ウルザブルン
うそーん。
せっかく登場した少女があっさり逝くって……。
いや、逝ってない。認めないよ俺。
悪魔の名を口にすると、悪魔が来るっていうじゃん。
言霊には気をつけないとだめじゃないか、キム。
キムが娘を床に降ろそうとするのを、手で制した。
娘の頚動脈を探る。
――脈なしです。
顔色は?
――チアノーゼ引きました!
でも病的な白さを呈しています!
死相ですこれ。
だめじゃん。
でも体はまだ温かい。
そうだ、まだ間に合う。
古来よりヒーローやヒロインはピンチに陥るのがセオリーだ。
この苦労を乗り越えた先にカタルシスが待っているのだ。
そういうことにする!
俺はおもむろにライトで壁を照らした。
石の表面に顔を寄せる。
ないないないないっ。
どこにいった?
記しがあるはずだ。
あった!
ココ↓
正方形の石――プレートだ。
「キム、こっち来て」と手招きした。
彼女は疲れたのか、それとも失望のあまりか、片膝ついてロダン化していた。
「……もう、死んでしまったのよ」と、諭すように言った。
「いいから!」
プレートに命じて、裏方との連絡口を開いた。
気圧差があるのか、さあっと懐かしい匂いが通り過ぎる。
キムは腰を浮かせた。
「ちょっ……ええっ!? ヴスジーマなにをしたのよ」
「後で教えるから。その子を連れてきて」
イシキリを構え、片目だけで慎重に裏方内部をのぞいた。
ワーカーもキノコもいない。
通路の中は静まりかえっていた。
キムも続いて裏方に足を踏み入れた。
「うそ、第2層に隠しダンジョンがあるなんて。フェアボーテン攻略史にもそんなこと書いてない」
その声はかすかに震えていた。
「キム、ライト消して!」
スプライトの広い肩がビクリと跳ねた。
「え、あ……うん」と、キム。
ちょっと声が厳しすぎたかね。
ごめんキム。
でも、通路を照らすたいまつの光と比べて、スプライトの放つ光は異質だ。
ワーカーたちの注意を引く。
それは避けたい。
待機室の手前で、足音をひそめて通路の奥をうかがう。
モンスターの気配はなかった。
続く霊安室にも、食堂にもいない。
まあ、いないなら好都合だ。
いくらか警戒を解いて疾走する。
少し後ろを、キムが余裕でついてくる。
もうすこし、あの角の先だ。
飛び出してから悟った。
ダンジョン侵入者と戦ったあと、モンスターがやるはずのことを。
そう、治療だ。
傷を負いはしたが、命に別状のないモンスターは治療室に集まる。
そしていま、治療室の出入口から溢れたモンスターが列をつくっているところに、俺たちは出くわしたのだ。
キムとの激しい戦い――というか一方的虐殺――のせいで、生き残ったモンスターのほとんどが、治療室に押し寄せたと考えていいだろう。
こんな当たり前のことに、どうして気づかなかったんだ?
つい数秒前までの自分が恨めしい。
キムに警告しようとしたそのとき、傷ついた娘のぐったりした体が飛んできた。
意識もなく、ぐにゃぐにゃしたその体は、“人間”というよりも、単なる“肉”に近い。
数十キロの肉がぶつかった衝撃で、俺の肺から空気が叩き出された。
「うげぇっ」
みぞおちにめりこんだ娘の頭を押さえ、辛うじて支えた。
なんてことしやがる。
気が遠くなりかけたぞ。
なんとか踏みこたえた俺の横を、黒い影がモンスターめがけて突進した。
スプライトの突進は、その脚力ゆえ床に対してほぼ平行飛行だ。
高層建築の屋上まで、助走なしのワンモーションで飛び上がれるほどだから当然だ。
モンスターの列を薙ぎ倒して着地したスプライトの腕から、赤色レーザーが走る。
直撃したキノコや芋虫が、無事に見せかけて一拍置いて爆散した。
腕を振り、扇状の広域レーザーがモンスターを焼き滅ぼす。
その眩しい輝きは、まぶたを閉じてもはっきりと見えるほどだ。
俺の背後に回りこむキノコがいた。
それに気づいて身構えたときには、すでにキムがバク転で接近していた。
スト、とキノコの前に着地すると、スプライトはバスケのピボットターンのような動きで振り向く。
風きり音と同時に、キノコの傘と胴体がセパレートした。
鋭い蹴りが決まったのだ。
落ちた傘は俺の足下にまで転がってきた。
助かった、という思いよりも、スプライトの戦い方に戦慄を覚えた。
とりあえず、あのスピードで運動をコントロールできるキムすげえ。
続いて彼女は、モンスターがみっしり詰まった治療室に乱入する。
まるで近寄るもの全てを粉砕する竜巻だ。
ズガガガ、と奥歯を揺らす打撃音が治療室に轟いた。
出入口から肉片がシャワーのように通路に飛び散る。
ズ、ガ、ガンガン……。
静かになった。
娘の死た――間違えた。
娘の体を抱え、戸口に立った。
――あーあ。
モンスターたちは根こそぎ死滅していた。
ついでにリカバリーユニットのうち数台も、土台が欠けたり、酷いものは床ごと消失している。
キム、恐ろしい子!
どんだけの破壊力だよ。
リカバリーユニット全滅してたらアウトだぞ。
そんな心配をよそに、キムは気の抜けた声を出す。
「疲れたー」
さもひと仕事終えた、とでもいうように、腕でバイザーを拭う仕草をみせるスプライト。
血みどろの床にリュックを置いて、ワーカー直搾りの蜜を手探りする。
リカバリーユニットの操作は、けっこう強めの意識遷移状態――つまりトリップが必要だ。
時間がない。
震える手で小瓶を傾けた。
思った以上にたくさん口に含んでしまう。
やべ、少し返納しないと。
ごくん。
あ、飲んじゃった。
と、思ったら。
キターッ。
いきなりキタ。
「ヲヲヲヲ……」
強烈なRC遷移がやって参りましたよ。
リカバリーユニットの上に浮かぶデータ表示に視線を走らせる。
故障中。
起動準備中。
故障中。
作動中。これだ。
娘をヨタヨタと運び、円盤の上に放り投げるようにして安置した。
というか、ありていに言うと放り投げた。
そのくらい焦っていたのだ。
データ表示が変化する。
――診断中。
ええい、診断なんか省略しておしまい!
ON/OFF のイメージのON側を思考でズダダダダ、と連打した。
ふわり……。
傷だらけの娘の体が浮かんだ。
すぐに円盤から青い光の粒が立ちのぼりはじめる。
もう両膝から力が抜けそうだった。
床に手をついて、誰にともなく言った。
「これでよし」
あとは祈るだけだ。
人間も含めて、あらゆる生き物の基本状態は死、なのだと俺は思う。
生きている方が不思議なんだ。
空気や水がなければすぐ死ぬし、ちょっとした衝撃や病気でもすぐ命の炎は消えてしまう。
続いているだけで奇跡、そんな儚いものが、命。
そして、生と死の境界線はあいまいだ。
生命維持装置につながれて、境界線の上をうろうろ行ったり来たりする人も、元の世界の病院なんかには大勢いただろう。
命の境界線の太さは、医学の進歩に従ってどんどん大きくなっていく。
もし、リカバリーユニットが驚異的な科学の産物なら、命の境界線の太さはどれほどのものか?
俺はそれに賭けた。
「ブスジーマ」
バイザーを上げたキムが、リカバリーユニットにこわごわと近づいてきた。
「これは……?」
説明してもわかるまい。
ここの人たちは、ダンジョンを裏から支える驚異的な技の存在を知らない。
強いて言えば、理解するだけの基礎的な知識もなさそうだ。
そう判断するのは、街中で電気を使った機械を一つとして見かけなかったからだ。
まあ、機甲鎧は別として。
妙な具合に超ハイテクと産業革命以前の生活が混在していた。
なぜそんなことになっているのかはわからないが。
俺はこう説明した。
「怪我を治療する魔法装置だよ」
キムは小さく息を呑んだ。
そして、ほとんど敬虔ともとれるささやきをもらした。
「これは……伝説にあるウルザブルン……」
「なんだって?」
キムは俺の顔を見た。
「永久の泉、ウルザブルンよ」




