ルウィン
1000年前――降魔戦争の時代。
天空から降り注いだ“レプリケイター”により、ヴィクトリー大陸各地にダンジョンが発生した。
各地でダンジョンが成長して外に魔物が湧き出してくると、各地の主だった名家、一族のものが“ダンジョンの呪い”をうけた。
数百人もの旧領主層がおなじ憂き目にあったという。
例外的にだが、身分に関係なく呪いを受ける者もいた。
そうしたケースでは、武芸や学芸に優れた有力者であることが多かったという。
呪いを受けし者たちはダンジョンマスターと呼ばれた。
彼らの多くはダンジョンのもたらす富と利権に食い込むことで大きく家勢を伸ばし、呪いはむしろ幸運の刻印となった。
彼らの大部分が名家として1000年後の今日も連綿と世代を重ねていた。
呪いは子供時代に発現し、“キー”に選ばれたことを知ることになる。
その者は、ダンジョンのある地から一定以上離れることができないという宿命を負った。
この呪いは家系の親から子へと受け継がれた。
一族のなかで同時に二人が“キー”としての能力を持つことはない。
そしてキーが死ぬと、血縁関係にある別の者が新しくキーに選定された。
選ばれた彼または彼女が“キー”と呼ばれる所以は、ダンジョンの最奥部に到達したとき、ラスボスと戦うためにキーが絶対に必要だからである。
なぜ、ダンジョン自らが、存続上のリスクを増すとしか思えないルールを自らに課しているのかは、誰にもわからなかった。
「なぜ」
オークスは疑問を呈した。
キムは腕を組んで横を向いた。
このポーズをキムがとるときって、強情に拒否するときなんだよなー、と俺は内心考えていた。
「どうだっていいでしょ」
「よくない。ダンジョンを失えばユニティ家は存続できない。財政的に」
「う……そんなことどうして知ってるのよ」
オークスはかぶりをふった。
「確かに攻略のあと、君はフェアボーテンの呪いから解放される。だが――」
「うるさいわね。何の問題もないでしょ。キーは“ギアー神に愛されし者”よ。ダンジョンの攻略と魔物の駆除は教会のドグマでしょ、少なくとも建前上は。誰にも文句はないはずよ」
そう、建前上はね。
俺はフェアボーテン・ダンジョンの支配人を思い出していた。
とうの昔にダンジョンはそれに寄生する既得権益に絡まれてゴルディアスの結び目と化している。
潰すことなんか誰も望んじゃいないんだろう。
ときどき湧いてくるモンスターに襲われる、近隣住民の被害者たちは別として。
俺はここで口を挟んだ。
「ルウィンのためだろ」
キムが息を呑む音が聞こえた。
「なんで知ってるのよ……いつもとぼけた顔をしているくせに、肝心なところでいつもいつも。口を出さないでよ」
だってしょーがないだろ。
年長者が口を挟むのは肝心なところって相場が決まってるじゃないの。
さて、次のセリフは。
「好きだったんでしょ」
「ぶっ」
何かを言おうとしていたキムが、喉をつまらせた。
「ぶわぁかね! わたしが、その、あんなヘナチョコ聖職者なんかを――」
あからさまに超図星じゃん。
キムの勢いは急激に萎んで、囁き声でこう言った。
「ルウィン……わたしのせいかもしれない。わたしのせいね。わたしのせいに決まってるじゃない。あんなこと言わなければよかった」
なんとなく想像がつくが、いちおうこう尋ねるのがセオリーだろう。
「あんなこと?」
「……結婚を申し込まれていたの」
あー。そーゆーことね。
こんなに幼いのに、この世界じゃ16歳は結婚適齢期なんだよなあ。
元の世界だったらロリコン呼ばわりされること必至だが。
キムはうらめしそうに俺を見上げている。
「その目つきは何か失礼なことを考えているわね」
「ご冗談を」
ロリは誉め言葉だよね? 失礼じゃないよね?
だって、実年齢より若く見えるってことぞ。
どういうつもりか知らないが、キムはおもむろにバイザーを下ろした。
わずかな隙間からくぐもった声がもれた。
「ルウィンはわたしに求婚していたの。でも聖職者でしょ? 結婚はできないわ。だから彼はこう言ったの。聖都ランドフィルで還俗を認めてもらう、と」
「聞いたことがある。厳格主義のシオンに対して、合理主義のランドフィル」とオークス。
「そうね。ルウィンはわたしを連れてランドフィルで還俗の許しをもらいに行きたかったのよ。でも――」
キムはフェアボーテンを離れられない。
「わたし、彼を試したのよ。フェアボーテン・ダンジョンを攻略できたら考えてもいいわって。でも、あの馬鹿の馬鹿さ加減を甘く見てた。ルウィンは教会の聖遺物を盗んで、冒険者ギルドを雇った。わかっているべきだったのよ。あいつはテンプルナイツになれるほど優秀で――教会の行いに疑問を抱くほど、変態的なレベルの馬鹿だったんだもの」
キムは自嘲的に笑い、掌底でバイザーを叩いた。
「わたしもいい加減バカだわ。あいつの願いが頭から離れないのよ。彼はね、“意本主義”社会を作りたかったの」
「資本主義?」
「違うわ馬鹿ね。イホンシュギよ」
聞いたことないんですけど。
「わたしたちが暮らす社会は、そのまま大きな教会だわ。だって、必要なものは全て、偉大なるギアー神がくれるんだもの。その代わりに、自由がどこにもないアンシュタルト社会だ――ルウィンはわたしにそう言ったのよ。
アンシュタルトという言葉の意味はよくわからないけど、とにかく良い意味ではないわよね。領主の娘によく言ってのけたものだと思わない?」
ほんとにそうだな。
オークスが隣で、口笛を吹くように「ヒュー」と聞こえる溜息をついてみせた。
彼も驚いているようだ。
「人は偉大なる神の大きな手から離れて、自分の意思をのりしろにして結合した社会をつくるべきだ、意思を持つ全ての人が平等に扱われるべきだ、と訴えていたの。
フェアボーテンの昔住んでいた街区の裏通りで、養民たちにそんなタワゴトを説いていたわ。うっかり耳を傾けたのが運の尽きだったのね。
でも、お互いがお互いを名前で呼び合う世界。美しい世界だと思わない?」
つまり、この世界では誰もが神様からカウチとポテトをもらっているナマポ受給者なんだから、差別なんかせずにサークルでもつくって、わいわい楽しくスーパーフリーに生きていこうよ、ってことか?
――いいねそれ。
かつての古代ローマでは、肌の色や信教が異なっても市民権を得ることが許された。
ローマ市民もパンとサーカスが保障されてたというし、この世界とけっこう共通点があるじゃん。
ローマ・モデルを採用できたら、この世界のみんなもハッピーになれそうな気がする。
「あいつが聖職者だと知ったときは死ぬほど驚いたわよ。だって、“霊性は神に在らず。世俗の人の裡にあり”とか、おかしなことを言いふらす人間が、聖職者だなんて誰が思うのよ」
「いや、この世界の聖職者なら、人肉を至高の食物として毎日食ってると言われたとしても、俺は信じるけどな」
バイザーが上下した。
声もなく笑っているのだろう。
「個人の意思の力こそが、人を人たらしめる。ギアー神の大きな手から召喚されたものを振り分ける基準は、もはや人の意思にしかないのよ。決して教会やマニュギアーを抱えたギルドや大商人が決めるものじゃない。ルウィン――あいつは、意本主義を本気で信じていたのに――」
後半、キムの説明は悲しげで切ない響きを帯びていた。
それにしても、意本主義ね。
生産に資本が必要ない、この世界ならではの考えなのかもしれない。
それにしても、下部構造が存在しない社会なんてものを、元の世界の古式ゆかしいマルクス主義者が知ったら、クソ漏らして引っくり返るだろうな。
でもまてよ、意思が資本の代わりを務める社会って、つまり同じ意見を抱く人間集団の頭数に連動する形に神サプライのリソース配分を平等化させるってことだろ。
どんな意見の集団にも、同等の権利を。
――それって、ただの近代的で平等な比例配分システムじゃん。
「ああ、そうか」
俺は額を叩いた。
つまり民主制社会だよね、それ。
“意本主義”には、自由・平等の存在が暗黙の前提になっている。その意味で元の世界の人権思想に匹敵するほど近代的だ。
民主制の自由な社会が、ルウィンの望みだったんだ。
生産という重荷から解放されたこの世界なら、俺がダンジョンの一室でうっかり実現してしまったような真性ニートの理想郷を、あまねく地上に打ち立てることだって可能なはず。
いや、ニートの理想郷というと語弊がありそうだが、最低限の生活必需品が充実して、労働から解放されてる社会って意味ね。
少なくともこの世界の身分制は、必要以上の富を独占したい連中がつくった制度だろう。そんなもの必要ない。
まったくルウィンてヤツは、封建主義・身分制・政教一致という三重苦の中心で民主制を叫ぶほどの、超空気読めないちゃんだったんだな……。
教会から光の速さで異端の烙印をおされること、ゆるぎなし。
ルウィン。確かにとんでもなく優秀で、信じられないほど馬鹿な男だ。
そんなことを思いつかなければ、エリートとして何不自由ない暮らしを満喫できただろうに。
でも――そんな自由は死と似ているんだよな、きっと。
ダンジョンに引きこもってたときに悟った。
自分のためだけに生きるのは空しい、と。
極端に独りよがりな生は、死と同じ。
両極端は合致するというわけだね。あーこわいこわい。
「だから、ぶち壊してやるわ」とキムがやぶからぼうに言葉を継ぎ足した。
「本名を名乗れないような世界なら。それがあの馬鹿へのはなむけにもなるでしょ」
バイザーの奥でキムは、悲しげに、でも壮絶な決意を秘めて、硬い笑みを浮かべている気がした。
「ルウィンの意思を継ぐ気なのか。超イバラの道だと思うけど……」
「誰に口をきいてるの? わかってるわよ。でももう決めたから。わたし、フェアボーテン・ダンジョンを潰して、外の世界にもあの馬鹿の妄想をばらまいてやるの。ひとりでも、やるの!」
スプライトのこぶしはぎゅっと固く握られていた。
キム……。
優しさ半分カラ元気半分で、俺はこう言った。
「そっか。世界を革命するために! ってわけか。“世界に変化を望むのであれば自らがその変化になれ”ってガンジーも言ってた気がするし――俺も乗るよ」
「乗るって……?」
「世界を革命するんだよ。人を番号で呼ぶような社会の敵になってやろうず!」
あー、言っちゃった。
でもさ、額縁に収まったルウィンの遺影を担いで、目もくらむような険しい山を見上げているキムに、「さっさと登れよ」って言えるか?
本心は、「助けて、お願い」と瞳をウルウルさせてるのに、「そうそう言い忘れてたオマエ一人で行けよな。ん? ああ期待させちゃってた? アハハ。めんごめんご」と突き放せるか?
俺にはできないよ。
キムはおずおずと聞き返した。
「本当に良いの?」
「いいってことよ。そもそもキムさ、俺を雇用してるんだろ。もう解雇しようったってそうはいかねーよ? 解雇された瞬間に教会に密告するから」
「それじゃ、わたしは教会に駆け込む前にあなたに風穴を開けてやるわよ。いまルールを作ったわ。ルールその1、ウラギリモノには死を!」
「裏切らない裏切らない」
キムは笑った。
「あともう一つだけ、率直に言っていい?」
キムが遠慮がちに申し出た。
「なんでも言ってよ」と俺も寛大にカムアウトを促す。
「さっきから気になってたんだけどけど……足下に転がってるのなに?」
「ん?」
あ、パンツの中の核爆弾、いつの間にか投下してたww。
俺は落ち着き払った態度で、
「ああ、これね。いやなに、俺が以前いた世界ではスカラベ(フンコロガシ)が多く棲息していてね、ズボンのすそからこうやってリリースするのがごく当たり前だったんだよ。あれ? この世界ではもしや失礼に当たるのかな?」
「失礼というより……貴族の前でリリースするような糞虫は、即刻死刑だと思うけど」
「マジで? 失敬失敬」
「くさい。さっさと片付けなさいよ糞虫」
キムはそう命じると、バイザーをカチリと密閉した。




