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ただの人也。  作者: 梅酒
彷徨う魂
13/51

013「分かれ道 3」

 瘴気が広がって二週間。この日、仁成は朝早くから景月陸将補との取引のために出掛ける準備をしていた。

 時刻はまだ午前六時を少し回った所。出掛けるのは三時間後。

 仁成は出入り口にしている裏口の手前に、二台のカートと強化外骨格を運び終えると、朝食の準備のために四階に戻って行った。

 用意したカートは、琥珀たちが使っていたワゴンタイプのカートを改造して、貨物列車の様に一人でも運べるようにしたもの。その内の一台には、例の使えないガラクタその2(アサルトライフル)が入っている。

 ガラクタその1(強化外骨格)は月夜に運んで貰う手はずとなっている。

 そこから分かる通り、今回のメイン戦力は琥珀と千影。既に二頭は通常の大型犬を超える体躯に成長し、そこらの魔獣では太刀打ちできない戦闘力を有している。二頭は仁成と月夜を護る様に、前後に別れて歩いていた。

 仁成は琥珀と千影を信頼し戦闘を任せているが、月夜の眼にはまだまだ弱いらしい。

 彼女の番だった魔獣は、今の彼女よりも強く、あの灰炎に傷を負わせるほどの個体だった。だからその分、我が子にかける期待も大きいのかもしれない。

「さっさとこんなガラクタ売り捌いて、美味しい飯をゲットだ」

 仁成が送った返事には、特に強調して欲しい物が書いてある。それが月夜達の餌。

 灰炎がホムセンを潰したせいで、手に入らなくなったそれぞれがお気に入りの餌を、大きい文字で書いて送っている。ただ手に入らない場合は、類似の餌をとお願いしていた。


「やっぱり、影響が大きいなぁ」

 朝食を終え、屋上で移動ルート上の偵察をしていた仁成は、その途上に散見する魔物の群れや個体の数にうんざりとしていた。

『小僧の仮説が正しいとすれば、これまで棲み処にしていた場所の魔素が増え、それに耐えられない魔獣が四方に散ったのだろう』

「はぁ、めんどくさ」

 この二週間、仁成は警察署から一歩も外に出ていない。敷地内に入って来る魔物を間引いては、それらを月夜達が少し離れた場所に運んで処理していた。

 仁成が予想した通り、靄が広がったことで周辺にいた魔獣が一つ外のエリアに押し出され、さらに元から居た魔獣がさらに外のエリアに流れていき、その連鎖は止まることなくドミノ倒しの様に続いた。

 その結果。魔獣の大移動がそこら中で行われ、町全体に大きな影響を与えていた。

 しかし、予想以上に靄から離れたエリアに移動した魔獣が多かったことで、警察署周辺をうろつく魔物の強さや質が上がり、その対処に追われる羽目にもなっていた。

 そして警察署より先に残っている魔獣のほとんどが、琥珀と千影では手こずる個体や群ればかりになっていることも、仁成にとってはよろしくない状況になっている。

 ただ、逆に雑魚が居なくなったことで、町は一定の秩序が生まれていた。これは仁成の経験則だが、魔獣はある程度格が上がるにつれ、知能も上がる。そのおかげか、無駄な戦闘を避ける群れや個体も多くなる傾向にあった。もちろん、好戦的な魔物も残っているが、少数しかいないためあまり気にしていない。

「所で月夜さん」

『何だ?』

「土手でこそこそ動いてる奴等がいる様だけど、気付いてる?」

『良く気付いたな。気付かなければ、降りる前に教えてやるつもりだったんだがな』

「さいですか。あれ、景月さんの所の部隊じゃないな」

『分かるのか?見てくれは同じだが?』

「軍ってのは所属が分かる様に部隊毎にそれを示す何かが統一されてる事が多い。紋章だったり、旗だったりな。あいつらの来てるガラクタ1。色と迷彩が少し違う。たぶん別の部隊だ」

『それで?どっちだ』

「分からん。たぶん、俺を捕まえたい奴等の手先だと思うけど…。まぁ、出発は後回しで、あいつらが此処に来るかどうか見極めてからにしようか」

『子らはどうする?』

「署内で待機。顔は出さない様に。いざってときはさっさと逃がす」

『それでいいだろう。さて、来るまで寝ているか』

 月夜はそう言い残し、屋上から階下に降りて行った。その背を見送った仁成も、気付かれない様に屋上からこそこそと東から近づいて来る一団を観察し続けるのだった。



 日ノ本軍は師団あるいは旅団に編成され、日ノ本各地に配置され国防と同時に各地の瘴気汚染区域の対処に当たっている。

 景月陸将補が率いる第20旅団は、中国地方瀬戸内海側に拠点を置き、山陽方面にある三か所の瘴気汚染区域を担当している。その内の一つが仁成がいる岡山県にある花衣町である。

 花衣町には、第20旅団第45連隊が、日夜区域外に出ようとする魔物の討伐とその監視を行っている。


 基地内の第20旅団本部にて、景月陸将補は本営から届いた通達に目を通し、目論見通りに事が進んでいることにほくそ笑んだ。

「第四師団が請け負ってくれるそうだ。わざわざ師団長の佐山陸将からの手紙も添えられている」

 景月は真田に佐山からの手紙を渡すと、ほくそ笑んでいた顔を元に戻し、花衣町の地図に眼を落とした。

「あちらは罠とは考えなかったのでしょうか?」

「いや。おそらく佐山陸将も分かっておいでだ。分かった上で、敢えてこちらの誘いに乗って下さったのだろう。手紙からもそれが何となく分かる。送られてくる部隊もわざわざ再編した大隊。急先鋒の太刀山議員以下、他国のスパイ紛いの連中の子飼いを集めた部隊になっている」

「あぁ、なるほど。佐山陸将からしても、失っても痛くない戦力ということですか」

「その通りだ。多くの方が佐山陸将のことを左派と思っている。まぁ、それ自体は間違いではないのだが、あの人自身はただ任務に忠実なだけで左派寄りの中立派だ。出世のこともあって左派寄りに見せているが、実際は興味が無いそうだからな。甘い汁を吸えるだけ吸って、引退するつもりだろう」

「何と言えばよいのか…」

「仕方あるまい。例え能力があっても、後ろ盾がないと数年で退役コースに乗せられるのが将官だからな」

 一見すれば、第20旅団の作戦担当区域を第四師団が侵した越権行為。さらに言えば、景月達の手柄となる作戦を、そっくりそのまま奪われてしまった形である。なのに、景月にそれらに対する憤りは微塵も見られない。

 それは何故か。

「それにしてもタイミングが良かったです。ドイツでの作戦前とはいえ、余計な損害は出したくありませんでしたから」

「本当にその通りだ。おかげで此方は労せずに、彼との安全な交渉場所を確保できる」

 約一月後。第20旅団麾下の魔導兵1000人が、数名の魔人と特級魔法士と共に、友好国ドイツに派遣されることになっている。そして、異国の地にて灰炎よりも格上の魔物の討伐作戦が進めれていた。

 外国に急遽派遣されることになった理由はもちろん、仁成が関わっている。

 数か月前、日ノ本軍は灰炎討伐を予定していた。それに向けて友好国ドイツから数名の魔人と特級魔法士。そしてドイツ軍の一部隊が派遣されて来る予定だった。だが、仁成が討伐したことで作戦そのものが立ち消えた。

 そのため、来年予定されていたドイツ国内の討伐作戦が繰り上がり、予定の空いた第20旅団から援軍の派遣が決まったのである。

 そんな中で第20旅団から出された甲牙討伐作戦の立案書。大事な派遣前に国内戦力を減らしたくない本営はもちろん拒否しようとした。だが、そこに目を付けたのが、仁成を利用しようとする急進左派の連中だった。

 軍に圧力をかけた急進左派は、山陰方面に展開する第四師団に作戦を代替えさせ、右派寄りの景月に恩を売りつつ、甲牙討伐と同時に仁成とその隷下にある魔獣の捕獲を目論んだ。これが景月が仕掛けた罠であるとも知らずに。

 唯一これが罠であると看破した第四師団師団長佐山だが、彼は来年定年が決まっている。ここで逆らうより、適当な戦力を送って左派連中を満足させることを選んだ。そのついでに、自身の後任のために面倒な者が集まる部隊を生贄にした訳である。

「しかし、よろしいのですか?」

「問題無い。甲牙が討伐されずとも、こちらに損害はないからな」

「いえ。そちらの心配していません。討伐に失敗したとしても彼の身柄を確保こと事態を諦めるかどうか。それを心配しています」

「…おそらく、それも心配しなくてもいい。それより、予定通りこちらも動く」

「了解しました」

 真田が退室した部屋で、景月は仁成から送られてきた一通の手紙を引き出しから取り出すと、その中に一枚だけ紛れていたメモ用紙を手に取った。

『銃口向けられたら、撃退するから。用意もしてるし、来るならいつでもどうぞ。ちな、これ景月さん宛じゃないから、黙ってても良いよ』

 それだけ。たったそれだけが書かれたメモ用紙が一枚。景月宛の手紙に同封されていた。



 瘴気汚染区域内で活動するためには、高い瘴気耐性を持つ魔人か、瘴気対策が施された魔導鎧や装備が必要になる。また、魔物を相手にするために魔導銃を始めとした魔導武器が必須となっている現代において、準魔法士以上である事が常識となっている。

 日ノ本にはこの汚染区域に立ち入ることが許されている職業が二つ存在する。一つは軍内の魔導兵部隊。もう一つは魔法師資格を持ち、瘴気対策装備と魔導武器を持つ民間の魔物狩り(ハンター)

 日ノ本各地に点在する師団や旅団内には、汚染区域専属とも呼べる部隊が連隊、あるいは大隊規模で編成されており、通称魔物狩り部隊として知られている。

 そこに所属する隊員全員が一定の基準値を超える魔力を保持し、魔法師資格を持っていることは当たり前だが、対魔物に特化した訓練を日々行っている。


「渡辺少佐。望月女史が到着されました」

「すぐに行きます」

 第20旅団特殊魔導戦技第32連隊に所属する渡辺香は、花衣町を囲むように設置された関所の一つに、数日前から麾下の中隊と共に待機していた。彼女が指揮するこの中隊こそ、今回の仁成との取引に選ばれた部隊である。

 特殊魔導連隊は、隊員全員が魔法師であることはもちろん、厳しい選抜試験を潜り抜けた者だけが集う精鋭部隊である。

 日ノ本軍の連隊編制数は3000から3500人となっているが、後方勤務者以外の隊員が魔力を有する魔導兵で構成される関係で、特殊魔導戦技の定員数は2000人前後の半個連隊規模となっている。そのため、それ以下の隊編制数も通常編制数よりも少なく、大隊は凡そ500から700人。中隊は200から300人。小隊は50人となっている。

 また少数精鋭であるがゆえに、作戦によっては佐官や尉官がその階級よりも下の部隊を指揮することもある。

 そして今回もその例の一つ。派遣された中隊を任されたのは、部隊の中でも経験と実力を兼ね備えた渡辺香少佐。その補佐には、自ら志願した紫雨大尉が付いている。

 そして今回の取引に合わせ、景月は特別な人物を部隊に同行させていた。


「望月絵里女史。改めて今回の交渉役をお引き受け頂き、隊を代表して感謝申し上げます」

 軍服姿で佇む女性に、渡辺は敬礼と共に丁寧に感謝を述べる。そして敬礼を解くと同時に、気さくに彼女に近づきその手を取った。

「久しぶりね、絵里従姉さん」

 渡辺の見た目は若く見積もって30代中頃。その反対に姉と呼ばれた望月女史は、どんなに高く見積もっても20代前半にしか見えない容姿をしていた。

 だが、両者はその事を気にすることなく話しを続ける。

「えぇ、10年ぶり?くらいかしら。お互い年取ったわね。少しは実家にも顔出しなさいよ」

「それを言われたら痛いわね。それと、絵里姉さん。私でも妬むわよ?」

「あら、ごめんなさい。でも、孫もいるんだけねぇ」

「相変わらずね。それで、話はどこまで?」

「なんでも私のファンの子が居るから、会って欲しいとしか」

「・・・」

 軽く返された返事に、渡辺はわざとらしく眼を細めて姉を睨む。

 それに対し、望月は今にも笑いそうな顔で見詰め返し、睨めっこが始まるがすぐに望月が噴き出して終わった。

「あははははは、冗談よ。もう、久しぶりに会うんだから、少しくらい付き合いなさいよ」

「はぁ。そうは言ってもね」

「魔人に覚醒した青年。それもこの町の市街地に半年近く滞在している。彼との対話を貴方達は望んでるけど、相手は沈黙を続けている。状況を打破するために、同じ()()である私に間に入って欲しい。で、あってるかしら?」

「そうよ。彼と半月ほど過ごした天月軍曹の話では、姉さんのグラビアが乗ってる雑誌を聖典として崇めてたらしいわ。特に姉さんの容姿が彼の好みらしいわよ」

「う~ん、何時の頃かしら?」

「雑誌名は魔法生活。こっちで調べたら、その雑誌名とは真逆のごりごりの専門雑誌。姉さんがヌードを一度だけ披露した雑誌だったわ」

「ええ~。それってもう30年以上前の話よ?何でそんな古い雑誌が残ってるの?しかも、私のヌードが掲載されてるって、廃刊が決まって最後に出た号でしょ?」

 その一言に彼女達の会話を、直立姿勢で聞いていた若い世代の隊員は驚きのあまり肩を少し揺らした。逆にそのことを知る中年隊員たちの中には、当時の彼女にお世話になった者も少なくないのか、緊張を滲ませた顔でその眼に焼き付けようと必死になっている者が多数いた。

 だが、全員を驚かせたのは彼らの上官である渡辺少佐が、彼女の血縁であるという事実だった。

「それが分からないの。この町が瘴気災害に見舞われたのは40年前の話よ。当時から数えても五年後に発行されたその雑誌があることも不思議なのよ。それに普通なら朽ちててもおかしくないけど、天月軍曹も手に取って見た感じでは状態はかなり良かったそうよ」

「不思議な事もあるものね?瘴気が何か関係してるのかしら?」

「それも分からないわ。絵里姉さん、久しぶりの瘴気汚染区域内の任務だと思うけど、お願いします」

「他の魔人の方々に比べれば、物足りないかもしれないけど、これでも二級魔法師ですからね」

「ありがとう」

「それにしても、写真で見た感じと違って、かなり大胆な子のようね。あの灰炎を合成獣と争わせて始末したんでしょ?」

「それには同意するわ。天月軍曹の証言から、作戦を考えたのも彼よ。それだけじゃないの。こっちが失ったと諦めかけてた天月軍曹の魔導鎧と魔導銃まで回収して、それを交渉材料に色々注文を付けて来たわ」

「本当に面白い子ね。会うのが楽しみね」


 順調に交渉場所である峠まで来た渡辺率いる中隊は、監視小屋が置かれている峠横の広場に立ち寄り、駐在している隊員から元灰炎を棲み処を中心に縄張りを置く『甲牙』の報告を受けていた。

「甲牙の討伐状況は?」

 戦闘の痕すらない耕作地帯を眺めながら、聞かずとも解ることを敢えて聞く香。それに応えるのは以前仁成に銃を渡した如月だった。

「甲牙は棲み処から離れず、健在。今だ派遣予定の部隊の姿見えず。予定では既に到着していてもおかしくありません」

「・・・なるほど。報告通りですね。関所であちらに何か問題が発生したという報告は受けていません。つまり、相手は甲牙など討伐する気は初めから無かったと見た方が良いわね」

「はい。既に連隊を通じて、先程本部には報告しました」

「よろしい。では引き続き監視を続行。私達もこの場で待機し、様子を見ます」

「了解。それにしても、本当に良いんでしょうか?」

「そこは私も懸念して、何度も真田大尉に確認したわ。でも、旅団長からの返事は援護不要。何かあるのは間違いない。でも、一人と数体の魔獣だけで大隊規模の魔導兵と戦えるとは思えないのよねぇ」


「それはどうでしょうねぇ」


 香と如月の会話に割って入ったのは、一緒に報告を聞いていた絵里だった。

「あら、姉さんはそうは思わないと?」

「えぇ。だって話を聞く限り、その子灰炎相手に近距離で戦ったんでしょ?」

「えぇ、おそらくね」

「あら?確定ではないの?」

「誰も彼が灰炎と戦っている場面を直接見てないの。ただ、天月軍曹を保護した後、全身が重度の火傷と炭化した対象を紫雨大尉が確認している。そこから、彼が灰炎の20m圏内まで近づいたのだろうと予想されているの。先日、この如月が対面した時には、ほぼ完治していたそうよ」

 どうなの?と言いたげに香に視線を向けられた如月は、姿勢を正して絵美に向き直った。

「はい。報告では三度以上の火傷が全身に広がり、脚の一部は骨が覗いていたと認識しています。ですが、私が二週間前に会った時には、頬や首周りの一部を除いて火傷の痕は見つけられませんでした」

「凄い再生力ね…。私じゃ再生が追い付かずに死んでるわよ。ますます会うのが楽しみ―――」


「甲牙動きました!一直線に南に、市街地に向かっています。他にも多数の魔物が南に向かって移動を始めています」


 緊急報告を受け取った香と如月は、状況をその眼で確認すべく監視小屋に急いで向かった。

「貸しなさい」

 監視小屋に入って早々、香は隊員から遠望境を取り上げると眼下に広がる耕作地帯を見渡した。

 遠望境が映し出す拡大された雑草が生い茂る田畑の中を、多数の魔物が雑草を薙ぎ倒しながら、一直線に同じ方向に向かって走っていた。

「どういうこと?あれだけの魔物が居て、何故争う気配がないのかしら。それに、一体何処に…地図!」

 香の指示に、監視小屋に詰めていた別の隊員が慌てて地図を小さな机に広げた。

 広げられた地図と睨めっこを始めた香は、魔獣達が進んでいる方向を指でなぞり、その先がある一点に向かっていることに気付く。

「警察署…」

「甲牙。監視範囲から離脱。他の魔物も次々と監視範囲から離脱していきます」

「如月曹長。あなたの隊はこのまま北エリアの監視を続行。同時に本部に報告。魔物の移動先は警察署である可能性大である事を伝えろ。応援要請も忘れるな。それとこちらが撤退を決断した場合、望月女史の護衛として共に撤退を開始しろ」

「了解」

 指示を出し終えた香は、外で待っていた絵里を伴って中隊が待機している広場まで戻った。


「紫雨大尉。休憩終わり。全隊を集めろ」

 中隊に合流した香は、休憩中の隊を集合させると矢継ぎ早に指示を出し始める。

「聞け。既に見て分かっていると思うが、甲牙を含む魔物が一斉に南に向かって走り始めた。目的地は警察署と予想されるが、確定ではない。これより隊を三つに分ける。西川少尉。貴様の小隊はこの場で望月女史の護衛として残す。望月女史の身の安全を最優先に撤退判断を与える。如月曹長の監視部隊も護衛に加えて即時撤退を許可する。撤退時、私か紫雨大尉への報告のみで許可を得る必要はない」

「了解」

「次。小暮少尉の小隊を抽出。同小隊は私と共に正面の小山に昇り、偵察を行う。残りは紫雨大尉の指揮で峠道を封鎖。こちらに流れて来た魔物の対処。行動開始」

 指示を出し終えた香は、小暮少尉に準備を行う様に改めて指示を出すと、西川少尉と絵里を伴い如月曹長の元に足を運んだ。

 如月曹長に西川少尉と絵里を紹介し終え、その場で改めて西川に撤退判断の譲渡を行った後、小暮少尉たちと共に峠道の南にある小山。その藪の中に姿を消した。


「どうだ?」

「ここからでは警察署までは見通せない様です。ですが、おそらく予想は合っているかと」

 小山の頂上付近。その南側の傾斜沿いまで進んだ香は、そこから市街地方面を見下ろしていた。

 しかし、肝心の警察署との間には小さな古墳跡があり、目視での確認は困難だった。だが、峠道からは今いる小山に遮られていた激しい戦闘音が、彼女達の耳にも届き、時折空に向かって雷電独特の射撃光が伸びているのが確認できた。

「どうしますか?」

「何もしない。上からは何が起きても手出し無用。自分達の安全を最優先に撤退も許可されている。本部からの指示があるまで偵察を続行する」

「了解。それにしても、もしあれが例の青年の仕業なら、恐ろしいですね」

 小暮が漏らした感想に、香も同じ事を考えていた。同時にタダノヒトナリという青年のことを甘く見ていた自分に気付く。

 もし本当に接触対象が、魔物を呼び寄せる手段を持ち、それを何の躊躇いもなく実行する精神の持ち主なら―――。

「頭のネジが一本どころか、全て飛んでても驚かないわ」

「ははは。確かにその通りですね」

 それからしばらく、紫雨からの連絡が来るまでの間、香達は鳴り止まぬ銃声と魔獣のあげる凶器の雄叫びを聞き続けることになった。



 自ら偵察に出た香に代わり指揮を任された紫雨は万が一のことを考えて、望月を峠を西に降りた先にある要塞化済みの汚染区域内拠点まで後退させることにした。そこには後方支援のために小隊が待機しており、それを合わせれば望月の護衛は二小隊になり、撤退に十分な戦力と判断したためである。

「本当に良いの?これでも二級魔法士ですから、戦力になると思うけど」

「御提案感謝します。ですが、望月女史は正式な任務で派遣されたわけではありません。民間からの協力という形での参加ですので、自衛以外での戦闘をさせる訳にはいかないのです。どうか、ご理解ください」

「それなら仕方ないわね」


「紫雨大尉!二頭の犬型魔獣がゆっくりとこちらに向かってきています」


 望月を送り出そうと峠の西側にいた紫雨は、その報告を受け護衛小隊の体長を務める西川に合図を送ると、絵美に「こちらは御任せ下さい」と一言残し背を向けて歩き始めた。

「特徴は?」

「二頭とも報告のあった対象と共に暮らす魔獣と特徴は一致。内、茶毛の魔獣の首に筒状の物体が下げられています」

「分かった。発砲はせず待機」

「了解」


 通信が終わり、紫雨は足早に峠道を封鎖している東側に戻ると、そこには既に大人しくお座りをした状態の二頭の魔獣の姿があった。

「紫雨大尉。先程からあの状態です」

「分かった。岳軍曹」

「はい」

「ついて来い。天月を保護した時、あの場にいたのは私と軍曹だけのはずだ」

「了解」

 紫雨は防衛線を張っている隊列から、岳軍曹のみを連れて出ると、ゆっくりと二頭の前まで近づいて行った。

 およそ5mほど手前で一度止まり、二頭の様子を窺う。

 二頭は特に気にした様子も無く、真っ直ぐと紫雨と岳の顔を見詰めると、ゆっくりと二人に向かって歩き始めた。

「わう」

 二人の目の前まで来ると、首から筒を下げていた茶毛の魔獣が一声鳴き、顔を上に向けて筒を紫雨に見せた。

「・・・取れと言ってるのか?」

 何となく呟いた一言。天月の話から人の言葉を理解している。そう聞いていた紫雨は自然と尋ねていた。

「わう」

 それに返事をする様に再び茶毛の魔獣が鳴く。

 恐る恐る、慎重に筒に手を伸ばした紫雨は、それが水筒である事にようやく気付いた。

 水筒と魔獣を繋げていた紐を解き、魔獣から水筒を受け取った紫雨は、その場で軽く振ってみる。

ーカラカラー

 その音から、中身は液体ではなく個体であることが分かり、慎重に水筒の蓋を開け中身を確認した。中には丸められた一枚の紙が入っており、文字も見えた。

「確かに受け取った。君達はどうする?水と食事なら、運んで来た物資のなかにあるから用意できる」

 紫雨は水筒から目を離し、二頭の眼を見ながら話しかけると、二頭はそれぞれ返事をしてから、紫雨の横を通り過ぎて物資が積まれた荷車の方に向かって歩き始めた。

「やれやれ。物資の在りかは把握済みか。軍曹。着いて行って、水と餌を出してやれ。確か茶毛が赤。黒毛が青の袋だったはずだ」

「了解」

 岳が小走りで二頭のすぐ後ろについて行き始めると、紫雨は中隊全体に二頭に手出し無用を通達し、香に連絡を入れるのだった。

「こちら紫雨大尉。渡辺少佐。応答願います。どうぞ」

「こちら渡辺。何があった?どうぞ」

「はっ。対象から伝言を携えた子魔獣二体が現れました。今は水と餌を与えています。一度こちらにお戻りになりますか?どうぞ」

「いや、読み上げてくれ。それと警察署周辺だが、悪い予感が当たったようだ。正確な状況は古墳があるせいで不明だが、派遣大隊が戦闘をしていることは確実な様だ。どうぞ」

「了解。本部に報告しておきます。では、読み上げます」


『そっちに避難させた琥珀と千影に水と食事をあげといて。持って来てくれた物資の中にあるでしょ?取引は後日でもいいし、そっちの判断に任せるよ。一応、昼くらいにはそっちに行くつもりだけど、来なかったら日を改めた方が良いと思うよ。その時は、これに日程だけ書いて琥珀に括りつけておいてよ』


「…夕刻まで待ちます。その後、監視のみを残して全隊で拠点まで後退。本部からの指示が届けば、それに従って行動します。以上」

 その後、本部からの指示で待機していた香達は、合流してきた部隊と共に行動を開始した。

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