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お嬢様Saga:ドラゴン肉のポワレ〈焦がしバター〉 狂食淑女の微笑みを添えて  作者: 財務白関
最終章:王女様、Sagaになる

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26話「グルメ王国」

タラスク討伐から数か月が過ぎても、王都ヴァロリアの王宮には、周辺諸国から祝意や礼状が変わらず届いていた。

分厚い封蝋の香りと、異国の紙が持つ乾いた匂いが、執務室の空気に淡く混ざるほどの量である。


エレオノールはその返礼文を書く役を担い、単なる礼の言葉だけでなく、相手国の状況に応じた助言や、友好を深めるための提案をも添えるようになっていた。


祝いの文面の末尾に、交易の道筋や食糧事情への小さな指針が織り込まれることもあり、いつしかエレオノールの書簡は、王国の名を冠した一通の外交文として扱われるようになった。


その積み重ねをきっかけに、エレオノールは月に一度ほど、王宮の会議へも出席するようになっていた。

名目は「書簡の作法に明るい公爵令嬢」としての助言であり、実際には、各国との関係を形づくる一端を担う存在として、その言葉が求められていた。


アメリ国王から寄せられた厚い信頼。

砂糖輸入の新たな枠組み。

今や王都の貴族の食卓のみならず街の話題さえさらっている《エクレール・ドゥ・レア》の開発。

そして、厄災を退けた英雄としての存在。


タラスク討伐は単なる武勲ではなく、国境を越えて人々の生命を守った偉業として語られ、エレオノールの名は畏敬とともに諸国へ広まっている。


とりわけ、あの戦いを目にした者たちが語る光景は、まるで神話の一節のようであった。

兵士は酒場で、街道の商人は宿場で、巡礼者は祈りの合間に、そして使節は自国の王侯の前で、その話を飾らず熱を帯びて伝えた。


伝言は距離を越えるほどに磨かれ、やがて各国の宮廷で語られる頃には、英雄譚(サーガ)として確かな形を得ていた。

それは誇張ではなく、人が恐怖を言葉へ変えるときに必然として生まれる、畏れと祈りの混じった物語である。


王国としても、エレオノールの言葉を軽んじて済む段階ではなかった。



その日も、会議室は静かな緊張に満ちていた。


高い天井を支える柱には薄い金の装飾が施され、窓辺の紗が淡い風を受けて揺れている。

朝の光は長卓の上へ柔らかく落ち、磨き上げられた木肌に、ゆるやかな照りを生んでいた。


宰相をはじめ、財務卿、外務卿、王室付きの書記官たちが席につき、革表紙の議事録が開かれる。

ペン先が紙を撫でる音が、ごく小さく響いた。


エレオノールは議席の端に座し、背筋を正した。

淡い色のドレスに小ぶりの装飾を留めているだけで、主張は控えめだが、そこに宿る気品は隠しようがない。

瞳は落ち着いており、議論を聞き漏らさぬように柔らかく前を見つめていた。


宰相は、何通かの報告書を指で揃えたのち、淡々とした口調で切り出した。


「さて、エレオノール王女陛下より賜ったご提案についてですが」


宰相は言葉を選ぶように一度間を取り、視線を少し持ち上げた。


「料理人を育て、王国として“食”の技を整えるというものでしたな。しかし、これは民が贅沢に走るだけではないのでしょうか」


会議室の空気が、ほんのわずかに硬くなる。

反対ではない。だが誰もが慎重だった。

国の舵取りを担う者たちにとって、文化と贅沢の境目はいつも危うい。


エレオノールは瞬きをひとつだけし、小さく頷いた。

声を荒らげることなく、しかし、言葉には揺るぎない芯があった。


「行き過ぎれば、そうなりますわね」


そこまでは穏やかだったが、続く言葉は鋭さを帯びた。


「民がパンを食べるのにも困窮しているときに、貴族だけが菓子を食べていれば、国は転覆いたしますわ」


宰相の眉がわずかに動き、他の重臣たちも息を飲む。

エレオノールの言葉が、単なる“菓子の話”ではないことを示していたからだ。


エレオノールは視線を落とさず、静かな力を保ったまま続けた。


「けれど、グルメというものは、すぐ目の前で豊かさが得られる創意工夫なのです。豊かさを知れば、人はもっと豊かになりたいと思うでしょう。すると、より工夫するようになります。それは必ず、他の分野へも伝播いたしますわ」


エレオノールは言葉の間に、わずかな息を含ませた。

それは相手を急かさぬための余白であり、説得のための静けさでもある。


「建築、鍛冶、農業。さまざまな分野で民が工夫し、誇りを持つことが、王国の発展につながります。食卓を豊かにする知恵は、暮らしのあらゆる場所に根を張るのです」


その声は強いが、決して高圧的ではない。

エレオノール自身が信じる未来を、自然に語っているだけだった。


宰相は腕を組み、顔色を変えずに聞いている。

だが、書記官のペンが少し速くなる。

一語一句が議事録に刻まれ、後に政策の根になる可能性を帯びていく。


エレオノールは少し微笑んだ。

そこには思い出の光もあった。


「他国のショコラや砂糖には、私も感動いたしました。そこから《エクレール・ドゥ・レア》は生まれたのです」


エレオノールの声は、誇らしさを含みながらも驕りにはならない。

それは驚きと感謝の証だった。


「料理人も、まずは他国から招聘すればよろしいのですわ。知らないものを学び、工夫し、自分たちの国のものにしていけば良い。模倣は恥ではありません。模倣の上にしか、独自の美は育ちませんもの」


室内に漂う緊張が、少しずつ柔らかく変わっていく。

反論のために構えていた者たちの表情が、考える顔へと移り始めた。


エレオノールは、最後にほんのわずかだけ遠い未来を見つめるような目をした。


「私は楽しみです。百年後、二百年後のエランソワ料理が」


窓辺から差す光が、エレオノールの髪の一筋を淡く照らす。

まるで、その言葉の先にある長い年月を象るようだった。


「きっと世界中から、グルメといえばエランソワ料理と呼ばれるようになります。グルメが文化となり、文化がエランソワの資産となり、世界中の人々を魅了します。それが積み重なれば、エランソワはますます発展していくと考えておりますわ」


その言葉が行き渡ると、会議室に沈黙が落ちた。


反論を探していた者たちでさえ、言葉を失っていた。

“食”が国の未来を形作るという発想を持った者などいない。

そして何より、その口調が夢想ではなく、現実の政策として成立し得る説得力を帯びていた。


静寂を破ったのは、玉座のレオン国王の声だった。


「エレオノール王女は、おもしろいことを言う」


その声は低く、温度を含みながらも国王としての明晰さを失っていなかった。

国王は指先で椅子の肘掛けを軽く撫で、ひとつ頷く。


「そのような壮大な百年の計が、料理人を育てるだけで叶うのであれば安いものだ。そうしよう」


宰相が息を呑み、次いで書記官が慌ててペンを走らせる。

重臣たちの視線が、少しずつエレオノールへ向いた。


驚きだけではない。

そこには、価値を認めた者の眼差しと、理解しきれぬものへ向ける畏れが混じっていた。


エレオノールは、ゆっくりと立ち上がり、礼をした。


「恐れ入ります、陛下」


その所作は、静かな優雅さに満ちていた。


会議室の窓の外では、春の名残の光が、王都の屋根を穏やかに照らしている。

遠くから鐘の音がかすかに響き、街の営みが変わらず続いていることを告げていた。


この日から、王国の未来に、もう一つの小さな起点が刻まれた。

それは剣でも盾でもなく、炎でも雷でもない。


食に目を向けようとしなかった人々の心を、《エクレール・ドゥ・レア》は確かに穿った。

その小さな穿孔は、やがて広がりゆく変化の始まりとして、未来へ託される種となった。


-----


王立学術院の奥室は、分厚い石壁に囲まれ、外界の音をほとんど遮断していた。

高窓から差し込む午後の光が、床に敷かれた古い絨毯の文様を淡く浮かび上がらせている。

その中央に、エレオノール、ダミアス、アルマン、リュシール、ヴァンサン、マリアンヌが集っていた。


重苦しくなりがちな空気を和らげるように、ヴァンサンが一歩前へ出る。

鎧を脱いだヴァンサンは、いつもより柔らかな表情を浮かべていた。


「アルマン殿、リュシール殿。ご結婚、改めて誠におめでとうございます。戦場でもお二人の並びは実に頼もしかった」


続いてマリアンヌが、少し緊張した面持ちで眼鏡を押し上げながら頭を下げる。


「本当に……お幸せそうで。研究者の立場としてだけでなく、一人の友人として祝福いたします」


アルマンは照れたように頬を掻き、リュシールは胸に手を当てて丁寧に礼を返した。


祝福の言葉が一段落すると、ダミアスは視線を一度落とし、気まずさをごまかすように指先で杖の柄をなぞる。

それから、皆を見回して口を開いた。


「せっかくのお祝いの場で申し訳ありません。ですが、どうしても急ぎ確認しておきたいことがあります」


そう前置きしてから、ダミアスはエレオノールへ向き直った。

その声には、敬意と恐縮が入り混じっていた。


「エレオノール王女様。ご政務も担うお忙しい御身にもかかわらず、お呼び立てしてしまい……重ねてお詫び申し上げます」


ダミアスは奥の壁際へ指を向けた。

そこには、学術院が誇る巨大魔力計の分盤があり、淡い光を宿した針が、落ち着かない震えを刻んでいる。


「実は、あれが異常値を示しています。反応は二つ。ひとつは、間違いなく王女様です」


言い切ったあと、ダミアスの眉間に深い皺が寄った。


「そして、もうひとつが消えません。何か大きな魔力が、こちらをうかがっている」


マリアンヌが唇を固く結び、魔導具を握る指に力を込める。

ヴァンサンは無意識に背を正し、アルマンは息を潜めた。


ダミアスは慎重に言葉を選ぶように続けた。


「王女様が以前おっしゃった“三つの大きな存在”を覚えておいででしょうか。ひとつは不死鳥(フェニックス)。あれは、王女様に取り込まれました」


ダミアスは指を一本立て、次にもう一本を立てる。


「もうひとつはタラスク。先日、討伐されました」


そこで、指が止まった。

残る一本を立てきれず、空中で迷う。


「では……最後のひとつは何なのでしょうか? 王女様、心当たりはございませんか」


エレオノールは窓際に立ち、差し込む光の中で振り返った。


「おそらく、この世界の脅威を排除する存在が動き始めているのだと思いますわ」


「世界の脅威? タラスクは討伐されたはずですが」


困惑するダミアスに向けて、エレオノールは淡々と告げた。


「ここにいますわ」


その言葉に、マリアンヌが思わず息を呑む。


「まさか……エレオノール王女様は、世界を救ったお方ではありませんか!」


「私は、火、水、風、土、雷、そして原初の魔法である光を取り込んでいます。原初の魔法の内、もう一つを取り込めば、おそらくどのような魔法でも使えるでしょう。世界を壊すことさえできる力です。つまり、私こそが、世界にとって最も脅威になる存在なのです。排除しようとするのは、当然の(ことわり)ですわ」


ヴァンサンが拳を握りしめ、低い声で問う。


「その存在を、倒すことはできないのですか」


エレオノールは小さく首を振った。


「ダミアス先生が以前おっしゃっていましたでしょう。タラスクは一年ほど世界を荒らした後、逃げるように海へ戻ると。あのタラスクが逃げ出すほどの存在ですもの。抗うのは難しいでしょうね」


リュシールが一歩踏み出し、不安を押し隠して尋ねた。


「では、どうすればよいのですか?」


「これは、禁忌とされるモンスターを食べ続けた私自身の問題です。自分で解決します。方法は……その存在が現れたときに考えますわ」


沈黙を破るように、アルマンが力強く言った。


「タラスクの時のように、また皆で総力戦で戦いましょう」


エレオノールはアルマンを見つめ、穏やかに微笑んだ。


「ありがとう、アルマン。でも大丈夫ですわ。今回は、戦いにはなりませんもの」


奥室に差し込む光が、ゆっくりと傾いていく。

その静けさの中で、誰もが理解していた。

世界は、すでに次の局面へと踏み出しているのだと。

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