ」

「はぁ…。あの童は空じゃった」

「だから、それがどうしたというのだ?」

「じゃから、我はその空っぽの器に吸い込まれていたという事じゃ!」

 情けない。そんな感情を顕わに女は叫ぶ様に答える。それもまた、珍しい光景だった。

「…ふっ、ふっ、はははははははは。そうか、そういう事であったか。ははははははは」

 男とは対照的に、女の顔は冴えない。

 空とは言え、現世に置いて上位の存在たる自分が、人の魂に引き寄せられ、そして囚われていたという事実を前に、彼女は項垂れる。

 だが、それは同時に仁成をこの現世に留めていた要因の一つが、彼女が仁成の空っぽの魂に入り込んでいたからかもしれない。

 こんな事を話せるのは、古き頃からの付き合いである目の前の男以外に知られれば、どうなるか。

 しかし、それを含めて目の前の男は聞かれれば、面白可笑しく話すだろう。そのことを知っている彼女は、頼む相手を間違えたかもしれないと後悔するのだった。


 彼女が去った荘園に再び静かな刻が戻る。その中で、男は一人で新月の夜空を肴に盃を傾けた。

「虚ろう者か…」


「主様。御用意出来ました」


 何時の間にか男の背後に、小さな童が手荷物を持ち立っていた。

「あぁ、ありがとう。では行こうか。久しく合っていなかった知古の頼みだ。出来る限り、多くの者に伝え周ろう」

 男は盃に残った酒を飲み干すと、童と共に荘園から姿を消した。

 主の消えた荘園には、二つの盃と空になった徳利だけが残されていた。

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