夜伽
枕元に故人が立つ夢をみた。
畳の上に浮遊し、声もなく俺を見下ろす幽霊。
その幽霊は奇妙な格好をしていた。
じいちゃんの霊ではない。断じてない。
知り合いでも親類でもない。
というか、親類にこんなのがいたらちょっと引く。
幽霊の姿を具体的に描写しよう。
彼女は猫耳カチューシャ、緑色の少しウェーブがかかった長い髪、白い肌、紅い瞳。
なぜかゴスロリないでたちで、肩の後ろには黒いしっぽが見え隠れしていた。
間違えた。
猫耳カチューシャじゃない。
リアル猫耳らしい。
自然な挙動で動いてるし。
――不思議だ。
俺の中で疑問が膨れあがった。
耳は4つあるのか?
しっぽ用の穴がスカートに開いているのか?
目をこらして見ていると、ゴスロリ猫娘幽霊は少し怯んだ。
これは夢か?
「なによぉ。見ないでもらえますぅ? そんな舐める……ような眼つきで」
ゴスロリ猫娘幽霊は、「舐める」のところでつっかえた。
なんだこの霊。
黒成分過多のフリルスカートを揺らして、ゴス猫は視界から溶けるように消えた。
やっぱり夢か。
俺はまどろみの底から少しずつ浮上していった。
良い香りのする枕が頬に優しく触れているのを感じた。
枕?
第1マイホームにそんなお上品なものはない。
俺は息を飲んだ。
人の気配!?
ダンジョンの裏方に、人間は自分ひとりしかいない。
まさか――モンスターどもに部屋を発見されたか!
がばっと跳ね起きて、俺は目をみはった。
「どこだここ……」
石造りの正方形をした部屋は消えていた。
いまいるのは、明るい白壁の洋室だった。
壁の床に近い部分は、明治期の洋館のように大きい巾木で守られていた。
窓から朝の清冽な風が吹き込んでカーテンを揺らし、草木の香りが鼻をくすぐった。
そうだ、もうダンジョンから出たんだ。
キムと出合って、エリスを助けて、そして――。
「う……ん」
くぐもった声が羽根布団の中から聞こえた。
モコモコした高級そうな布団は、きっかり人間一人分だけ盛り上がっている。
だ、だれだ!
キムか、キムなのか、何があったんだ昨夜は。
記憶を探るが何も出てこない。
出てこい、めくるめく快楽の記憶!
……なんてこった、全然覚えてないじゃん。
昨日、ユニティ家の屋敷に着いたあとの記憶があいまいだった。
疲れているところに提供されたウェルカムドリンクが、濃厚な香りを放つ甘口赤ワイン。
寝室に案内されると、もうベッドから起き上がれなかった。
キムはもっと疲れていただろうに、むしろテンション上がりすぎて眠れない様子だった。
俺もそういう状態は経験がある。ワーカーズ・ハイだ。
みんな経験があると思うが、徹夜になってもまだ仕事が終わらずにコーヒーがぶ飲みしてパソコンに向かっていると、やがて変な精神状態に陥る。
妙にふわふわして、疲れてるけど精神が高ぶる。
普段なら全然おもしろくもなんともないもので笑い転げ、徹夜二日目の夜が更ける頃には、幻覚や奇行が現れはじめる。
昨夜のキムは鼻歌を歌いつつ、俺のリュックからイシキリ――ジュワユーズを引っこ抜いて、ぶんぶん振り回してからポーズをとったりしていた。
……明らかに奇行だ。
足をそっと動かすと、温かくてすべすべしたものに触れた。
左手で布団をめくると、扇のように広がったブロンドの髪が現れた。
キムじゃない。
エリスは宿で留守番。
じゃあ誰だよマジで。
金髪ロン毛のオッサンとかいうオチじゃねーよな?
やめてくれよそれだけは。
思い切って布団をはだけた。
すると――天使のごとき美女が現れた。
天使ちゃんは、寒気を感じたのか肩を震わせて縮こまる。
もちろん全裸である。
たぶん。
というか、これは全裸の流れだよね。
キタこれついにキタ。ファンタジーの王道、エロ展開そしてラブコメへの道がやってきましたよ。
朝日を浴びた繊細な肌の白さが、目に焼きついた。
大きな胸は髪で半ば隠れている。
半端に隠されたせいで、見たさ余って100倍だ。
これはもう完全に誘ってますよ。
100億兆パーセント合意のもとですよもはやこれは。
やべ、とりあえずこのシーンを保存しないと。
カメラどこ? 携帯、もしくはタブレットどこ?
記憶などというアイマイなものに頼るほど俺は人間を信用していない!
むろん自分もな!!
日本人の悲しいサガ、光景を実体で残そうととっさに考えてしまった。
そして俺は絶望した。
ええい、こんなときに限って、普段は身近にあふれている記録装置が一個もないじゃない!
パ、とブロンド美女の目が開いた。
緑色の虹彩が俺をみつめる。
「**********?」
言葉がわからなかった。
そうか、プレート。
「***? ***、****?」
どちらか選べと言っているのか。
切羽詰った俺は、外国語のネイティブスピーカーにいきなり話しかけられた日本人に共通する悪い癖で、OK、OKとうなずいた。
ブロンド美女は薄く微笑み、獲物を捕らえた肉食獣のように、舌先で唇をなめた。
そして、下着だけになっていた俺のパンツをおもむろに脱がせにかかった。
イヤッツホォォォイ!
なにこのサービス。
美女と添い寝だけではあきたらず、オプションでこんなことまで?
「――さお……まさお……」
おや?
どこからかじいちゃんの声が聞こえてきた気がした。
やがて声が立体感を伴って再び現れた。
「正男」
まだかくしゃくとしていた頃の祖父の姿が、俺の脳裏に浮かんだ。
やべ、このように安易なエロ展開、さすがに倫理的にマズかったか?
いや、じいちゃん違うんだ。これは――。
「なあ正男。据え膳食わぬは、男の恥じゃぞ」
と言うと、じいちゃんの幻はぐっと親指を立てた。
俺は素直にこたえた。
そうだよね、じいちゃん!
ブロンド美女は横になったまま器用に俺を全裸にさせると、体を密着させてきた。
足がからんで、どこまでも心地よい柔らかさと温かさが肌を伝った。
なにしろ相手は開花率100%な感じの大人の女性だ。
手馴れた動作のいくつかだけで、俺は――ええと、ここからは某アニメで例えよう。
セイフティーロック解除!
ターゲットスコープ、オープン!
な状態になっていた。
このままなしくずしにロスト童貞してしまうのか?
のか、のか、のか……。
頭の中が快感で歪み、思考が妙な具合に反響した。
「いいや、お前のような見知らぬ女に俺の大切な童貞は渡せねえな!」
おっ、貴様はブラック正男!
なんかややこしいのが現れた。
「なにを言うのですブラック正男。せっかく主様の童貞を奪ってくださる女性が現れたというのに、すげなく追い払うというのですか?」
ホワイト正男まで現れた。
なんかブラックとホワイトの役割逆じゃね?
そのとき。
どがぁんっ。
寝室の扉が爆発するような勢いで全開になった。
扉は壁にぶつかった反動でビリビリ震え、ゆっくりと閉じようとする。
その隙間を抜けて、細身の少女が姿を現した。
キムであった。
スプライトに乗っていないと、おそろしく小柄で、小鳥のように手のひらで包んでしまいたくなる可愛さがあるんじゃないかなー、と思っていた。
違った。
確かにかわいいし可憐だけど、手乗り文鳥じゃないね。
人間の赤ちゃん程度なら、鉤爪でつかんで巣にさらっていく系の猛禽類の眼つきだ。
「**********!」
キムが鋭く何事か叫ぶと、ブロンド美女はベッドから転げ落ちた。
彼女はシーツで前だけを辛うじて隠し、逃げるように去っていった。
完璧なお尻ダナー……と涎を流しつつ、そのうしろ姿を見送った。
そんな俺を、自分の排泄物を食す犬を見るような目つきで眺めるキム。
すさまじい威圧感である。
「いや、違うんだよ。なんか知らないけどベッドに居てさ。いや何もしてないからね」
だめだ、言葉通じない。
床に落ちていたプレートに目をとめ、俺は手を伸ばした。
微妙に届かない。
もうちょっと――。
「のぶっ」
絨毯の上に肩から落ちた。
あまり痛くない。長い毛足の絨毯がクッションになっていた。
プレートを拾い上げ、それで素早く股間を隠した。
ふふ、俺は同じ失敗を二度しない男だぞキム。何度もお前に裸体を拝ませてなどやらん!
なんとなく既に同じ失敗を二度以上犯しているような気もするが、それはきっと別の世界線の俺の失敗に違いない。
「わたしの家でなにしてんのよ……この変態が……」
「いや、なんか知らないけど、俺のベッドにいたの。俺のせいじゃないっ」
にしても、プレートの翻訳機能ってほんとに体のどこに触れていても効くのね。例え触れてるのが俺の波動砲の先端だとしても。
俺は苦笑したくなるのをこらえた。
――どこを伝ってキムの言葉が変換されてんだよ、まったく。
キムは額を二本の指で支え、溜息をついた。
「はぁ。余計なことをしてくれたわ」
「あのー、さっきのすっごい美人さんはいったい?」
「はぁ!?」
キムは眼が据わっていた。
「いえ、なんでもないです」
こわ。なにキムこわっ。
「なによその物欲しげな顔は。このダメ変態下僕。……うちの家令が勘違いして夜伽なんか手配したせいで――」
あー、やっぱりあの女性はそっち方面のプロなのね。
いつの間に俺の隣にもぐりこんできたんだろう。
もしかして一晩中、俺の寝顔を観察していたのだろうか。
やだ、なんか恥かしい。
それはそうと、強引に話題を変えてうやむやにしてしまおう。
「そういえばあの剣どこいったんだろ。貴重なものでしょ」
「まだ渡してないけど」
「早くお父さんに渡しちゃいなって」
「わかってるわよ。この部屋にあると思うんだけど、どこに――」
キムの顔が仮面のように固まった。
視線の先には小さなテーブル。その下に剣が転がっていた。
――柄だけ。
「うそ……」
茫然自失としたキムの様子に、俺も青ざめた。
もしかしてこれ、すげーヤバくね?
壊しちゃったんじゃねーの、これ。
だがそのとき、残った柄の部分もふっと掻き消えた。
「「消えた!?」」
シンクロして俺たちは叫んだ。
奇妙な現象に気づいた。
絨毯に足跡がある。
おや、消えた。
そしてまた、離れたところに足跡が現れた。
えっとー。どうしよ。笑われるかな。
まあいいか、言っちゃえ。
俺は警告した。
「あのさキム、そこに透明人間がいるみたいなんだけど」




