8ー9
砕け散る靴と同時に、魔女の真上の空間が割れる。
虚空から覗く巨大な目、真っ黒な体毛。
異質な存在感を前に少年は笑みをこぼし、術式を編む。
「出力を抑えた解錠か。器用なものだ」
「崩れないのね」
「崩れない?」
「表情」
お前がそれを言うのかと口にしそうだったが、黙って耳を傾けるマーリン。
「トトを見て楽しそうに笑ったのは貴方が初めて」
「犬を愛でる感性がおかしいか? 俺からすれば可愛らしいものだが」
「その余裕がどこまで続くか」
背後の空間からひび割れる音。
振り向くよりも先に少年は体を伏せる。
「見せて?」
速い。
空を切り裂く音を聞いて首を掴まれたような悪寒を覚える少年。反応が少しでも遅れたら勝負が決まる、高度な一瞬の駆け引きに心が踊る。
過去一度として、ブリタニアで魔術王の命を脅やかす存在はいなかった。だが少年の体になった現在。少しでも気を抜けば命を落とす瀬戸際の攻防を前にして口角が上がる。
『楽しむといい、人生を』
今際の際に遺された言葉の真意を汲み取る。
勝利しか知らないマーリンに忍び寄る敗北の二文字。一つでも選択を間違えれば致命傷を負うというのに高鳴る鼓動は抑えられない。
嗚呼これこそが闘い。
幼い魔女に敬意を表しながら、編み続けていた術式とは別の魔術を展開する。
魔女の視界、その端に映る花弁。次第に闘技場の中で花の雨が降り注ぐ。
花嵐。
それはクルミ戦で見せた目眩しの魔術。観客や実況からは中の様子が見えない為、盛り上がりに欠けるがゆえ使用を避けていた。が、その傲慢さはこの魔女の前では命取りとなる。
これでドロシーの視界は封じた。
問題はーー
ーーやはり、嗅ぎつけるか。
花嵐を発動した直後、風薙でドロシーと距離をとったにも関わらずピンポイントで少年の真横にある空間が割れた。鋭い牙がマーリンの肩へ食い込もうとする直前、自身に再び風薙をあてて距離をとる。
ありとあらゆる魔術は解錠の前では無力に等しい。それが例え半分の出力であっても殆どの魔術はトトに通じないだろう。風薙をあの獣にあてたところで、黒い巨体が微動だにしないことは簡単に予測できる。
劣勢の最中、術式を編み続けるマーリン。
そして背後から空間が割れる音。だがそこにはいないことをマーリンの目は見抜く。カナメ戦で見せたフェイクーー本命の、真正面から現れた爪を間一髪で避ける。術者の命令もなく自我をもって襲いくる獣を前に、いまは逃げ続けることしかできない。
そして、地面に走る魔力を感知した少年。
足元から生えたそれを回避する為、素早く空へと逃げる。マナを捉えては足場を確保し、空を歩くマーリン。
地上を見下ろせば、剣山のような光景が隙間なく広がっていた。多多羅を駆使して足の踏み場をなくし、自身の居場所を空中に限定させたドロシーの手腕に舌を捲く。
だが。
今度はこちらが魅せる番だ。
花の嵐が晴れる。
地上を見下ろすものと、見上げるもの。
トトの攻撃が止まったのは、それが危険だと判断したが故。ドロシーの動きが止まったのは、それがあまりにも異彩を放っていたが故に。
少年の背後ーーパズルのピースが埋まっていくかのように、少しずつ形を成し、それは完成へと至る。
「ーーなにそれ」
「コア・メルリヌス」
背後に浮遊するは漆黒の剣。
「お前に敗北を教える魔術だ」




