8ー13
「聡明たる案山子が私達を導く。勇敢なる獅子はーー」
ーードロシーの祈りが止まる。
急激な膨張、魔力の爆ぜる音。そして言葉では言い表せないほどの悍ましさを魔女だけではなく、少年も同様に感じ取っていた。視線を交わし小さく頷き合う二人は、煙に満ちた通路を見遣る。
「どんな理想を抱いたところで目の前の現実に打ちのめされる」
譲り受けた服を燃やす。
ゆったりと歩きながら闘技場へと近づく。
「崇高な願いも純粋な悪意も力の前では等しくねじ伏せられる」
何の飾り気もない真っ黒な衣服。
観衆の目に晒される黒い髪の男。
右手に持っているのは熱を放つ炎の剣。
解錠 亡。
真っ赤な刀身は血を想起させ、そして、左手に持っていたそれを闘技場に放り捨てる。
「その結果がこれだ。他人の為に憎悪を膨らませるなど我々とは程遠い。ーー術師に、心など。そうは思わないか? 魔術王」
それは、太く逞しい人の腕。
綺麗な切断面に黒く焦げた跡。
見知ったそれに視線を落とすことなく。
少年はただ無表情で罪人を見詰めていた。
「ケニー・J」
騒めく会場の中で、マーリンは突如現れた人物から目線を離さず実況に呼びかける。
「観客と職員全員に避難の指示を。奴は噂になっている教団殺しだ」
え?と困惑する実況に、少年は淡々と言葉を紡ぐ。
「目の前に転がっているそれはアイザックの腕だ。いま、お前の指示でここにいる数万人の命が救われる。ーー頼む」
「っ……!」
アイザックの腕と聞き、混乱しながらも必死に事態を飲み込んで客席を見渡すケニー・J。
「観客の皆様! 職員の皆様! 直ちに避難を! 奴は教団殺し! 今朝話題になった、あの教団殺しです! 直ちに避難をお願いします!」
突然の呼び掛けに悲鳴、戸惑い、恐怖が渦巻く中でマーリンが魔女に近付き、静かに声を掛ける。
「ドロシー。いますぐ医務室に行ってくれ。奴が集団で動いていたとしたらカナメの身が危ない」
「……貴方はどうするの」
「俺はここに残る。奴の目的は俺だ」
ドロシーが何かを言いたそうにしていた。だがいまは一刻も争う事態なのだと、切実な少年の目を魔女は読み取る。
「分かった。カナメのことは任せて」
「ああ、任せた」
短い遣り取りの後、魔女は急いで医務室に向かう。言わずとも彼女はカナメを安全圏にまで運んでくれる筈だ。
男が現れてから会話を交わしつつも隙を窺っていたマーリン。しかし目の前の魔力がそれは甘い考えだと教えてくれる。
不味いな。
観客がまだ残っている。優秀な魔術師や職員が避難をするよう呼び掛けてはいるが、野次のように様子を見守っている複数の莫迦も少年の視界には映っていた。
そして客席から一人、勢いよく降りては罪人の前に立ちはだかる者。
マーリンが二回戦で相手にした金髪の青年、エリオット・パークが懐から剣を抜いていた。
「何を考えているんだ! 神聖な舞台を汚すな、ど、はぇ……?」
迷いのない一閃。
そして地面に落ちる鈍い音。
エリオットの胴体が地面に横たわり、燃え広がる様を見て再び悲鳴があがる。
羽虫を手で払うかのような日常的な動作、そこに罪の意識などある筈もない。残っていた客もいまの出来事を見て漸く慌てふためきながら会場を跡にしていく。
「実に醜い」
心底見下すような目で、眼前の光景をそう評する罪人。
「子供一人を置いて自分の命欲しさに逃げ出すなど、人間の醜悪さが見て取れる。だが否定はしない、それが普通だ。力の差も分からないこの愚図よりは余程賢い」
炎剣の鋒を、骨へと向ける。
「これを見殺しにしたな? 残っていた観客に現実を直視させる為に一人を見捨てた、実に合理的な判断だ。その証拠に『逃げろ』とも言わず、ただ黙って事の成り行きを見守っていた。一つの命より複数の命。流石だよ、魔術王」




