010「崩壊した町で 10」
「天月!無事か!」
名前を呼ばれた天月は、すぐにベンチから立ち上がると声のした方向に身体を向けた。
「紫雨隊長」
峠道の頂上付近、そこには天月が所属する部隊の小隊長紫雨隆文を筆頭に、見慣れた装備に身を包んだ隊員達がいた。
彼らは慎重に峠道から降りて来ると、テニスコート周辺に展開し、紫雨を含む数人の隊員が天月に駆け寄った。
「天月。まずはこれを身に付けろ」
紫雨は汚染区域に侵入する際に着用する保護マスクと錠剤一粒を手渡した。
それを受け取った天月は、すぐに錠剤を口に含み、マスクを着用する。
「無事で何よりだ。通信からすぐに予定を変えて此方に向かったが、丁度良かったな。それで、例の民間人は何処だ?」
「はっ。魔人化していると思われる民間人は土手に親魔獣と共に残り、子供の魔獣二体は私をここに運んだ後、姿を消しました。申し訳ありません」
天月は自分の失態を隠さず報告したが、紫雨は特にそれを気にするそぶりは見せず、すぐ隣の隊員に目配せをした。
「分かった。佐那曹長。汚染度を計れ」
「はっ。天月軍曹、ベンチに座れ」
「はっ」
佐那は一見すると小さな単眼境に見える機器を取り出し、天月の眼に当てた。
当てられた機器をしばらく眼を開いたまま見続けること一分ほど、機器から小さな音が鳴ると同時に当てられていた機器は取り外される。
「計測終わり。汚染度4。錠剤では無理だな。点滴に入ります。天月、腕を出せ」
汚染度4の言葉に天月は一瞬眉間に皺を寄せる。だが同時に半月近く高濃度瘴気汚染区画にいた割には、汚染が進んでいなかった事に安堵もした。もし汚染度が5まで進んでいれば、例え除去に成功したとしても魔力障害が残る危険性が高く、最低でも一年から数年単位のリハビリが必要になる。それこそ、汚染が6に達していれば、魔法士としての未来は閉ざされていたかもしれない。
まだ汚染が4なら年内で除去とリハビリは済む段階。だがその代償に、天月は除染が済むまでの間、汚染区域の侵入が出来ない。
それはつまり、仁成の捜索には参加できないことでもあった。
「ぎりぎりだったな。点滴を受けながらでいい。例の民間人は残ったとはどういうことだ?」
「はっ」
天月は二級相当の合成獣が河川南側に現れたことから、仁成が天月に時間がないことを考慮して、灰炎を合成獣にぶつける作戦を即興で考え、それを実行した事。そして親魔獣が合成獣を引き連れるまでの囮として、仁成が土手に残った事を告げた。また紫雨たちが現れるまで、その内の二体の魔獣が自分といた所まで、要点のみを報告した。
「なるほど。その民間人は魔法に関しては素人なのだな?では、魔人化しているとはいえ、あの灰炎相手に生きている可能性は低いな」
天月達の耳裏には、緊急時用に通信機器が埋め込まれている。この通信機器によって、天月はホムセンにいた時から度々通信を行っている。
しかし、落下時の衝撃で受信機能が破損しており、天月側からしか情報を発信できなかった。また、人の言葉をある程度理解している月夜の監視下での通信は、彼女の目的を気取られる可能性が高く、危険を伴うものだった。
そこで天月は、暇つぶしに見せかけた鼻歌にモールス信号を乗せて、自分の位置や仁成たちの情報を送り続けていた。
しかし通信機器の内部電源は有限のため、全ての情報は送れていない。そんな中でも大まかな脱出計画も送信していた。
軍の方はその情報を元に、脱出決行日に合わせて天月と件の民間人を回収する部隊が送られていた。ただ、天月たちがどちらのルートを通るか分からなかったため、西と東の両方に部隊は派遣されている。
そして、数時間前に送られてきたモールス通信を元に、今こうして紫雨たちは天月と合流できたわけである。
しかし、天月と同時に回収予定の民間人と魔獣の姿が無い事に、改めて現状報告を受けた紫雨は、仁成の生存はほぼ無いと判断した。
「仕方あるまい。今は君だけでも無事だったことを喜ぶべきだろう」
時は仁成たちがまだホムセンにいた頃に戻る。
カートの改造を終え、店舗内で琥珀たちに訓練を兼ねた運動をさせていた頃、仁成は天月が何時も同じ時間に鼻歌を歌っていることに気付いた。
そこから彼女が鼻歌を歌う時間になると、気付かれない様に棚の陰からそれを聞くようにした。
歌っている鼻歌は毎回違う。だが、どれも最初と最後が同じリズムである事や、たまに無理矢理繋げたような歪なリズムに変る事を不審に感じた。
夕食時、それとなく軍に連絡を取る手段はないのか聞いた所、天月からは「装備と一緒に完全に壊れた」としか言われず、またホムセン内に残っていた機器では通信を飛ばせても数百mが限界であるとも聞かされた。
そんなことあり得るのか?と最初は疑った仁成だが、彼女の説明を聞き終えた後は、ある程度その理由に納得もした。
だが、全てを信じたわけではない。彼女は言った「悪いようにはしない」と。それはつまり、場合によっては仁成の立場は悪くなると言っている様なものだった。
この時、仁成は彼女に色々と話し、見せ過ぎたと後悔した。特に自分の私物を説明のために見せたのは良くなかったと反省している。
そして自分でも彼女が歌う鼻歌を口遊み、何度か繰り返すうちに暗号通信の類、例えばモールス信号などの特定の音の組み合わせで通信している可能性に気付くと、警戒を強めた。
最悪は敵対する可能性もあることを考慮して、仁成は準備を進めていた。
何故なら、仁成はこの世界の常識を知らなければ、彼らが自分のことをどの様に判断するか分からなかったからだ。
ただ、天月が完全な悪人という訳ではない事も仁成は理解している。
彼女は軍人で、上の指示に従う義務がある。仁成は異世界から来たと宣い、魔獣を従えているようにも見える不審者に、おいそれと情報を与える危険を冒すことは出来ない。
この世界においては、仁成が異物であり、居るはずがない存在。この世界にとって、天月の方が正しい行いをしていることは間違いない。
だが、だからこそ仁成は天月と共に行くか迷った。
この世界で唯一、接触した人間である天月が善人だとしても、彼女の上官、所属する国家が、自分をどのように扱うか分からない。
仁成が彼女を見捨てず助けたのは、自分とこの世界を繋がりを完全に立たない為である。話合いの窓口を置いておく、そのくらいしか仁成には思いつかなかったとも言える。
もし天月が共に過ごした二週間の間に、仁成に上辺だけの情報を与えず、ある程度仁成の状況を説明できていれば、また違った選択があったかもしれない。だが、天月にも仁成を完全に信用する事が出来ない理由があった。
結局、互いの立場と状況による擦れ違いが、仁成に現段階でこの世界の人間との必要以上の接触をしないことを選ばせた。
月夜は河川で自分と仁成の身体を冷やし終えたあと、二体の魔獣の戦いに巻き込まれない様に土手沿いを北上し、そのまま琥珀たちと合流するつもりでいた。
しかし、月夜の全力疾走で揺れる振動は、そのまま仁成に伝わっていた。
「があああ」
まさか仁成の意識が戻っているとは思っていなかった月夜は驚き、すぐに足を止めた。
「すぎよ。ろろしてぐれ゛(月夜。降ろしてくれ)」
僅かに開く口を必死に動かし月夜に伝えるが、彼女はまだ降ろすつもりが無いらしく、揺れない程度に速度を落としたまま走り続けた。
そして、十分に鰐との距離が離れたと判断したのか、土手上に仁成を降ろした。
降ろしてもらった仁成は顔だけを傾けて、1㎞ほど離れた場所で戦う熊と合成獣を見詰める。
「あ゛りがど(ありがと)」
仁成の声は殆ど聞き取れないほど擦れていたが、月夜はそっと仁成の身体に寄り添うように寝そべり、怪獣同士の戦いを観戦し始める。
月夜も何だかんだで仁成に付き合うあたり、興味があったのかもしれない。
「ひひひ」
自分を瀕死の状態にした熊が、格下相手に想像以上に苦戦している姿を見て、仁成は焼け爛れた顔を嬉々として歪め笑った。
「あ゛あ゛。ごんな゛に゛なる゛な゛ら、づいでげばよ゛がっだがな(ああ、こんなになるなら、ついて行けばよかったかな)」
口を開き声を出す度に全身に激痛が奔り、天月について行けばよかったと少しだけ後悔した。
『しばらくすれば治る』
「ん゛?だりゃだ?(ん、誰だ)」
月夜を除けば、今ここに居るのは仁成しかいない。だが、仁成は誰かに声を掛けられた。
『私だ』
その声は仁成の頭に直接届く。いわゆる念話。
「ずぎよぎゃ(月夜か)」
『あまり驚かないな』
「お゛どろいでる゛。だだ、い゛だい(驚いてる。ただ、痛い)」
あまりにそっけない仁成の反応に拍子抜けした月夜は、再び視線を熊と合成獣に向ける。
『あれを逃がしたのは慈悲か?』
仁成からの返事はないが、月夜は戦いの結末を見守りつつも、語り部は止めない。
「わうい゛に゛んげんじゃない゛(悪い人間じゃない)」
『あれは確かに悪ではないのは確かだ。が、善人とも言えぬだろう』
「ひひひ。だじがに。ぐんじん゛だがら。じがだない゛(確かに。軍人だから仕方ない)」
『軍人だから?』
「ぐんじん。うえ゛がらの゛めい゛れ゛い、ぜっだい(軍人。上からの命令、絶対)」
『難儀な連中だな』
「でも、ひじんどうでぎめいれ゛い。きょひでぎるはず(でも、非人道的命令。拒否できるはず)…あれ゛?ごえ、すごしずつ、よぐなっでる。なん゛で?(あれ?声、少しずつ、良くなってる。何で?)」
少しずつ、だが確実に仁成の声は戻りつつあったが、当の仁成本人は何が起こっているのか分からず、少し困惑した顔で月夜に視線を向けた。
『魔人化の影響だろう。少しずつ自己再生が始まっている』
「まじん゛が?どっかでぎいだな゛(魔人化?どっかで聞いたな)」
『あれが話していただろう。人の場合は「魔人化」と呼ぶと』
「あ゛あ。ぞんなごどいっでだな。ずっかり、わずれてだ(あぁ、そんなこと言ってたな。すっかり、忘れてた)」
『…仁成。まだ追いつけるが、どうする?望むなら送ってやる』
「ざいせい、ずるならいい。じょくりょうもまだもづ(再生するならいい。食料もまだ持つ)」
『そうか。これからどうするつもりだ?』
「げいざつしょ、にもどる。ホム゛ゼンづぶれでる゛だろ(警察署に戻る。ホムセン潰れてるだろ)」
『わざわざ危険な場所に何故だ?』
「あぞこ。まじゅう゛も゛ひどもぢかつがない(あそこ、魔獣も人も近付かない)」
『それもいいかもしれないな。それにしても、さすがにあの中に入りたくはないな』
月夜が言うあそことは、警察署ではなく大怪獣バトルの会場である。仁成たちが半月ほど過ごしたホムセンや大型蜘蛛の巣があったスーパーマーケットを潰しながら、二体の魔獣の戦いはさらに激しさを増していた。
仁成も二体の魔獣に視線を戻して、その結果を見守る。
丁度、合成獣が放った斬撃から発生した竜巻を受けた熊が、それに対抗して自信を中心にして火柱を上げている所だった。
それからしばらく、仁成と月夜は一言も交わさず、灰炎が自らの炎で焼け死ぬ瞬間までだた黙って見守った。
そして、仁成以上にその光景を嬉しそうに声を上げたのは月夜だった。
『ふふふ、滑稽だな。小僧を舐めた代償は大きかったな』
少し短めの尻尾は高速で回転し、まるで扇風機の様に残像だけを残していた。
もしかしたら、あの熊とは何か因縁があったのかもしれないと、仁成はその尻尾を見て感じた。
「お゛前ら゛どうずるんだ?(お前ら、どうするんだ?)」
月夜の言った通り、少しだけ声が戻り始めていた。その事に「人間辞めてんなぁ」程度の感想しか出て来ない仁成は、何故かそれを受け入れている自分がいることを不思議に思う。
『しばらくは私達も警察署にいよう』
「ぞっか~。め゛じ、はごぶかぁ(そっか~。飯運ぶかぁ)」
仁成の心配はただそれだけ。カートが無事であるように願い、月夜達の食料を警察署に運ぶことが、何よりも心配の種だった。
天月はすぐに撤退を始めようとした紫雨に頼み、一時間だけこの場に留まることを願い出た。まだ仁成が此処に合流してくる可能性を考えての提案だった。
それに対し、紫雨が下した判断は天月の提案の半分の時間だけ待つというのものだった。確かに瘴気汚染区域に長期滞在できる才能を持つ魔人は貴重だが、彼らの主任務は天月の保護であり、謎の民間人の確保は第二目標に過ぎなかったためだ。
仁成を待つ間、この半月の間に外では何が起こっていたのかを聞かされていた。
「雷亀が縄張りを変え、南東と南西の関所に魔獣が殺到…。南西は合成獣の影響かもしれません。奴は町の中心ではなく、南から姿を現しました」
「あぁ、その可能性が高いだろう。殺到した魔物を撃退後すぐに、南の地域に調査隊が派遣された。その経過報告で食い荒らされた魔獣の死骸が、東に向かって発見され合成獣も確認している」
「つまり、北しか私が脱出できる道は無かった訳ですか…」
「結果としてだな。河川地点にも部隊が待機していたが、そちらも合成獣を確認したと報告を受けている。脱出が一日早ければ渡河できたはずだが、河川に鰐の魔物が新たに確認された」
それを聞き終えた天月は俯き、自分の不甲斐なさを噛みしめる。立場的に軍人である天月が囮になり、仁成を逃がす選択をしなければならないところを、彼女は仁成に押し付けてしまった。
生きているかどうかさえ分からない中で、天月は唯一の道を切り開いた仁成に何も言えずに別れたことを後悔した。
「・・・はっ」
俯いた拍子に見えたポケットの膨らみ。そこには仁成からの伝言が掛かれたメモ帳が入っている。紫雨たちとの再会に安堵したあまり、その存在を忘れていた。
「これは?」
天月はすぐにポケットからメモ帳を取り出し、紫雨に渡した。
「只野仁成からの伝言が書かれたメモです。申し訳ありません。隊との合流に安堵するあまり、忘れていました」
「いや、いい。お前の状況はそれほどひっ迫したものだったということだ。さて何が描かれているやら」
メモを捲った紫雨は大きな溜息を吐き、メモ帳を閉じて天月に返した。
「なかなか捻くれた良い性格をしているな」
『これはもしもはぐれた時のために残した伝言だよ。信頼は隠し過ぎてたら得られないよ?もう少しこっちにもそっちの情報を渡して判断材料を与えてくれないと、信用していいのか分からないからね。まぁ、いきなり並行世界から来たとか言われても、スパイとか疑うよね。だから仕方ないとは思う。俺も天月さんと同じ立場なら疑うからね。あと、鼻歌。毎回、同じ時間に歌ってたら駄目だよ~。定期連絡入れてますって言ってる様なものだね。もし生きのびてたら、しばらくは警察署に居るつもりだから。用があれば訪ねて来てね』
日ノ本側は決して仁成を無碍に扱うつもりはなかった。丁重にとまでは言わないが、受け入れ態勢そのものは出来ており、保護するつもりでいた。
ただ、あまりにも隠し過ぎた結果、不幸なすれ違いが発生してしまったことは否めなかった。
「申し訳ありません。私が慎重になり過ぎました」
「天月の責任ではない。彼の存在はこちらにとって不確定要素だ。それに、こちらの救助も遅れ、連絡手段もなかった状態でよくやってくれた。少なくとも完全に拒絶されて無い事は解った。だが、警察署か…」
紫雨はメモの最後に書かれた場所に難色を示す。
そこは既に、一部の人類を除いた者達にとって足を踏み入れることが出来ない絶対侵入不可領域。
彼らでさえ、瘴気対策を厳に行った上でも活動時間は数日が限界。安全圏までの距離を考えれば、警察署付近に滞在できる時間はさらに少なくなるだろう。
もし対策なしに侵入すれば、一時間もしない内に瘴気による汚染度は4を超える危険領域。そこに平気で滞在できる仁成は、まさに異常な存在だった。
仁成が見た綺麗な白骨遺体の多くは、瘴気による汚染に耐えられず急性中毒死した者達。人以外の動物でさえ、中毒死で死ぬ確率が高い危険な場所だった。
現在町に跋扈している魔物は、その瘴気に順応した第一世代から世代を重ねることで、より瘴気に順応した個体である。
その中でも、灰炎などの一部の魔物は瘴気への順応が高く、自然界の掟である弱肉強食の中で生き残り続け、さらに魔物としての格を上げた怪物だった。
そして仁成は、人類でも数少ないその瘴気に初めから順応し、魔人化を果たした貴重な人間。
今の人類が瘴気に全く耐性が無い訳ではない。だが、高濃度瘴気汚染区域を自由に歩けるほど高くはない。
だからこそ、彼らは仁成を欲していた。
ほぼ生きている可能性は皆無だが、初めから瘴気に順応した純粋な魔人である仁成との接触。それが、今の彼らの最大の問題であり、最優先事項となった。
「もし生きているとするなら、何か接触するための方法を考えなければいけないな…!」
その瞬間、その場にいる全員の視線が東に向いた。
彼らの視線は小山に遮られたその先に向かう。天月の話から推測するなら、その場所は今まさに灰炎と合成獣が戦っている戦場。
特大の火柱が、空高く昇っていた。
「…」
誰も言葉を発することなく、ただ畏怖の籠る眼で火柱が消えるまで見詰めていた。
土手上。少しずつ身体を動かせるようになった仁成は、月夜に咥えられたままカートを隠した工場跡に来ていた。
「神はまだ俺を見捨てて無がったか。日本の八百万の神々に感謝」
まだ時折がなり声になるが、それでも人の回復力を遥かに上回る速度で、身体は治り始めていた。
そして、仁成の前には燃えずに残っていたカートが三台。倒れて傷がついているが、それ以外に損壊していない無事な姿で残っていた。
「琥珀たちは?」
『こちらに向かっている。しばらくすれば来る』
「なら、外に運び出しとくか」
カート三台を崩れかけの店舗から救出した仁成は、道の真ん中に座って琥珀と千影を待つ。
「そういえば、何で今になって話しかけて来だんだ?」
『小僧が聴こえてなかっただけだ』
「ありゃ、俺の問題だった」
『…私はただの魔獣ではない。人が生み出した人口魔獣と言える存在だ』
「ふ~ん。何の目的で?」
『一番の目的は常人では入れない場所。この町で言えば、中心市街地の調査をするためだ』
「やっぱ、人は入れないのね」
『生き物は基本的に瘴気に耐性がほとんど無い。魔獣の多くはそれに順応した個体だ。実験で生み出された多くの人口魔獣は耐性が多少高かったが、望む結果には程遠かった』
「月夜さんはその成功例な訳か」
『いや。私も彼らからすれば失敗例だ。彼らの望むほどの耐性結果は得られなかった。処分ついでにこの町の偵察をさせられたが、その時にそのまま逃げた。それから徐々に適応し、今日まで生き残っている』
「ふ~ん。んじゃ、人のこと好きじゃない訳ね」
『そうだな。好きかと聞かれれば、嫌いだな』
「琥珀たちの父親は?」
『死んだ。仇は先程燃えて死んだ』
「あぁ、あの熊か。だから嬉しそうだったのね。んで、その念話は月夜さん独自の能力みたいなもんかね?」
『分からない。私以外の人口魔獣も持っている可能性はある』
「俺でも使えるの?」
『教えろと言われても難しい。生まれながらに呼吸ができることを、小僧は説明できるのか?』
「出来ないなぁ。でも、使ってみたいから練習しようかなぁ」
『そんな簡単なものではないだろうがな。…来たぞ』
「おっ。案外早かったな。天月の姉ちゃんはどうなったかな?」
『琥珀と千影だけだ。あの女はいない』
「なら、俺達も行こうか…」
仁成は動けば激痛の走る身体に鞭打ち、琥珀と千影のハーネスを用意しながら二頭を迎えるのだった。
町の東側、河川を挟んだ先。山林の山間を切り開いて作られた田畑と住宅が点在する地域。街の北側と似たような耕作地帯が広がる。違いがあるとすれば、北側ほど耕作整地が進んでいないため、一つ一つの田畑の大きさや形が統一されていない事だろう。
だが、ここも数十年前から人が住まない土地となってからは、荒れた田畑と廃墟となった住宅が寂しく並んでいた。
天月の救助のために東側の関所から出発していた部隊は、一度は天月たちが予定していた渡河地点まで到着し、渡河のための準備も済んでいた。
しかし、この時既に天月は仁成の作戦を承諾し、行動に移っていた。
渡河地点から天月の到着を待っていた部隊は、対岸で起こり始めた異変に気付くとすぐ行動に出た。
一分隊を偵察に出し、さらにもう一分隊を渡河させて、天月が到着次第渡河させる準備に入った。
だが、ここで問題が起こった。彼らが把握していなかった鰐型の魔物が渡河地点から少し上流にいることを確認した。これにより、渡河させていた部隊をすぐに避難させる必要が出て来ただけでなく、未知の魔物相手に戦う危険を避けるために撤退も視野に行動しなければならなくなった。
そこに、天月からの追加連絡が重なり、彼らは偵察のみを行いつつすぐに撤退が出来るように待機した。
さらに、偵察分隊が合成獣と灰炎の姿を確認したことで、彼らは河川から一時退避し、様子を見ることにした。
灰炎は人を見つけると容赦なく襲ってくる。例え河川が増水していようとこの程度の流れでは関係なく渡河してくる。
それを知る彼らはすぐに身を隠した。
そのため仁成が灰炎に一撃を入れる場面や、仁成が月夜に救出される場面こそ見逃していた。
「第三小隊が天月を保護したことを確認した。全隊に撤退命令が出た。すぐに撤退に移る」
結局、彼らは仁成を確認することが出来なまま撤退を開始した。
その途上で灰炎と肩を並べる魔獣『雷亀』に道を塞がれたことで、帰還までに数日を要することになったのは不運としか言えなかっただろう。
「・・・時間だ撤退を開始する」
30分が過ぎ、紫雨は全隊に撤退を指示した。
天月を背負った隊員を隊列の中央に並び終えた彼らは、周囲を警戒しつつゆっくりと西に向かって前進を開始した。
「天月。生きていると思うか?」
隣に並ぶ紫雨からの問いに、天月は答えを窮する。彼女自身、紫雨と同様に仁成の生存は絶望的と捉えていた。だが。
「…生きていると思います」
「理由は?」
「ありません。何となく、生き延びているのではないかと思います」
「そうか…」
「紫雨隊長。後方から四等級相当の魔獣が一体。こちらに近づいてきます」
報告を受けた紫雨は前進を開始していた部隊を止めると、即座に戦闘体勢に移る。
「…つ、追加で報告。お、おそらく、天月軍曹の報告にあった親魔獣と推測。口に人を咥えています」
「私も向かう。発砲はするな。天月も連れて来い」
紫雨はすぐに天月を背負う隊員を伴って、隊列の一番後ろまで進んだ。
「天月」
「ま、間違いありません。月夜です」
既に目視でもはっきりと分かるほど接近してきた魔物を見て、天月は断言した。特徴的な額に浮かぶ四つの白い斑点模様と尖った四つの耳先。それは間違いなく月夜の持つ、魔物としての特徴だった。
「では、咥えられているのが」
「只野仁成だとおも、われま、す…」
20mほど手前で止まった月夜の口に咥えられていたのは、微動だにしない人の形をし、人だったもの。それは全身が焼け爛れ、一部は黒く炭化していた。
知識がない者でも、その姿を一目見れば分かる。もう助からない。あるいは死んでいると。
天月の頬には、堪えきれなかった涙が自然と零れ落ちる。そして仁成だった焼死体から目を背ける様に、自分を背負う隊員の背中に顔を埋めた。そこからは静かな嗚咽が続いた。
「やぁ、やぁ、やぁ」
誰もが死んでいると思っていた黒焦げの死体。それが一瞬、動いたかと思うと声を発した。
だが、誰もその声に応える者はいない。
まさか生きている?そんなことはあり得ない。例え魔人でも、人であることに変わりはない。そんな当たり前の常識が彼らの動きを止めさせていた。
「ありゃりゃ?言葉が通じない?」
再び発せられた声。それでも紫雨たちは驚愕した顔を浮かべたまま動かない。いや、動けなかった。
だが、その中で一人。涙を流しながら応えた。
「いぎでるのがぁ」
「その声は天月さんかな。とりあえず、迎えが来た様で安心したよ。んじゃっ、さよなら」
「えっ?」
仁成が僅かに上げた右手。それを合図に、月夜は天月達に背を向けて走り始めた。
あまりの出来事に天月だけでなく、その場にいる全員が引き留めることも忘れ、ただ離れていく魔獣に咥えられた仁成を見送ることしか出来なかった。
「…た、隊長」
天月を背負う隊員が恐る恐る、遠い眼で小さくなる魔獣を見詰める紫雨に声を掛けた。
だが、紫雨からの返事はない。周りもどうすればいいか分からない状況で、天月は紫雨の顔を窺った。
そこには固く眼を閉じ、眉間に深い皺を寄せて困惑する紫雨の姿があった。
「・・・撤退を再開する。隊列を組め」
それを合図に警戒のために展開していた部隊は行軍のための隊列を組み始める。紫雨自身も天月を背負う隊員を伴って、隊列の中央に向けて歩き始めた。
「・・・天月」
「は、はい」
「一発くらいやらせたのか?」
「・・・」
紫雨の問いに、今度は天月が遠い眼をすることになるのだった。
半月ほど離れていた警察署は、出発した時と変わらないままの状態でそこに在った。
『何処に降ろす?』
裏手にある両開きの扉を器用に開け、月夜達は難なく警察署に入り込むと、仁成に何処に降ろせばいいか聞いて来た。
「・・・お前ら入れるなら、初めから入れよ。それに何だ?身体小さく出来るとかどうなってんだ?お前の身体。おかしいだろ」
『ふん。小僧が驚くからな。遠慮してやっていたのだ。それと身体の伸縮は子らには出来ぬ。魔獣として格が上がれば、自然と身に着くか、教わるかしなければ難しいだろう。私も番に教わらなければ知らないままだっただろうな』
正面玄関から堂々と入った月夜はその場で二回りほど身体を縮ませ、仁成を二重に驚かせた。
さらに問い詰めると、月夜達が中に入れたのは魔獣の嫌がる何かを生み出す装置に対し、人口魔獣には耐性がある事。そして、月夜の子供である琥珀たちにもそれが引き継がれている事を聞かされた。
まだ自力で動くことが難しい仁成は、結局月夜に咥えられたまま四階の自室にしていた応接間に運ばれることになった。
そして寝慣れたソファーに横たわった仁成は、見飽きた天井を見てこの場所に戻ってきたことを実感した。この世界に来てから二か月を過ごしたこの場所に。
「服も持って来て正解だったなぁ」
今の仁成はほぼ全裸だった。作戦実行前にタクティカルベストなどはカートに入れていたが、生存確率を増やすためにここで手に入れた戦闘服で灰炎に挑んでいた。
耐火性もあったはずの服は、灰炎が纏う炎で半分以上燃えて無くなり、残りは河川に流されていた。
そこで、ホムセンにあったジャージと作業服を一着ずつ持って出発していた。
「それで、月夜の念話は条件さえあればだれとでも出来るのか?」
『おそらく、出来ないだろう。私を産みだした者達さえ知らないだろう。小僧以外で、私の念話を受け取れたのは私の番と子だけだ』
「なるほどね。じゃぁ、月夜が人口魔獣ってことはバレなさそうだね」
『確実ではないがな。それで、これからどうするのだ?ここに引き籠っていても、何れは外に出なければならないぞ?』
「とりあえず、身体が治らない事には何をするにしても無理かな。とりあえず、天月の姉ちゃんの服には伝言は残してるけど」
『ここまで入って来れる者は少ないぞ』
「そうなんだよなぁ。そんなことくらい教えてくれてもいいだろうに。仕方ないから、向こうが入って来れる場所に伝言残しとくくらいしかないだろ」
『こちらから外に向かう事も出来るが?それはしないのか』
「しない。少なくとも向こうが俺のことをどう判断してるのか分かるまでは行かない」
『何故そこまで身構える?』
「魔人化だっけ?今の俺の状態。話を聞く限り貴重な存在かもしれないし、人類にとっては禁忌のような存在かもしれない。貴重な存在だったとしても、人体実験のモルモットにされるかもしれない。それに、まだ元の世界に帰れる可能性だってあるからな。だから、俺が急に居なくなっても心配するなよ?」
『心配はしないだろう。私にとって、所詮は人間が一人死ぬか、いなくなるだけの話だ』
「薄情ねぇ」
『お互い様だろう』
「それは言えてる。でもお前らを見捨てることはあっても、裏切るつもりはないぞ?」
『もし、子にその様な事をすれば、私が嚙み殺してやる』
「はいはい。肝に銘じておきますよ。とりあえず、寝るわ」
『あぁ、ゆっくり休むといい』
さすがに無理をした反動か、仁成の身体は悲鳴を上げ続けていた。目を瞑った仁成は、一分も経たない内に寝息を立て始める。
『まぁ、只の人にしてはよくやった方だろう』
月夜は心配そうに仁成の顔を覗き込む琥珀と千影を置いて、部屋を後にした。




