第九十五話 上杉の評価
第九十五話 上杉の評価
武田家における、信照への興味深い評価が広まる一方で、越後の上杉家にもまた、この東海の不思議な存在についての、確かな情報が、着実に届けられていた。上杉家では、武田家とは、また異なる視点から、この存在について、慎重な分析が、進められていたのである。
ある日、越後の居城において、上杉家の重臣たちが、これまでに集められた、様々な報告書を前に、真剣な議論を交わしていた。
「織田信照なる者、これまでの報告を見る限り、まことに、義を重んじる、確かな人物のように、思われます」一人の重臣が、そう切り出した。
別の重臣が、慎重に応じた。「されど、我らは、あまりにも、その実像を、正確には、掴めておりませぬ。奪わぬのに従う者が増える――これは、まことに、油断ならぬ話ではございませぬか」
この重臣は、続けた。「表向きは、慈悲深き庇護者として、振る舞っておるやもしれませぬ。されど、その内実に、いかなる真意が、秘められているか、それがしには、いまだ、判然といたしませぬ」
この議論は、上杉家当主の耳にも、届くこととなった。当主は、しばし、これまでの家臣たちの意見に、静かに耳を傾けた後、慎重な言葉で、こう告げたという。
「義を重んじる者であれば、それは、決して悪しきことではない。されど、いかなる者であれ、真意を見極めるまでは、決して、油断してはならぬ」
この当主の言葉は、上杉家における、信照への基本的な姿勢を、明確に示すものであった。興味を持ちながらも、決して、無防備に近づくことはしない――そうした、慎重かつ、確かな距離感を保った関心が、上杉家の中で、着実に、共有されていくこととなったのである。
拠点においては、私は、こうした上杉家での議論など、まったく知る由もなく、日々の平穏な暮らしを、続けていた。ある日、一益が、この上杉家についての、詳細な情報を、私にもたらした。
「殿、上杉家では、殿のことを、義を重んじる人物と、そう評価しつつも、依然として、慎重な姿勢を、崩してはいないようにございます」
私は、その報告に、少し複雑な思いを抱いた。「そうか……。まあ、俺のことを、簡単には信じられないっていうのも、分からなくはないよな」
(訳:本当に、俺、そんな大層な人物じゃないんだけど……。でも、慎重になるのは、当然のことかもしれないな)
一益は、続けた。「殿。上杉家の、この慎重な姿勢は、決して、悪しきものではございませぬ。むしろ、無用な油断をせぬという、確かな知恵の表れとも、言えましょう」
私は、その説明に、深く頷いた。「そうだよな……。俺も、もし、逆の立場だったら、きっと、同じように、慎重になるはずだから」
その日の夕刻、私は、四天王を集め、この越後の情勢について、改めて話し合う機会を持った。「みんな、上杉家とは、これから、どんな風に、関わっていくことになると思う?」私は、率直な疑問を投げかけた。
一益が、慎重に答えた。「殿。今のところ、上杉家は、我らに対して、いかなる敵対的な行動も、取ってはおりませぬ。あくまで、遠くから、状況を見極めているという段階にございます」
藤吉郎も、続けた。「これは、我らにとって、決して、悪い状況ではございませぬ。むしろ、上杉のような、確かな実力を持つ勢力から、警戒されながらも、敵対されていないという事実こそが、殿の御評判の、確かな重みを示しております」
私は、その説明に、深く頷いた。「そうか……。とにかく、俺は、これからも、変わらず、みんなを守ることだけを、大事にしていきたいな。それが、きっと、いつか、上杉家の人たちにも、伝わるはずだから」
(訳:本当に、単純な想いなんだけど、それが、少しずつでも、色々な人たちに、伝わっていってくれたらいいな)
その夜、私は寝所で一人、これまでの日々を、改めて振り返っていた。桶狭間の敗戦から始まった、絶望的な逃避行。それが、こうして、遠く甲斐、越後という、大国の視線を、集めるようになるとは、まさに、想像を超えた展開であった。
(本当に、これから、どうなっていくんだろうな……。でも、俺は、これまでと変わらず、みんなを守ることだけを、大事にしていきたい)
その変わらぬ決意を胸に、私は、静かに眠りについたのだった。「新興勢力として認識される」――この評判は、こうして、東海地方の枠を超え、より広い天下の情勢の中で、その確かな存在感を、少しずつ、しかし着実に、増していくこととなるのである。
翌朝、私は、拠点の一角で、一益と共に、これまで届けられた、様々な国からの評判について、改めて整理する機会を持った。「なあ、一益。武田と上杉、それぞれ、俺のことを、少し違う見方で、評価しているんだよな」
一益は、深く頷いた。「はい、殿。武田家は、殿の在り方を、『信頼による力』として、積極的な興味を、抱いておられます。一方、上杉家は、より慎重に、殿の真意を、見極めようとしているようにございます」
私は、その説明に、興味を惹かれた。「それぞれ、家風とか、考え方の違いが、あるんだろうな」
一益は、続けた。「まさに、その通りにございます。いずれにせよ、両家とも、殿を、決して侮ることのできない、確かな存在として、認識しているという点においては、共通しておりましょう」
私は、その言葉に、深く考え込んだ。「これから、もし、直接、武田や上杉の人たちと、言葉を交わす機会があったら、俺、どんな風に、話せばいいんだろうな」
一益は、静かに答えた。「殿。それは、恐らく、これまでと、何も変わらぬことでございましょう。殿が、いつも通り、素直な御心のままに、お話しになれば、それが、きっと、最も、殿らしい応対となりましょう」
私は、その言葉に、少し安心しながら答えた。「そうか……。それなら、俺にも、できそうな気がするよ」
その日の午後、私は、拠点の高台に立ち、遠く越後の方角を、静かに見つめていた。かつて、大学で歴史を学んでいた頃、私は、上杉謙信という名を、義の武将として、確かな知識の中で、記憶していた。この世界では、いったい、どのような形で、この人物と、関わっていくことになるのだろうか――そんな想像を、私は、密かに、胸に抱いていたのだった。




