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ただの人也。  作者: 梅酒
彷徨う魂
28/51

028「華の都 8」

 ふわっとした意識の中目覚めた仁成は、無意識に欠伸をしようと口を広げ、腕を上げようとした。

「(あれぇ?動かせねぇ)」

 何処か夢を見ているような感覚に、しばらく身を委ねた仁成は下から突き上げる振動に身体が浮くと、足先と頭が何かにぶつかり目を覚ました。

「(痛ぇ。何だ何だ?)」

 頭をぶつけたことで、寝ぼけていた意識が鮮明になる。そこでようやく、自分が拘束され、何処か狭い場所に押しやられていることに気付いた。

「(駄目だな。がっちり拘束されてるわ)」

 身体は硬い床の上に横にされ、動かない様に何かで緩く固定されている。それでも何かできないかと、少し大きく身体を身動ぎさせるが殆ど動かせない。

 視界は幅広の目隠しで完全に塞がれ、口も猿轡で大声を出せない様にされていた。ならば音は?と耳を澄ませるが、感触から耳栓を付けられ、ヘッドホンらしきものが付けられていることが分かる。音楽が流れている訳ではないが、それによって完全に音が遮断されている。

 だが、仁成はそれ自体に慌てることは無かった。

 五感よりも問題なのは両手足。両手は背中に回され、手首から伝わる冷たい感触から金属製の手枷に、身体から離れない様にロープか何かで固定されている。ている。両足も手と同様に足首辺りに詰めたい感触。それだけでなく、膝辺りにも何かが巻かれて脚を開くことが出来ない。

 そして、

「(やられたねぇ。…う~ん、誰の仕業かなぁ)」

 仁成はゆっくりと記憶を辿り、意識が何処で途切れたかを探る。

 最後に記憶しているのは、レストランで食事を終え、食後の珈琲を一馬と共に楽しんでいた記憶。目の前には、食事を続ける里香子の姿もある。

「(盛られたみたいだね。あの二人は…まぁ、心配しても仕方ないか)」

 レストランで通された個室は店の一番奥にあった。外に出るには必ず厨房カウンターの前を通る必要があり、その前に他のお客の前を通る。

 仁成たちが店を訪れたとき、すでに数組のお客さんが食事を楽しんでいた。さらに、その後も数組の客が店のベルチャイムを鳴らす音と、店主がそれを迎える声を聞いている。

 他に店から出るすれば、客からは見えない裏手の厨房経由で裏口から出ることくらいしか、仁成には思いつかなかった。

 どこからどこまでが計画されていたのかは分からないが、店側の誰かが関わっているのは確実。だが、それが誰なのかまでは分からない。下手をすれば、客を含めた全員が共犯者の可能性もある。

「(移動中か…)」

 身体の下から伝わる振動と伸ばせない身体。その二つから、仁成は車の中。それもトランクに放り込まれているのではないかと予想した。

「(参ったねぇ。どうしたものかなぁ~…寝よ)」

 誘拐されているというのに、焦るどころか暢気に昼寝を始めるのだった。


 暢気に優雅な午後の昼寝を楽しんでいた仁成だが、それを誘拐犯達に見られると容赦なく殴られ起こされ担がれた。

 それからすぐに、硬く冷たい床の上に叩きつける様に投げられた。

「がふっ(いってぇなぁ)がはっ!」

 まだ完全に再生していない右肩の鈍痛と叩きつけられた衝撃の痛みが治まらない内に、鳩尾に何か尖ったものが突き刺さる。

 さらに背中、脚、顔と続けざまに鈍い痛みが走る。

「(こいつら、覚えてろよ)ごほっ」

 猿轡が嵌められていることで元から苦しい呼吸が、殴る蹴るの暴行でさらに苦しくなる。

 視界も塞がれ、音も遮断されていることで、何処から飛んで来るか分からない攻撃に、仁成はただひたすらに体を丸めて耐えるしかなかった。

 何時まで続くか分からない暴行に耐えていた仁成だが、その身体からは徐々に力が抜け、意識が遠のいていく。

 だが、それでも彼らは仁成の身体を殴り、蹴り続ける。そこに鈍器も加わると、仁成の身体中の骨は折られ、腫れ上がり、服のあちこちに紅い染みが浮かび上がる。

 その執拗な暴行で、仁成に付けられていた音を遮断する魔道具が外れ、声が耳に届いた。

「おらっ、死ね!」「この悪魔めっ!」「この糞野郎がっ!あいつらのっ」

 口々に仁成に罵詈雑言を浴びせながら、ひたすら暴行を続ける彼ら。その中に彼らが誰なのか、何となく察することが出来る言葉が混じる。

 仁成の頭に一際大きい衝撃が降りると、何かが音を立てて頭蓋に減り込む気持ち悪い感触が全身に駆け巡った。

 そしてようやく犯人たちの手は止まる。

 まるで電気ショックを掛けられたかのように動き続ける身体。薄れる意識。

 その中で仁成は、何故か狼狽え始めた誘拐犯たちの滑稽な声に、薄ら笑いを浮かべながら、意識を手放した。



「ちっ。やられた。こちら佐奈少佐。目標が誘拐された。状況報告!時津は二人を尋問。吐かなければ精神汚染も許可する」

「了解」

 里香子と一馬が目覚めた時、店内には手足を拘束された店主とその息子、数人の客だけがいた。それだけで、里香子達は全てを察した。

 里香子はすぐに、周囲で監視している部隊と連絡をとりつつ、時計を確認する。

「(まだ20分も経っていないはず)」

 店に入る時、食事が運ばれた時など、各所で常に時計を確認している里香子は、最期の確認から逆算し軽度の睡眠薬を盛られたと予想した。

 誰もいなくなった店内を見渡し、報告を待つ時間がやけに長く感じられ、里香子は焦りと共に苛立ちを強めた。

「こちら、岡部。レストラン表、裏口共に異常なし。周囲に怪しい人物、車両共にありません」

「分かった。10人店内に入り、四人は客と店主とその息子の身柄を確保。念のため、全員の身元を照会。残りは店内を隅々まで調べろ」

 里香子の命令から数十秒。表と裏から10人の武装した兵士が入って来ると、店内を容赦なく荒らしながら仁成を行方を捜索し始める。

「佐那少佐。報告します」

 自らは店の防犯カメラを確認するべく、事務所と思われる個室に置いてあるPCに手を掛けていた。そこに、尋問をすんなり終えた一馬が姿を現す。

「報告」

 PCの画面からは視線を外さず、捜査を続ける里香子に一馬は構わず報告を始めた。

「店主とその息子共に精神汚染を確認しました。これが足首に。それと家族を人質に取られている模様です。事が起きた時、二人も拘束され目標が誘拐されたところは見ていない様です。その他の客は強い副作用が出ています」

 予想通り。里香子は一馬から受け取った禁止された魔道具を手に取り検めると、すぐに頭を切り替えPCの操作を続ける。

「店主と息子は此方で身柄を確保。客は御庭番に任せる」

 そして、防犯カメラの映像を確認すると、そこには仁成が客に扮していた男性客に担がれ、店の奥に消える姿が映っていた。

 さらに厨房に画面を切り替えたが、死角にいるのか仁成の姿も、誘拐犯たちの姿も映っていなかった。

「こちら佐奈。防犯カメラから、主犯は女従業員と推定。身元を照会しろ。店内にいた三名の男性客も共犯だろう。防犯カメラの死角を重点的に調べろ」

 指示を出し終えた里香子は、一馬を伴って店主とその息子の所に戻った。

「こちらの身元は明かせない。店主。これからしばらくの間、息子と共に身柄を拘束させてもらう。他の客についても任せてもらおう。そちらの事情も加味し、手荒な真似はしない事も約束する。人質に取られているということだが、詳しい話はこれから来る者達に素直に話せ。ご家族に関しても、こちらで対処しよう」

 店主は20年以上、歴史ある皇国ホテルで働いていた。その時の経験から、様々な人間を見て来た。その中にはもちろん軍人もいた。

 彼らに共通しているのは、時間を常に意識していたこと。料理が運ばれる度、店内を去る時など、視線が常に時計に向き確認していた。

 それを覚えていた店主は、一切抵抗せずに里香子の指示を受け入れた。

「分かりました。タケ。この方たちはおそらく軍人だ。抵抗するな。家族の事も何とかして下さる」

「親父…。どうか、どうか、妻のことを助けて下さい。妊娠してるんです。どうか、どうか」

 冷静な店主とは違い、息子の方は里香子に縋って泣きながらお願いを繰り返していた。


「息子が申し訳ありませんでした」

 過呼吸で倒れた息子が運ばれ一人残った店主は、里香子に深々と頭を下げ謝罪を述べる。

「店主。何時から?」

 下げた頭を上げない店主の身体を起こしつつ、里香子は問う。ただ、その声には店主を咎める気はなく、落ち着いたものになっていた。

「三度目の来店から数日後に、私と息子の妻が。息子の言った通り、義娘のお腹には孫がいたため、ただ従うしかなく…」

「分かった。…すまなかった。どうやら巻き込んでしまったようだ」

「いいえ。ですが…いえ。何でもありません」

 短い遣り取りの中に、店主から里香子達を責める感情は伝わってこない。ただ、彼は息子と違い、既にある程度覚悟をしていることが窺えた。

 店主を部下に任せた里香子は、入れ違いに来た一馬を迎えた。

「報告。カメラの死角の床に魔術の痕跡を発見。塞がれていますが下水道まで通じている可能性大」

「分かった。街の監視カメラは?」

「そちらも今だ発見できず」

「用意周到な事だな。何処かの民家から車に乗り換えたか?本部からは?」

「現在、街の監視カメラをくまなく調査中とのことです。こちらは現場保存と二人を保護せよとのことです」

「本部には了解と伝えろ。店主にも協力してもらって店を閉めろ」

「了解」

 立ち去る一馬を横目に、里香子は握り絞めた拳をテーブルに叩きつけると、誘拐犯が使った脱出路を確認するため個室を後にした。

 残されたのは、破壊されたテーブルと、まだ人の温もりを残し寂しく並ぶ三脚の椅子だけだった。



 誘拐を実行した犯行グループは、かつて仁成を保護という名の名目で、その身柄を拘束しようとした第四師団魔導兵部隊の生き残り。

 突如警察署に殺到を始めた魔物に囲まれ次々と仲間が減っていく中、部隊長藍堂の最後の命令を悔しさと共に受け入れ、集結した仲間達ともに死地を脱出した。

 だが、その道中。追ってくる魔物を抑えるために一部の部隊を殿に見捨てざる負えなかった。さらには脱出路に選んだルート上で、蟻の大軍に襲われたことで多くの仲間が命を落とした。脱出部隊を指揮する坂田大尉も此処で命を落としている。

 結局、混乱する味方から這い出た一部隊が難を逃れ、河川まで辿り着けたのは50名足らず。そこから殿部隊の生き残りが合流したが、それでも53名しか生き残りはいなかった。

 そして、ようやく辿り着いた回収地点に着く頃には、さらに人数は減り僅か32名のみが生還を果たす結果となった。

 地獄を生き抜いた彼らだが、その存在は戦闘中行方不明(MIA)として処理され、その身柄は密かに移送された。

 そして、彼らを匿った朝廷議員の手引きで、密かに京の都に潜入すると仁成の身柄を拘束するために動き出し、一月以上の準備を重ね実行に移した。


 残存部隊を纏め、その後秘匿された部隊を率いるのは、元日ノ本陸軍中尉嘉崎。彼は坂田と同じ階級で警察署の包囲では西部隊に配置されていた。

 藍堂少佐の撤退指示を受けた時、彼は上官から撤退部隊を指揮するように命を受け、仲間を見捨てる形で生き延びた一人である。

 その後、無事に脱出を果たした僅かな仲間達と共に、彼らは軟禁生活を送ることになる。軟禁生活と言っても不自由はなかった。

 自分達を匿った一部の朝廷議員とその傘下の国会議員、そして官僚からの厚い()()()()()があったためだ。

 だが、それでも彼らの中からあの日見た地獄の光景と、仁成に対する憎悪が消えることは無かった。

 そして、軟禁から半月以上が経ったある日、彼らに仁成の身柄を再び確保する任務が降りる。

 帰還後に負傷退役が決まっている者と数人のPTSDを発症した者を覗き、選ばれた隊員は24名。彼らは指揮所を除く三つの隊に分かれ、それぞれが作戦を開始した。

 一つ目の隊の任務は、対象が通う飲食店の店員と客に紛れ、作戦実行当日まで溶け込み、実際に仁成の身柄を確保する実行部隊。二つ目の隊は、脱出路の作成と実行部隊の支援部隊。三つ目は、不測の事態に備えた予備であり、いざという時には囮として攪乱する部隊。

 こうして、仁成が通うレストランを作戦実行場所として選んだ彼らは、潜入と同時に店主とその息子に精神魔術による従属を強い、保険として家族を拉致した。

 支援部隊はレストラン直下の下水道から脱出路を作り、隠蔽。さらに、護衛部隊の索敵範囲から外れた民家にも同様の脱出路を作り繋げ、逃走車両を準備した。

 そうして、作戦決行日を次回来店時に設定した彼らは、何も知らずに店に姿を現し、暢気に昼食を食べ始めた仁成の誘拐に成功した訳である。

 その報を、隠れ家兼指揮所にしている旧国道沿いにある山中の廃村で受けた嘉崎は、藍堂を始めとしたあの日散って行った仲間達に向けて、一人弔い酒を開けていた。

「嘉崎隊長。申し訳ありません。至急お越しください!」

 指揮所に駆け込んできた部下の慌てようから何かを察した嘉崎は、持っていたグラスをテーブルに置くと、理由は問わずに指揮所を後にした。


「何があった」

 廃村の中で一番まともに残っていた役場。その廊下を迷わず仁成を監禁している部屋に向かう嘉崎は、少し後ろを歩く部下に問う。

「一部の者が過剰に暴力を振るい。誤って頭部に深い打撲を…」

 深いという控えめな言葉に、嘉崎が勘違いすることは無かった。おそらく頭蓋を割った上で、能に深い損傷を与えたのだと理解した。

「…分かった。責めるつもりはない。私とて、あのクソガキを前にすれば理性を保てないかもしれない。だから、安心しろ。最悪、あちらに渡らなければそれでいいんだ」

「はい…」

 急ぐ足とは逆に、部下に掛ける声は穏やか。それは彼も部下達と同じように仁成に深い恨みと憎しみを持ち合わせる証拠だった。


 嘉崎が部屋に到着すると、既に医療知識を持つ隊員が三人掛かりで治療を始めていた。

 嘉崎が部屋に入り治療を続けている隊員に近づくと、足元から嗅ぎ慣れた匂いが鼻孔を擽った。足を止め、匂いの元に目を向けると、それが仁成から流れるてきた血であることが分かる。

 嘉崎は視線を足元から外し、背後の壁に向ける。

 そこには、過剰な暴行を加えていたと思われる隊員10名ほどが、壁際で嘉崎に敬礼を向けたまま立ち続けていた。

 嘉崎は軽く彼らに敬礼を返し、「休め」を指示すると再び部屋の中央に寝かされている対象に向かって歩き始める。

 そこで初めて、治療を行っている三人の様子がおかしいことに気付く。

 三人の内一人は、医師資格と治癒士資格を併せ持つ現役医師なのだが、その隊員は何故か治癒魔法を使わずに、通常治療のみを行っていた。

「丹波少尉。対象の状態は?」

 治療のため一時的に、対象から足枷以外の拘束具一式が外されていた。

「嘉崎隊長…。申し訳ありません。私の技量不足です。手の施しようがありません」

 嘉崎に振り向くことなく、外科治療を続ける丹波。その彼を補助する二名の隊員の顔も険しい。

「何故治癒魔術を使わない」

「使わないのではありません。使()()()()のです」

「使えない…?」

「はい。対象の内包魔力は桁違いです。そこらの特級魔法士や魔人が霞むほどです。その桁違いの魔力が身体全体を包んでいます」

「まさか…、治癒魔術が弾かれるのか?」

「はい。なので、本人の再生力頼りになります。ですが…」

「脳の損傷が激しいか…」

 覗き見た仁成の左側頭部は切開され、大きく開いている。そこに覗く内部は頭蓋が取り除かれ、潰れた脳と噴き出し続ける血で見るも無残なものになっていた。

「はい。魔人と言えど、生物です。脳の破損は私たち同様に致命傷になります。まだ頭蓋が割れているだけか、浅ければ再生が上回るでしょうが、さすがに此処まで損傷していては…、それに出血も」

「出来る限りの治療は続けてくれ。最悪死んだとしても、あちらの陣営に渡らなければそれでいい」

「了解」

 嘉崎は一旦仁成を丹波に任せると、左右に別れ立っている隊員に向き直った。一人一人の顔を見て、少なくとも自分達の行いを恥じていない者がいない事を確認した嘉崎は、彼らに仲間として語り掛ける。

「諸君。君達に何ら落ち度はない。今回の件は暴れる対象を抑えようとした結果起きた不幸な事故である。だが、これだけは胸に留めておいて欲しい。我らは獣ではない。以上だ。血の付いた衣服や物は処分し証拠を残すな。その後改めて、散って行った仲間達のために弔いの酒を開けよう。かいさ―――」


「かかかかかかかかかかかか」


 突如響く不気味な笑い声と共に、部屋に充満する異様な瘴気似た魔力。

 嘉崎は咄嗟に腰の銃を引き抜き、背後を振り向いた。

 丹波達も突如笑い出し、閉じていた目を見開いた仁成に驚き、治療の手を止め数歩退いていた。


「散々嬲って遊んだ挙句、事故はないであろう。それに獣ではない?この惨劇を見てなお、うぬらが獣ではないと?笑わせてくれるものだ。あぁ、そうであった。すまない。其方らはそもそも猿であった。童は確かこう言っていたな。ウキッ、だったか?かかかかかかかかか」


「ば、化け物」

 誰が呟いたかは分からない。だが、この場にいる誰もが同じ思いだった。

 最も驚きを見せていたのは、医療知識を持ち合わせ、医師と看護資格を持つ丹波達。彼らの持つ知識と常識ではあり得ない出来事を前に混乱していた。

 脳が半分潰れてた状態で此処まではっきり喋れるはずがない。そんな当たり前の常識と、目の前で実際に起きている超常の現象。

 人は分からないモノに恐怖を覚える。それは生物として当たり前に備える本能。今の彼らもその原初の恐怖に襲われていた。

 今すぐにでもここから逃げ出したい。だが、身体は鉛のように動かない。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、血で充血し真っ赤に染まった白目。そこに浮かぶ不気味で真っ暗な瞳から目を逸らせなかった。


「化け物?それはうぬらの方であろうよ。手足を縛られ抵抗も出来ぬ童相手に、容赦なくその手足をもいだだけに飽き足らず、死を迎えるまで続けた。まさに(けだもの)よ。かかかかかかかかか。よっこらせっ」


 嘉崎達の視線が集中する中、仁成の姿形をした()()()がゆっくりと立ち上がる。

「あり得ない、あり得ないっ。手足の骨が折れてるだけじゃない。筋も断裂してるんだぞっ。立ち上がれるはずがないっ!」

 意識があり、話すだけでもあり得ないにもかかわらず、立ち上がり軽く伸びまで始めた仁成に、丹波は未知の恐怖から思わず叫んでいた。

 仁成ではない何か。だが、それが何かが分からない。頭部を半分潰れてもなお、考え、話し、動き、異質な魔力を纏う存在。

 その未知の存在を前に、叫んだ丹波のみならず、この場にいる全員が同じ恐怖を感じていた。


「かかかかかかかかか。あり得ないとは心外だ。うぬらは魔のことを何も分かっていない。知も技も未熟。ならば、仕方なし。理外の存在に、それを扱う術に慄くのも、弱く愚かな者が持ち得る()()と言える。何ら恥じる事無し」


「お前は何者だ」

 対峙するだけで分かる。隠そうともしない圧倒的な魔力と存在感を前に、銃を構える手は震え、膝は自然と畏怖し折れようとする。

 それでも嘉崎は呑み込まれまいと歯を食い縛り、魔力を全身に漲らせ、震える声で問いただした。

「我の事などどうでも良かろう。その様な些末な事を気にする暇があれば、魔の真髄に近づくべきであろう。まぁ、うぬらにその刻は終ぞ訪れることは無いであろうがな」

 頬を優しく撫でる風が嘉崎達を包み、部屋から開け放たれた扉から吹き抜ける。

 たったそれだけ、まだ撫でられただけ。それだけで嘉崎達は身を震わせた。ほんの一瞬、全身を拭き抜けた異質な魔力に触れた。たったそれだけで、彼らの魔力は霧散し途切れる。

 それはつまり、彼らの身体が乗っ取られたに等しいことを示していた。

 もし目の前に立つナニかが本気なら、今頃自分達は生きていない。

「うおおおおおおおおおおおおおお」

 嘉崎は自らを鼓舞する様に方向を上げ、ほぼ空になった魔力を魔蔵から無理矢理絞り出し、その手に持つ魔導銃に全てを注ぐ。例えそれが、自身の魔法士としての、命を断つことになったとしても、たった一発のために。


 魔蔵は無限に魔力を生み出す訳ではない。生物から溢れる生命(プラーナ)の余剰を使い、魔力に返還している。魔力量が多い=変換効率が高いということでもあるが、生命(プラーナ)力が高い者も魔力量が多くなる傾向にある。

 上級魔法士や魔人はこの両方が高く、魔人に覚醒する者も生命力が高いとされる。

 魔力返還効率は訓練によって一定の向上に成功はしているが、基本は持って生まれた魔蔵の性能次第ともされている。

 そして、本来生み出せる魔力以上を引き出そうとすれば、魔蔵は生命(プラーナ)を大量に消費して生み出そうとする。

 それはつまり、寿命を削り、時に絶命する惧れさえある危険な行為。

 それを嘉崎は、全ての生命力を使って行おうとしていた。


 仁成の中に眠るナニかは、命の輝き(魔力)を前にしても興味がないのか、自身の足や腕、全身の折れた骨や切れた筋を癒し始めた。

 その再生速度は上位の魔人や、高位の治癒士でさえ不可能なほどの速度と精度で、仁成の身体を癒していく。

「あぁ、そうであった。確か…脳であったか?これも治しておいてやるとしよう。魂魄(こんぱく)幽世(かくりよ)に行っておらねば、まだ間に合おう。まだ逝くには早い。このままでは、常世(とこよ)には行けまいしな。童も欲に負け、禍を生み出したことは間違いない。徳も対して積んではおらぬ。だが、千の命を厭わず、己の心と道理を貫く気概は真。我のそれに通じる。一度くらいならば、(あまつ)の神々も眼を瞑ってくれようて。知っておるか、猿共よ。この童は逝くその刻まで、うぬらの慌てふためく姿を見て、笑って逝ったぞ。心は屈さず、怨も残さず、何と天晴な死に様ではないか。それに比べ、うぬらの器は何とも小さなことよなぁ。そうは思わぬか?人にも為れぬ愚かな猿よ」

 まるで詩を謡う様に話すナニか。だが、彼の前にいる者達の視線は見る見るうちに再生を始めた頭部に集中し、誰も彼の言葉を聴く余裕もなかった。

「愚かで何が悪い。私達とて気高く生きているつもりだ。魑魅魍魎の化け物に諭されるほど、落ちぶれた覚えはない」

 ただ一人、嘉崎だけはナニかの瞳を見続けていた。その紅い血の海に浮かぶ光が届かぬ深海の瞳は、現世のものとは思えないほど暗く澄み切っている。

「だからうぬらは駄目なのだ。既に堕ちておることに気付かぬとは、ほんに愚かよ。現世は欲の坩堝。その中で輝きを失わず心を磨くことこそ、うぬらに与えられた唯一の自由。例え死を纏おうとも、童の如く己を見失うことなく進めば、天は認め次の自由を与えよう。だが、堕ちればそこで終となり、終の無い自由が待っておる。ふむ、まぁこのくらいで良かろう。あとは童の意志と天の神々に委ねるとしようか。さて…終に問おう。今ならまだ、その咎を洗い流す機をやろう。如何に?」

 話が終わると同時、仁成の潰れていた頭蓋は完璧とは言えないが、元の形に戻っていた。

 そして、ナニかがそれまで垂れ流していた魔力を止めると、部屋に漂っていたはずの異質な魔力も一瞬にして無に帰した。

 それもまた、魔力を知る者ならあり得ないほどの離れ技だった。それは言うなれば、真水を大海に流し、再び真水だけを掬い上げる様なもの。どれほどの鍛錬を積めば辿り着けるのか、それほどの極致を彼らは目の当たりにしていた。

「何を驚く。流れようとも己の力。何ら難しいことはない。ただそれを無に帰しただけのこと。このような狭き場なら、猿にでも出来よう」

 それが出来ないから彼らは驚いているのだが、それをあたかも子供の児戯のように語るナニかに、彼らは底知れぬ恐怖を改めて抱いた。


ードンッー


 ナニかが嘉崎から視線を外したその一瞬。嘉崎は自身の命を懸けた一発の銃弾を放つ。

 放たれた銃弾は仁成の眉間に真っ直ぐ伸び、再びその脳を破壊できるだけの威力を持ち合わせていた。だが。

「ば、けも、の、めぇ…」

 嘉崎が最後に見た光景は、音速を越え光速に近い速度の銃弾が真っ暗な珠に吸い込まれ、何事もなく立つナニかの姿だった。

「まぁ、猿にしてはようやったと褒めてやろう。心は問うた。その解も受け取った。もうよかろう。終にしようかの」


 その日、京の都近郊に新たな瘴気溜りが生まれた。

 京の都は日ノ本に根差す神々による祝福と、あらゆる法によって何重もの結界のおかげで無事だったが、件の山中にあった廃村は濃い瘴気に包まれ、何人も踏み込めぬ魔境へと変貌するのだった。

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