十一
時刻表を見てふと思う。分刻みで電車は来るのに、何故その一本のために多くの人は全力で走るのだろう。田舎じゃあるまいし、その一本を逃したところで何時間も待つはめになるわけではない。
では、何故?
無論、時間を無駄にしないためである。一分一秒も無駄にしたくはないのである。
人が生きられる時間は有限だ。価値ある時を刻まなくてはいけない。しかし、用意された時間はあまりにも短く、設けられた空間はあまりにも広かった。そのすべてを網羅することは不可能である。
だから、人は急ぐ。あらゆるものを駆使して能率よく事を進める。現代社会にもそれは顕著だろう。
まあ、無駄を省いて生まれた余裕の方が圧倒的に無駄になっていると思うが。
中二全開思考を巡らせながら、ぼーっと改札付近に目をやる。
そこでは、多くの知らない人達が吸い込まれては、多くの知らない人達が吐き出されていた。俺にはなんだかもう全員同じ人のように思えてしまう。
行く人も来る人も、みんな同じ、知ったような顔。すなわち、俺はここにいる人達を全員知っている。つまり、俺人脈超広い。マジリア充。
そんな多くの知人の中から一人がこちらに駆け寄ってくる。
「あ! ねえ! 絶対そうだよね! うわー、久しぶり!」
嬉しそうに手を振りながら近付いてきた。
え、いや、どなたですか? 馴れ馴れしい口きかないでくれますかね? 一方的に知っているだけでは知り合いになり得ないんですよ? 知り『合い』なんですから。
それと、もう一つ言っておきますと、知り合いは友達ではありません。俺マジぼっち。
「けーくん、あんまり変わってないね! 一目見ただけで分かっちゃった!」
覚えがある呼び名。だが、それ以外は特に引っかからない。
「あ、ひどーい! もしかして分かってない~? ほらー、摩耶だって。九条摩耶!」
ショートボブの女子学生はそう名乗る。
俺はその名前を聞いて、はっとした。
「……もしかして、くーちゃん、か?」
「その無表情でその呼び方って完全にギャグだよ。いやぁ、ホント変わってないね! 元気してた~?」
彼女は俺の幼馴染である。
今の俺ではあり得ないことだが、昔の俺はよくこの子と遊んでいた、らしい。
遊んでいたのは本当に小さな頃だったし、正直当時の記憶はほとんど残っていない。諸々のエピソードは親から聞いたものが大半だ。
その中には嘘や錯誤が混在しているかもしれない。しかし、なぜだか俺はそれをすべてすんなりと受け入れられた。
楽しい。きっと、そんな単純な感情がどこかに残っていて、それを容易にしたのだろう。
「それなりにな。お前は?」
彼女とは普通に会話ができていた。そういえば、いつ頃から他人と言葉を交えることが恐ろしくなったのだろう。人を信じることを恐れるようになったのだろう。
「バリバリ元気よ! エネルギー満タン! まぁ、その~……今日は充電しすぎたかもしんないけどさ……」
九条は恥ずかしそうに頬を掻く。
「寝坊か」
「いや、違うんだよ! 今日起きられなかったのは、その、えーっと、昨日の夜にアタシの部屋が、なんかこう、突然……。はい、ただの二度寝が原因です……。すみません……」
九条はスクールバッグを肩に担ぎなおす。この持ち方は世間にあまり好まれないであろうが、彼女にはと
てもよく似合ったスタイルだった。
スタイルといえば、九条の見た目はすごく変わっている。写真で見た感じでは、もっとこうお嬢様っぽいというか、清楚な外見。髪も長かったし、仕草も上品だった気がする。
それが今ではこんな姿に。ルーズな恰好するアタシ超かっこいいみたいな着崩し方をしていて、ブレザーの前は全開。中に着ているシャツでは抑えきれないほどの膨らみが……。いや、ホント成長したんだな、うん!
「けーくん、なんかアタシの胸ばっか見てない?」
な、なぜバレたし!?
「……否定はしない。というか、それはお前のせいでもある。俺だけが咎められるというのはおかしな話だ。その破廉恥極まりないオープンマインドな着こなし。ギルティ。よって、過失相殺。減刑を求める」
「厳刑って、けーくんドM? ってか、別に罰したりしないよー。真顔でそういうこと言われると犯罪臭すごいけど……」
苦笑いして顔を少し赤らめる。
「男の子だもんね。仕方ないよ。でも、女の子ってそういうの意外と分かるから気を付けた方がいいと思う。まぁ、アタシの体なら穴が開くくらい見てもいいよ! アタシとけーくんの仲だしね!」
なおも頬を紅潮させながら、彼女は綺麗な歯を見せて気持ちの良い笑顔で俺に言った。その笑った顔を見ると、不思議と心が安らぎ落ち着く。
ルック・アット・オッパイを公認された俺だが、それはそれでなんだか恥ずかしくなり、目を色々な方向へ泳がせた。
「もっと自分のことは大切にしろ」
「あれ、もしかして照れちゃった? 動揺してる~?」
ニヤニヤしてこちらを見る九条の顔も、そんなこと言いながら真っ赤だ。
「けーくんって、あんまり表情には出さないけど、分かりやすいよね。なんかちょっとした仕草とか、あとはそうだな~、うーん……でも、アタシには分かる! 幼馴染だしね!」
「幼馴染か。確かにそうだが、その時の記憶なんてほとんどないだろう」
「えー、アタシは結構覚えてるけどな~。けーくん、忘れちゃったの?」
「正直、あまり」
「はぁ……がっかりだよ~……」
九条はアピールするかのよう、露骨にため息をつき肩を落とした。と思ったら、すぐに顔を上げ、目をキラキラさせる。
「それじゃあさ、昔の分も今までの分も取り返そうよ!」
「は?」
「だーかーらー、これからたくさん思い出増やそうって言ってるの!」
「は……ぃ……?」
プロポーズかよ。はいって言いかけたぞ、俺。
「とりあえず近くのカラオケにでも行こ! 場所確保できるし、飲み物も飲み放題、気分転換とかに歌も歌える、コスパ最高! んじゃ、レッツゴー!」
九条は無理矢理俺の腕を引っ張る。
「おい、九条。学校は?」
「摩耶」
「は?」
「呼び方。もうその歳その顔でくーちゃんって呼ぶのは世間的に危ないし、苗字で呼ばれるのもなんかヤダ。だから摩耶ね」
サラッとひどいですね。
「いや、そういうことじゃなくてだな」
「ハイ、行くよー!」
こうして俺はされるがまま、九条に、いや、摩耶にカラオケへと連れて行かれるのだった。
もちろん、抵抗だってできた。だが、今日はいつもとは違う。違ったように過ごしたかったのだ。
それにしたって常軌を逸しすぎた。考えてみれば男女が個室で二人きり。そんなこと……って、マーシャといた時だってそうだったか。
「……」
「あー、気持ちよかった! 久しぶりに全力で歌ったよ!」
摩耶はマイクを握りしめて笑顔を向ける。いや、マイクって別に変な意味じゃなくて……エロいと思ったキミがエロいんだぞっ!
「はい、次はけーくんの番ね! けーくんって歌うまそう!」
「音程ははずさないぞ。まるでボーカロイドのような正確さだ」
「最近流行ってる機械のやつか~。でもさ、機械は機械だよね。やっぱり人が歌わないと!」
「そうだな」
痛い所をついてくる。
まさにその通り。いくら音程が正しくても満点ではないだろう。それだけでは必ずしも人を感動させることはできないのだ。
抑揚はつけられても起伏はつかない。今、俺はボーカロイドのように歌うことができると言ったが、厳密に言えば、俺はボーカロイドのように歌うことしかできない。感情の波を表現するなんて不可能である。
俺は悩んだ。今しがた間接的に否定された歌唱をして良いものか。そして、俺はついに心を決め、子機の画面を操作して曲を入れる。
「よっ! 待ってました!」
爆音がスピーカーから流れる。心を打ち付けるバスドラムが気持ちいい。
歌った。心を震わせて歌った。魂の叫びを俺は伝えた。
それを受け取った摩耶は驚いた表情で俺に言う。
「そ……その……すごいね……」
字面だけ見れば褒め言葉だろう。
「そういう曲もあるんだ~……」
ドン引きだった。
「かっこいいだろう? スリープノートっていうバンドなんだが、ドラムが凄くてな」
「うん、いや、確かに演奏もすごいけど、その声っていうか……」
何故この曲を選んだのか。それはある程度この声を使えば起伏等々誤魔化せるからである。
「フォールスコードスクリームのことか。本人がこれを使って歌っているかは知らないが、一番似たような声を出せる。まぁ、俗にいうデスボイスだな」
「ミニマム ザ ハラミとかが使ってるやつだっけ? 化け物みたいな声だねぇ……」
さすがハラミ。パンピーにも知られているミクスチャーバンド。ちゃんと表記する時は半角空けろよ。
……化け物。嫌なことを思い出した。あの血生臭さがまだ奥深くに残っている。
思えば、あんな過激な光景を目にしてよく吐かなかった。普通なら嘔吐してもおかしくないはずだ。
どうして? 人間が死んだわけではないから? と殺なら平気だから? だが、あれは完璧に人間の姿をしていたし……いや、本質が化け物だからか? 本質が化け物……。どっちがだ。
「俺って感覚おかしいか」
妙な間を空けて言った俺に、摩耶は一瞬困った顔を向けた。
「んー、確かに。人とは少し違うかな。計るための針がちょーっとだけ狂ってる?」
それを聞いてまた黙ると、辛気臭い空気を嫌う彼女は茶化すように俺の隣に座ってからかい始める。
「何ぃ? 悩んでることあるなら相談に乗るよ~? 恋煩いかな~? どれどれ、お姉さんに何でも言ってみなさいな」
「ん?」
「ん?」
「いや、反射的に、つい」
うーん、といったように首を傾げた後、意地の悪い表情を浮かべ、彼女はさらに近寄ってきた。
顔が近い。そりゃあもうとんでもなく近い。どんだけ近いかって言われたら……近いって!
「ん~? ほらほら、遠慮せずに話してみなさいって!」
そんなに顔を赤くするならやらなきゃいいのに。可愛いな、おい。
噴火寸前の我が魂を鎮めながら取り繕うように言葉を紡ぐ。
「美女と野獣ってあるだろう?」
「うん? おおまかな内容なら知ってるよ」
「あれは……美女が野獣の本当の姿を人間だと知っていたんだったか?」
「え、疑問形? けーくんはちゃんとその内容知ってるんじゃないの?」
「いや、うろ覚えだ。まぁ、確か知らなかったはずだな。知らなかったことにしてくれ」
摩耶は何かに安心したような笑顔で話の続きを待った。
「美女は野獣を見た目だけでは判断しなかった。その心に、その本質に惹かれて、徐々に好意を抱くようになる。最終的に彼女は野獣の妻になると言った。すると、野獣は元の姿である人間に戻ったわけだ」
「端折りすぎじゃない?」
「ここしか必要ないからな。それでだ。これはこれでいい。ハッピーエンドで大団円。けど、俺が問いたいのは全くの逆だ。見た目で判断して歩み寄るが、実のところ根本は別物。外面と内面がちぐはぐで、それも相当なギャップだから補完はできない。挙句の果てには、その相手に対して多少なりとも嫌悪感を抱いてしまう。世の中にありふれたこんなこと、世間一般の皆々様は一体全体どう考えて、どう解決しているんだ。俺は不思議でたまらない」
俺の口述能力が秀でていないのか、はたまた摩耶の読解能力が欠如しているのか。
おそらく前者だろう。
彼女は俺の言葉の真意が伝わったような素振りを見せてはくれなかった。ただ、彼女は彼女なりに俺の悩み事に対して真剣に向き合ってくれているようで、腕組をしながら、んーんー、と唸って幾度か首を左右させる。
そして、納得のいく答えが見つかったらしく、近すぎず遠すぎずの距離を保って俺の方を見た。
「成り行き、風任せ。後を考えるんじゃなくて、今を考えるんだよ。嫌いになっちゃったんならそれでいいと思うし、きっとそれは全くの嘘じゃない。でもさ、前に好きだったのも本当でしょ? そんで、その後また好きになっても、それも本当。その時その時でいいんだって。深く考えなくていい。自分に正直に生きようよ」
同じトラックを走っているのに違うゴールを目指しているような会話に少し膠着していると、摩耶は再び眩しい笑顔を向けて言う。
「自分の世界は自分中心に回ってる。好き勝手にやりたい放題行こう!」
「……お前に相談した俺が馬鹿だったよ」
「何それ! ひっど!」
そんなことを言いながら、俺の心中はとても晴れやかだった。




