メガネ
「やはり嗅ぎつけていたか、オークス!」
シグリクは肉食獣のように猛々しくオークスの名を口にした。
対照的に、オークスは俺やキムと話していたときと同じ、抑揚に乏しい声で言った。
「また君か」
小声でも、俺はプレートの機能があるからオークスの言った内容を認識できるけど、下のテンプルナイツには聞こえるのか?
そんな疑問を抱いた。
――そうか、聞こえなくても構わないのか。
その必要はないはずなのに、オークスはジュワユーズをわざわざテンプルナイツたちに見えるようにしている。
せっかく盗み出したなら、そのまま黙って逃げるのが利口だろう。
この屋敷の家捜しでテンプルナイツが足止めされている間に悠々と距離をとれるのに、そうしなかった。
意味していることはひとつ。
――ユニティ家に迷惑がかからないようにしている。
オークスは唐突に屋根から落下した。
高飛び込みのように美しいフォームで地面に着地する直前、その姿がかき消えた。
浮き足立つ聖兵たちをシグリクが叱咤する。
「ゴーグルを装着。後退するな、2歩幅に散開し間隙は剣で塞げ!」
一斉に聖兵たちがヘアバンドのようなものを目の高さに下ろした。
そして剣を体を右側に構えた。
これでは兵士は自分の身を剣で守れない。
もしかすると、この世界の兵士は生き残ることがそれほど重視されていないのかもしれない。
だって、楯もなければ甲冑も着けてないし。
テンプルナイツたちは幕末の新撰組のごとく、布の服に武器は剣という、戦争では使い物にならなそうないでたちなのだ。
こいつら大丈夫なのかね?
と思ったのも束の間、いきなり何もない場所から炎が湧き出し、テンプルナイツたちの何人かを火達磨にした。
絶叫をまき散らす聖兵たち。
あーあ。
まあ、炎で攻撃されたら鎧や楯があっても防げなかっただろうなあ。
彼らは次々と朝露で湿った草の上に体を投げ出す。
本能的にそうしているのだろうが、ほんのお湿り程度の水ではほとんど効果がないようだ。
こんどは別の方向から火炎が地面の数十センチ上をなぞった。
また数人が等身大のたいまつと化した。
これでは一方的な虐殺だ。
そのうえ彼らは味方からも攻撃されていた。
身を伏せている聖兵たちにオライオンの蹴りが入る。
ごっそりと削れた土と一緒に聖兵たちが宙を舞った。
敵にも味方にも殺られる中間管理職みたいな聖兵の立ち位置には、同情を禁じえない。
「隊列を崩せば天に命を返させるぞ。立て聖兵よ」と鼓舞するシグリク。
おいおい。それが聖職者のやることか。
ああ、そういえば人命軽視は善なんだったね君たち。
隊列が混乱したところに、炎を割って駆ける人影が。
焦熱地獄をものともせずに走るオークスのシルエットだ。
そこをめがけて、後方に控えていたテンプルナイツが大砲のように見える黒い筒からエネルギー球をぶっ放した。
発射されたエネルギー球は前列の仲間たちのど真ん中で爆発し、人体が宙に舞った。
「味方に危害を加えているぞ、愚か者どもが!」
シグリクの怒声が響く。
大砲が人力で方向を変えたそのとき、それを操作する聖兵たちが次々と倒れた。
胴体を真っ二つにされて。
どうやったのか知らんが、オークスが手を下したのだろう。
機甲鎧オライオンは右手に持った無骨な斧を地面に振り下ろした。
斧が地面に触れた瞬間、屋敷の壁がビリビリと振動する。
天井から粉が落ちてきた。
首をすくめて天井を見上げる。
足の裏が定規で叩からたかのように痺れていた。
――振動斧か。
見れば、斧が突き刺さった地面はもうもうと土煙をあげ、周囲の聖兵たちがもだえ苦しんでいる。
振動斧自体はすごい武器だとは思うが、キムのスプライトが装備するレーザーと比べると原始的な印象だ。
頑張れば元の世界のテクノロジーでも作れそうな気がするし。
それでも、単純な破壊力だけならオライオンの方がスプライトより上だろう。
俺はプレートをかざして念じる。
すると透明になっていたはずのオークスの姿が輪郭で表示された。
オライオンとオークスをセレクトし、『分析』を命じる。
『機甲騎士/聖職者
攻撃力 6000
防御力 5500
能力 狂信 改良型武術 物理魔法 鎮魂魔法
25ダカット6ソルド』
『冒険者/無法騎士
攻撃力 2800
防御力 1660
能力 発展型敏捷性 発展型武術 攻撃力向上 防御力向上
0ダカット』
攻撃力向上と防御力向上がついてるってことは、ジュワユーズの能力が効いてるのか。
これどっちが強いんだ?
キムに意見を聞くために振り返ると、寝室にキムはいなかった。
◆
「そこをどきなさい」
その鋭い口調に含まれた不遜さは、命令し慣れた者だけが出せる性質のものだった。
反射的に身をずらしたユニティ家の衛兵は目をむいた。
「はっ、えっ、お嬢様?」
衛兵には目もくれず、キムは地下室に降りた。
階段を下るにつれてスプライトの全身がみえてきた。
胸でゆっくりと点滅する緑の灯りは、雷の精気の蓄えが8割がた終わっていることを示している。
揉み手で待機する倉庫番に、キムは振り返りもせずに命じた。
「ここから出て行って」
倉庫番の笑顔がしぼんだ。
キムの背中から立ち昇るオーラで、彼女が本気だということを悟ったのだろう。倉庫番はそそくさと立ち去った。
数歩、スプライトに近寄ると、キムは衣服のボタンを外した。
するりと服が足下に落る。
静かな室内に、スプライトの内から漏れる低くかすかなうなりが響いていた。
◆
オライオンの手首からは黒い液体が滴っていた。
巨体の足下には、ジュワユーズを構えるオークス。
大きさの対比では比較にもならないが、オークスが圧倒的に有利に戦っていた。
いまやテンプルナイツの聖兵に加え、ユニティ家の抱える私兵がオークスを包囲していた。
その先頭に立つのはユニティ家当主、つまりキムの父親だ。
彼の指図はことごとくオークスに裏をかかれて空振りに終わっていた。
聖兵と比べてユニティ家の死傷者が少ないのは、オークスが手加減してくれているからだろう。
それでも攻撃をやめるわけにはいかない。
教会の聖兵が戦っている以上、彼ら以上の損失をださなければ、あとで教会からどんな言いがかりをつけられるかわからない。
それどころか、ジュワユーズをむざむざと奪われた責任をとらされかねない。
一人でも多く、ユニティ家の者は死ななくてはならなかった。
オークスを捕らえるか、殺すか、それができなければ教会の自尊心が癒されるだけの代償――例えばユニティ家の誰かの命――が必要なのだから。
そしてユニティ家当主は恐ろしい緊迫感の中で決意していた。
決して、その“誰か”がキンバリーであってはならない、と。
警護役の騎士から受け取ったロングソードを指揮棒のように振りかざして叫んだ。
「命に代えても背教者を捕らえよ!」
何度も繰り返す。
テンプルナイツのいけすかない指揮官の記憶に残るように、何度も何度も。
草と土を跳ね上げて着地したオークスに数人の聖兵が突進した。
オークスは背中に目があるかのように、剣先が触れる寸前に身をひるがえす。そして回転の勢いそのままに聖兵を切り伏せた。
オライオンの装甲を切り裂くジュワユーズは、人体を煙のようにあっさりと両断した。
ばたばたと支えを失った糸人形のように倒れる聖兵。
火炎魔法の使い手が、マジックアイテムをオークスに向ける。
剣がきらめく赤い粒が刀身にまといつき、かけ声とともにふりかぶると炎球が分離した。
こうしたマジックウェポンは高価だ。
普通の武具はウェポンギアーでいくらでも召喚できるが、マジックウェポンの召喚数は極めて少ないからだ。
テンプルナイツが放ったとっておきのマジック攻撃も、オークスは人間離れした跳躍で回避した。
炎球はそのまま直進してユニティ家の私兵にぶちあたる。
彼らは腕で顔を覆い、イヤイヤするように体を左右に振った。
のどをかきむしり、のた打ち回り、やがて全員が倒れた。
焦げ臭い空気が風に乗って流れる。
オークスは間近で演じられる死の舞踏には一顧もくれず、再びオライオンに立ち向った。
オライオンは水分が多く柔らかい草地に足をとられ、身構えるのが遅れた。
人間でいうとみぞおちにあたる部分に、機甲鎧の操縦席がある。
オークスはジュワユーズを上段に構えて跳躍の動きをみせた。
そのとき。
真後ろから人間と甲殻類を足して2で割ったような印象の黒い物体が踊りかかった。
スプライトだ。
オークスめがけ、放物線を描いて落下するスプライト。
それに気づいたオークスが横に飛び退いた。
一瞬前までオークスがいた場所にスプライトは激突した。
スプライトは片腕を杭のように地面にくいこませた。そのまま運動の勢いを殺さずに、そのまま半円を描いてオークスの前に飛び出してゆく。
バイザーの赤い灯りが、残像になって横に流れた。
スプライトの腕に仕込まれた光魔法武器に、魔法光の発射に先駆ける刹那の光輪がひらめく。
発射!
しかし魔法光は空を穿った。
ほとばしるエネルギーによって解離した酸素原子が、極微の玉突き状態の中で三つ結合してオゾンを生成する。
空気に混じる独特のオゾン臭は、(キムの理解では)光魔法の実行に伴う魔力の残り香だ。
オークスといえど、キムの放ったレーザーが濡れた地面を引き裂き、水蒸気爆発を引き起こすことまでは予見できなかったようだ。
爆発の泥を浴びて、その姿が光学迷彩の裏から現れた。
オライオンが態勢を立て直し、オークスに向かって重々しく駆けはじめた。
スプライトの横槍のせいで、オークスがオライオンを仕留める好機は過ぎ去っていた。
と、オークスがジュワユーズを手のひらの上で器用に回転させ、後ろ手に捻ると、剣を背の裏に隠した。
不思議なことに、剣はもう彼の手になかった。
逆に別の道具がその手に現れた。
それはキムには見慣れない用途不明の道具だが――毒島正男には見慣れたものだった。
オークスはそれを顔まで持ち上げ、耳にかけた。
それは、黒縁メガネだった。




