緋の山
誰もいない部屋にテンプルナイツが突入したのは、オークスが窓から脱出した30秒後のことだった。
「失敬、失敬」
テンプルナイツの黒づくめの男たちをかきわけてシグリクが現れた。
「また逃げられたか」
Sマインの爆発によって粉々になったベッドの残骸を蹴飛ばした。
「オライオンで建物ごと破壊していれば……」
一人の聖兵が進み出た。
「シグリク様、こんなものが」
長さは人の二の腕より短いくらい。金属の棒と透明な部分から成る見慣れぬ道具が握られていた。
「これは……」
「悪魔オークスのシードに違いありません!」
「うむ、確かに。引き金もある」
シグリクはその細長い棒を慎重に受け取った。
シードを一つ取り返したのならば、捕縛失敗の言い訳に使える。
「よくやった。徹底的に探せ、他にもあるかもしれん」
「はっ」
聖兵たちは一斉に部屋じゅうに散らばる残骸をほじくり返しはじめた。
第1マイホームの内部はすっかりキレイになっていた。
部屋の隅に溜まっていたゴミは一掃され、使用済みワーカーの胴体もどこかに消えていたのだ。
6畳一間のアパート程度の部屋の中央には、手足を縛られたエリスが腕を体の下にして転がっていた。
そして、エリスを中心にして俺とキム、そしてオークスが座っていた。
エリスは人が変わったかのように、激しい視線をオークスに向けていた。
「この悪魔! わたしを騙して中に入って、フローレス家を破壊しておいて――よく顔をみせられましたね」
オークスは困ったような表情を浮かべている。
「中に入って?」
大いに誤解を招きかねないセリフに、俺は困惑した。
エリスはぐるりと全員を見て、訴えた。
「そうです。こいつはわたしをさらって、利用して、捨てました。こいつが……」
前回と同じようにダンジョンの裏方に侵入したオークスは、ステイシス・ボックスから俺たちを出した。
無事にマイホームにたどりついたほっと一息いれた。
だが、俺がオークスの名を呼んだ瞬間、エリスの身がこわばった。
そして、いまのオークスが女の体になっていることを知ると、エリスは素手でオークスに襲いかかったのだ。
身をよじりながら叫んだ。
「こいつが、全てを奪いました」
俺たちを裏切ったことの真偽など、どこかに吹き飛んでしまった。
丁寧語で語られるせいで、エリスの激しい語気は迫力を増していた。
「どういうこと? あったことを全部話して」とキム。
エリスは激しい呼吸の合間で言葉を搾り出した。
「わたしはこの男――女のせいで、養民に墜ちることになったのです」
◆
緋の山ダンジョンは、ヴィクトリー大陸でも最難関のダンジョンとして知られている。
歴史も古く、降魔戦争の初期に生成したダンジョンなのだそうだ。
山岳地帯ゆえに人口も少なく、難関ゆえに冒険者の数も少ない。
順番に考えればわかるように、冒険者が少ないから関連産業も貧弱で街も小規模だ。
「緋の山ダンジョンが関係あるの?」
「わたしの家系、フローレス家は……緋の山のキーでした」
「フローレス家? じゃあ、わたしと同じ貴族だったのね?」
エリスはコクンとうなずく。
「懐かしい家はとり上げられました。家族ももういません。ダンジョンが崩壊したからです」
両手をみつめて、エリスは続けた。
「わたし、なにもできなかった。だって1000年もそうしてきたんだもの。自分の手で生活の糧をかせぐことなんてできなかった」
「ダンジョンがクリアされて、街が衰退したのね」とキム。
「こいつにさらわれたとき、お父様はわたしを守ろうとして怪我を負いました。ダンジョンが崩壊すると、大勢の街の人たちが生活しやすい里に去りました。借金の利子支払いが滞って――」
あとは、本当にわかりやすい転落コースだったらしい。
貴族を貴族たらしてめいるのは、職権や地位による権力……ではない。権力がもたらすカネが力の源泉だ。
それがなければ、徴税請負人や借金回収業者に資産を差し押さえられ、養民に転落するのも時間の問題。
エリスは頭を抱え、喋り続けていた。
「お父様は酒場で喧嘩に巻き込まれて――。お母様はそのショックで。弟は虫歯が骨にくいこんで死にました。三日前に」
「虫歯で? そんな馬鹿な」と俺。
ラーメンの汁で溺死するのと同じくらいありえないだろ。
オークスが遠くを見る眼つきで解説する。
「この世界に医者はいない。治療行為は教会に告発される。もっとも“治療”といっても歯を抜いて傷跡を焼灼するだけ」
マジで虫歯って死に至る病気だったの?
そういえば、この世界には歯ブラシがない。
あるわけないな。ナイロン製の安く丈夫で清潔な歯ブラシなんて、俺たちの世界でだって第二次世界大戦後に一般化した。
戦前まで、歯ブラシといえば硬い馬毛を使ったぜいたく品だった。
「お金さえあれば闇医者にみせることもできました。あのまま、平穏な生活が続いてくれればそれでよかったのに。どうしてわたしが助かって、あの子が虫歯で――」
エリスは挑むような眼つきでオークスを見上げた。
「だから、あなたを――殺します!」
告白するうちに感情の抑制が切れたのか、語尾は金切り声まで高まった。
「エリス――」
オークスを殺すなんて、エリスはもちろんキムにだってできないだろう。
実力が違いすぎる。
ということは、つまり――。
「死ぬ気か、エリス?」
「……」
エリスは黙った。
肯定、か。
「あのとき助けたのは、無駄だった?」
エリスは叩きつけるように叫んだ。
「そうです! あのとき、血が抜けていくにつれて、わたしの心を苛んでいた呪わしい気持ちが薄れていきました。健康じゃないと、呪う気力もなくなのですね。痛かったけど、やっと楽になれると思いました」
「あなたも責任をとってください。わたしを殺すことで……」
なんてこった。
とうに見捨てられていたものを拾い上げたってのか。
目にいっぱい涙を溜めて、「殺して」などと頼まないでくれ。
オークスは膝立ちになってエリスをみつめた。
エリスが息を飲み、みじろぎした。
おもむろに彼女の戒めが外れ、床に落ちた。
エリスは何がおこったか把握できない。
「あ……え……?」
「それが望みなら」
オークスは両手を広げた。
「こちらに来て。痛まないようにします」
エリスははっとした表情でオークスを見上げ、視線をそらせた。
指を何度か開閉して、拳をつくる。
そうすれば、拳の中に勇気を取り込めるとでもいうように。
やがて、エリスの腕は力なく膝の上に落ちた。
「あなたまで優しくするのですか」
彼女は床に横座りしたまま、小刻みに震えていた。顔色も悪い。目の下には隈ができて、こころなし目が落ち窪んでいた。
エリスは人差し指で力なく自分を指さした。
「教会に密告したのはこのわたしです」
そして重たい動作でキムの方を向いた。
エリスの顔は、赤い髪で半ば隠れている。
その頬を涙が流れ落ちた。
「誰でも良いです。殺して。殺してください、無残に。もう、そうするしか――」
そうすることでしか――抗議の意思を示せないのか。
自殺は世界への最後の抗議だ。
無力な者の最後の呪いだ。
どうせ手放す命なら、せめて相手の心を永く煩わせる、重苦しい棘になりたい。
エリスの思考の流れが読み取れた。
なぜなら、経験済みだからだ。
俺だって何度も考えた。
死の瞬間を想像した。
生きて戦うことを放棄する気なんだ、エリスは。
それは自分が傷つきたくないから、逃げるってことだろ。
「エリス……」とキムが名を呼ぶ。
エリスはその瞬間を捉えて叫んだ。
「はやく! お願いですからこれ以上優しくしないでください」と。




