第八十九話 お市の笑顔
第八十九話 お市の笑顔
保護圏内の平穏な日々が、これまで以上に確かなものとなる中、お市は、さらに、拠点での活動に、深く関わるようになっていた。齢十六に近づいた彼女は、今や、保護圏の運営について、四天王からも、確かな一目置かれる存在へと、成長を遂げつつあった。
ある日、拠点周辺の村々で、大規模な炊き出しが、これまでにない規模で、行われることとなった。義元本隊による、最大規模の掃討戦を乗り越えた住民たちの、生活の立て直しを、より確かなものにするための、支援活動であった。
お市は、この炊き出しの取りまとめ役を、自ら買って出て、女中たちを、丁寧に指揮していた。私は、その様子を、拠点の一角から、しばし、静かに見守っていた。
「お市様、こちらの手配は、これでよろしいでしょうか」一人の女中が、お市に確認を求めた。
お市は、丁寧に、その手配の内容を確認しながら、的確な指示を出していた。「はい、それで大丈夫です。あと、こちらの村への配分も、忘れずにお願いします」
私は、その様子に、深い誇らしさを覚えていた。(お市が、こんなに立派に、みんなを取りまとめているなんて、本当に、成長したよな)
炊き出しが、無事に終了した後、私は、お市のもとへと、歩み寄った。「お市、今日も、お疲れ様」
お市は、私の姿に気づくと、優しく微笑んだ。「兄上。此度も、無事に、炊き出しを終えることができました」
私は、その言葉に、素直な喜びを感じながら答えた。「本当に、お前がいてくれるから、こんなに、うまく回るんだと思う」
(訳:本当に、お市の成長ぶりには、いつも驚かされるんだよな)
お市は、その言葉に、少し頬を染めながら、微笑んだ。「兄上のお役に立てているのなら、これに勝る喜びはございません」
その日の夕暮れ時、私とお市は、久しぶりに、二人で、拠点の縁側に並んで座り、静かな時間を過ごすこととなった。橙色に染まる空の下、拠点には、これまでにない、穏やかな平和が、静かに広がっていた。
「兄上」お市が、ふと、静かに口を開いた。「此度の炊き出しを通じて、多くの民の方々と、直接、言葉を交わすことができました」
「そうか」私は、興味深く尋ねた。「みんな、どんな様子だったんだ?」
お市は、優しい表情で答えた。「皆様、まことに、穏やかな笑顔を、見せてくださいました。中には、義元様の大軍から、無事に逃げ延びられたことを、今でも、涙ながらに感謝してくださる方も、おられました」
私は、その話に、深い感慨を覚えた。「そうか……。みんなが、あの時、無事だったこと、本当に、良かったよな」
お市は、深く頷いた。「兄上の御庇護あればこそ、この平和が、確かに、続いているのでございます」
私は、その言葉に、少し照れくささを覚えながらも、素直な喜びを感じていた。「まあ、俺一人の力じゃなくて、みんなが、それぞれ頑張ってくれたからこそなんだけどな」
お市は、その言葉に、優しく微笑んだ。「兄上は、いつも、そのように、御自身の功績を、控えめに仰いますね」
私は、その言葉に、少し戸惑いながら答えた。「い、いや、本当に、そうなんだから、仕方ないだろ」
(訳:本当に、俺一人の力じゃないんだから、それは、間違いないことなんだよ)
その様子を、少し離れた場所から見守っていた利家が、感慨深げに呟いた。「殿とお市様――なんという、睦まじき兄妹の絆でありましょうや」
その言葉に、傍らにいた藤吉郎も、深く頷いた。「殿は、統治のみならず、民の心を掌握する術にも、長けておられる。お市様と共に、直に、民の前に立たれる――これぞ、真の名君の姿にございましょう」
私はその会話を漏れ聞きながら、内心で複雑な思いを抱いていた。(違う、そんな政治的な意図なんて、全然ないんだけどな……。ただ、お市と一緒に、みんなの役に立ちたかっただけなのに)
その夜、私は寝所で一人、この日の穏やかな時間を、静かに振り返っていた。(お市が、こんな風に、みんなから慕われる存在になっていくのを見るのは、本当に、誇らしいことだよな)
その素朴な喜びを胸に、私は、静かに眠りについたのだった。お市の笑顔は、こうして、拠点に集う人々にとって、確かな、癒しと希望の象徴として、その存在感を、さらに増していくこととなるのである。




