十五
サーバーに溜めたコーヒーを一つのカップに注ぐ。
「何か飲むか?」
「……」
マーシャは驚いたような、同時に感心するかのような顔で俺の方をじっと見ていた。
「何だ」
「あ、いや、私もコーヒーでいいわ」
「そうか」
それぞれのソーサーにカップを載せ、居間のテーブルに運ぶ。
時刻は午後九時を過ぎており、この時間帯にカフェインを摂取するのはあまり良くないが、何せ飲むと落ち着いて安らぐのだ。
二人で熱いコーヒーを少しばかり口へ運んで一息つく。
カップをソーサーに置く時に出た、かちゃり、という音が、物静かな空間に連続して響いた。
「……まず、そうね。何から話せばいいかしら」
俺は何も言わず続きを待つ。
「境の内にあるものが天使や悪魔を引き寄せるということは話したわよね。ええ、おそらく、その力によって私はここに落ちたのよ。これも前に話したわね……。それで……そう、だからあなたの周りに天使と悪魔が溢れることになる。でもね、事はそれで収まらないの」
「その争いに巻き込まれる。そういうことか」
「それも……そうかもしれない。けど、少し違うのよ」
天使と悪魔が一点に集まることで抗争が激しくなり、それによって俺の周辺から壊れていく。
そう思ったのだが、違うのか。的外れではない気もするが……。
「……ねぇ、境」
「なんだ」
「天使と悪魔ってどういう存在だと思う?」
彼女の目は真っ直ぐに俺を射抜いている。
「どういう存在、か」
概念どうこうの話ではないのだろう。具体的なこの世での役割、それをマーシャは問うているのだと俺は思った。
「監視、管理体系。神の子である人間を統制するためのシステム。悪魔も同じようなものか」
「そこからが間違いなの」
「……つまり、もっと違うために存在していると」
「いいえ、その根本が。神様の子は天使と悪魔なのよ」
「な……」
――いや、別に驚くことじゃない。あれは勝手な俺の憶測だ。そう、勝手な、思い込みだ。
「ということは、人間は」
「天使と悪魔の子よ」
「……そうなるよな」
「この世界、つまり人間界は、いま確かに人間界と呼べるけど、ずっとそうだったわけじゃないの。それこそ昔は天使と悪魔が争い、見るに堪えない世界だったわ。けど、天使は天使の中で、悪魔は悪魔の中で、その存在を増やそうと考えた時、生まれてきたのは別種だった。それが人間よ。だけど、人間は天使や悪魔と同じような力を持っていると言っても、それらに匹敵するほどの力じゃなかったし、本当に微々たるものだったわ。抗争には全く役に立たないくらい。けど、その発展性は私達が飲まれるほどだったわね。その後、人間は恐ろしい速度で数を増やしていき、結果、今の世界が構築された。ちなみに、種の繁栄を進めるうち、天使や悪魔の力は無と言っていいほど弱くなって消えていったわ」
「人間が天使と悪魔を殺したと?」
「そうとまでは言わないけど……まぁ同じようなものね」
マーシャは愁うような瞳でカップの黒い液体を眺め、薄く笑った。
「神の子が天使や悪魔で、さらにその子供が人間だってことは分かった。分かったが、だから何なんだ? 俺の力と何の関係が?」
「それは……そうね、先に話しておくことがあるわ」
訝しげな視線を投げかけると、彼女は真面目な顔をして声を低くする。
「いい? 冗談とか、ふざけているとか、そういうことは一切ない。これから話すことは、すべて真実で、すべて大真面目よ」
「……ああ」
一体どんな衝撃的な事実が告げられるのだろう。
俺が神の子だとか? いいや、それはない。俺が天使でも悪魔でもないことは分かり切っている。
俺が天使悪魔間戦争の秘密兵器になって、血みどろな展開が待っている?
いや、これも違う。さっきマーシャは少し違うと言った。……少し? 少しって何だ? 引き寄せることで何か大変なことが起こるというのは間違いじゃない。そういうことか?
色々な構想を練り、心構えをする。
カップに唇を付けると同時に、マーシャがその口を開いた。
「ニュースは見たでしょ?」
「……ニュース?」
「そう。隕石の」
今朝、というか昼にやっていたニュースを思い出す。フランスに衝突したあれだ。
「ああ、あったな」
「それと私が消し飛ばした石の塊」
反射的に俺は左腕へ目をやる。たいしたことないと思っていた傷は、まだ少しばかり痛んでいた。
「さっきも話した通り、神様の子供が天使と悪魔なの。そして、境はそれを引き付ける力を体内に宿している」
「待て、天使と悪魔のみならず、隕石をも引き寄せるって? 一体どういう根拠があって」
「境、それを今から話すわ。だから聞いて」
……そうだな。そうだ。俺らしくもない。
「簡単に言えば、隕石も天使や悪魔と同じエネルギーを秘めているのよ。だから、境、あなたの力が隕石を落とすってわけ」
「……」
「どうしたの?」
地球が滅びるかもしれない。漠然とそれだけが頭に浮かんだ。
「……どうして隕石は天使や悪魔と同じエネルギーを持っているんだ?」
「……」
「どうした?」
「いや……」
マーシャは微妙な笑いを浮かべた後、腕組みをして深呼吸をする。
「天使も悪魔も隕石も、神様から生まれたもの。天使と悪魔は子供で、隕石は……」
「……隕石は?」
マーシャはもう一度深く呼吸をして、口を開いた。
「隕石は……老廃物なのよ」
……は?
「つまり……排泄物」
「……」
排泄物。彼女は間違いなく言った。
つまるところ。
この世は、う○こ、で滅びる。
「……」
「……」
んなバカなァ!? そんなことあっていいのか!?
「これは真実よ。すべて真実で、すべて大真面目」
「なるほど……」
なんだか拍子抜けしてしまった。
だって、う○こで世界が滅ぶんだぞ! 糞で! 神の脱糞で! この世は終わってしまうんだぞ! そんなのってねぇよ……。ねぇよ……。死にきれねぇよ……。
しかし……。
「このままだと世界が終わるのか」
「ええ、世界の終わり、よ。天使と悪魔だけに」
何言ってんだ、こいつ。
お互い妙な感覚に取り憑かれているので、静かにコーヒーを飲み、一旦心を落ち着かせた。
「それで、俺はこの力をどうすればいい。というより、どうにかなるものなのか?」
現にここまで何の処置も施されなかったんだ。解決の目処は立っていないのだろう。
「それをこれから調べるわ」
「そうか……頼む」
眉をぴくりと動かして、マーシャは優しく微笑んだ。
「ええ、任せなさい! なんたって私は天使だからね!」
「……そうだな」
そんな風にしか返せなかった。
俺は、いや、マーシャも分かっているだろう。
確実な解決策は、俺が死ぬことだって。
しかし、自分を犠牲にして他人を救うほど、俺は偽善者じゃない。
そう、たとえそれが全人類の命だとしても。




