矛盾
支えを求めて盲人のように手さぐりするエリス。
それでも顔を覆う手の隙間から、状況を見て取ったのだろう。エリスは座ったままの姿勢で、信じられないほど素早く壁際まで逃げた。
カタカタ鳴っているのはエリスの奥歯だ。
「許して、助けて……」
クロスウィンドはニカッと笑った。
「ダメぇー」
「ひぃぃ」
エリスは甲高い悲鳴をあげた。
よほど空間の裂け目がおそろしいのか、何度もマーブル模様が渦巻く裂け目を見ては、視線をそらした。
おそろしいもの、おぞましいものは視線を引き寄せる。
押し殺した声で警告した。
「その空間を見るな、エリス!」
彼女は大きく目を見開いて、俺の言葉が届いた様子はない。
「ほーら、裏切り者ちゃんを返すわよぉー」
虐待の喜びのためか、クロスウィンドの口から鋭い歯がのぞいていた。
スプライトの腕が下がった。
「エリス、本当に?」
クロスウィンドはニヤニヤして言った。
「早くこたえてよねぇん。急がないと――」と空間の裂け目に視線を転じた。
「いやです、そこは、いやです」とエリス。
エリスは両手を床についたまま、はっとした様子で俺を見上げた。
いま気づいたのか?
キムは無言で立ちつくしている。
エリスは両手を胸の前で握り合わせ、キムではなく俺をみつめていた。
口元を血で真っ赤に染めた俺と視線が合う方が、キムと合うよりマシなのだろう。
「わた、わたしががが、密告しました。わた、わたし――」
エリス……。
まあ、なんか隠してるなー、とは思ってたけどね。
命助けたんだから裏切んなや、とりあえず。
「いっけないんだーいっけないんだぁーん」と囃し立てるクロスウィンド。
「養民ちゃん、こいつらに恩があるんでしょー? 裏切っちゃダメじゃないのぉ。めっ」と叱る。
沈黙ののち、キムが静かな口調で、
「したいようにすればいい、一人の人間なんだから。エリス、あなたが裏切ったことと、わたしが助けたことの間にはなんの関係もないもの。わたしは助けたいから助けた。それだけ。あなたを信じたいから信じた。ただ、それだけだもの」
やべえ、またもやキムのやつ説教スキル発動してるよ。
お株をとられてしまう!
って、そんな場合じゃねーな。
「キム様……」
エリスは目に涙を溜め、口を押さえていた。
クロスウィンドは白けた表情だ。
「なぁんだ、つまらないの。本当に使えない養民ねぇ。はい剪定確定ねー」
「死ぬのはあなたよ」とキム。
「おやぁ? アティクシに楯突くのは教会に楯突くのと同じなんだけどなー。ユニティ家のお嬢ちゃーん、もうあんた詰んでるんだけど、気づいてるのかしらぁ。かわいそうにぃ、教会に睨まれたわよぉ。始末されるわねぇ、誰だったからしぁ、そうそう、ルウィンみたいにぃ」
キムは動じなかった。
「あいつは恫喝に負けないことで教会に勝ったのよ。信念を曲げた方が敗者」
「あらそぅお? あなたの拷問タイムがきたら見に行くから。いつまで正気を保っていられるか楽しだわぁ。さて? とりあえず養民はお死になさいな」
「お死になさいな」のところで、俺はベッドの上に転がった剣をとり、横に振り切った。
わずかの抵抗もなく剣先は半円を描き、エリスの方を向いて止まった。
「ほほほほほーぉ」
空間の裂け目の中から声が漏れた。
「だからぁ、裏切っちゃダメぇ、絶対! じゃないとぉ、坊やも剪定しちゃうわよぉ」
「伏せて!」
キムが叫ぶと同時に頭を下げた。
直後、頭の上を風が通り抜けた。
大量の髪の毛が抜けて床に散った。
俺の大切な髪が!
そのまま転がって頭に手をやる。
ハゲてるじゃん!
いびつな円形の不毛地帯が出現していた。
またもや辛い記憶がフラッシュバックした。
高校2年。
頭頂部にぽっかりとミステリーサークルが出現した、あの夏のことを。
――円形脱毛症だ。
あのころ体育の授業でサッカーしなければならなかった俺の気持ちがわかるか!?
「おせーよアルシ○ド! パスパス、ア○シンド!!」と言われ続けた俺の気持ちが。
そして、○ルシンドコールのたびに、他の男子や女子たちの口からもれる含み笑いが……。
「うぁぁぁぁぁ!! 俺をアル○ンドと呼ぶなぁ!」
ベッドの上に浅いくぼみをつくっている、黒い刀身の剣――“見えざる剣”をつかみとった。
俺に襲い掛かろうとしていたクロスウィンドに、横薙ぎの斬撃をくわえた。
ガ、ガンと硬いものに当たる。
硬いもの?
そんなはずはない。
オークス、この剣に切れないものはないんじゃなかったのか?
振り切った刃がよぎった先で、空間が縦に割れていた。
「おっとぉ。惜しかったわねえ」
嘲笑うクロスウィンド。
「気をつけて、横に――」
わかっていた。
この手の異空間移動するキャラがどうするかくらい、ラノベで習得ずみだ。
角度で90度から180度移動した空間に裂け目を移動させ、俺の死角から攻撃してくるだろう。
――だが。
これならどうだ。
閉じかけた裂け目に剣を突き立てた。
「そんなことをしても――ありゃりゃ?」
裂け目はまばたきするように閉じては、また開いた。
「閉じない!?」
開いた瞬間、裂け目の向こうに怒りの表情を浮かべたクロスウィンドが垣間見えた。
キッと俺を睨む。
「その剣のせいねぇ!」
裂け目の向こうで、鉤爪を振り上げるクロスウィンド。
そして避けることなどできない神速の鉤爪が俺に近づいた、その瞬間……クロスウィンドの腕は忽然と消えた。
俺はステイシス・ボックスをポンとベッドに放り投げた。
「ふう、あぶねー。おっとと」
額の汗を拭おうとして、あやうく見えない剣で前頭部をそぎ落としそうになった。
「無事か」「大丈夫?」
オークスは身軽に、キムはドスドスと近づいた。
「あの距離でよく助かった」
「え、ああ。油断させたからな」
そい言って口もとに残った血をぬぐった。
「油断……」
不審そうにくりかえすキム。
「また新たな変態性をかもし出してきたのかと思った」
「それは誤解だ」
あれ、でも女の子の体液飲んだの、俺――初めてじゃね?
消化したゴス猫の体液は、ひいては俺の体液になるんだよな。
「……」
やべ、オラ興奮してきたぞ!
キムは声をひそめた。
「オークスわかる? ああいう目つきのときのヴスジーマは変態的なこと考えてるから気をつけて」
「わかった」
「ん? なんか言った?」
「別に」とキム。
オークスは見えざる剣に手を伸ばした。
「これに亜空間が閉じるのを邪魔する機能があったのか。どうしてわかった」
俺はこめかみを掻いた。
「ほら、ダンジョンの中で言ってただろ、壁の中心に絶対壊せない黒い素材があるって。それって、この剣と同じ素材なんじゃないかと思って。次元断層だっけ? まあ、その剣で空間の裂け目を閉じないようにできるかは、未知数だったけど、これでわかったな」
「矛盾」
「そう、矛盾」
キムは意味がわからないらしい。
「矛盾って、これとどういう関係があるのよ。それより、ここから脱出しないと」
そうだった。
「ステイシス・ボックスに入って」
オークスはポシェットを指さした。
意味をとらえかねたエリスが、ためらいがちにオークスを見上げると、オークスはなぜかきまり悪そうに視線をそむけた。
「わかったけど……その中にゴス猫もいるんだよな」
「問題ない。時間が停止している。はちあわせすることはない」とオークスは請合った。
「そうか……エリス」
「え?」
いきなり手を差し伸べられたエリスは困惑の表情を浮かべた。
「ここに居ると死ぬからさ。おいでよ」
「はい……」
エリスは大人しく俺の手を握った。
その手はとても冷たかった。
「よっこらせ。おっとと」
リュックの重みによろめいた。
いつの間にか腕がとんでもない筋肉痛になっていた。
「オッサン? ヴスジーマ」
「オッサンじゃねーよ」
今はな。
だって、こんなに早く剣を振るった後遺症が来たじゃん。以前の俺なら二日後に来ただろうよ。
「カッパ」
「オークスまで俺にそういうこと言う?」
「じゃ、行こうか」
華麗にスルーするなよオークス。
「行くって、どこへ? あいつらから逃げられるところなんて――」
「セーフハウスならいくつか用意してある。フェアボーテンからは離れることになるが」
「そう……」
いや、もっといいところがあるぞ。ハゲも治せるしな。
「じゃあ俺の家に来たら?」
「あなたの家なんて――ああ」
「そう、あそこ。ダンジョンの裏方」
「確かに絶対に見つからない」
オークスはキムを見た。
キムは大きくうなずいた。
「そのうえフェアボーテン攻略の前進基地になるわね」
俺はエリスと手をつないだまま、ポシェットの中に消えた。
リュックのサイドポケットから、元の世界の品物を落としたことには、気づかぬまま。




