8ー23
逃げられないよう人質の首に空いた腕を回し、紫電を解く。近くには浮遊するだけの黒剣。少年の性格上、手は出してこないとヴァンは確信をもっていた。
だからこその余裕。
治癒など後回しでいい。
血を流しながら、口元に笑みが浮かぶ。
「主観では主人公、しかし他者からすれば端役だというのに英雄を気取る馬鹿が後を絶たない。この舞台にお呼びでないことは明らかだというのに」
話しながら、亡の鋒で空中に線を描く。
遅れて、軌跡をなぞるように赤い線が空間に走る。
「こうした勘違いには殺意を覚えるが、なに、いまは寛大な心で許そうか。……そう震えるな。誰もが君を愚か者だと笑うだろうが、俺だけは心からの感謝を伝えるよ。産まれてきてくれてありがとう。路傍の石でしかない君が生きている意味は、いまこの瞬間の為だけにある」
嬉々として語るヴァンを前に少年は何もできない。魔女はマーリンの指示を待つのみ、アイザックに至っては再起不能。
運命はもう、我が掌に。
線を描き終える。
「来い」
血で描かれたような魔法陣が、空中で発光する。
死闘の幕を閉じよう。
再演はいずれ、また。
その魔術がどういったものなのか、マーリンには分かっていた。
召喚ーー意思疎通が可能な魔物と術師が契約を交わすことで初めて使える、空間転移術。高度な術式が求められるそれは、ブリタニアではたった一人、ヴォーティガーンしか扱っていなかった。その構築がいま目の前で描き終わり、空間から緩やかに現れるは、
黒龍。
荒々しいイメージとはかけ離れた、一分の乱れもない美しい所作で現世に降りる紅眼の龍。トトでは比較にならないほどの巨躯、傷一つとしてない両翼を羽ばたかせ、紅い目が地上を見下ろす。
「マーリン」
ドロシーの呼び掛けにマーリンは反応できない。どうするのかと問われても、答えが見つからなかった。
人質をとったまま、黒龍の背にあがる罪人。
「人質がここまで効果覿面とは。優しさなど自己満足でしかない、他人など足枷でしかないというのに」
浮遊する黒龍。
意を決してドロシーが箒に跨る。
次いで、トトが空間を割っては姿を消す。
「カナメ、と言ったか、あの女は」
その台詞に。
ぶら下がった少年の手が、微かに反応する。
「次からはアレを人質にしよう。そうすればきっと楽に殺せる」
「お前っ……!」
その言葉に怒りを向ける魔女。上昇する黒龍に接近を仕掛けたドロシーだったが、突然の炎斬が彼女を襲う。緊急回避し、見上げたところで、罪人が人質を手放す。
「トト!」
バランスを崩した魔女では人質を救えない。主の呼び掛けに応じ、トトが空間を割っては背中に人質を乗せる。
罪人が、地上から離れていく。
「さようなら、マーリン」
別れが告げられる。
「いずれ、また」
見る見る内に、地上から遠ざかっていく。
アラディアの死闘。その幕は静かに閉じられーー
「ーー触れたな」
空を見上げる少年。
閉ざされた幕をこじ開けるは魔術の王。
あの言葉に怒りを見せたのは魔女だけではなく。
「俺の、逆鱗に」




