019「分かれ道 9」
翌朝。まだ日が昇って一時間もしない内に、警察署の前に近藤達が到着し、作業を始めていた。
その早い到着に、右肩の痒みから一睡も出来なかった仁成は、右腕を三角巾で吊るした姿で彼らを迎えた。
「やほ~」
「・・・その、だ、大丈夫か?」
その明るい声とは反対に、仁成の酷い顔を見た近藤達は心配気な声を漏らす。
「いやぁ。それが右肩が痒くて、痒くて。寝れたもんじゃなかったよ」
よく見れば、仁成の右肩がぴくぴくと痙攣しているのが、服の上からでも分かる。それを見た四人は同じ感想を抱いていた。「再生が早い」と。
「そ、そうか。ごほん。昨日は挨拶も控えさせてもらった。私は日ノ本陸軍第20旅団特殊魔導戦技連隊副隊長、近藤辰巳中佐だ。改めて昨日は只野君。君の援護のおかげで助かった。感謝する」
近藤は仁成に深く礼を取ると、顔を上げた。
「あぁ、別に気にしなくて良いよ。景月…陸将補だっけ?大事な取引相手だからね。それで、そちらは?」
仁成は何でもない風に見せてはいるが、きちんと景月の名前をだしてくるあたり、強かな青年だった。もちろん、近藤も彼の言葉を鵜呑みにした訳ではない。色を付けて何かで還してねということも理解している。
仁成は背後にいる三人に目を向けた。
左から順に、近藤と同じ外骨格に身を包んだ女性。次に近藤達とは違う外骨格に身を包んだ壮年の男性。そして最期の女性は外骨格無しで、防護マスクのみを身に付けていた。
仁成は何処か見覚えのあるその若い女性の目元を凝視して思い出そうとしたが、、何処で見たのか思い出せず視線を近藤に戻した。
「紹介しよう。一番左にいるのは同じ連隊に所属する渡辺香少佐。君との取引と交渉の責任者だ」
「渡辺香です。本来なら昨日、物資を君に届けるはずだったのだけど、災難だったわね。同じ日ノ本人軍人として謝罪します」
「これはどうも。まぁ、確かに災難と言えば災難だったけど、渡辺さんが頭を下げる必要はないよ?だって、皮は人間だったけど、中身は話が通じないお猿さんか何かだったからね。苦労したよ。こっちがウキッとか、ウホッとか合わせてあげたのに全く通じないんだよ。日ノ本軍は人材不足なの?もしそうだったとしても、猿に外骨格と銃を与えるのはどうかと思うよ。どうやって意思の疎通を図ってるのかも疑問だし、景月陸将補にも報告した方が良いよ?日ノ本軍の中に猿か類人猿が混じってるってね」
「え、ええ。つ、伝えておきます」
仁成の息を突く暇もない怒涛の口撃に、香は少し身を仰け反らせ、引き気味に応えた。これが、自分が相手にしなければいけない交渉相手なのかと…。
「そう言えば、物資は?」
「安心して頂戴。持って来ています。ただ、君がここを離れるなら、一旦持ち帰ることになるでしょう」
「そういや、そうだったね。それで、そちらは?」
「真ん中の男性。こちらは望月和彦教授。教授は魔導大学で教鞭を振るう傍ら、日ノ本の魔導学において第一人者として知られている。国民からは二つ名の『雷神』の方が有名だろう」
「初めまして、只野君。君のことは景月陸将補から直接話を聞いている。君の力になれたら幸いだ。よろしく」
仁成の前に出た和彦は、紳士然とした口調と所作で握手を求めて来た。仁成は特に気にすることなくその手を握った。
「これはどうもどうも。雷神ということは、昨日の雷を放った人ですか?」
「その通りだよ。君の甲牙に放った雷電の一撃も素晴らしかった。雷電の開発には私も携わっていてね。貴重な瞬間を見させてもらったよ」
「いやぁ、それほどでも。自分も横に落ちる雷なんて珍しいものを見れて、楽しかったよ」
「・・・はははははは。そうか、そうか。横に落ちる雷か。確かにそうだね。はははは、すまない。自分では当たり前になっていて気にしたことが無かったよ。ははははは」
「はははははは。それで~、そちらは?」
「私から紹介しよう。妻の絵美だ」
和彦がそっと肩に回し、引き寄せた若い美女。彼女は軽く頭を下げながら、仁成に「妻の絵美です」と告げた。
「えぇ~~~~~~~~~」
落ち着いた仁成は、「ここだとあれだから」と四人を警察署の中に案内した。
裏口に案内され入った四人は、仁成の背中を追いながら、外からでは分からなかった警察署の中を見て、息を飲んだ。
そこには人二人分ほどの通路を残して、原形を留めていない車や重機、そして重い機械工作機などが隙間なく埋められていた。
「これは突破出来ないな」
「ですね」
近藤と渡辺が感嘆の声を上げる一方、和彦と絵美は「ここまでする?」と言った表情で、仁成の周到ぶりに呆れていた。
「これはどうやって詰めたんだい?」
素朴な疑問を口にしたのは和彦だった。
「あぁ~、これね。月夜達だよ。一緒に暮らしてる魔獣の親子ね。に頼んで、無理やり押し込んだんだよ。一階は全部あんな感じだよ」
「集めるのに…苦労はしないか」
「特に苦労はしてないかな。そこらに転がってるからね。ここに来るとき、車がほとんどない道を通って来たでしょ?」
「一本だけ、穴の空いたアスファルトは土で埋められ、車などは道路に面した庭などに放り込まれていたな」
「あの道を片付けるついでに、少しずつ警察署に運んで敷き詰めていったんだよね」
何でも無いかのように言う仁成だが、それは月夜達が見た目以上に強い個体である事を、暗に示していることに他ならない。
そんな強い魔獣がいる警察署に入ったことを、少しだけ後悔し始めた四人を他所に、仁成は二階に続く階段を進んでいく。
そして二階でも、彼らは驚愕した。
「ここもか」
「当たり前じゃん。魔獣なんて簡単に屋上まで上がって来れるんだから。とは言っても、塞いでるのはここまでだけどね。建物がどれくらいの重さまで耐えれるか分からないから」
二階は階段と踊り場以外の通路は全て、一階同様に埋まっていた。とはいえ、一階ほど密には埋まっていないため、その気になれば突破は出来そうではあった。
そのまま二階と三階を過ぎ、仁成は四階の一室に四人を招き入れた。
その部屋は仁成が普段使用している部屋同様に、ソファーとローテーブルが置かれた一室。扉には署長室と書かれた表札が残っていた。
四人にソファーを進めつつ、仁成は部屋の奥にある机に用意していた薬缶に水を入れて、コンロに掛けた。
「私達は遠慮して置く。絵美さんにだけお出ししてくれ」
「あ、そう。もしかして脱げない?」
「あぁ、此処はさすがに瘴気が濃すぎる。だが、安心してくれ。中に水分補給用のボトルがある」
「分かったよ。で?絵美さんは何で大丈夫なの?魔人だからとか?」
不意の質問に、固まる四人。だが、すぐに復帰した笑みがマスクを取って顔を晒した。
「えぇ、君の言う通り、私は魔人です。良く気付きましたね」
「ん~、なんとなく。教授で雷神の奥さんだからって、こんな所まで付いて来ないでしょ。…あれ?あれ?あれ?…ちょっと待って?待ってて~~~」
マスクを外した絵美の顔をまじまじと見た仁成は、珈琲の準備を後回しにして部屋から慌てて出て行った。
そして、二つほど隣の部屋に駆け込む音を廊下に響かせながら、すぐにまた戻ってくる。その左腕には一冊の雑誌が抱えられていた。
「もしかしてだけど、この表紙の人?」
慌てて戻ってきた仁成が見せたのは、彼が聖典として崇める『魔法生活』。絵美の面影を残す美女が表紙を飾っていた。
「おお~、本当にあるとはびっくりだ」
それを見て駆け寄ったのはもちろん和彦。愛する妻のグラビア時代のグッズを集めることを趣味の一つにしている彼にとって、今ではほぼ手に入らない希少な本を前にしてはしゃいでいた。
「仁成君。言い値で買おう。私のあらゆるコネを使って、君の望みを叶えてもいい。その両方でもいいぞ」
ぐいぐいと迫ってくる和彦から逃げる様に顔を仰け反らせた仁成は、とりあえず無視することにした。
「で?これ絵美さんなの?」
「そうよ。でもそれ、三十年以上前の雑誌よ?」
「ええ~~~~~~~~~~~~~~」
本日二度目の仁成の叫びが警察署に木霊した。
仁成が落ち着くのを待って再開された話し合いは、まず何故絵美がここに来たのかについてだった。
「え~と、つまり俺に魔人の一般的な基礎知識だけでも教えて置こうってことね?」
「一般的というのは少し違うかな。そもそも一般的に知られている魔人に関する知識は、表向きのものが多いの。まず表向きに知られる中でも只野君が今、気になっていることから話しましょう」
まず絵美が教えてくれたのは、仁成が驚愕したその若すぎる見た目について。その説明を軽く受けた仁成は、それでも信じられないのか、手元に広げた魔法生活に写る美女と正面に座るそっくりな美女を見比べる。
その隣では何時の間にか仁成の横に移動して、一緒に覗き込んでいる和彦の姿があった。そして、合間に雑誌を譲ってくれないかとしつこく仁成に交渉を持ちかけていた。
「つまり、魔人化すると老化が遅くなるんだね」
「でも勘違いしないでね。大抵は実年齢から10から15歳前後若く見られる程度です。殆ど変化しない人もいます。私の場合はその老化速度が極端に遅い特化型と呼ばれる魔人です。50歳を超えてもこの通り、今だに見た目も身体機能も二十代を保っているわけです」
「寿命に影響は?」
「特化型以外はほとんど影響は少ない。魔人でも病気になるし、お酒を飲み過ぎて肝臓を悪くしたり、痛風になる人もいる。食中りから死ぬ人もいます。健康を保っていても、平均寿命は5から15歳くらい長くなる程度でしょう」
「絵美さんの場合は?」
「私は健康を保っていれば、120歳から150歳くらいと言われてるけど、確か146歳が最年長記録だったかしらね。私を含め、同じ特化型の人は世界でも8人しかいない。その内、半分は100歳を超えています」
「かなり稀少なんだね」
「う~ん。希少と言われればそうなんだけど…」
仁成からすれば、全盛期を保ち続けるという点でこれほど有能な能力はないと思っていたが、絵美の反応は真逆だった。
それを不思議に感じた仁成は首を傾げながら、続きを促した。
「まず特化型の話をする前に、魔人の基礎的なことを話しましょう」
話を再開した絵里が語ったのは、魔人に覚醒している人はそれなりにいるということだった。日ノ本に限れば、60万から100万に届かない日ノ本人が魔人に覚醒している。ただ、半数以上の魔人は一般人として暮らしているということだった。
この話を聞いた仁成の感想は「やっぱりね」だった。
「あら、驚かないのね?」
その意外な反応に、絵美だけでなく他の三人も不思議そうな顔していた。
彼らは職業柄、魔人と接する機会が多いため知っているが、一般人は魔人が少ないと思っている。これは魔人である事を秘匿されている人が多いため、意図的に国が印象を操作しているからでもある。
和彦や絵美も気付いていないが、近藤が指揮する部隊の中にも秘匿されいる魔人が10人程在籍している。この場所にもその内の半数が、外で任務に従事していたりもする。
そういった事情から、絵美と和彦は一般常識として、近藤と渡辺は仁成が異世界人である点から、驚くと思っていたのである。
そんな四人の反応に対し、仁成は呆れた顔で口を開いた。
「魔人の覚醒条件なんて知らないし、どのくらいいるかも知らないよ?でもね。計算すればある程度予想が立つ。例えば、日ノ本の人口が一億いると仮定して、人口の1%が魔人に覚醒するなら100万人前後はいる。0.1%だとしても10万人。仮に人口が半分の5000万人だとしても、5万から50万人はいる計算になるでしょ?」
「…和彦さん。どうしましょ?この子、思ったより賢いわ」
「ん?これまでの行動を見ても、十分賢い事は解ってたはずだよ?」
「そうなんだけど、こうも、ぱっと返されると、ねぇ」
「それで?魔人の半数はどうして一般人として生きてるの?」
「それは単に能力が低いからです」
「…能力が低い?」
魔人に覚醒すると魔力と身体機能が上がる。
上昇幅は人によって異なり、魔力なら2~10倍。身体機能はアスリートや鍛えられた軍人並に上がる。過去には50kgのバーベルを上げるのが限界だった人が、覚醒後に100kgの重りを上げられるようになった例もある。
その副産物として、瘴気耐性と老化速度の減少がある。
老化速度の減少は身体機能が上がったことによる副産物であり、絵美の様な例は本当に稀であり、一般的には絵美が先程説明した通りである。
魔人化で最も重要なのが、副産物二つ目の瘴気耐性である。
瘴気耐性は魔力量に比例して上昇することが判明しており、魔人はさらにその耐性が高くなる。これは同じ魔力量を持っている魔法士と魔人では、魔人の方が耐性が基本的に高いということである。
ただし、生物の瘴気に対する耐性はとても低い。和彦は特級認定を受ける魔法士で、その保有する魔力量も魔人の平均を軽く上回る。それでも、瘴気対策無しでは瘴気汚染区域に入るのは危険であり、健康を害する可能性が高い。
それに比べ、魔人は和彦より魔力が低くても、彼よりも瘴気耐性が高い者もいる。絵美が正にそれである。
彼女の魔力量は和彦に遠く及ばない。それでも、彼女は瘴気濃度が濃い場所でも簡易防護マスク程度の対策だけで、仁成が住む危険区域内を歩けている。
「一応、補足しておくと。絵美は魔人の中でも瘴気耐性が高い。魔人の中には、瘴気対策無しで此処まで踏み込めない者も大勢いるということは覚えておくといいだろう」
「ほ~ん。あれ名前なんだったけ?昨日いたおサルさん二人は?」
和彦からの補足に、仁成は近藤に視線を移しながら気になっていた二人の魔人について問うた。
おサルさんとは誰のことだと首をかしげる絵美と渡辺を横目に、和彦は笑いを堪え、近藤は少し溜息を吐いて応えた。
「小番の方が瘴気耐性が高かったはずだ。だが金崎と小番共に、国内では優秀な魔人として知られている。絵美さん同様に、対策無しでもこの場に滞在できるだろう」
近藤の口から出た二人の名前に、絵美と渡辺はさらに首をかしげる。二人も金崎と小番のことは知っている。だが、何故彼らがおサルさん呼ばわりされているのか、見当がつかなかった。
この場でその事情を知っているのは、金崎の朧の録画を見た近藤と和彦。そして、二人をおサルさん認定した仁成本人だけである。
「なるほどねぇ~。で、結論は?」
「さっきも言ったけど、能力の問題です。一般人。言い換えれば非魔法士の魔力量は低い。それは瘴気耐性が低いということでもある。例え魔人に覚醒したとしても」
「元が低いから、例え10倍以上に魔力が上昇しても、低いままなんだね?」
「その通りです。魔法士は凡そ100人に1人。その1人が魔人に覚醒するとなると?」
「低いねぇ~。圧倒的に非魔法士が魔人に覚醒するわけか」
「そういう事だ。絵美は身体能力こそ低いが、元々魔法士資格を取れるだけの魔力を有していた魔法士の卵だった。ただ、彼女の場合は老化に特化して覚醒した。それも世界でも10人もいないほど尖った覚醒の仕方だ。おそらく魔力の上昇量も犠牲になったのだろう。二級魔法士基準の魔力程しか上昇しなかった」
「それでもかなり上がった方なのよ?おそらく覚醒しなかったら、5級か4級魔法士止まりだったでしょう。覚醒したおかげで中級止まりの才能が、上級魔法士に上がることが出来たと考えれば十分です」
元々魔力が低い一般人が魔人に覚醒したとしても、能力の上昇幅が余程高くなければ、一般人より少し魔力が高く、力持ち止まりとなる。
そのため、世界基準で見ても七割強の魔人は、魔人であることを秘匿され一般人として暮らしているのが現実だった。
「特化型についても、少し話しておきましょう」
特化型。ある一つの能力が飛び抜けて上昇した魔人を指す。
説明は主に、絵美自身を例にして行われた。
「なるほどね。特化型はかなり特殊なんだね。絵美さんの場合は身体特化になるんだよね?」
「そうね。分類するとすれば身体特化ではある。けど、身体の活性化による副産物でしかない老化速度の減少に、本来上がるはずだった能力を全て持っていかれた感じと言えばいいかしらね」
「つまり、絵美さんは平均的な一般女性の体力と身体能力しかないってことだよね?」
「えぇ、その通りよ。これは本当に稀な例で。魔力特化型でも魔力量が桁違いに上がる人もいれば、出力だけが上がる人もいる。身体特化はさらに幅が広いの。三十分以上息を止められる肺活を手にした例もあれば、脚力や腕力などの一部分だけに特化した人もいる。噂話し程度で真偽は不明だけど、精力が増大した人もいるそうよ」
「なんかあれだね。上がる能力次第じゃ、確かに不遇そうだ」
「そうね。私はまだ長生きというだけだから。自分ではそこまで不遇とは思ってないわ。身体特化型で有名な魔人を一人、紹介しておきましょうか」
「紹介してくれるってことは、その人はかなり異質なのかな?」
「えぇ、異質よ。南米出身のラウル・サルコ。既に故人ではあるけど、南米の英雄よ。覚醒前から一級魔法士として活躍していたのだけど、魔人に覚醒以後、彼は一年毎に大きくなっていった」
「大きく?身体がってこと?」
「そう。最終的に身長は2m98cm。体重は350kg以上の巨人に成長した」
「そこまで大きいと、関節に負荷がかかって悪影響が出そうだけど?」
「それが98歳で殉職するまで、健康体だったそうよ。南米の巨人ラウル。魔法士でありながら、殴ったり蹴ったりした方が強いと言われた魔人ね」
仁成は部屋の天井を見上げた。ラウルの身長とほぼ同じくらいの高さ。それを想像し「住みにくそう」とだけ呟いた。
「言われていたではないよ、絵美。実際に彼の身体能力は人のそれではなかった。只野君。ゴリラの身体能力は知っているかね?」
「詳しくは知らないけど、人間より何倍も強い事は知ってるよ」
「握力は400から500kg。背筋力もほぼ同じだ。凡そ握力は人の10倍。背筋は3倍だな。巨人ラウルは身体強化をせずに握力が395kg。背筋は500kg以上が公式記録として残っている」
「ゴリラ並みか、あるいはそれ以上か」
「凄いだろう。だが君の指摘通り、その大きな体を支える膝や足首などは、かなりの負荷がかかっていたそうだ。一時期は立つ事さえ出来なかったとか。だが、身体は成長し続ける。だから彼は魔法を捨てた」
「魔法を?捨てた?」
「正確には普通の魔法を捨てた。彼は自分の全ての魔力リソースを身体強化に注ぎ込み、研ぎ澄ました。その結果、彼は寝ていても強化が解けないほど自然に使いこなしていたそうだ。そして彼が98歳の時、今から20年程前のことだ。暴走した特級魔物を含む魔物から故郷を護るために、彼はたった一人でその特級魔物に挑み、身体強化のみで討伐し伝説となった英雄だ」
「相打ち?」
「いや違う。彼が亡くなったのは討伐から数日後のことだ。極限まで身体を強化したことで組織崩壊が始まり、再生も何故か止まっていたそうだ。そのまま守り抜いた故郷で亡くなった」
「まさに英雄だね」
巨人ラウル。和彦の声色から、彼が海を越えて尊敬される英雄である事を感じた仁成は、少しの間どんな人物だったのだろうかと想像を膨らませるのだった。
「とりあえず、ここまでで何か聞きたい事はあるかしら?」
少しの休憩を挟んだ後、絵美から問われた仁成は少し考えた後、口を開いた。
「魔人覚醒後に増えた魔力は、子供に遺伝するの?それとも、覚醒前の魔力が元になるの?そもそも魔力は遺伝するの?」
「遺伝するわ。これは和彦さんの方が詳しいから、お願い」
「魔力の遺伝は母親七割、父親三割と言われている。特に母体が魔人の場合は、高確率で魔力が高い子が生まれる。非魔法士同士の間でも、魔法士になれる素質を持って生まれる子がいない訳ではないが、確率は低いな。ところで、只野君。この雑誌、本当に譲ってくれないかね?本当に言い値で買うよ?」
魔導学の権威らしく、淀みなく答える一方。不意打ちで絵美のグラビアが載っている幻の雑誌「魔法生活」の譲渡交渉をぶち込んでくる和彦。
その姿を見て、本当にその道の第一人者なのかと疑う仁成がいた。
「はいはい。それはもう少し、俺がこの国の貨幣価値なりを知ってからね」
「本当かい?あとでやっぱり無しとか言わないだろうね?」
「言わない、言わない。言い値でとか言われても、こっちが逆に困るよ。かと言って、教授から値段を提示されても、それが適正か何て判断できないからね。お金が絡むと親や兄弟でも関係が悪化するんだ。それに取引は駆け引きが基本とはいえ、互いに納得できる範囲を見極めなきゃ。信用何て生まれないでしょ」
「ぐっ、正論だ。反論の余地がないほどの正論だ。絵美。かなり手強いよ、この青年は」
「はいはい。分かったから、それより何時までも話の腰を折らないで頂戴」
絵美の声のトーンが変わった。これは彼女が起こる一歩手前であることを知っている和彦は、すぐに雑誌を閉じるとテーブルの上に置いた。
「…そうだな。そうするとしよう」
絵美に叱られ、ようやく大人しくなった和彦を横目に、仁成は絵美から魔人について幾つか気になる点を聞き出した。そして―――。
「只野君。本題に移らせて欲しいのだけど、いいかしら?」
絵美との質疑が一段落したタイミングで、香が切り出した。
「良いよ。というか、俺が此処から出るか出ないかでしょ?」
「えぇ、その通りです」
「一応、誤解されてたらあれだから先に言っておくけど、俺は別に此処に拘ってるわけじゃないからね?」
「詳しく教えてくれるかしら?」
「その前に、望月夫妻は何処まで俺のこと知ってるの?それ次第じゃ、此処から退室してもらうか、場所を変えないといけないでしょ?」
「そうだったわね。近藤中佐、お願いできますか?」
「分かった。教授、絵美さん。申し訳ありませんが私と退室を。ここからはまだ公開されていない情報が幾つか関わってきます」
近藤は立ち上がると、二人を促すように扉に手を向けた。
「分かった。只野君。雑誌の件、忘れないでくれよ」
「もう和彦さん。只野君。あまり本気にしないでね。それじゃ、また会える日を楽しみしているわ」
「どもども。こちらこそ、色々と教えて頂いてありがとうございました」
三人を見送った仁成は、冷めてしまった珈琲を淹れ直し、渡辺の対面に再び腰を下ろした。
「さて、さっきの続きだけど…。その前にまず、この会話は記録してるよね?」
「…えぇ。映像もあります」
「それを切ることは?」
「規則上、無理とだけ」
「そっか。なら仕方ない。まぁ、記録されてようがあまり関係ないか。俺が警戒しているのは精神に働きかける魔法。特に洗脳や催眠、あとは隷属かな。そういった他人の意思を無視して、強制的に従わせる魔法があるんじゃないかと思ってる」
その口調から、仁成が精神系魔法はあると確信していると香は感じた。
少しの間をおいて、香は慎重に口を開く。
「何時から、只野君はその可能性を考えていたのかしら?」
「気付いた」とは言えない。それを言えば、精神系魔法があると肯定するようなもの。香が肯定も否定もせずに、仁成にそれとなく伝えることが出来る最大限の言葉が「可能性」だった。
仁成も香の立場上、肯定も否定もする事が出来ない事は承知している。だからこそ、香の最大限の配慮に笑顔で感謝を伝える。
「魔法生活。この中に魔獣を使役するには幼体から育て、魔道具による服従させる必要があるみたいなことが書かれてる。それに、月夜を見た人達の反応は皆同じだ。そして口々に「本当に大丈夫なのか」と確認してくる。これは明らかにおかしい。この雑誌がゴシップなら、その反応も分かる。だけどもし魔獣の使役が可能で実現しているなら、軍や魔物狩りと呼ばれてる連中の中には使役している者もいるはずだ。なのに、皆が緊張した顔を向ける。それは何故か。保険となる魔道具を付けていないからだ」
そこで仁成は一度話を区切り、珈琲で乾いた口を湿らせた。そして、香が何か言い掛けようと口を開くのを止める様に、再び話始めた。
「方法もある程度想像がつく。この雑誌に書かれている様に、生まれたばかりの幼体から信頼関係を結んで、保険として魔道具で服従を強いる。または、家畜化」
「家畜化…」
仁成の口から出るとは思わなかった言葉に、香は息を飲む。そこまで予想されているとは思ってもいなかった。
「そう家畜化。例えば、遥か昔から人によって家畜化されて来た犬や馬と言った動物は、魔物化しても再度家畜化しやすいんじゃないかな?知らんけど。魔物が何時から居るか知らないけど、百年もあれば捕獲した魔物の中から、人に従順な個体を選別。そして交配させて世代を重ねることで、魔物でも一定の家畜化に成功してるんじゃないかな?知らんけど」
香はただ黙って仁成の話を聞いていた。返事をすればうっかり口が滑るかもしれない。だからこそ、彼女は慎重に為らざる負えなかった。
「これは俺の予想だけど、おそらく完全な家畜化には成功してない。もし成功してるなら、魔道具なんて必要ないからね。そして、ある程度成長した個体…違うな。ある程度変異を繰り返した魔物は、魔道具だけでは服従させられないんじゃないかな?」
「…ふぅ。あまり虐めないでくれないかしら?」
「あぁ、ごめんごめん。虐めてるつもりはないよ。でも、もう少し付き合ってよ。これもおそらくだけど、高位の魔物を従わせるために魔道具と魔法を併用してる可能性が高いね」
「はぁ…。本当に魔法が無い世界から来たの?」
降参とも取れるその質問に、仁成はにんまりとした顔を香に見せた。
「まぁ、あっちの世界だと魔法が出て来る創作物には、隷属魔法のような精神系魔法は定番中の定番だからね。この雑誌のおかげで、魔法があるかもしれないと頭の片隅には置いてから、初めから妄想してたし」
「何を妄想してたのかしら?」
香は仁成の表情から、何を妄想したのか何となく察してはいたが、敢えて聞いた。
「そりゃ、もちろん美女を洗脳してあんなことやこんなこと?かな」
「これだから男は…はぁ」
「健全と言って欲しいかなぁ~」
「そうね。ある意味、健全な証拠ね。ふふふ」
仁成のおどけた口調に、香はようやく笑顔を返した。




