休暇の理由
もう平たい皿に残っているのは、避けて食べた真っ赤な福神漬けだけだった。
『あの日、閉架の本棚の間で、水谷さんはきっと俺の常識がひっくり返るようなことをした。』
『していません。』
『なんなら、あのハンドルもそうだ。』
『知りません。』
『水谷さんは、時々何もないところを見て止まったり、不自然に距離をとりますよね?書棚の前や、誰も並んでいないバス停。もしかして、閉架にも水谷さんにだけ見える"何か"が居たんですか?』
『知りません。』
『もしや、水谷さん、あなたが"何か"なのでは?…福神漬け残すんですか?』
『知りません!…嫌いなんですよ、甘くて。』
私が立ち上がると、同時に立ち上がった黒田さんが、倍速再生みたいな身のこなしで私の皿と自分の皿を返却台に持っていき戻ってくる。
トレイを運んでいた店員さんがギョッとして呆けていた。
待っていないのに、当たり前のように隣を歩いてくる。
図書館のある建物をでて、建物の裏側まで回り込み、巨大化した白粉花の脇で私は立ち止まって振り返った。
『具体的な結論を言ってください。』
『結論とは?』
黒田さんは私が会話に応じたことが嬉しいのか、やたらニコニコしている。
その顔で余計に苛立った気持ちを落ち着かせるために「スー」っと口から細くゆっくり息を吐く。
白粉花の陰から、いつかの内緒話していた女児二人が小さく笑いながら囁き合っているが、内容は分からない。
『百鬼夜行とか、私がおかしいみたいな話はもういいから。結局黒田くんは何がしたいの?』
(つまり、私に何をさせたいの?)
『水谷さんがもし、人外の何かで困ってるならそれを大義名分にぶっ壊して大暴れしたいなって!思ってます。あと、もしもっと規模大きくして百鬼夜行レベルにしたら、ものすごくワクワクするな!と。』
私はさらに追加でフーッと息を吐いて、目を閉じて眉間に指を当てる。
『黒田さん、幾つでしたっけ?』
『年齢ですか?今年で26ですけど。』
(まさかの一個上…。)
『本当に?高校生のアルバイトとかではなく?』
『え?そんなに童顔ですか?よく言われますけど』
『嫌味ですよ。』
少年漫画の主人公と自分を混同するような幼稚な発想の発言に対する嫌味だったのに、
黒田さんはまるで十代のようなハリ艶の己の頬に手を当てて、顔の造形を悩んでいるようだった。
『黒田さんの話はわかりました。そして私は何も困っていません。では仕事に戻ります。』
箇条書きのように必要事項を並べて言って、その場を去ろうとすると、黒田さんが素早く回り込んできて通せんぼする。
『水谷さんの休憩時間はまだ十分残っていますよ。』
『じゃあ黒田さんはもう仕事に戻るべきですね、私より先に休憩に入っていたので。』
『いえいえ、僕にもまだ九分残っています。あと、そんなに毎日体調悪そうで、困っていないわけがないじゃないですか。』
『決めつけないでください。業務に支障は出してないです。』
『まぁ、今まではそうですね。』
『…何のことですか?』
イライラする。イライラすると、身体がどんどん寒くなってくる気がする。
さっきの激辛カレーで温まった熱などとうに冷めきっていた。
『残り八分か。』
黒田さんは腕時計を見て、つぶやいた。
『時間もないので、僕の考えを一気に言っていいですか?』
(やめて…)
『…どうぞ。』
寒い寒い寒い。
(早く、早く、ロッカーのフリースを着て、カイロを貼って、いつも通り仕事をして…)
『水谷さんが閉架の倉庫で圧死しかけた後、僕なりに色々考えて、気になることを調べたりしたんですよ。』
(急いで帰って、今日はお風呂もお湯はって)
『あの出来事の後の水谷さんは、俺が移動してきた2週間ほどの中でも、一番顔色が良かった。俺は、水谷さんの体調の、俺が知る以前のことを、細川さんや他にも多少なりと水谷さんと交流の有りそうなスタッフに聞き込みしてみました。』
(夜ごはんは韓国麺の一番辛いやつか、火鍋にしよう。)
『水谷さんは必ず二ヶ月に一度、二連休を取るそうですね。どんな繁忙期でも必ず。ほとんどのスタッフは、水谷さんの顔色から、勝手に人工透析でもしているのだろうと思い込んでいましたよ。』
(それで、夜は一番度数高いお酒飲んで、ウォッカまだあったかな?)
『細川さんだけは、あなたから、定期的にアウトドアに行って自然に触れると体調良くなるから、キャンプに行っていると聞いたことがあると。実際休み明けは顔色が良いからそういう体質なんだろうと。』
(ウォッカ、ウイスキー、ラム、日本酒、)
『以前アルバイトで入ってた男の子が、水谷さんに気が合って、うっかり自分がキャンプのことを話してしまい、男の子がついて行こうと場所を聞いたら、あまりに辺鄙な場所で諦めていたとか…、日原ですよね?』
『…やめて。』
『"違う"ではなく"やめて"ですか。』
何なんだろう。と改めて目の前の男を眺める。
ここまで考えついたということは、正解にしろ不正解にしろ、この黒田魁斗という男の考えは、おそらく近いところまで行き着いているのだろう。
なのに、なぜこんなに楽しげに話しているのか。
『僕行ってみたんですよ、日原ってとこに。金曜の夜とか、土日に。一応行く前に古い地域文献とか、所有者とかも地図も調べたんですけど、結構な広さ一帯を、明治くらいから同じ財閥の系統者が代わる代わる所有されてるはずなのに、全然開発されてる気配がなくて。あとで隣村のおばあさんに聞いたら特に倉沢谷って言うらしいんですけど、ものすごい獣道でした。』
(やめてって、言ったのに!)
私は、これ以上この楽しげな瞳を、視界に入れるのが耐えられなくて、目を閉じて拳を握りしめる。
筋肉を握りしめたはずなのに、小さくカシャっと固いものがぶつかる音がした。
『そのおばあさん、不思議なことを言ってて、この辺りは新月の晩は絶対に家の外に出てはいけないと言い伝えがあるそうです。その昔、偉い神様が山に封印した巨大な妖が、新月の晩は封印が解けて、山を徘徊するからと。』
(はぁ、…頭が、痛い!寒い寒い寒い!)
カシャ カラ カシャリ
『もしかして、その巨大な妖って、水谷さん自身か、水谷さんが呼んだものなんじゃないんですか?!』
ガラシャ ガラシャ ガラシャ
頭痛がひどくなるごとに、背後で巨大な骨が組み上がってゆく音がする。
(ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!!やめて!!)
『やめて!!!』
『え?俺?!』
『違う!骨!!』
ボゴス!!!
鈍い音とともに、少しだけ身体に熱が戻って、怠いままだけど、身体が自由に動くようになる。
『…え?』
『え?骨の方でいいんですよね?』
目の前には、黒田さんのガシャドクロのTシャツが視界の一面にあって、
いつの間にか至近距離に居る黒田さんが、私の背後に拳を伸ばした姿勢のまま、困惑した表情を浮かべていた。
はじめて書き溜めずに、その都度書いているのですが、思った以上に楽しいです。
もし楽しんで頂けたら、感想もらえると今後の展開の参考になるので幸いです




