23話「神話の戦い」
人々は、これから数百年に亘って語り継がれるであろう戦いの光景を、ただ言葉を失い、天を仰いで見つめていた。
空には、槍の穂先を連ねたような紅蓮の光が帯となって広がり、静かに揺らめいている。
その不気味な光を背に、空を蹴る白馬に跨った銀髪の王女は、七色の光を宿す剣を高く掲げ、放たれる雷を打ち払い、魔法を奔流のごとく解き放ちながら、剣閃を巨大怪物へ幾度も刻みつける。
その姿は、かつて吟遊詩人が語り、書に記されたどの英雄譚よりも美しく、荘厳で、この世に降り立った神そのもののようであった。
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タラスクは咆哮すると大きく息を吸い込み、その巨体の内側で魔力を急速に高めていった。
口腔の奥で雷光が凝縮され、白く灼ける一点となった瞬間、そこから細く、しかし圧倒的な光の筋が放たれた。
雷は絶え間なく吐き出され続け、一本の光となって空間を貫く。
エレオノールは白馬を操り、空中で大きく旋回して逃れようとするが、その光はエレオノールの進路をなぞるように追いすがる。
逸れた光は街を直線的に切り裂く。
石造りの家屋は壁から屋根まで一息に抉り取られ、尖塔は根元から削がれて崩れ落ちる。
雷の走った跡には、石畳が溶け、赤く焼けた溝が長く刻まれていった。
エレオノールは高度と方向を絶えず変えながら逃れ続ける。
しかし、雷光は途切れることなく吐き出され、白馬の動きに合わせて滑らかに首を振るタラスクの動きとともに、空と街をなぎ払っていく。
そのとき、タラスクの顔面へ向けて、立て続けに砲撃が叩き込まれた。
硬い鱗に覆われた頭部で爆炎が弾け、重低音が空気を震わせる。
視界を覆う火と煙に包まれ、タラスクは一瞬、空中のエレオノールを見失った。
行き場を失った雷光は狙いを外し、明後日の方角へと空を貫いていく。
「ヴァンサン、助かりますわ」
エレオノールはそう言うと、白馬を蹴り、真上へと一気に上昇した。
視界の下では、街並みと怪物の巨体が急速に縮み、爆炎の残光が渦を巻いている。
高空で身を翻し、エレオノールは〈ハクエイ〉を構えた。
剣身は淡くきらめき、周囲の光を吸い寄せるように輝きを増していく。
そこから急降下に転じ、風切り音が激しく耳元を叩いた。
その気配に気づいたタラスクは、巨体を仰け反らせて天を見上げる。
口腔の奥で魔力が瞬時に凝縮され、白く灼ける雷が一直線に放たれた。
エレオノールは片手で白馬を操り、身を捻って紙一重でそれを躱す。
雷光は背後を掠め、空気を裂きながら遥か上空へと突き抜けていった。
落下の勢いに風魔法の推進を重ね、エレオノールは〈ハクエイ〉を振り下ろす。
剣は正確にタラスクの頭頂へ叩き込まれ、金属同士が激突したかのような硬質な音が響き渡った。
そのまま怪物の脇をすり抜け、エレオノールはさらに下降する。
間髪入れず、腹部へ向けて両手を突き出した。
「『煉溺焼夷弾』!」
紅蓮の炎球が連続して撃ち出され、爆炎がタラスクの腹部を覆い尽くす。
熱波が広がり、周囲の空気が陽炎のように歪んだ。
「さすがに、これは効いたのではなくて?」
そう口にした直後、エレオノールは息を呑む。
爆炎が晴れた先で、タラスクはなおも悠々と空を泳いでいた。
頭部には傷一つなく、腹部にも攻撃を受けた痕跡は見当たらない。
エレオノールの額に、冷たい汗が滲む。
「……本物の化け物ですわね。もうわざと食べられて、口の中から攻撃するしかないかしら」
一瞬だけ、そんな無茶な考えが脳裏をよぎる。
しかし、タラスクの顎の奥に並ぶ、剣を思わせるほど鋭利な歯を目にした途端、その発想は霧散した。
「さて、どうしたものかしら……」
低く呟いたその声は、再び轟き始めた雷鳴の中に溶けていった。
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城門の上では、アルマン、リュシール、マリアンヌの三人が戦場となっている空を見上げていた。
遠方では雷光が縦横に走り、その中心で白馬と巨大な怪物が激しくぶつかり合っている。
「シャトネ殿、戦況はどのようになっていますか?」
マリアンヌにそう問われ、アルマンは目を細めたまま答えた。
常人よりもはるかに遠くを捉えるその視線は、空中の戦いを追い続けている。
「エレオノール王女様が凄まじい猛攻を行っていますが、ほとんど効いていないように見えます。王女様は、タラスクが放つ目に見えないほど速い雷を剣で弾いて防いでいますが、徐々に押されているようにも見えます」
マリアンヌは城壁の縁に手を置き、低く呟いた。
「弱点でもあると良いのだけど……」
「弱点?」
アルマンはその言葉を繰り返し、視線をさらに鋭くした。
雷と魔力に包まれた巨体を、頭から背、そして長く伸びた尾の先まで、何度もなぞるように見渡す。
しばらくの沈黙の後、アルマンの口から短い声が漏れた。
「あっ」
アルマンは即座に身を乗り出し、傍らのリュシールを振り返る。
「リュシール、城壁に向かって、そこの赤い旗を振ってください!」
突然の指示に目を見開きながらも、リュシールは赤い旗を掲げ、大きく振った。
その横で、アルマンは弓を引き絞り、狙いを定める。
矢は弦を離れ、一直線に空を切り裂いた。
しかし、タラスクの尾がわずかに動くと、矢は軽く弾き飛ばされる。
それでもアルマンは矢をつがえ続けた。
狙いを変えず、同じ一点へ、何度も、間を置かずに矢を放ち続ける。
すると、砲声が重なり、飛翔する弾丸が次々とタラスクの尾の付け根付近へ吸い寄せられるように集中し始める。
その砲撃を受け、空中でエレオノールと渡り合っていたタラスクは、煩わしそうに巨体をくねらせた。
タラスクは首を巡らせ、城壁の方角へ雷を叩き込むと、城壁の一部が崩れ、石片が四方へ飛び散った。
砲撃兵たちは思わず身を伏せるが、すぐに立て直し、生き残ったカノン砲へ駆け寄っていく。
空中で戦うエレオノールも、その変化に気づく。
タラスクの動きが一瞬乱れ、意識が後方へ割かれたのを感じ取る。
タラスクの尾の付近に何かある――
エレオノールは白馬の手綱を引き、剣を低く構え直した。
正面からの打ち合いを避けるように高度を変え、雷の射線から外れつつ、砲撃が集中しているタラスクの背後へ回り込もうと、大きく弧を描いて旋回する。
しかし、獲物を逃がす気など微塵もないと言わんばかりに、タラスクは巨体を大きく動かすことなく、胴を捻っただけで正面を向けてきた。
逆方向に旋回しても、位置を変えても、視線と牙は常にこちらを捉えている。
「ここが勝負所ですわね」
エレオノールは正面からタラスクへ向け、両手を突き出した。
掌の前に次々と紅蓮の球が生まれ、間髪入れずに前方へ撃ち出される。
「『煉溺焼夷弾!』」
連続する爆発がタラスクの正面へ叩きつけられ、炎と衝撃が鱗の表面を舐めるように走った。
爆炎は重なり合いながら膨張し、熱風と破片を撒き散らして巨大な煙幕を形成する。
視界は赤黒く染まり、焼け焦げた匂いが空気を満たした。
その煙の中で、エレオノールは左の翼を真上へ向け、身体を地面に対して横倒しにする。
体軸を九十度傾けたまま、視界のない煙幕の中をタラスクへ突進した。
「『翠玉流転晶』!」
煙の中に淡く輝く巨大なオパールが出現する。
直後、エレオノールは魔力を重ねて叩き込んだ。
「『地砕罠』!」
圧縮された力が宝石の内部で炸裂し、オパールは内側から砕け散った。
粉砕された結晶は無数の破片となって宙に広がる。
さらに、間を置かず解き放つ。
「『息吹風』!」
噴き出した風が結晶の粉塵を一気に押し出し、白く輝く粒子の奔流が煙幕の奥へと叩き込まれた。
煙により視界は完全に遮断され、粉塵によりタラスクは前に出れない。
そのまま、エレオノールは煙と粉塵の中から飛び出した。
タラスクの眼前。
距離は瞬時に詰まり、手にした〈ハクエイ〉が煌めく。
斬撃を放とうとした、その瞬間だった。
タラスクはすでに待ち構えていた。
大きく口を開き、喉奥まで晒したまま、エレオノールが現れる位置を正確に捉えている。
予測された動きだった。
この距離で顎が閉じられれば、逃げ場はない。
エレオノールは傾いた体勢のまま、〈天駆騎装〉の推進機構を全開にする。
風魔法が爆発的に噴射され、エレオノールの体は真横へ弾き飛ばされた。
直後、タラスクの顎が激しく噛み合う。
空を噛み、衝撃音だけが響いた。
逃した獲物を追い、タラスクは即座に首と胴を捻って進路を変える。
エレオノールは体勢を立て直しつつ、追撃に転じたタラスクを視界の端で確認すると、そのまま上昇を開始した。
速度は落とさない。
左の翼を再び傾け、角度を半直角近くまでつける。
進路は直線から外れ、空中に描かれた円筒の外周をなぞるような軌道へと変化する。
右上への旋回。
身体が空を巻くように回り込み、視界が反転していく。
タラスクは追従するが、巨体ゆえに旋回の中心から外れていく。
相対位置が徐々にずれ、エレオノールは旋回が終わる直前、逆さまの姿勢のままタラスクの背後上空へと抜け出した。
エレオノールは探す。
砲撃が知らせていたものは何か。
そのとき、エレオノールの視界に確かな違和感が映る。
尾の付け根。
分厚い鱗が幾重にも連なる中に、ただ一箇所だけ、鱗のない生身の部分が露出していた。
エレオノールは迷わなかった。
逆さまの回転姿勢のまま、〈天駆騎装〉の推進機構を全開にし、その一点へ突っ込む。
しかし、タラスクはこれに即座に反応した。
巨大な蛇の尾が唸りを上げて振り抜かれ、エレオノールを迎え撃つ。
正面から受ければ体勢は崩れ、二度とこの位置には戻れないだろう。
この一瞬だけが、唯一の機会。
エレオノールは刃を構え、
――受け流す。
尾の動きに〈ハクエイ〉を沿わせ、衝撃を殺しながら進路を滑らせる。
全身にかかる圧力に歯を食いしばり、叫び声とともに尾を後方へ逸らすことに成功した。
そのまま白馬から一回転して飛び降りる。
風の唸りが遠のき、視界に映るすべてが引き伸ばされたように感じられた。
落下の最中、エレオノールの意識はただ一点、狙いへと収束していく。
衝撃が、現実を呼び戻した。
着地と同時に、エレオノールは〈ハクエイ〉を尾の付け根にある鱗なき一点へ深く突き刺さした。




