8ー21
天上の空間が割れる。術師であるならば、いやでも感じとれるほどの禍々しい魔力が地上にいた三者の間に割って入る。
狗。
それ以外形容しようがない見た目は、しかし生物としての質がまるで違うと全員の共通認識にあった。
巨大な体躯、黒い体毛に鋭い爪と牙。そして何があっても主に危害を加えるものは殺すという意志を宿した真っ黒な瞳。
完全顕現 幻想幻狗トト。
それは魔女ドロシーが持ち得る手札の中で最強の魔術である。
「餌食だな」
魔女の解錠を前に、ヴァン・ヴェルフレイムは炎刃を直接あてようと迷わず踏み込んだ。呟いた言葉の通り触れれば即死するその剣に於いてトトの体躯では回避不可能だ。加えてヴァンは紫電を纏っている。
半解錠の方が余程の脅威だと、この場にいる誰もが思うだろう。死の予感が漂う中、トトは躱すことなく罪人の炎刃を受け容れた。
「ーーーー」
ヴァンの表情に、戸惑い。
その場にいたアイザックも目を見開いていた。
炎刃は空を斬る。
それもその筈。
振り下ろした先には、誰もいない。
空振りで体勢を崩したヴァンに向かってアイザックが踏み出す。逃げる為に跳躍しようとした敵の足に纏わりつくは鎖の蛇、炎刃とは逆手の位置から振り下ろされる巨漢の一撃で罪人の血飛沫が舞う。
「死に損ないが……!」
体を僅かにずらして致命傷は避けたものの、酷い出血が地面に零れ落ちる。炎刃で鎖を断ち切ってはアイザックに反撃することなく、とにかく距離をとろうと紫電の出力があがる。
当然の判断だ。まずトトの姿が見えない。それだけでなく、マーリンとドロシー、アイザックの攻撃も警戒しなければならない。
回復をしようと空いた手が傷口に触れる。迎撃をいつでもとれるように炎刃は構えたまま、逃げた先の観客席で闘技場の様子を見下ろす。視界に捉えることさえ困難な紫電による高速の移動をもってしても、
その剣は。
人ではなく、魔力を追うのだと気付く。
「ーーっ!」
真上に佇む黒剣が半回転を見せる。
回復を中断し、放たれた魔術を防ぐ。
自身の反応が遅れていると自覚するヴァン。出血による眩みではなく、魔力を使い過ぎたが故の反動。戦闘経験の浅さがここにきて彼を苦しめている。
その間、少年とドロシーは言葉を交わしていた。
箒に乗って降りてきたドロシーに「助かった」と感謝を示すマーリン。
「まだ助かってないでしょ」
「それもそうだ。カナメは?」
「他の術師に頼んで見てもらってる。観客と住民の避難も心配ない。あと周りの術師が手を出さないよう強く言った」
「流石だ。気を付けろ、ドロシー。あの剣に触れたら先ず間違いなく死ぬ」
「そういうの先に言って?」
言わなくても気付くだろうに。
魔女を横目で見る少年。膨大な魔力を帯びた黒狗が、いまは彼女の傍に佇んでいる。
これがドロシーの、本来の解錠。
おそらく有する能力は、いつ如何なる瞬間でも存在を消せること。
透明になるだけの能力ならそもそも罪人の攻撃はあたっている。少年の目をもってしてもあの瞬間、トトが何処に消えたのか分からなかった。マナの痕跡すら残さない現象。何かしらの発動条件、もしくは行動の制限が掛けられていると予想するが、分からないことに思いを馳せるのはやめた。
治癒をさせないようにここで畳み掛ける。




