第七話 情報は武器
第七話 情報は武器
一益がもたらす情報の精度は日増しに高まっていったが、私が気にかけていたのはただ一つ――「戦って死ぬ人間を減らすこと」だった。
拠点に集う兵たちの顔を見るたびに、私は複雑な思いを抱いていた。彼らは皆、私を信じて命を預けている。もし私の一言で、彼らの誰かが命を落とすようなことがあれば――そう考えるだけで、胃が締め付けられるような感覚に襲われた。
ある日の軍議で、利家が意気込んで提案した。「殿、今川の別動隊が近くに布陣しております。この機に一気呵成に叩くべきかと」
私は思わず、本音を漏らしてしまった。「……兵は減らすな」
(訳:みんな死なないでほしい。無駄な戦なんてしたくない)
その一言に、居並ぶ面々が一斉に息を呑んだ。一益が静かに頷き、口を開いた。
「兵を損なわぬ戦、すなわち――正面からの決戦を避け、情報戦によって敵の動きそのものを封じよというご下命ですな」
「え、いや、そこまで具体的には……」
しかし私の戸惑いの声は、すでに誰の耳にも届いていなかった。一益は深く感じ入った様子で、静かに立ち上がった。
「承知いたしました。この一益、命に代えても、殿の御意思を実現して御覧に入れましょう」
以後、一益は今川軍の伝令を先回りして偽情報を流し、敵の部隊同士を無駄に空振りさせる策を徹底した。夜陰に紛れて敵の伝令を捕らえ、その姿に扮して偽の命令を届ける。あるいは、村人を装って敵陣に紛れ込み、聞き耳を立てる。地道で、しかし確実な情報操作であった。
今川軍は幾度となく「そこにいるはずの敵」を探して徒労を重ねることになる。「布陣を変えても、なぜか織田軍とかち合わぬ……」今川の物見たちは首をひねるばかりだった。ある部隊は、確かにいたはずの敵陣が忽然と消えていることに驚愕し、また別の部隊は、味方であるはずの隣の部隊と鉢合わせして混乱を来した。
「これは、何かがおかしい」今川の物見頭が、上役に報告した。「まるで、我らの動きが筒抜けになっているかのようです」
拠点では誰一人として傷を負わずに済んだ。私にとってそれが何よりの安堵であったが、家臣たちの目には「一滴の血も流さず敵を翻弄する智将」の姿として映っていた。
利家だけは、この戦い方に若干の不満を抱いていた。「殿、これでは我らの武功が立ちませぬ。正面から堂々と打ち破ってこそ、真の武士というものではございませぬか」
私は内心で焦った。(いや、それは困る。正面からの戦いなんて、絶対にみんな死んじゃうじゃないか)
「利家、焦るな。今はまだその時ではない」
(訳:頼むから、無茶な突撃なんてしないでくれ。もう少し、平和な時間を続けさせてほしい)
利家はしばし不服そうな顔をしていたが、やがて深く頷いた。「殿がそう仰せになるのであれば、この利家、しばし牙を研ぎ、時を待ちましょうぞ」
一益は、そんな利家の様子を見て、静かに助言した。「利家殿。殿の御下命は、決して臆病ゆえのものではございませぬ。真の強者とは、力を誇示するのではなく、必要な時にのみ、必要なだけの力を振るう者にございましょう」
利家はその言葉に納得した様子で、槍を握る手の力を緩めた。「なるほど……。殿は、武の何たるかを、我らよりも深く理解しておられるのだな」
(違う。ただ、みんなに死んでほしくないだけなんだ。それだけなんだよ……)
私はその会話を漏れ聞きながら、心の中で何度もそう繰り返していた。しかし、その本音が誰かに正しく届くことは、この先もずっとなかったのである。
数日後、今川軍の一部隊が、ついに拠点への攻撃を諦め、撤退していったという報せが届いた。私はその報せを聞いて、心底から安堵の息を漏らした。「よかった……。誰も死ななくて、本当によかった」
その安堵の呟きすら、一益の耳には違う意味で届いていた。「殿は、敵兵の命すらも案じておられる。まことに稀有な御方よ」
こうして、私の臆病さと優しさが入り混じった本音は、また一つ、家臣たちの中で「智将の慈悲」として積み上げられていくのだった。




