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お嬢様Saga:ドラゴン肉のポワレ〈焦がしバター〉 狂食淑女の微笑みを添えて  作者: 財務白関
第3章:お嬢様、蹂躙す

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15話「オピオタウロス討伐」

夜明けにはまだ遠い時刻だった。

空は濃い藍色を保ったまま、冷え切った空気が肌を刺す。

五人は音を殺し、岩肌の続く斜面を進み、やがて黒く口を開けた洞窟の前に辿り着いた。


洞窟は獣の喉の奥のように暗く、内部からは湿った土と、古い血が乾いた匂いが流れ出してくる。

ここにオピオタウロスが棲みついているという話は、疑う余地がなかった。


マリアンヌは一言も発さず、洞窟から距離を取った林へ身を滑り込ませる。

木々の影に溶け込みながら胸元の魔導具を起動させ、洞窟の奥を探る。

その指先に、わずかな緊張が宿っていた。


洞窟前ではアルマンが膝をつき、掌を地面へ突き立てる。

低い詠唱とともに、地面がズン、と鈍く鳴った。

見えない亀裂が円を描くように走り、砂がわずかに沈む。


地砕罠(サブリオン)


巨体が踏み込めば、足元は確実に絡まるだろう。


その周囲を囲むように、エレオノールとアルマンは間隔を測りながら焚火を設えていく。

乾いた枝と薪が組まれ、火打石が鳴るたび、小さな炎が一つ、また一つと闇に灯った。


リュシールとヴァンサンは洞窟正面に焚火を据える。

火が落ち着いたところで、リュシールは布に包んだ黒褐色の塊を取り出した。


船の防水や防腐に使われる、粘り気のある液体〈ポワ〉。

焚火へ投げ込まれたそれは、じわりと溶け、油脂を焦がしたような重たい匂いを吐き出す。

そこに、焼けた木皮の苦さが混じり、鼻の奥にまとわりつくような不快感が広がった。


続いて、濡らした黄色味を帯びた石――火山地帯で採れる“燃える石”〈サルファー〉が焚火に放り込まれる。

ぱちり、と小さく弾けた瞬間、鼻を突く刺激臭が一気に爆ぜた。


腐った卵と焦げた金属を混ぜたような匂いが喉を刺し、思わず息が詰まる。

煙はくすんだ灰緑色を帯び、冷えた夜気と絡み合いながら、地を這うように洞窟の中へと流れ込んでいった。


リュシールが一歩、踏み出す。

洞窟へ向けて両腕を伸ばし、呼吸を深く整える。


「蒼空に揺蕩(たゆた)う風の精霊よ、わが求めに応じて集えたまえ。透き通る息を吹き込め、『息吹風(スッフル)』!」


放たれた風に押され、煙は塊となって洞窟の奥へと呑み込まれていく。

煙は視界の届かぬ深部まで、確実に満ちていった。


沈黙。


焚火が爆ぜる音。

誰かが喉を鳴らす気配。

五人それぞれの呼吸音が、不自然なほど大きく耳に残る。


――グオォオオオ!


洞窟の奥から、地の底を擦るような咆哮が轟いた。

牛の声に似ているその声は、音程を歪めながら岩壁を震わせ、何度も反響する。

洞窟そのものが唸っているかのようだった。


リュシールは反射的に後退し、洞窟前を離れる。

入れ替わるように、ヴァンサンが一歩前へ出た。


赤く塗られた大盾を構え、一定の間隔で打ち鳴らす。


ガン、ガン、ガン


重い音が洞窟の奥へと届く。


ほどなくして、応えるように闇が揺れた。

混乱と激昂に駆られたオピオタウロスが、洞窟の奥から姿を現す。


上半身は巨大な牛、下半身は蛇のようにうねり、岩を削りながら這い出てくる。

赤く充血した眼が大盾を捉えた瞬間、ヴァンサンは叫び、打撃のリズムを変えた。


ガガン、ガガン、ガガン!


挑発の音と色に、獣の本能が完全に火を噴く。

オピオタウロスの瞳が爛々と輝き、咆哮とともに巨体が地を蹴った。


地鳴り。

砂と石が跳ね上がる。


頭を低くして、一直線。

逃げ場を許さぬ、暴力そのものの突進。


ヴァンサンは退かない。

大盾を掲げたまま、一歩も。


衝突が目前に迫った、その瞬間――

ヴァンサンは大盾を、横へと流した。


赤色に導かれた巨体は、わずかに軌道を狂わされる。

風切り音だけを残し、オピオタウロスはヴァンサンの脇をすり抜けた。


そのまま勢いを殺しきれず、オピオタウロスは洞窟の外へ飛び出す。

次いで足元の感触が変わり、柔らかな砂地が蛇の胴を深く呑み込んだ。


闇夜の中、洞窟の外へ飛び出したオピオタウロスは焚火に照らし出されていた。

まるで舞台の中央に引きずり出されたかのように。


一方で、焚火の外側は闇だ。

オピオタウロスは身を捻り、周囲を見渡す。

嗅覚は刺激臭で麻痺し、視界は逆光で白く滲み、敵影を結べない。


足元の砂地を蛇の胴で踏み固め、体勢を立て直す。

刃か、矢か。

見えぬ場所から来る攻撃を予測した――その刹那。


頭上で、火の玉が炸裂した。


灼熱と光が弾け、全身が炎に包まれる。

オピオタウロスは悲鳴とも怒号ともつかぬ声を上げながら、もんどり打って砂地へ倒れ込んだ。


転がり、砂を撒き散らし、炎を振り払おうと暴れる。

だが、火は剥がれない。

粘りつくように、絡みつくように、命そのものを舐め取るかのように燃え続ける。


暴れながら仰向けになると、ズン、と腹の奥に重い衝撃が走った。


矢が深々と内臓を裂き、肉を抉り、貫通した衝撃が遅れて痛覚を引きずり出す。


荒い鳴き声が漏れるより早く、二本目。


三本目。


間を置かず、容赦なく。

腹へ、腹へ、腹へと突き立てられる矢は、その一本が心臓を貫いた瞬間、絶叫が夜気を裂いた。

空気が震え、焚火の炎さえ揺らぐような絶叫。


炎に包まれ、腹に矢を生やしたまま、それでもオピオタウロスは起き上がろうとする。

後ろ脚――蛇の胴を跳ね上げ、暴れ牛のように地面を叩きつける。

だが、その動きは虚しく、次第に力を失っていった。


やがて。


巨体は、もはや立ち上がれない。

燃え盛るまま、砂地に倒れ伏す。


命が、尽きかけていた。

今際のそのとき、上空から澄んだ声が降り注いだ。


「『散水華(アロゾワール)』」


水が粒となって炎を叩き、白い蒸気が噴き上がる。

焼けた肉が冷やされる音。

蒸気が視界を覆い、熱と水がぶつかり合う。


オピオタウロスは最後に大きく身を震わせ――


そして。


完全に、動かなくなった。


-----


白い風が砂地を撫で、巻き上げられた砂がふわりと舞い、やがて落ち着いていく。

その中を、エレオノールとアルマンが上空からゆっくりと降りてきた。


二人の背には、同じ造りの〈飛翔嚢〉が固定されている。

厚手の革と金属で補強されたその袋の下方には丸い噴出口が設けられており、そこから勢いよく白い風が噴き出していた。

解き放たれた風は、渦を巻きながら下へ流れ、二人の身体を押し支えながら砂地へと導く。


足が地面についた瞬間、噴出口からの風は細くなり、やがて完全に止んだ。


「やりましたわ!」


エレオノールが声を上げると同時に、全員が倒れ伏したオピオタウロスのもとへ駆け寄った。

巨体はすでに動かず、焼け焦げた表皮からは、まだ微かな熱と焦げた匂いが立ち昇っている。


「すごいものを見せてもらいました……」


ヴァンサンが呆然と呟き、マリアンヌは胸に手を当てて大きく息をついた。


「煙の入り方も、矢の通りも、狙い通りでしたね。お嬢様の『煉溺焼夷弾(ブール・ド・フー)』、見事な一撃でした」


リュシールが穏やかに言うと、アルマンは背中の〈飛翔嚢〉から手を離し、わずかに顔をしかめた。


「……正直に言いますと」


そう前置きしてから、苦笑する。


「空を飛ぶのは、かなり怖かったです。下を見た瞬間、臓腑が浮くような感覚になりまして……今も少し、視界が回っています」


言葉の裏付けのように、アルマンは一度、軽く頭を押さえた。


「む、無理もありません……」


そう応じたのは、マリアンヌだった。

マリアンヌは二人の背に装着された〈飛翔嚢〉へ視線を向ける。


「〈飛翔嚢〉の中には……エレオノール様の魔法で作った液体状の『風水凝冷滴(ヴァン・ドゥ・グラス)』が詰めてあります。それを一気に解き放つことで……下向きに強い流れを作り、身体を浮き上げる仕組みです。た、単純ですが、そのぶん……制御が難しいです。しかも、滞空できる時間は……ごくわずかです。時間がない中、よく仕留めてくれました」


マリアンヌが説明する。


「その〈飛翔嚢〉に詰める『風水凝冷滴(ヴァン・ドゥ・グラス)』、二人分となると相当大変でしたね」


リュシールがそう言うと、エレオノールは小さくうなずいた。


「ええ。でも、その甲斐はありましたわ」


そして、ふと夜空を見上げる。


「空から見る星は、とても綺麗でしたわ。地上で見るよりも、近くて、静かで……」


一瞬だけ、戦いの場にそぐわないほど柔らかな表情を浮かべ、続ける。


「今度は、リュシール。あなたにも見せて差し上げたいですわ」


「……それは、光栄です」


リュシールが少し照れたように答える。

エレオノールは改めて一同を見回し、はっきりとした声で言った。


「煙を送り込んだ『息吹風(スッフル)』、大盾で引きつけて洞窟の外へおびき出した盾の動き、的確な矢の射込み、そして――オピオタウロスがヒポグリフに一方的に攻撃されていたのと同じ状況を作り出した〈飛翔嚢〉。皆さん、本当にお見事でしたわ」


一人一人に視線を向け、丁寧にねぎらう。

だが、オピオタウロスの身体に目を落とした途端、その表情が曇った。


「……ただ」


黒く焼け焦げた表皮を見つめ、心底残念そうに息を吐く。


「ここまで丸焦げになってしまうとは。もう少し火加減を調整できていれば食味も違ったでしょうに……」


「そこを惜しむのは、さすがですね」


リュシールが苦笑すると、エレオノールはすぐに顔を上げ、いつもの自信に満ちた笑みを浮かべた。


「それでも、中は無事なはずですわ。この肉を携えて――」


一同を見渡し、はっきりと言い切る。


「エランソワに凱旋いたしましょう」


夜明け前の砂地に、達成感と次なる期待が満ちていった。

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