第八十一話 噂は海を越える
第八十一話 噂は海を越える
第3部の終わり、「天下の魔王」という評判が、東海全域、そして京にまで広まってから、月日は、さらに流れていった。拠点は、これまで以上に大きな規模へと発展し、保護圏は、尾張、美濃、伊勢のみならず、より広範な地域へと、その影響力を広げつつあった。
ある日、拠点に、これまでとは、まったく異なる装いをした商人が、興味深そうに訪れることとなった。彼は、南蛮渡来の品々を扱う、堺の貿易商であった。
「信照様には、初めてお目にかかります」商人は、丁寧な口上を述べた。「実は、この度、南蛮の商人たちの間でも、東国に、戦を厭う、不思議な御方がおられるという噂が、広まりつつあるようにございます」
私は、その話に、思わず耳を疑った。「え、南蛮の人たちにまで、俺の噂が届いているのか……?」
(訳:さすがに、それは、想像を超えているというか、正直、信じがたい話だな)
商人は、続けた。「はい。堺に出入りする南蛮の商人たちは、諸国を渡り歩く中で、様々な情報を、本国へと書き送っております。信照様の評判もまた、その一つとして、伝えられているとのことにございます」
私は、その説明に、深いため息をついた。「本当に、想像もしていなかったようなところまで、話が広がっていくんだな……」
商人は、興味深そうに続けた。「南蛮の商人たちは、信照様のことを、『戦を嫌う不思議な統治者』として、興味深く語っているようにございます。彼らの本国にも、そのような報告書が、届けられているとの由」
私は、その話に、複雑な感慨を覚えながらも、ふと、素朴な疑問を口にした。「南蛮の人たちって、俺たちのこと、どんな風に理解しているんだろうな」
商人は、少し考え込んだ後、答えた。「詳しくは、それがしも、存じ上げませぬ。されど、彼らは、東国の地における、珍しい統治の形として、大変な興味を抱いているようにございます」
私は、その説明に、ある種の困惑を覚えた。(俺、単純に、みんなを守りたいだけなのに、それが、南蛮の人たちにとっては、そんな風に、興味深い『統治の形』として、映っているのか……)
商人が去った後、私は、この話を、一益に、詳細に確認することにした。「なあ、一益。本当に、南蛮の商人たちにまで、俺の噂が届いているのか」
一益は、深く頷いた。「はい、殿。それがしの情報網でも、南蛮商人が、東国の情勢について、詳細な報告書を、本国へ送っているという話は、確認しております」
私は、その説明に、深い不安を覚えた。「そうか……。正直、俺、そんな遠い国のことまで、考える余裕なんて、まったくなかったんだけどな」
一益は、静かに答えた。「殿。この評判の広がりは、決して、我らにとって、悪いことではございませぬ。むしろ、これほど遠くまで、殿の御名が届くということは、いかなる勢力にとっても、殿を、決して侮ることのできない、確かな存在として、認識させる材料となりましょう」
私は、その説明に、少し安堵しながらも、なおも複雑な思いを抱いていた。「そうだといいんだけどな……。でも、こんなに遠くまで噂が広まっているって、正直、まだ、実感が湧かないよ」
その日の夕刻、私は、拠点の高台に立ち、遠く西の方角――堺、そして、その先にある、見知らぬ海の向こうを、静かに見つめていた。かつて、大学で歴史を学んでいた頃、私は、南蛮貿易という言葉を、教科書の中の、遠い出来事として、知識の中でのみ、認識していた。それが、今、こうして、自分自身の存在が、その南蛮の国々にまで、確かな影響を及ぼし始めているという事実に、私は、改めて、深い戸惑いを覚えていた。
(俺は、天下とか、そんな大それたことは、望んでいない。ましてや、海の向こうの国々にまで、名前が知られるなんて、想像すらしていなかったよ)
その素朴な不安と、拭いきれない戸惑いを胸に、私は、静かに、拠点への帰路を歩んでいったのだった。この日を境に、私の評判は、もはや、日本国内という枠組みすらも超えて、より広い世界へと、その影響力を、静かに、しかし確実に、広げ始めていくこととなるのである。
その夜、私は寝所で一人、これまでの日々を、改めて振り返っていた。桶狭間の敗戦から始まった、絶望的な逃避行。それが、こうして、南蛮の国々にまで届く噂へと、繋がっていくとは、まさに、想像を絶する展開であった。
(本当に、これから、どうなっていくんだろうな……。でも、俺は、これまでと変わらず、みんなを守ることだけを、大事にしていきたい)
その変わらぬ決意を胸に、私は、静かに眠りについたのだった。第4部「海外まで届く噂」は、こうして、新たな、より壮大な物語の幕を、静かに開いていくこととなるのである。




