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 それはまるで、“世界”という名のお盆が、片方に傾いたかのごとき情景だった。

 無関心にロボットを眺めていた大人たちが、一斉に悲鳴の中心に駆け寄ってゆく。


 だが彼らの行動は、思いやりや他人を心配する純粋さをカケラも持ち合わせていなかった。

 野次馬たちが肘でつつき、目配せをしあっている様を目撃した瞬間、それがわかった。

 どう見ても、そいつらはロハで見世物にありつけそうだという目論みから、悲鳴に引き寄せられているように思えた。


 ――ははあ。


 俺のことを、キンバリーちゃんは“はしっこい感じがしない”と言っていた。

 なるほど確かに、ここの住民と比べれば、俺も含めた日本人の大部分はおっとりしてるな。

 大阪あたりに生息しているオバチャンの精神を10倍図太くすれば、ここの住民に匹敵するかもしれない。


 などと思考を巡らせ、ふと視線を転じると、キンバリーちゃんがいなかった。

 突如として太陽が陰り、地上に影を落とした。

 ふと天を見上げると、スプライトが宙を飛んでいた。


 いや、飛んでるわけじゃない、落下してるんだ。

 どんだけの脚力があればできるのか、ひとっ飛びで木造ビルの屋上まで達している。


 騒動の中心に飛び込もうとしているのか!

 でも飛距離が足りない。

 いや、心配無用だった。スプライトはビルから突き出した物干し竿に足をかけ、さらに遠くにジャンプしていく。


 「おっと、不可抗力だぞ今のは」


 遠くから不明瞭に聞こえたのは、オライオンの操縦者の声だった。

 オライオンが角ばった腕を挙げて「失敬、失敬」と上下に振った。


 「教会の聖務を軽視するからこうなるのだ。以後気をつけなさい」

 ガハハ、という男たちの笑い声がスピーカーの背後に聞こえた。


 なにを言ってるんだ?

 連中の人を侮ったような口の利き方に、心の奥がざわめいた。

 あいつらには、絶対に好意を持てそうにない。


 その現場に、キンバリーちゃんが垂直に突入した。

 人だかりの向こうに土煙が上がるのが見えた。

 

 「なにやってんだよキンバリーちゃん……」

 そんなヤバげな連中と関わるなよ。


 俺はネクタイを肩から後方にたなびかせ、全力で走った。

 やっと人だかりに追いついたとき、現場は険悪な雰囲気になっていた。


 オライオンに比べればちっぽけなスプライトが、小さな女の子を抱えて立っていた。


 いや、小さい女の子じゃない。

 眩暈を覚えた。

 血の気が引いて、すっと重力が軽くなったかのように頭がふわふわした。


 ――そうか、足がないんだ。


 モミクシャにされたボロ雑巾のようなものをまとった女の子は、両足の膝から下がなくなっていた。

 そして、地面を20センチほど凹ませるオライオンの足跡のなかに、赤黒い染みのようなものが見てとれた。

 オライオンが踏みつけたのだ。


 「その子に‟死出の剪定”を授けてやろう。まさか我らの聖なる務めを遂行するのに異議はないだろうね?」

 オライオンのスピーカーから、まるでこの状況を楽しんでいるような半笑いの声が降る。


 見上げると、コクピットから顔だけのぞかせた男がいた。

 はっきりとは見えないが、薄ら笑いを浮かべているようだった。


 いたいた、元の世界にも。こういうクソ野郎タイプ。

 まあ、元の世界のクソ野郎は、さすがに人の命を奪っておいて平気で笑うほどに、どゲスではなかったとは思うが。


 黒の制服に白のタスキをかけた数人の男たちが、キンバリーちゃんに詰め寄る。

 「お嬢ちゃん、いい子だからそのゴミをよこしな。ひと思いに始末してやるのが恩寵ってもんだぜ」


 「お断りします」と、硬い声で、はっきりとキンバリーちゃんは言った。


 「酔狂な貴族様だ。そんなもん拾ってどうする? ソレはもう一人で生きていくこともできないぞ。それとも足のない醜い女に、役所から売春許可証が下りるとでも思っているのか」

 別の白タスキの男が気持ち悪く笑った。


 「ほほほ、違いありませんなシグリク様。没落貴族は世知に疎いとみえます」

 他のタスキ男たちも口々にシグリクに賛同する。


 「棄民に堕して、配給権も名前も失ってしまう前に、ギアー神のもとに返すのが情けというもの。もとより命はすべて我らが主、ギアー神から生まれ御許に帰る定めだ」


 「仰るとおりですシグリク様。主に続きし十二聖人も、“命は長さではない。短さである”との聖句を残しておりますゆえ」


 うむうむ、とうなずくシグリク。

 シグリクは味方の数が多いことで満足したのか、改めてキンバリーちゃんの上に覆いかぶさるように身を乗り出した。

 

 俺は無意識のうちに叫んでいた。

 「あっ、危ない!」


 土くれと、赤黒いもので汚れたオライオンの足が、スプライトをかすめて地面をえぐった。

 それでもキンバリーちゃんは微塵も動かない。


 「ん? どうした、はやくそれを下に置け。特別に我がオライオンの足裏で、その養民の小娘をこの世から聖別してやろう」


 「オライオン……」

 苦しげにキンバリーちゃんがつぶやいた。


 オライオンが肩をすくめた。

 「おやおや? もしかしたら彼のことを思い出させてしまったかな? これは失敬」


 「は?」

 キンバリーちゃんの声が険しくなる。


 やめて!

 キンバリーちゃんの声で「は?」とか言わないで。昔のトラウマが抉られるから……。


 運動会の練習をサボって、ひとりで馬跳びタイヤに腰かけていた女子生徒。

 淋しそうな様子にほだされて、ついつい声をかけてしまったさ。

 だって俺も同じような侘び寂びの気持ち、知ってたもの。


 勇気を振り絞って、こう声をかけたさ。

 「どうしたんだい。女子に哀愁は似合わないぜ☆」


 「……は?」


 身震いが背中を駆け上がった。

 ――おお。また追憶しちゃったよ。

 齢をとるほど追憶に浸る時間が長くなるよな。

 20代の頃はそんなに思い出さなかったのに……。


 それにしてもなあ。

 キンバリーちゃんも、あんな底冷えのする声を出せるんだなー。女こえー。


 我に返ると、シグリクとやらはまだまだ好調で長広舌を続けている。

 「思えば君には礼を言うべきだな。ルウィンのやつがどこぞの没落貴族のせいでコケてくれたおかげで、フェアボーテン初のオライオン級の乗り手になれたのだから」


 キンバリーちゃんは、みじろぎもせずにシグリクが乗るコクピットあたりを凝視している。


 「ふん」

 シグリクは挑発が失敗したと見て取ったのだろう、鼻を鳴らして去っていった。


 オライオンの巨大な足が性急に動いたために、鈴なりになって事の行方を見守っていた見物人が折り重なって倒れた。


 「どけっ養民ども。聖務であるぞ」

 タスキ男たちが怒鳴り散らした。

 悲鳴と怒号が遠ざかってゆく。


 俺はキンバリーちゃんに近寄った。

 スプライトのダークグレイの装甲の上を、鮮血が流れ落ち、足下に血溜まりをつくっていた。


 「キンバリーちゃん……」


 ささやき程度の声が俺の耳にとどいた。

 「あのお人よしは、坊主にしては見上げたやつだったのよ……貴族も平民も養民も、棄民にすら手を差し伸べるくらいの馬鹿だった……」


 俺はスプライトのバイザーを見上げた。

 ――ルウィンという男のことか。


 「でも、わたしなんか好きになったのが、運の尽きだったわね……」


 彼氏だったのだろうか。

 心の中で肩をすくめた。

 まあいいさ。


 抱きかかえられた娘の顔色は、白というよりも青っぽく変色していた。 

 見るも無残な断面をさらす足は、もうほとんど血も出てこない。


 ――どう見てもチアノーゼです。これはもう……。


 だめだ! 

 じいちゃんだって、終戦間際の樺太で諦めなかった。

 だから親が、俺が――存在している。

 この娘はもうだめだとか、それを決めるのは、この子自身と神様だけだ。

 そして俺は、そのどちらでもない!


 野次馬たちは、関心を失ったのか三々五々立ち去ってゆく。

 なかには、祈るような仕草をみせる人たちもいた。


 ああ。俺もこの子に祈ってやろう。

 ただし、できるだけのことをやった後でだ。 

 この異世界の社会に、いま貢献しないでどうする。

 覚悟を決めろ。


 俺は一歩前進してリュックを道路に下ろした。

 確か使えそうなものがあったはずだ。

 こういう怪我の対処は自動車教習所で必修だったよな。どうやんだっけ。

 まず止血をして――まてよ。


 かすかな希望の光が差し込んだ。

 やれるかもしれない。

 急げ。


 腕が何本もある阿修羅のごとく、超速でリュックをかき回す。


 尋常ならざる気配を察したのか、キンバリーちゃんも俺を振り返って見ていた。


 「あった!」

 俺は近所のスーパー銭湯からかっぱらってきたタオルと、コンビニの割り箸をいくつか握り締めて立ち上がった。

 「キンバリーちゃん、この子を降ろして。足を持ち上げて頭を下にして」


 彼女は俺の目をまっすぐ見て、小さくうなずいた。

 膝をつき、少女の傷ついた体をそっと降ろす。


 近くで見る少女は、考えていたほど幼くはなかった。

 小麦色の肌は滑らかで、ふっくらと女の子らしい。

 ――キンバリーちゃんと違って。

 あ、気にしないで。キンバリーちゃんのスレンダーさも、一部の愛好者には大好評だからさ。

 俺とかね!

 

 おっと、また脱線してしまった。

 この子が普通の娘と同じなのはそこまでだ。

 目を背けたくなるような傷跡が目の前にあった。

 砕けた黄色っぽい骨が、ぐちゃぐちゃになった筋肉から突き出している。


 口の中に唾液が溢れた。

 いや、食したいわけじゃないよ。

 決まってるだろう。吐き気を催したのだよ。


 タオルを娘の膝上に巻いて、両端で小さな輪っかをつくる。

 その輪に割り箸の束を通し、ねじり上げた。


 ――これで止血にはなるな。


 しかし、もう血が足りない。

 絶望的に。

 元の世界なら、そんな問題は輸血で簡単に片付くが、ここは異世界だ。

 輸血できるか、と尋ねようという発想すら浮かばなかった。

 そんなもの存在しないと、心のどこかで知っていた。


 両足の処置を終えて、はじめて周りを気にする余裕が生まれた。

 重たい沈黙がそこにはあった。

 立ち去らなかった何百人もの男女が、俺のことを見つめていた。

 キンバリーちゃんも。

 この悲惨な現実から、どれほどの果実をもぎ取れるのかと、期待と疑問を視線に乗せて。


 「キンバリーちゃん」


 がしゃりと機甲鎧を鳴らして、彼女はこちらを向く。


 「この娘を助けたい?」

 

 キンバリーちゃんが息を呑む気配を感じた。


 「え……そうね。助けたい。できることなら。でも……」


 「命をとりとめられるかもしれない方法が、一つだけある」


 キンバリーちゃんは、俺と傷ついた娘を交互に見た。

 「まさか。助かるわけがないわ」


 「可能性はある。手伝ってくれれば――」


 「具体的にどうやるのよ。わたしにしてあげられることなんて――」


 言葉を強引に引きついだ。

 「ある」

 俺はリュックを肩にかけた。

 「一緒にダンジョンに戻ってくれないか」


 「今から? ダンジョンに?」


 かかとで跳ねて、背負い紐の座りを直した。


 この世界の連中なら、

 「この娘を助けるためにダンジョンに戻る!」

 と言ったところで、

 「は? なんで?」

 となるだろう。

  

 わずかな時間だけど、この異世界の人々の醜いメンタルは十分見てしまった。

 協力など、きっと得られない。


 「嫌なら俺一人でいくよ」


 スプライトの金属の腕から、傷ついた娘を持ち上げようと手を伸ばした。

 すると、その体は軽々と宙に持ち上がった。

 ちゃんとスプライトの腕の中に納まったまま。


 慌てたような早口で、キンバリーちゃんが言い添えた。

 「行くわ、行くわよ一緒に」


 ――よかった。


 俺は少し肩の力を抜いた。

 これで、俺も少しは世界に“与える側”になれるのかもしれない。

 

 「ありがとう、キンバリーちゃん」


 俺の感謝を耳にして、なぜかキンバリーちゃんは背伸びするような動きをみせた。

 スプライトの外骨格がギシリと鳴る。


 彼女はいきなりクルリと俺に背中を向け、フェアボーテン・ダンジョンのゲートに向かってせかせかと歩き出した。


 「あれ、ちょっと、待ってよ」


 追いついた俺に、キンバリーちゃんはこう言った。


 「そのキンバリーちゃんていうの、やめてよね。言ったでしょ、落ちぶれたとはいえ、古くから続くユニティ家の末裔なんだから」


 「そうか。じゃあ、なんて呼べばいい?」


 「……キム」


 キンバリーだからキム。なるほど。

 とりあえず呼んでみた。

 「キムちゃん」


 彼女は肩越しに俺を振り向いた。

 「わかってないのね。“ちゃん”がダメだっていってるの! あいつと同じ呼び方しないでよね!!」

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