取引
1000年以上むかし。
降魔戦争よりも前の時代、この惑星には人間だけが生活していたらしい。
その頃は、のちの世よりも神の恩寵がはるかに大きい時代であったと伝えられている。
命の泉ウルザブルンが各地に整備され、病や怪我から人々を守り、豊富な食料や日用品はセルフサーヴィスで取り放題だった。
その日、世界各地に火の玉が降り注いだ。
火の玉は地表に衝突して大きな穴をあけた。
人々は天変地異の前ぶれかと恐れおののいたが、何も起こる気配はなかった。
それから数日後――くすぶり続ける衝突穴に異変がおきた。
夜通し鳴り響く低い地鳴りや、小さな地震が頻繁におきることに、近所の住民たちが気づき、騒ぎはじめた。
それは、レプリケイターというダンジョンを形作るモンスターの放つざわめきだった。
一つの季節が巡るころ、成長したレプリケイターから大挙して魔物の大群が放たれた。
魔物は人間を追い立て、子供をさらい、炎の息で街を焼き払った。
間もなく各地のギアー神を祭る神殿で神託が下った。
火の玉は魔王が送り込んだ手先で、世界を滅ぼすものである、という。
魔物に追われる人間を救うために、ギアー神が人間に賜ったのが、古代兵器の数々だった。
スプライトは、そうした古代兵器の生き残りなのだった。
あー早く着替えてーなあ。
許されるなら、この場に座り込んで疲れ切った体を癒したかった。
でも、誰の頼みであろうと、それだけはできない相談だ。
少なくとも、パンツの内に核爆弾を抱えている今だけは。
それよりも、いまこの場で決めるべきことがあった。
キムがいまどのように考えているのであれ、間もなくオークスを全力で攻撃しないわけにはいかない。
ユニティ家の使用人が何十もの目で見ているし、周辺住民の何万もの目が、物陰や窓の鎧戸の隙間からこちらを見ているだろうから。
つまり、教会のスパイが俺たちの挙動から異端や背教の徴を見出そうと躍起になっている。
間違いなくな。
俺の超敏感な差別センサーがびんびんに立ちまくってるからわかる。
この場を丸く収めるにはどうすればいい?
元の世界で働いていた会社でも、同じ構造の問題に何度かぶつかったことがある。
上司の顔を立てつつ、裏では正反対のことをやっている。
現場ではよくあることだ。
俺は立ち尽くしたまま考えを巡らせた。
やがて、たった一つ、冴えたやり方がぼんやりと形をなした。
時間がない。
教会の敵と和やかに談笑しているように見えはしないかと危惧しつつ、二人に提案した。
「そのまま聞いて。俺たちは協力しあうべきだ」
「なにを言って――」
キムの抗議を手で制した。
「もちろん表向きは違う。でもフェアボーテン・ダンジョンを攻略したいんだろ、キム?」
バイザーを少しだけ開き、隙間から俺を見た。
そして、「……ええ」と低く言った。
「じゃあオークスの目的と一緒じゃん。協力してダンジョンを攻略しよう」
「はぁ?」
「まあまあ聞いて」
続いてオークスに語りかけた。
「オークス、キムは攻略に必要な“キー”なんだろ? だったら力を合わせよう」
オークスは驚いたようだ。
ぎこちなく首をわずかに傾け、
「ユニティさん、本当によい」
「よいって、なにが?」と、キム。
「ダンジョンを――」
――潰してしまってもいいのか。
キムは一瞬言葉につまってから、こう答えた。
「いいわ」
「じゃ、決まりだ。オークスはここから逃げてくれ。俺とキムはオークスを追うふりをする。ハートマンの宿を知っているか?」
オークスは、知っていると答えた。
「なんで知ってるのよ!? ……わかった、昨日からわたしたちをつけていたのね」
キムは勝手に納得した。
「知ってるなら話は早い。正午にそこの屋上で落ち合おう。細かい話はそれからにしよう」
「……わかった」
キムもうなずいて、バイザーをカチリと下ろした。
同時にオークスの姿が消えた。
「また消えた!」
口元を隠してキムに耳打ちする。
「適当に攻撃して。早く」
キムは言われたとおり、適当に空に向かって光魔法を連射する。
「待ちなさい卑怯者、姿を現しなさいこの背教者! 悪魔転向者!」
迫真の演技だ。
俺は屋敷の方をさりげなく確認した。
――よしよし、みんな見てるな。
教会への言い訳対策、バッチリだ。
そのとき。
シーシュポス、と冷蔵庫の真空チルド室を開けるような音を聞いたような気がした。
不審に思う間もなく、いきなり暗幕に包まれたかのように世界が暗転した。
三半規管がでんぐり返って、頭の中がぐるぐる回る。
たまらず地面に伏せると、一瞬前まであったはずの短い草は消えていた。
それどころじゃない。
青空も、街並みも、ユニティ邸のどっしりしたたたずまいも、全て消え去っていたのだ。
あるのはただ、白い空間。
碁盤の目のように輝く線で区切られた、広大無辺な空間だった。
平衡感覚が戻ってきた。
頭の芯の方はまだ気持ち悪さを訴えているが、我慢できないほどではない。
いきなり腕を叩かれて、痛みにうめいた。
「なんだよキム」
キムは俺の背後を見ていた。
「ん?」
俺が膝立ちになって振り返ると、そこには大小さまざまな物体が整然と並べられていた。
ふと床に目をとめると、そこには
『No.498 未分類 生物 状態:ステイシス解除』
と表示されていた。
ステイシス解除?
文字を指でなぞろうとするが、触ることはできなかった。
床から少し浮いて表示されている。
このテクノロジーには見覚えがあった。
プレートと同じものだ。
ここはいったいどこなんだ?
疑問に思った直後、またもや頭の中がでんぐり返った。
幸い、この現象は慣れることができるらしい。
最初に感じたほどの気持ち悪さはなかった。
顔をあげた先で、オークスはベッドの角に腰かけていた。
その表情は面白がるでも馬鹿にするでもなく、冷静かつ力強かった。
キムが衣擦れのようにささやかな動作音を伴って立ち上がった。
俺と違って立ちくらみとは無縁らしい。
「ここは――ハートマンの宿ね」
「そう」とオークス。
淡々としたものだ。
「いったいどういう魔法を使ったの?」
「ステイシス・ボックスというシードに収容してあなたたちをここまで運んだ」
「ステイシス?」
オークスはうなずく。
「時間の流れを遮断した無限空間。普段、道具箱として使っている」
そういえば、窓の鎧戸の隙間から見える外は、もう薄暗い。
おそらくそのヘンテコ空間に半日ほども閉じ込められていたらしい。
それが一日半でも1週間でも、おかしくはないがな。
「確かに時間の流れが止まっていたみたいだね」と俺。
「人間でもうまくいってよかった」
超聞き捨てならないことをさらりと言うなよ。
「ん、それってもしかして、人間で試すの初めてってこと?」
「動物はステイシスできたから」
いや、だからといって俺たちで実験するなよ。
オークスはぜんぜん悪気がないらしい。
キムもオークスの言葉が暗示するデンジャラスな側面に気づかないのか、スルーした。
「ここに小麦色の肌の女の子がいたでしょ」
「わたしの姿を見たら逃げていった」
「そう……まあ、また戻ってくるでしょ」
一渡り部屋の中を見渡して、最終的にキムの視線はオークスの上で止まった。
「さて、取引しようじゃない。フェアボーテン・ダンジョンをクリアしてシードを手に入れたい。なら、わたしが同伴してあげるわ」
オークスはキムを見据えた。
「どうしてダンジョンを攻略したい。攻略すれば、君はキーとしての能力を失う」
「……そうね」
「君にとってメリットは」
「わたしは――自由がほしいのよ」
「自由」とオークス。
キムはゆっくりうなずいた。




