もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対
ダンジョンのために、わき目もふらずに動き回るワーカーたち。
そに背後から、忍び寄る影があった。
黒い影が伸びて、さっと一体のワーカーが捕らえられた。
「ギッ」
驚きの声をあげる黒ワーカー。
それを翻訳すれば、「なんだ君は!」という意味に違いない。
ワーカーの赤く光沢を放つ複眼に、歪んだキノコの像が映った。
普通のキノコ・モンスターよりも頭2個分は大きく、ひょろ長いそのモンスターは……
「なんだチミはってか!? そうです、ワタシがコーキョーの敵です」と前置きもなしに言い放った。
もちろん俺だ。
ワーカーを捕獲するのも今や完全なルーチンワークと化した感がある。
なんかもう最初の頃のドキドキ感は消えてしまった。
仕方なく、ワーカーを田代ま○しに見立て、“変なオジサンごっこ”に興じるくらいしかやることがないのだから許してほしい。
ワキワキと足を動かすオナh……間違えたワーカーを見ていると、なぜだかわからないがあの日のことを思い出していた。
天に拳を振り上げて、「これまでの貸しを返済してもらうぞ、社会め」と叫んだあの日。
これからの人生、もう自分以外の人間のために生きる事はないと誓った。
そして気がつくと、この世界にいた。
ここで俺は、毎日毎日モンスター用のフレークを奪い、モンスター用の水を飲み、モンスター用のリカバリーユニットで体の垢を落とす。
一方でモンスターは ダンジョンを守り、ワーカーは モンスターを支える。
この労働者の楽園で、俺だけが厄介者だ。
君たち働く、俺ラクする!
何も生み出さない空虚な生活。
同じニートでも、元の世界ならネットを通じて仮想現実世界の友達と交流するくらいのことはできただろう。
悲しいかな、それすら今の俺には無理なのだ。
俺が無職ニートで、あまつさえ年老いた親が受け取るわずかばかりの年金から、小遣いをもらっているダメ人間だと仮定しよう。
親の年金食い潰してる時点で凶悪な屑野郎ではあるが、それでも、食べ物のような生活必需品を買ったり、ネットゲームの課金サービスの支払いに金を使うことで、経世済民を通じて世界と繋がっている。
でも――ここでの俺は本当に何の役にもたっていない。
役に立つどころか、キノコをハックしてその死骸をかぶり、闇に乗じて善良なワーカーを襲うバケモノだ。
モンスター側の視点に立てば、俺こそがモンスターだろう。
手の中でもがく黒ワーカーに、唐突に焼けつくような嫉妬を感じた。
心の中の冷静ば部分は言う。「馬鹿げてる」と。
確かにそうだ。こんな薄気味悪い生き物に対してうらやましいと思うなんて。
でも、こいつらがうらやましい。
可笑しさのあまり、クツクツと忍び笑いがもれた。
おいおい、俺は少しずつ狂いはじめているのか?
――そうかもしれない。
こんな毎日は――死んでいるのと何も変わりがないじゃないか。
「イッツ」
ワーカーが腕をひっかいた。
見ると、切り口に赤い血玉が湧き出した。みるみる粒同士が結びついて連なり、床に流れ落ちた。
隙をみて脱出したワーカーは、メンテ穴の中に消えた。
もう捉えるのは無理だ。
腕の傷はじんじんと激しく痛む。血をこれ以上失わないように手首を押さえた。
「くそ……」
悪態が通路の中で虚ろに響いた。
どんな人にとっても――いや、どんな生物にとっても――これと定めた目標のために一心不乱に働けるのだとしたら、それは幸せなことだ。
ワーカーのように、現実的な仕事、建設的な作業に打ち込めれば、生の空しさを感じることもない。
未来に横たわる、生も長さを感じることもない。
俺は壁にもたれてつぶやいた。
「人生は何かを成し遂げるには短すぎるが、何もしないには長すぎる」
俺はふと、じいちゃんが若い頃の話を思い出していた。
子供の頃、俺はじいちゃんの膝に乗って昔話を聞くのが好きだった。
特に戦争の話。
敵の思いがけない侵入で、軍隊は壊滅してちりぢりになった。
あらゆる都市が焼けて、食料もなく、敵に追い回されていた。
住む所どころか、今日食べるものもどこにもなかった。
あるのは命と、若い体だけ。
それなのに、都市を焼け出された男女が無言でじいちゃんのあとについてきた。
赤ん坊を抱いた母親や、レンズのなくなったメガネをかけた銀行マン、親に捨てられた子供、負傷した兵士、敵兵に襲われおさげの髪に火をつけられた女学生。
何日も逃げ回ったあげく、同じような避難民とでくわし、食料を巡って同胞同士でいがみあった。
ある日のこと、敵の目をかいくぐり、港に係留されていた廃船同様の輸送船を奪った。
あらゆるものを掠奪していった敵すらも、見捨てていった船だった。
すさまじい騒音を発する焼玉エンジンは、ガタがきて炎が漏れ出すようなシロモノだった。
それでもだましだまし動かし、夜に移動して昼は無人の入り江に隠れた。
敵の哨戒船の目を盗んでジグザグに航海し、本来なら一日の距離を何日もかけて移動した。
やっとのことで日本本土――北海道のある港にたどりついたとき、戦争がとうに終わっていたことを知った。
じいちゃんは勝手に生還したことで脱走兵扱いされた。
戦後、国から恩給をもらうこともできなかった。
しかし、後悔など全くしていなかった。
ああしていなければ、大勢の避難民もろともきっと死んでいただろうから。
じいちゃんは目を閉じて言った――「あの数週間ほど、生きていることを実感したことはなかった」と。
立派な家に住んで、金を出せばいくらでもモノが買えることが、幸福なのではない。
ましてや、そのような満ち足りた生活にしがみつき続けることが、生きていることを意味しない。
じいちゃんの遠い記憶――ブツブツと言葉を区切るような口調が、脳裏によみがえった。
「なあ正男。シマリスみてえに、貯めこんで、安心してる連中はなぁ、年中、冬が来るんじゃねえかってな、震えてやがるんだ。だから、いくら貯めこんでもな、ぜんぜん、十分だと、思えねえんだ」
「はは、シマリス、か……」
俺はいつの間にか、巣穴いっぱいにドングリを詰め込むシマリスになっていたんだ。
いや、俺の場合、正当な労働の成果ではないのだから、むしろシマリスより下位の存在ってことになる。
ワーカーが集めた戦利品をせっせとチョロまかすケチな泥棒ってわけだ。
自嘲するしかない。
損なわれた過去と失われた未来の板ばさみになった人間は――俺のように人生に手ひどく失望してしまった人間は――もう、あの神様にすがるしかない。
あたかも、紙幣という名の御神体を銀行という神殿に納めれば、幸せを保障したり、罪を清算してくれるとでもいうように。
「ああじいちゃん、わかったよ」
俺は脳裏に浮かぶじいちゃんの横顔に向かってつぶやいた。
――ただ自分のために生きるのは、空しい。
そうでしょ? じいちゃん。
自分を他人よりも愛するのではなく、自分以外の何者かを愛すとき――自らの社会や家族、そういったもののために生きれるときにこそ、生を実感できる。
じいちゃんがそう言っていた。だから真実だと信じる。
ならば、俺のように毎日タダ飯食って社会に寄生するなど、死んでいるのと同じことだ。
つい一ヶ月前、俺は「社会から奪い取ってやる」「貸しを返済してもらう」といきまいていた。
でも、リアルにパラサイトできる環境がやってきても――今思えば、本当の満足感なんかぜんぜんなかった。
こんな生活、ワーカーの尻穴をオナ○代わりにオ○ニーするのと何も変わりがない。
空しいだけだ。
最初こそ、まるで自分が特別になれたような気分がしたけど、そんな気持ちは長持ちしなかった。
心の中で叫んだ。
もう、社会から奪うなんていわない。
公共の敵になんかなりたくない!
婚活に失敗したからといって、女性から逃げたりもしない。
ああ、誰かのために生きたい。
貢献したい。
生きる意味が欲しい。
この新しい人生観は心のひだの間に隠されて、表に出てくる機会を待っていたのだ。
今ははっきりとそれがわかった。
元の世界で婚活をはじめたとき、俺は「誰かのために生きたい」と熱望した。
結婚して家庭を築き、愛情を与え、親しみと尊敬の眼差しを返してくれる家族が欲しい。
今は再び、心からそう思えた。
お互いに心からの誠意と信頼を持って、支えあえる戦友が欲しい。
一緒に生活を切り開いていけるパートナー、人生という建物のレンガを、共に一つ一つ積み上げてゆける伴侶が欲しい!
もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対。
どこかで聞いたようなフレーズだが、偽らざる気持ちだ。
ああ、世の中ばかりが悪かったんじゃない。俺も悪かったんだ。
デブでハゲでメガネじゃ、そりゃ女の子に嫌われるよ。
そのうえ精神的にもヒキコモリ気質に溢れてたし。
ビジネス界では、「ある人物の人となりが知りたければ、その人物がつきあっている友人をみろ」という。
恋愛においても同じことが言えるのだろう。
つまり、自分と同じレベルの異性としかつきあえない、ということだ。
あの日、俺のことを振った女をクソ女呼ばわりしたけど、自分を罵っているのと同じことだった。
俺は手鏡を取り出そうとして、動きを止めた。
見なくてもわかる。
この1ヵ月あまり、会社と家の往復をしていたのでは到底不可能なほどよく運動したし、食べ物は無味乾燥なフレークばかり。
冷凍食品もダイ○ットコークも、深夜のラーメンも、寝酒の焼酎もご無沙汰だ。
腹はすっかりへこんで、足には筋肉がついていた。
頭皮からは、太くて元気いっぱいの毛がモサモサと成長しはじめている。
体は絶好調だ。
このごろでは、キノコフェイクを着用していても、キノコモンスターが疑惑の目で俺を見ているような気がする。
たぶん、体型が以前ほどキノコっぽくないせいだと思う。
ヒキコモリを止める潮時だ。
社会復帰しよう。働くんだ。もう一度、人の間で生きてみよう。
元の世界からここにやってこれたのは、きっとやり直しのチャンスを神様がくれたからだ。
その神というのが何者かは知らないが、少なくともカネの神ではない。
「よし、外に出よう」
俺は決断すると、さっそく準備をするために第1マイホームに向かって踵を返した。
しかし、手の傷から滴った血液が、通路に点々と残る道しるべになっていることに、そのときは気づいていなかった。




