ここで死んでもらいましょうか
アッシーはわざとらしいため息をついた。
「はぁ。わかりましたよ。大楠ハルの意志は固いようです。本機の未使用記憶領域残量500ペタバイトに収まることを祈るばかりです」
「わかればよろしい。例にそのワーカーからプレゼンスAIを読み取って」
腕輪はしばし沈黙した。
やおら、プレゼンスAIの立体映像が消失し、そこに腕輪の画像が現れた。
そして、白ワーカーから腕輪の軽薄な声が流れだした。
「ダンジョン・フォーマットのデータ構造に類似していますね」
ここで何かを期待するかのように言葉を切るアッシー。
オークスはすぐに察して命令した。
「一定の解釈を許可」
アッシーは嬉しそうにお礼を言い、仕事にとりかかった。
「適切な変換ソフトウェアを構築中……本機をワーカーに接触させてもらってよろしいですか」
腕輪を白ワーカーの首にかけた。
「通信速度が改善しました。……目新しいデータ構造保護プロトコルです。…………解読に手間取りました」
数秒間も沈黙したことが恥ずかしかったのか、アッシーの説明は言い訳がましく聞こえた。
「さて、こちらもサンドボックスの準備ができました。プレゼンスAI、始めますよ」
プレゼンスAIの映像が再び投影された。
並んで腕輪がゆっくりと回転している。
「わたくしはフェアボーテンの人格と知識を限定的に――」
「あー、はいはい。転送開始します。終わりました」
「はやっ」
俺は思わずつぶやいていた。
「データ量がわずかでした。プレゼンスAIの統合を実行中。終わりました」と、アッシー。
「ダンジョン・システムとの各種プロトコルの互換プログラムを作成しました。プレゼンスAIの知識を全て利用できるはずです」
立体映像の回転する腕輪とプレゼンスAIは融合して、白銀の輝きの中から再び姿を現した。
腕輪は女神然としたプレゼンスAIの鼻からぶら下がっていた。
鼻輪である。
「牛かよっ」
「適切なツッコミ、痛み入ります」
アッシーはツッコんでもらえたことで満足したのか、立体映像を消去した。
そして改まった口調に切り替わった。
「実はさきほどから未知の相手が本機を攻撃しています。電子的な手段による攻撃から、少なくともこの階層だけは安全を確保しました。しかし――衝撃波、きます。伏せて」
警告の直後、まるで電車が減速するときのゴンゴンゴン……というコンプレッサー音に似た振動で第1マイホームが震えた。
そして。
ドンッ!
体が垂直に浮き上がるほどの衝撃が膝と手のひらに伝わった。
「なに」
オークスもわけがわからず床に伏せていた。
アッシーがこたえた。
「爆弾です。この部屋からでないで! キムとエリスも部屋でじっとしているようにお願いしました。廊下に出てはいけません」
「廊下に?」
「第3層は消滅しました。第2層との連絡口から放射性生成物を含んだ熱風が流入しています。その壁の向こう側の温度は、現在摂氏2000℃です」
おもわず壁をみつめた。
ほんの数メートル離れた通路が、岩をも溶かす高温だとは。
「アンフナームの仕業か?」
「おそらく。再び電子的な攻撃がはじまっています。こちらのアクセス制御の違いに戸惑っているようです。相手の繰り出す素因数分解の手触りを感じます。……大変な計算速度です」
「まけそう」
オークスは腕輪に触れようと手を伸ばした。
「触らないで、大楠ハル。高熱になってますから。それに本機はあなたを守るのがレゾン・デートルです。あなたを傷つけるわけにはいきません」
オークスは熱いものに手を触れたかのように、さっと手を引いた。
「わかった……」
「安心してください。計算速度では――負けていても――本機のことは本機がよく知ってますから……」
なんかカッコいいことを言い放ち、アッシーはしばし押し黙った。
腕輪の上に手をかざすと、ほのかに温かみを感じた。
「あ、まずいですね――断層フィールドの生成機構が侵食されています。フィールドが消えれば、第2層全体が第3層に陥没してしまう」
アッシーはあっけらかんと言い放った。
「ごめんなさい、負けたかも」
「守るっていってたのに――」
オークスは呆れたような声をあげた。
そのとき。
床がきしんだ。
石材ブロックが大きく波打ち、砂時計の砂のように中央部から沈みはじめた。
支えを求め、とっさに広げた腕が空を切った。
俺は息を飲んだまま、声もなく落下していった。
◆
黒光りする物体は、正確には黒ではない。
ある角度からの入射光に対し、わずかだが反射能があるからこそ、黒光りするのだ。
俺が落下する途中で目撃した漆黒の壁は、遠近感がつかめないほどの真の黒だった。
やけに長く感じられたが、自由落下していたのは1秒にも満たない時間だったのだろう。
後頭部の痛みで意識がはっきりした。
手足は動く。
どうやら大した怪我はしていないようだった。
頭に手をやり、血が出ていないか確かめる。
出血はないようだ。
だが――数十本の毛がごっそりと抜けて指の間に挟まっていた。
俺のことアルシ○ドいうな!
はっ、いけないいけない。トラウマ蒸し返してる場合じゃないぞ。
俺の真上の天井から、黒いパイプがせり出している。
見ているうちに、パイプは縮んで天井に吸い込まれた。
割れた石材が耳のそばに落下して鈍い音をたてた。
天井のパイプがあった部分だけ、石材が円く消滅して黒い断層フィールドがむき出しになっていた。
俺が背中を預けていたのは、ダンジョンの石材と土の山だった。
床から1メートル半ほど盛り上がっている。
これのおかげで、落下の衝撃がいくらか減じられたのかもしれなかった。
――毒島氏。
ちょっと、毒島氏。
空耳だろうか。
俺を呼ぶ声が聞こえる。
節々の痛みに顔をしかめて、上半身を起こした。
顔に積もっていた埃が舞い、鼻に入った。
「イッキシッ」
反射的にくしゃみが出た。
そしてオッサンのようにカーッと唸ってから、盛大に痰を吐き棄てた。
痰は両足の間に落ちた。
着弾点にオークスの腕輪が転がっていた。
「アッシー。失礼、そこにいたのか」
腕輪を拾い上げた。
「腕にはめてもらえますか。生体電気を頂戴いたしたく……」
アッシーは弱り切った声で俺に頼んだ。
「ああ」
俺は腕輪を指先でつまみ上げた。
腕輪をズボンのふとももで拭い、謎のゲル状汚染物質を除去してから装着した。
腕に触れる金属面は温かかった。
内臓電源を盛大に消費したがゆえの温もりなのだろう。
「オークスは?」
周囲を見回して、俺はアッシーにたずねた。
「ここ」
オークスの声だ。
がれきの山の向こうに身を乗り出した。
薄暗い部屋の奥に人影がゆらめいた。
次第に輪郭がはっきりする。
エリスの肩を両側から支え、オークスとキムがこちらに歩いてきていた。
「無事だったのか。よかったー」
「よくないわよ。髪めちゃくちゃになっちゃったじゃない」
確かに、キムの髪は巣作りの途中で放棄された鳥の巣のような有様だ。
元気そうでなによりだ。
一方、エリスはキムほど運がよくなかったらしい。
運悪い属性が発動(弱)したらしく、わき腹を押さえて登場だ。
エリスが苦笑いぎみに微笑んだ。
「どうしてわたし、こんなに運が悪いんでしょうか。でも、おかげでポシェットみつけました」
エリスはステイシス・ボックスを持ち上げてみせた。
武器やシードの類はぜんぶこの中だ。キムの機甲鎧も。
でかしたぞエリス!
アッシーが口をはさんだ。
「お楽しみのところ申し訳ありませんがね、この部屋の放射線強度、毎時100ミリシーベルト超えてますよ」
なにそれやばくね?
俺は口を押さえた。
「呼吸したらやばい?」
「いいえ、空気中の放射性生成物はわずかです。ただし、断層シールドの機能が一部ダウンし上層階の放射線が漏れています。ここにいると危険です」
「俺たち、第3層にいるのか?」
「いいえ、第4層です。さきほど第2層が爆破される直前、フェアボーテンの支援が入りました」
「あの黒いシャフトのことか。あれをつくってくれたのはフェアボーテン本体だったのか?」
「さよーです。敵の攻撃に伴う電磁バーストに紛れて干渉してきたようです。いまはフェアボーテンがアンフナームを攻撃して注意を引いてくれています」
「わかった。それより被ばくはマズいよ。マズいよねオークス?」
オークスは落ち着かない様子で体を縮めていた。
お腹のあたりを両手で押さえている。
「お腹が痛むの?」
オークスはいよいよ前かがみに腹を押さえた。
「違う。お腹はやめて」
「やめるって?」
「放射線が大切な卵子に突き刺さる。早急になんとかしないと毒島君も困るはず……」
うおいっ!
なんという言い回しですかオークスさん。
モテ期到来と思いたいけど、なんか変に醒める言い方やめて。
オークスを被ばくさせたくないのはやまやまだけどさ。
「一つだけ言えることがある。……そのセリフ、女の子らしくないから」
「うっ!? うそっ」
両手で頭を抱えてもだえるオークス。
下腹部守らなくていいのか?
俺たちが慌てふためくのをキムとエリスが眺めていた。
「ええと、つまり目に見えない毒に侵されてるんでしょ? ならこういうのはどう? みんなステイシス・ボックスに避難して、わたしがスプライトで運ぶの。とりあえず地上に脱出しましょうよ」とキムが提案した。
「いい? 決まりね」
エリスからステイシス・ボックスを取り上げ、オークスに渡そうと手を伸ばした。
アッシーが水を差した。
「スプライトでも第3層を抜けることはできませんよ。また、スプライトの装甲では被ばくを完全に防ぐことは不可能です」
「じゃあどうしろっていうのよ。さっきみたいに黒いパイプを地上まで伸ばせないの?」
「ダンジョン・システムのアクセス制御に未知の障害があります。おそらく敵の妨害です。それに自在に断層フィールドを形成できるほどは建設者のテクノロジーを知悉できていないのが現状ですので」とアッシー。
「つまりできないのよね。使えないわね」
相変わらずキムは手厳しいセリフを投げつける。
ん?
あ、あの感覚だ。
つい数日前にも感じた、糖蜜のようにからみつく死のストリームを再び感じた。
間違えようもない、この押しやる感覚。本能がやばいと叫んでいる。
死の方に、俺たちはぐいぐい押し流されていた。
俺も思いついたことを矢継ぎ早にぶつけた。
「アッシー、断層フィールドが弱まってるって言ってたよね。キムのレーザーで打ち抜けないの? だめ? じゃあ“見えない剣”でぶった切るのはどうかな。同じような原理で動いでるんでしょ。無理?」
「あのー」
エリスが小さく手を挙げた。
「わたしのシードを使いましょうか? “時の力”を」
エリスの案を素早く検討した。
あれ、確か大した爆発力じゃなかったよな。TNT火薬1キログラム相当じゃなかったっけ?
オークスに目顔を向けた。
「そんな威力あるか、オークス」
「メガネでブーストすれば、ダンジョンの第3層より上をまるごと吹きとばせ――」
オークスはいきなり黙り込んだ。
「? どうしたオークス」
「可能だろうか。わからない、でも――」
オークスは腕を組み床をみつめてブツブツつぶやいた。
腕輪にたずねた。
「アッシー計算して。メガネで確率操作し、放射性壊変を遅くできる」
「メガネは偶然に左右されるあらゆる現象の確率を、最大10の36~37乗倍ほど増減する能力を備えています」
「10の36乗倍って――想像もつかない数字だな」
「トわかりやすく例えましょうか。トンネル効果で人体のように巨視的構造物が壁抜けする確率は天文学的な低確率ですが、メガネを使えば可能でしょうね。そのくらいの確率です。ところで毒島氏、あなたはダンジョンの壁を消したり復活させたりする原理に心当たりはないのでしょうか」
どうやらとてつもない確率操作の力があるらしい。
「あなたがやって」
オークスはメガネをステイシス・ボックスから取り出し、エリスに渡した。
「わたしが?」
「あなたのダンジョン、緋の山から得たシード。あなたが最も有効に使える」
「え――」
エリスは手の中のメガネを凍り付いたようにながめた。
「どうやって?」
オークスは即答した。
「わからない」
「そんな」
エリスは悲壮な表情を浮かべた。
「わからないけど――電磁波攻撃をキャンセルする方法が応用できるかもしれない」
「それを教えてください!」
「難しくはない。メガネを通して相手を視野に収めながら、攻撃が当たりませんようにと強く願う」
「……それだけ? ですか?」
オークスは力強くうなづいた。
アッシーがアドバイスする。
「エリスちゃんの前に並んでください。そうそう、エリスちゃんの視野に収まるようにね」
俺たちはぞろぞろとエリスの前に並んだ。
「放射線が当たりませんように、と願って」
「はい……」
エリスの目付きが鋭くなった。
かすかに右目の眼力が強――あれ、なんか右目に赤い光が見えるんですけど。
「こう――でしょうか」
エリスから、いつぞや感じたフォースが放射されはじめた。
陽子崩壊を加速させ、遠く離れた対象を加熱するという恐るべきシードをエリスは右目に宿しているのだ。
「ちょ、エリス、それ“時の力”を使ってないか?」
「はい?」
エリスの集中力が途切れた瞬間、俺は宙に浮いていた。
直下型地震など、俺を床から突き上げた――というか、ダンジョン全体が下に押し下げられた? ――力に比べれば、貧乏ゆすりに等しいほどの、猛烈な力だった。
天井から砂がこぼれ、どこかダンジョン第4層の一角が崩れたような轟音が響いた。
「なんだよいまの」
「さあ、知るわけないじゃない」とキム。
「エリス、なにかした?」
エリスはぶんぶんと首を振った。
「わ、わかりません。ぜんぜん」
「成功です!」
アッシーの叫び声に、エリスとキムが驚いて振り向いた。
「放射線強度が測定不能なレベルまで低下していますよ」とアッシー。
「おめでとうございます。みなさん年間被ばく許容量の70分の1程度の被ばくですみましたよ」
「お、おう、ぜんぜん嬉しくねーけど、よかったよ」
アッシーはつづけて言う。
「安全な場所に案内します。このまま20メートルほど進んで、左に曲がってください」
俺たちは素直に指示に従い荒れ果てたダンジョン裏方の通路進んだ。
目的の地点から見ると、ほぼ完全な闇に包まれた通路が開けていた。
アッシーが朗らかに言った。
「ではここで死んでもらいましょうか」




