第七十話 帰ってきた村
第七十話 帰ってきた村
今川方の大軍が、無人の村々を占領し続ける中、拠点では、この状況の推移を、慎重に見守り続けていた。しかし、時間の経過とともに、今川方の兵站は、予想以上のペースで、確実に圧迫されつつあった。
一益は、日々、今川方の軍勢の様子を、詳細に把握し続けていた。ある日、彼は、これまでにない、明るい表情で、拠点に戻ってきた。
「殿、朗報にございます。今川方の一部部隊が、兵糧不足に耐えかね、撤退を開始しております」
私は、その報告に、思わず身を乗り出した。「本当か……。それは、良かった」
(訳:みんなが避難したことで、今川方が、こんなに早く、苦しくなるなんて、正直、想像以上だったな)
一益は、続けた。「加えて、占領していた村々からも、順次、撤退の動きが見られております。これは、我らにとって、確かな好機かと存じます」
私は、その報告に、深く頷いた。「みんなが、村に戻れるように、様子を見ながら、慎重に進めていこう」
数日後、今川方の主力部隊の一部が、正式に、尾張からの撤退を決定したという情報が、拠点にもたらされた。この撤退は、義元本隊にとっても、決して望んでいた結果ではなかったが、兵站の限界という、動かしがたい現実を前に、致し方ない判断であった。
拠点は、この報せを受け、避難していた村々の住民たちに、慎重に帰還の準備を促していくこととなった。藤吉郎が中心となり、まず、安全が確認された村から、順次、住民たちの帰還を、進めていったのである。
「今川方の撤退、まことに間違いないのでしょうか」ある村の名主が、慎重に確認を求めた。
一益が、丁寧に説明した。「はい。我らの情報網により、確かに確認しております。されど、念のため、しばらくは、周辺の警戒を、続けていく所存にございます」
こうして、慎重な確認を重ねながら、避難していた住民たちは、少しずつ、それぞれの村へと帰還していった。私は、その様子を、拠点から、詳細な報告を通じて、見守り続けていた。
数週間後、私は、実際に、帰還が完了した村の一つを、訪れる機会を得た。かつて、無人であったはずのその村には、すでに、活気ある日常が、戻りつつあった。子供たちが元気に走り回り、大人たちは、田畑の様子を確認しながら、忙しく働いている。
「信照様」村の名主が、私の来訪に気づき、深々と頭を下げた。「おかげさまで、我らは、無事に、村へと戻ることができました」
私は、その言葉に、心底からの安堵を覚えた。「みんなが、無事に帰ってこられて、本当に良かった」
(訳:これが、俺にとって、一番望んでいたことなんだ。誰も傷つかずに、みんなが、また、いつもの生活に戻れること)
名主は、続けた。「されど、田畑の一部は、今川方の兵によって、荒らされてしまいました。これから、また、一から、立て直さねばなりませぬ」
私は、その言葉に、深い胸の痛みを覚えた。「それは、辛いことだよな……。俺たちに、何か、力になれることがあれば、遠慮なく言ってほしい」
名主は、その言葉に、深く頭を下げた。「有り難きお言葉にございます。されど、我らの手で、まずは、できる限りのことを、やってみたく存じます」
私は、その決意に、深く感じ入った。「うん、それでいい。でも、本当に困った時は、必ず、頼ってきてほしいから」
村を後にする際、私は、田畑で働く村人たちの、力強い姿を、改めて目にした。荒らされた田畑を前にしても、彼らの表情には、決して絶望の色は見られなかった。ただ、確かな決意と、これから再び築き上げていくという、強い意志が、そこには感じられたのである。
帰路、私は、傍らを歩く一益に、率直な想いを語った。「なあ、一益。今回、本当に、大変な戦いだったよな」
一益は、静かに頷いた。「はい。されど、殿の御方針――何よりも、命を守ることを最優先とする姿勢が、この結果を、確かに導いたのでございます」
私は、その言葉に、深い充実感と共に、複雑な感慨を覚えていた。(誰も死ななかった。それが、俺にとって、何よりの勝利なんだ。田畑や家々の被害は、本当に、辛いことだけど、命さえあれば、きっと、また、一からやり直せるはずだから)
その素朴な想いを胸に、私は、夕暮れの道を、拠点へと向かって、静かに歩んでいったのだった。




