協和15年
メンヘラ化の予兆か、それとも人生を縛ってきた抑圧から回復しつつあるのか、微妙な様相を呈するハイテンション・オークス。
それと健全極まりない俺の二人は、ハートマンの宿に帰還した。
階段をのぼった先でキムが出迎えてくれた。
いや、出迎えとは違う。
嫁が掃除した部屋の品定めが待ちきれない意地悪な姑、といった風情だ。
戸口から一歩引いてオークスを頭からつま先まで眺め、キムは腕組みして言った。
「オークスの面影がある……けっこうかわいいわね」
「そう。悪いけど」
何が悪いんだオークス?
誰かさんよりは大きな盛り上がりをみせる胸元から視線をそらせ、キムは舌打ちのような音をたてた。
「背が高いのね。その髪長すぎるんじゃない?」
「これでいい。髪を伸ばしてみたかった。この方が女の子らしい」
そう言うと、オークスは髪の先端をいじった。
生まれたてのベイビーよりも完璧なキューティクルの黒髪は、歩くたびにツヤが走る。
「本当に見事な髪だよな」
こんな上等な髪にはお目にかかったことがない。
オークスは片手で髪を手に取り、サラサラと重力に任せて流した。
俺の賞賛の言葉を聞きつけたキムが、思いっきり顔をしかめる。
「スプライトのバイザーに挟まれたりするから荒れてるけど、わたしの髪だってきちんと手入れすれば――」
「俺の髪だって毎日洗髪して櫛を入れれば――」
「汚いわね、普通に毎日洗いなさいよ。そんな髪と一緒にしないで、不愉快だから」
「なにキレてんだよ(ブツブツ)」
「なんか言った?」
「いえ別に。それよりそっちの準備は?」
「あらかた終わったわよ。午後はダンジョン戦闘の基本を教えてあげるから。メガネの実験はできたの?」
「できた。予想通り、俺が使っても効果があったよ」
メガネとはオークスがユニティ家の庭で使った黒縁メガネのことだ。
このメガネで“観測”することにより、レーザーのような電磁波攻撃をキャンセルできるらしい。
「違う、確率場に干渉することで電磁波の量子現象の発現点をずらすだけ」とオークスは説明したが……意味がわからないよ。
オークスは少し困った表情をみせた。
「確率場をしらない。確か峰島の確率場理論のおかげで1996年に核戦争を回避できたのでは。私は歴史が得意ではないけど」
「誰それ」
ほぼ俺の時代だな。
だけど知らんよそんなやつ。
「峰島も知らない。ではアインシュタインは知っている」
知らないわけがあるか。
「……いま馬鹿にしたよね?」
オークスはとりあわなかった。
「峰島理論が強い力-弱い力相互転換装置を生み出す基盤になった。核兵器が無効化し大ドイツ帝国が崩壊、冷戦が終結した」
「ちょい待ち。なんかだいぶ歴史違うよ。俺の世界ではドイツ・日本・イタリアが同盟を結んで連合国と戦った。そっちは?」
オークスは呆れたように首を振った。
「本当なの。そっちの世界では日本が枢軸に加盟したというのは」
「そうだよ。で、最初はよかったけど連合国にフルボッコにされて原爆で都市が二つ消し飛んで終わった」
「原爆。いつの話」
「昭和20年。1945年だよ」
「ショウワ……確かに歴史が違っている。それに私の世界では原爆は1951年まで実用化しなかった。最初にドイツがソビエトの残骸に対して使用したはず」
「じゃあ、君の世界の日本は無事に太平洋戦争を生き抜いたわけ?」
「太平洋戦争」とはじめて聞くかのように繰り返した。
「あの戦争もなかったわけか」
腕輪を撫でると、オークスは内なる声に耳を傾けるかのように、虚ろな目つきをした。
やがてオークスが発した説明は、朗読するような印象を受けるものだった。
「……私の世界では、協和15年(1940年)当時の坂本直己首相が同盟国イギリスを助けてドイツに宣戦した。アメリカが参戦するまでの、最もフェータルな時期の連合国を支えた。その献身もあって、戦後は国連の常任理事国に名を連ねた」
「ふうん、連合国日本ねえ。日英同盟が健在なら連合国入りも不思議じゃないのかもしれないけど」
オークスは首をすくめた。
「日英同盟もなく、ドイツと結んだ日本。想像もしたくない。毒島君の世界では坂本竜馬は何を」
「何って言われても。その人、明治になる直前に暗殺されたよ確か」
「……それは……ダメだ」
「そう悪くもない世界だったと思うけど。落ちぶれたとはいえ、まだまだ世界第三位の経済大国だったし」
オークスは溜息をついた。
「君の世界の日本が21世紀半ばの混乱期を無事生き延びられることを祈る」
「なんか超気になるんですけど、その言い方」
21世紀半ばになにか大事件でもあるのか?
やめてくれよ脅かすのは。
俺の家族や友達があの世界にいるんだから。
オークスが哀れむような眼つきで俺を見て言った。
「知らない方がいいこともある」
こいつ、他人が気になって仕方がなくなる言い方をさせたら天下一品だな。
わざとか?
俺はオークスの端正な横顔を眺め、底知れぬやつだぜ、と心の中でつぶやいた。




