28
死んだように目を覚ました。
望んだ通り、全てが終わっていると思っていた。
呼吸が乱れている。顔中にべっとりとした液体が付いていた。身体が痺れている。心臓の鼓動が痛いほど強く脈を打っている。
まだ、私は生きているようだ。
身体を微動するだけで、激しい痛みがやってきた。痛み、というよりも、脳に直接「激痛」を送られているようだった。鋭い痛みと鈍い痛みはぐちゃぐちゃに混ざり合い、出所を判らなくしていた。今は動いてはいけないよ、そう身体が教えているようだった。
ぼんやりと天井を見つめた。そこには青空ではなく、黄ばんだ白い天井が広がっているだけだった。以前思い描いた大陸の息吹は感じられず、満月の表情も消え、人の肌にしか見えなかった。その色は、誰かの色だった。汚れた小麦色の肌——そう、まるでパパのあの肌の色のようだった。それに気付いた瞬間、目を強く瞑った。あの日の『パパの日』の内容を思い出しかけて、苦痛が盛り返しそうになった。まぶたの中にある暗闇に逃げても、記憶は私の背後から追ってくる。足の速い嫌な記憶が背中を掴みかけた。その寸前で、ベッドから飛び起きた。激痛はあり得ないほどにひどくなった。しかしその痛みによって、記憶は波を引いていった。
ふらふらと歩き、身体を窓の縁に預ける。窓の外はいつも見える木々が、いつもと変わらぬ深緑に塗られている。雨が降った後らしく、葉や雑草は露を垂らしていた。光は森の中には届いていなかった。暗い昼下がりだった。
どこに居ても痛みが奔走する中、私は自分の身体が軽くなっているのを感じた。まるで足の裏が床から浮き、地球ではないどこかの星、例えば月の上を歩いているようだった。今までの倦怠感が嘘のように消えていた。吐き気もないし、身体も重くない。
私は自分の身体を見下ろしてみた。ひどくボロボロになったワンピースから伸びる腕や脚は、ほとんどの箇所が紫赤色に埋め尽くされていた。触らなくてもズキズキと痛む。指で押すと、電気が走ったようにもっと痛くなった。この痛みは、私が生きていることをやかましいほどに主張していた。やはり、私はまだ自分が生きているのだと知った。
そして、あることに気付くまで、私は世界で一番の楽観者だったのだろう。
現実は辛く、苦しいだけ——そう誰かに面と向かって言われたような気持ちになった。あるいは、すでにわかっていて、恐ろしさのあまり見て見ぬふりを貫こうとしたのかもしれない。とにかく、知ってしまったからには、知らない状態に戻ることはできない。受け入れなければならないのだ。私は、自分の身体に対する、その大きな変化に。
ワンピースはいつもと違い、ぶかぶかになっていた。なぜかサイズが一回り大きくなっていた。繊維が身体に触れるたび、くすぐったさを感じた。
違和感の正体。
それは、単純なものだった。
私は恐る恐る、自分の腹部に両手を当てた。盛り上がっていたはずのそこは、平らになっていた。私が本来持つ、元の姿に戻っていた。まるでそこだけ時間を巻き戻したかのように。腹が平らであることが、あまりにも奇妙に思えた。本当に平らであることが普通なのだろうか、とさえ疑った。ともかく、私の身体に入れられた鉛はもうどこにもなかった。
これでまた昔のように、自由に動けるのだ——それどころか、扉の下口だって腹がつかえずに出入りができる。本棚の一番下にある絵本だって簡単に取れる。起きる時に苦しくならない。食事も美味しく食べられる。私を散々苦しめた吐き気ともおさらばだ。こんなにも嬉しいことがたくさんある。これはほんとうに嬉しいことなんだ、そう思っていた。
嬉しかったはずだ。
そのはずだった。
いつの間にか、私の中にはあるひとつの感情が芽生えていた。はっきりと言語化するのは難しいが、一番近い意味で表すならば「哀惜」だった。
会ったことのない者に対する私の想いは、見えない圧力として重く、強くのしかかってきた。そしてとうとう、耐えきれなくなった。私は泣き出した。大声を上げて泣くのは、ここに来て初めてのことだった。頬を伝う涙は熱湯のようだった。ねばねばとした唾液が口の中で巣を作った。喉は熱を帯び、今にも焼き切れてしまいそうだった。そうなってもよかった。内臓が勢いのあまり、みぞおちから飛び出してしまいそうだった。そうなってもかまわなかった。どんなに涙を流しても、声を上げても、捉えようのない悲しみが消えることはない。泣き声はやかましいほど部屋の中で反響し、私の鼓膜を貫いていく。まるで私の声ではない、誰かの泣き声のようだった。
私は泣き続けた。意識を失うその時まで、ずっとずっと、慟哭を上げ続けた。
大切なものを失った気持ちは、私を強く苛んだ。
もう、何も考えたくなかった。




