青日羅という男
『鉄道視察の件ですか。ありますね。』
『聞いてない』
『言ってないですから。そうでしょうね。』
青日羅は、何がそんなに楽しいのか、細い目をさらに弧を描くように細めて私を見返す。
『どうするの?』
『どうしましょうかね?』
青日羅は白々しく困ったな、という顔を見せる。
この恐ろしく慎重な男が、起こると分かっている変化に対して、何も対処してないはずがないのに。
でなければ日本橋の一等地にこのオフィスがあるわけもなく。
青日羅が椅子から立ち上がると、萌葱が私の足元から飛び出して、いつの間にか手にしたブラシで青日羅のスーツの背中を払い、尾火がデスクの唯一の装飾品である盆栽に霧吹きをかけている。
『これからは、この間のように書棚で圧死紛いなことをして怨念を散らしますか?』
忙しなく動いていた萌葱と尾火が、ぴたりと静止する。立っていた尻尾が垂れ、二人はチラリと私を見て耳を伏せた。
彼女たちは私の護衛兼監視役だ。
上司である青日羅に報告するのは当たり前だし、知られたことを気にしてはいない。
『あれはもうしません。職場の人に見られる危険もあるし、三日くらいで元通りならリスクに見合わない。』
『黒田魁斗さん。』
当たり前のように結論を先回りされて、ため息をつく。
(なんでそんなに2人とも順序を飛び越すかな?)
先ほど別れたばかりの、異様な男の姿が目に浮かべる。
いや、姿形はごく普通の成人男性なのだ。
(行動と思考回路が何もかも非常識というか。)
ついこの間までは頻繁に絡んできて鬱陶しいというだけの存在だったのに。
今や彼は、私の中である意味で最も"特別な"存在だ。悪い意味で。
脳内でまで、場違いな笑みで存在をアピールしてくる黒田さんにげんなりしながら、頭を軽く振って脳内黒田を振り払う。
『もう何もかも知っているじゃないんですか?どうするつもりなのかを教えてください。そしたら私も自分のことを決められるので。』
『まぁまぁ、そんな情緒もへったくれもなく他人の話の骨を折る物じゃないですよ。』
(どっちが…)
私が半目になっていると、いつの間に移動してきていたのか、尾火と萌葱が左右の手をそれぞれ握ってくれる。
私が、感情が揺れたことで、寒がると思ったのだろう。
気にしている萌葱には悪いけれど、私は無意識にぴくっぴくっと揺れる萌葱の耳を見て心を和ませる。
私は、青日羅に背を向け、部屋の壁際に置いてある、何の装飾も無いシンプルな青い布張りのソファに腰掛けた。
この部屋で、デスクと椅子を覗いて唯一の家具だ。オフィス全体も無駄なインテリアなどは一切なく、青日羅の実利主義というか、合理主義をそのまま表したような空間だと、私は思っている。
ただ、その座り心地は硬すぎず柔らかすぎず絶妙に身体を包み込み、生地の滑らかな肌触りからみても、おそらく高級品なのだろう。
『じゃあ、その情緒ある話とやらを心ゆくまでお話しください。』
私は座ったまま腕を組んで、ゆったりと背もたれに身体を預ける。
『そうさせてもらいましょう。』
パシュッと空気の動く音がして、上下スーツに革靴を履き、キッチリとヘアセットしていた青日羅の姿が、青の着流しに草履を履き、無造作にさらりと下ろした髪に変わる。
そして、再びデスクの椅子に腰掛けると、
『尾火、萌葱、お茶を二人分頼むよ。茶菓子が切れてるから、ついでに買ってきておくれ。錦豊林のかりんとうがいいなぁ。』
『ハイ!』『はいっ!』
二人が部屋から出ていき、ドアが完全に閉まるのを見送ると、青日羅は待っていたように口を開いた。
『君はとんでもない"もの"に目をつけられましたよ。』
私はチラリと閉じたドアに目をやってから、青日羅に視線を戻す。
『二人に言えないほどの?』
『保険ですよ。相手の大きさを知れば、いざという時に怯んでしまう。』
『知らずに危険に突っ込ませるつもりですか?』
『どうせこの後君が、多少は言ってしまうでしょうからちょうど良い塩梅ですよ。』
『もうすでに突っ込んで、何なら黒田さんのお腹刺してましたけどね。』
流石に最新すぎるこの情報は知らなかったのか、青日羅は笑顔のまま一瞬固まる。
十歳からの付き合いなので、この男のポーカーフェイスも多少なりとは、面の裏側が分かる。
『叱らないであげてね。本当におかしなやつだったから、あの子達がそうしたのは仕方ながない。』
『…叱りませんよ。そうなるようにしたのは私ですから。で、どうなりました?黒田魁斗は。死にました?』
さらにニコニコと笑みを深めて身を乗り出してくる。
『拾った宝くじの結果みたいなノリで聞かないでください。生きてましたよ。Tシャツに穴が空いただけでピンピンしてました。あの人何なんですか?』
大して期待していなかっただろうに、前のめりになっていた身体を、大袈裟に背後に倒して落胆した表情をする。
『まぁ"何"なのか?と聞かれれば心当たりがないことはないですが、まだ断定できないので言えないですね。』
青日羅がそう決めたなら、これ以上追求したところで教えてはもらえないだろう。
『変ですよ、あの人。怨念や妖よりやばい。仮にも同僚の私のことぶっ壊したいとか言ってましたけど』
『知っていますよ。彼、僕にも会いにきましたから。』
私が彼に、閉架での所業を見られてまだ二ヶ月足らずくらいなはず。
その時から調べ回っとしても、日原といい、がしゃどくろ、さらには青日羅まで辿り着いていたとは。
黒田さんは頭がイっちゃってるけど、かなり賢いのだ。賢いイカれ野郎怖すぎる。
『何しにきたの?』
『何でも、日原の一帯の地域伝承の文献研究で、土地の所有者の僕に確認したいことがあるとかで。彼見た目はまあまあイケメンで、誠実そうに見えますから、普通に名刺だして受付通ってきましたよ。』
めっちゃアクティブに調査してた…。
身近な人間がちょっと怪しいからってそこまでやる?
私はさらにドン引いた。
『それで、会ったの?』
『まぁ、"日原"と言われた時点で、人外のもののアポイントメントの可能性もありますから、会いましたよ。まぁ、結果やはりギリギリ人間ってだけの人間でしたけど。』
(ギリギリって。何がギリギリなのかは今は聞いても無駄か。)
『で、黒田さんの本当の目的は?』
『そうですね…。』
青日羅はクルッと椅子を回して、その時を思い出しているのか、少し笑みを深める。
『彼の第一声は"日原の土地を手放したくないですか?"と。』
ど直球な発言が、あまりに想像がつきすぎて、また半目になってため息がでる。
『それでなんと?』
『金額次第ですが、と。』
『…そしたら?』
『自分なら無償で鉄道計画のルートを変更できる可能性があると。賭けてみる気があるなら今後日原の山に自由に入山する権利をくれと。』
無償で。
あまりに青日羅に有効すぎる言葉だ。
見事権利をとった彼は山を隅々まで調査してあの推測をしたわけか。
『どうして断らなかったんですか?人間社会では青日羅に所有権があるとはいえ、あそこは…土地の神様にとったら自分の場所でしょ。』
『…まぁ、神も人間一人くらい入山するぐらい。放っておけば、もっと沢山の厄介な人の手が入ることを勝手に退けられるかもしれないわけですし。文句ないでしょ。』
(人間一人くらい、ね。とんでもない、ギリギリ人間くらいの、一人だけど。)
青日羅という男は、全てを晒さないことで、堂々と嘘と真実の紙一重を語るから、いつだって彼との会話は化かされている気分になる。
『百鬼夜行をするそうですよ、彼。たぶん日原で。』
さすがにあまりの突拍子の無さに、青日羅の薄ら笑いも引っ込んだ。
『具体的にどうやって?まさか視察の日に?』
『さぁ、具体的にどうするつもりなのかは聞いていない。でも彼は突然お腹に紋様が出たら、私の周りの火の玉や、尾火や萌葱が見えるようになって、干渉もできるみたい。視察の日はあなたが教えたんでしょ?』
『まぁ、そうですけどね。』
『とりあえず、私は黒田さんの自己演出のために、鬼役にされてぶっ壊されたくないから、賛成しないつもり。今は。』
『それを聞いてホッとしましたよ。少なくとも君をどこか黒田魁斗に見つからない場所に隠す必要はなさそうだ。』
(黒田さんを断るのではなく、私を隠す…)
少し変化球とも思えるその対応に引っ掛かりを覚えたが、今はそれに関しては反応しない。
『とりあえず、黒田さんを何とかしてください。』
『ええ?君が何とかしてくださいよ。同僚でしょ、毎日会えますし。』
『私じゃ手に余るから、ここに来たんです。あと山に入らせて、彼を勢いづかせたのはあなたでしょ。』
薄笑いを浮かべた青日羅と、それを半目で睨みつける私。
両者一歩も引かない膠着状態に入ると思いきや、控えめなノックの音によりすぐにその空気は霧散する。
『お茶をお持ちしました!』
尾火が湯呑みが二つ乗った盆を、萌葱がかりんとうがよそわれた木鉢を持って入ってきた。
二人とも木鉢の中のかりんとうから目が離しがたいのか、チラチラよそ見していて、足元が危なっかしい。
私は二人からお盆を受け取り、青日羅のデスクに置いた。
『私はもう帰ることにしたから、よかったら二人で食べて。せっかく用意してくれたのにごめんね。』
『え?そうなのですか?』
萌葱の耳が激しくピョコピョコして、尾火の尻尾も小さく揺れている。
『あ、そうだ。手を出して。』
部屋の隅に置いていたリュックを取ってきて、脇のポケットに手を突っ込む。
中から取り出した飴玉を二人にそれぞれ渡す。
『今日はありがとう。でも次からは無茶しないでね。』
『ガラシャ…』
『ガラシャさま…』
私がリュックを背負い直していると、青日羅が立ち上がる。
『では、よろしくお願いしますね。私も万が一に備えて一度日原の神と話してみましょう。』
『…』
バタン
私は振り返らずに部屋から出た。
おそらく黒田さんは
青日羅の中の面倒の天秤で
私よりも神よりも重いことが分かった。




