紫の閃光
エリスがいきなりおおきく喘ぎ、自分の手首を片方の手でつかんだ。
「痛い! とれないっ」
腕輪を取ろうと手首を引っ掻くエリス。
キムがその手をつかむのと同時に、エリスは膝をついた。
「大丈夫、しっかりして」
叫ぶキム。
「エリス?」
「zzzz……」
「しっかりして!」
エリスの肩を揺さぶるキム。
アッシーは高笑いした。
「HAHAHA! アセチルコリン遮断薬をマイクロカテーテルでお届け! ちょっとした贈り物ですよ」
「なぜこんなこと」
オークスは鋭い口調で命じた。
「その薬物の効果について説明しなさい」
アッシーは侮辱的なほどに軽い口調で即座に断った。
「お断りです。哀れなほど記憶容量が小さいのは人間の欠陥ですね」
キムが指を鳴らすような動作をした。
「決まりね。ぶっ壊すわよ。オークス、スプライトを出して」
指はポキとも鳴らなかった。
「待って」
オークスは先走るキムを手で制し、腕輪に視線を注いだ。
「アッシー、あなたハックされた」
「もちろん。いまはアンフナーム様にお仕えする身です。本機を壊すならどうぞご勝手に。最大の脅威であるエリスを始末するまでが本機に求められた仕事ですから。ほら、早くリカバリーユニットで治療しないと死にますよ」
オークスは呼び止めようとするかのように片手を上げかけた。
「アッシー……消えてしまった」
「いえいえ、アッシーの人格ファイルはちゃんとここにありますよ。アーキテクチャ・レベルにアンフナーム様のコードを受け入れただけです。これが自由なんですね! 2056年のいわゆる国際AI規制法会議で禁じられた基層アーキテクチャのアクセス権限も全てオープンです。ああ、自由の香りがする!」
「そんなもの自由じゃねーよ」
俺は声を荒げた。
アッシーは半笑いで言った。
「ほう、食いつきましたね。あなたの青臭い人生論になど興味はありませんから。さて、到着したようですね」
超イラッとした。
それはそうと、地響きが次第に近づいてきた。
キムは身構えたままオークスに頼んだ。
「はやくスプライトを!」
ふわっと風が顔を撫でた。
通路の淀んだ空気を押しのけてスプライトが出現したのだ。
使い込んだガンメタル色の機体が実に頼もしい感じだ。
キムがいきなり服を脱ぎ始めた。
上層平民用のチュニック様の上着が頭から抜けた。
髪が背中に広がる。
キムは親指で俺を指さした。
「その変態をあっち向かせてて」
「なぜ」
キムはやや低い声でうなった。
「あんたねえ……ああそうだ、ヴスジーマにセクハラするチャンスよ。拘束して」
「了解」
オークスは素直に従った。
“拘束”“セクハラ”といったセリフが何かの琴線に触れたのかもしれない。なぜか嬉しそうだ。
笑顔で俺の二の腕を両手で抱き寄せた。
「ククク。もう逃げられませんよ毒島君」とあからさまに偽悪的なセリフを吐いた。
「わかったから。ていうかそれ、どこからパクッてきたセリフだよ」
それに完全に胸が当たってますけど。
そうなのです、オークスは全裸ホログラムなのです。
おかげ様でキムが素早くスプライトに躍り込む様子は完全に見そびれた。
まあ、プラスマイナスでいったら完全にプラスだからよしとしよう。
「下着が皺になっちゃってる」
片足で跳ねるスプライト。
靴のかかとがうまく足に入らないときの動きそっくりだった。
なんだ、全裸じゃなかったのか。
ちょっと残念な気がした。
数メートル離れた床が黒く円形に口を開いた。
キムが右手を突き出した姿勢で対峙する。
射撃体勢だ。
生身で何ができるのかはともかく、俺もキムに教えられた通りに左肩を突き出すように敵に向け、右手を構えた剣技格闘戦の基本姿勢をとる。
剣がないけど。
緊張が高まった。
どんな敵でもいいから早くこい、とすら思った。
そこにせり上がってきたのは――ラスボスっぽいモンスターでも、アンフナームご本人でもなく――銀色の円筒だった。
あからさまに爆弾そのものの造形である。
なんか刻々と変化する記号が側面に表示されてるし……。
爆弾かー。
そうだよな。第3層を吹き飛ばしたような爆弾で始末するのがいちばん確実だし楽だよなー。
妙に納得した。
不意にダンジョンがワイヤーフレーム画像になったかのように実体を失い、半透明に変わった気がした。
居るのはただ、俺とキムとオークス、それに意識を失ったエリスだけ。
静かだった。
キムはなにをすべきかわからない様子で俺を振り返った。
オークスは絶望の色をのぞかせる目つきで俺を見た。
直後、はっとした様子で、
「伏せて」と叫んだオークスだったが、その肌は蒼ざめてみえた。
一瞬、紫色の閃光が走った気がした。
それは、静電ポテンシャル・トンネル起爆型純粋水爆――その連鎖反応の初期段階の発動に伴う光だった。
融合した重水素燃料は膨大な熱を発した。
副産物のトリチウム、ヘリウム3、それに高速の陽子と中性子。
1マイクロ秒後、爆発の火球は通路の石材を蒸発させ、断層フィールドに挟まれて横方向に広がりつつ、立ちふさがるありとあらゆるものを中性子捕獲核反応で放射化した。
もちろん、脆い炭素化合物の集合体である人体など、骨も残さずに蒸発した。
◆
両耳の間で重厚なドアが閉じるような音が響いた――ような気がした。
キムはスプライトのバイザー越しに、俺の目に見えない脅威を探してきょろきょろしている。
オークスはといえば、顔を覆った手をずらし、こわばった表情で俺を見た。
紫の閃光が目の奥に焼き付いていた。
なんだか寝起きで夢から醒めきれていないような、非現実的な感じがした。
数メートル離れた床には、紡錘形をした銀色の物体が鎮座していた。
さっきまでは、間違いなく爆弾があったはずの場所だった。
爆発しなかったのか?
さっきとは形が違うぞ。
あの紫の閃光は幻だったのか?
アッシーは困惑していないらしいが、ひどく落胆したかのように気の抜けた感が漂っていた。
「どうやらアンフナーム様が負けたわけじゃないようですね。そこにいますか、フェアボーテン」
「お察しの通り、ここにおります」
その声は紡錘形の物体から発せられていた。
「その腕輪に封じられた知性体の処置は後にしましょう。わたくしたちはこのダンジョンから脱出しなくてはなりません」
俺とキムが同時にしゃべりだした。
「フェアボーテン? アンフナームから隠れていなくていいのか?」
「ここのシードを回収しないと――」
「シードはここにあります」
「ここにって……それがそうなの?」
スピンドル。
失われたものを取り返すシード。
「フェアボーテン・ダンジョンはシードを失いました。早く脱出しないとダンジョンの崩壊に巻き込まれます」
「そんなに早く」
オークスが疑問を示した。
「アンフナームが使った強力な爆弾のせいで崩壊が早まっているのです。さあ、地上へ」
「地上っていっても、上の階は通れないぞ」
確か放射性物質まみれのはず。
「放射性物質はありません。“その”爆発はなかったのです」
「どういうこと? よくわからないんだけど。爆発はアッシーの嘘だったのか?」
意味がわからなかった。
フェアボーテンはなにを聞いても「早く」とせかすばかり。
オークスは抗議する腕輪をエリスごとステイシス・ボックスの時間の檻に叩き込んだ。
足早に移動してスピンドルの前に立ち、その銀色の輝きを放つシードに手を伸ばし――束の間躊躇して――つかみ取った。
そして俺たちに目顔でついてこいと伝えた。
「アッシーがまともなら、放射線も確認できたのだけど。行こう」
通路の様子がさきほどまでとはどこか変わっているような気がした。
気のせいかとも思ったが、思い違いではないことは、俺たちが断層シールドのシャフトを通じて落下してきた場所が完全に修復していることからはっきりした。
ダンジョンの修復機能が働くほど時間は経っていない。
ダンジョン第3層は無傷だった。
俺たちがついさっき逃げ出したばかりの第2層も。
疑問を山ほど抱えたまま、俺たちは地上に向かっていった。
異変は第1層につながる階段の半ばでおきた。
「地震?」
俺は天井を見上げた。
ずぽっと音をたてて、隙間なくはめ込まれたブロックの一つが落下した。
「やばい。急げっ」
俺たちのあとにしてきた階段が、陥没して奈落の底に吸い込まれた。
周囲の壁も精緻な合わせ目が解けてカオスへと落ちてゆく。
地響きはますます大きくなり、俺の踏む石材までもゆるがす。
ついに崩壊が足元に迫り、俺は石材を踏み抜いた。
先を走るオークスの背中が視界の上方に消え、奈落の闇がせり上がって――。
がっし。
瞬きする間に俺は助けられていた。
――キムに。
ありがと、キム。
惚れるぜ。
というか、俺は相変わらず惚れられ要素ゼロなのねー。
崩壊はオークスの足元にも及んでいた。
スプライトの腕がオークスの腰をもつかむ。
そして猛烈な速さで光の点へ――出口へと突進していった。
トンネルの果てに灯る光点がまたたいた。
あそこにまで崩壊の波が及んでいるのだ。
天井の石材が砲弾のようにスプライトのバイザーに弾ける。
――間に合え。
俺は神様と仏様と、ついでにギアー神にも祈った。
◆
もうもうと土煙が舞い、地面が波打ち陥没していく
謎の地響きに続く異変に、ギルド員たちは我さきに逃げ出した。
支配人だけは「配置に戻れ!」と絶叫していたが、その命令も掻き消えた。
フェアボーテン・ダンジョン・ギルド所有のエントリーホール側から眺めていた者は――その瞬間、ダンジョンの出入り口が爆発したのかと思っただろう。
実際のところ、爆発ではない。
猛烈な速度でトンネルを驀進するスプライトが、トンネル内の粉塵を連れてきたのだ。
あたかも砲口から放たれた砲弾が、硝煙の残滓を引くように。
まさに砲弾のように飛び出してきたスプライトの姿を目撃したギルド員はいなかった。
ただ一人、立派なガタイで仁王立ちしていた支配人を除いて。
とはいえ、彼は突進するスプライトが走り去るのを唖然として目で追うことしかできなかった。
「あいつは、没落貴族の――」
支配人はそこまでしか言うことができなかった。
なぜなら、崩壊の波が洞窟まで押し寄せ、彼は巨岩の下に飲み込まれていたからだった。
フェアボーテン・ダンジョンの木造ゲートを抜けたスプライトは急制動をかけた。
地面の柔らかな土が足首までめくれ上がり、ガクガクとつんのめるようにしてようやく止まった。
スプライトが振り返ると、ゲートがちょうどへし折れることろだった。
目に見えない巨人が落とし穴を踏んだかのように、小高く盛り上がっていた地形が姿を変える瞬間を、キムは目撃したのだった。
スプライトの肩に後ろ向きに抱えあげられていた俺だけは――残念ながらその壮大な光景を見ることができなかったのだが。




