表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お嬢様Saga:ドラゴン肉のポワレ〈焦がしバター〉 狂食淑女の微笑みを添えて  作者: 財務白関
最終章:王女様、Sagaになる

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/30

27話「最後の晩餐」

ラ・ロシュ家の館に、久しぶりに穏やかな夜が訪れていた。

王都の喧騒から戻ったシャルルが屋敷に帰り、家族四人が同じ食卓を囲める、数少ない夜だった。


厨房では、エレオノールが火台の前に立っている。

指先で火打石を打ち鳴らすと、澄んだ音とともに小さな火花が散り、乾いた薪に小さな炎が宿った。

魔法を用いず、人の手で起こされた炎は、頼りなくも誠実に揺れている。


フライパンに落とされたバターは、ゆっくりと溶け広がり、やがて縁から淡い泡を立ち上らせた。

白から黄金へと色を変えながら、甘く深い香りが生まれ、厨房の空気を満たしていく。

それは強く主張する匂いではないが、一度吸い込めば胸の奥に残る香りだった。


フライパンに置かれたのは、〈ケーヴ〉に残されていた最後のモンスターの肉――ドラゴンの肉。

エレオノールはそれを置く直前、ほんの一瞬だけ手を止める。

祈りとも、別れともつかない沈黙が、そのわずかな間に宿った。


肉が熱に触れると、低く澄んだ音が立つ。

表面が引き締まり、ゆっくりと焼き色が深まっていく。

火は強めず、弱めすぎず、旨味だけを閉じ込めるように保たれていた。


焼き色が整ったところで火を落とし、溶けたバターをスプーンで掬う。

泡立つ黄金色の脂が、何度も肉を撫でるように巡り、そのたびに香りが重なっていった。


バターの甘み。

肉の持つ深い滋味。

そして、言葉にし難い、熱を帯びた余韻。


それは力強さではなく、包み込むような豊かさだった。

まるで、この料理が誰かを満たすためだけに存在しているかのような、静かな優しさ。


エレオノールの所作に迷いはない。

料理を仕上げるというより、ひとつの命を、誰かの時間へと渡しているように見えた。


やがて皿が運ばれ、食卓に《ドラゴン肉のポワレ〈焦がしバター〉》が並ぶ。

派手な装飾はない。

ただ、完璧な焼き色と艶を帯びた表面が、そこにある。


それだけで、この一皿が二度と同じものにはならないと、誰の目にも分かった。


「わあ……すごい匂いだ!」


真っ先に声を上げたのはシャルルだった。

目を輝かせ、椅子に座る姿勢まで前のめりになっている。


「これは……間違いなく傑作だな」


ギヨームも感嘆の息を漏らす。


四人は短い祈りを捧げ、ナイフを入れた。


一口ごとに、感想が自然とこぼれる。

香ばしさ、柔らかさ、口に残る余韻。

シャルルは少し大げさな身振りを交えながら、「今まで食べた中で一番です!」と何度も繰り返した。


エレオノールはその様子を、少しだけ寂しげに、それでいて眩しいものを見るように目を細めて見つめていた。


ギヨームも、アデルも、シャルルも、ただ美味しいものを口にし、自然に笑っている。



やがて話題は、館を離れて暮らすアルマンとリュシールのことへと移っていく。

幸せそうな未来の話に、食卓の空気は和らいでいった。


「向こうの屋敷にも、もう慣れたかしら」


と、アデルが言う。


「お父様が用意してくださった家は、とても使い心地が良いと申しておりましたわ」


エレオノールが答える。


「アルマンも仕事熱心だ。いずれは男爵に引き立ててやらないとな」


「そうね。当家を支える貴族になって欲しいわ」


それは遠い未来の話ではなかった。

特別な決断を要する話でもない。

時間が流れれば、自然とそうなるだろうという前提で語られる、ささやかな将来だった。


ひとしきり話が落ち着き、ギヨームはナイフとフォークを置いた。

皿を見下ろし、短く言う。


「……うまいな」


それだけ言って、もう一口食べる。


「初めてドラゴンを食べたときは、『信じられないくらい美味い』で終わった」


少し間を置き、率直に続けた。


「だが、これは違う。食べていると、自然と周りを見てしまう」


エレオノールは、何も言わずに父を見る。


「理由は分からん。分からんが――誰かと一緒に食べることが前提みたいな味だ」


ギヨームは視線を上げ、娘を見た。


「レア。お前が何を考えているかは、正直、俺には分からん」


そう前置きしてから、低く続ける。


「だがな、こんな料理を作るお前には、ちゃんと生きていて欲しい。美味いものは、生きてこそ味わえるものだ」


エレオノールは真っ直ぐに父を見た。


「ええ、お父様。私は、私が愛した味が誰かの血肉になって、その人を笑顔にし続けるように生き続けたいですわ」



食卓に、穏やかな沈黙が落ちる。

灯は静かに揺れ、皿の上の料理は、ただ美味しくそこにあった。


シャルルは皿に残る肉をしばらく見つめ、声を落とす。


「……でも、これでモンスターの肉は、最後なのですよね?」


問いは責めるものではなく、楽しい時間の終わりを確かめるような響きだった。


「ええ。〈ケーヴ〉に残っていた分で、これが最後ですわ」


シャルルは小さく頷き、フォークを持つ手をきゅっと握る。


「……美味しかったです。だから……少しだけ、寂しいです」


その正直な言葉に、エレオノールは首を横に振らなかった。

悲しみを否定することなく、包み込むように言葉を選ぶ。


「大丈夫ですわ、シャルル。今日の味は、あなたの中に残りますわ。忘れなければ、最後にはなりませんわ」


シャルルはその言葉を噛みしめるように聞き、やがて小さく笑った。


「はい。僕、忘れません」


少ししてから、シャルルが顔を上げる。


「……では、お姉様。次は、いつ食べられますか?」


あまりにも自然な問いだった。

次があることを、疑いもしない声音。


エレオノールは思わず小さく笑い、ゆっくりと頷いた。


「そうですわね。では――次に皆がそろったときに、また作りましょう。今日みたいに、火を起こして、バターを溶かして。家族で食べる料理を」


シャルルの顔が、ぱっと明るくなる。


「約束ですよ?」


「ええ、約束ですわ」


守れるかどうかを考える必要すらないほど、小さな約束。

魔法がなくとも、特別な力がなくとも、こうして分かち合える幸福がある。


エレオノールは、その事実を胸の奥で確かに感じていた。


この日常が、永遠であればいいと。

その願いが、あまりにも静かだからこそ――

やがて訪れる喪失は、取り返しのつかない輝きを帯びることになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ