第四十六話 保護圏の市場
第四十六話 保護圏の市場
補給基地への地道な攻撃が続く中、拠点周辺の経済は、確かな活気を見せ始めていた。「信照公の街道」を通じて、商人たちの往来はさらに増え、拠点近くには、いつしか、自然発生的な市場が形成されるようになっていた。
ある日、私は、藤吉郎と共に、その市場の様子を、実際に見に行くことにした。かつては、ただの空き地であったはずの場所に、今や、多くの露店が並び、様々な品々が売り買いされている光景が広がっていた。
「これは……すごいな」私は、思わず声を漏らした。「こんなに、賑わってるなんて」
藤吉郎は、満足げに頷いた。「殿の御庇護あればこそ、商人たちも、安心して商いを行えるようになったのでございます」
市場を歩きながら、私は、様々な品物を目にした。近隣の農村からの野菜、海沿いの村からの塩や魚、さらには、遠く堺からやってきたという商人の品まで、実に多様な商品が並んでいる。
「信照様!」ある露店の商人が、私の姿を認めると、嬉しそうに声をかけてきた。「おかげさまで、商いが大変うまくいっております」
私は、少し照れくささを覚えながら答えた。「それは、良かった。みんなが、それぞれ頑張ってくれているからだと思うよ」
(訳:俺は、正直、何もしていない。ただ、みんなが安心して活動できる場所を、たまたま作れただけなんだから)
商人は、その言葉に、深く感謝の意を示した。「信照様のような御方に、この地を守っていただけて、我らは、まことに幸運にございます」
市場を見て回るうち、私は、ある変化に気づいた。かつては、それぞれの村や地域ごとに、限られた品物しか手に入らなかったはずのものが、今や、この市場を通じて、様々な地域の産物が、自由に交換されるようになっていたのである。
私は、その様子を、藤吉郎に指摘した。「なあ、藤吉郎。この市場、俺たちが直接、何かを作ったり、指示したりしたわけじゃないのに、こんなに発展したんだな」
藤吉郎は、深く頷いた。「殿。これこそが、安全の力にございます。人々は、安心して活動できる場所があれば、自然と、そこに集まり、経済を発展させていくものにございます」
私は、その言葉に、深く感じ入った。「なるほど……。俺たちは、ただ、その安全な場所を、確保しただけなんだな」
その日の帰り道、私は、市場での活気ある光景を思い返しながら、ある種の充実感を覚えていた。誰かに何かを強制することなく、ただ、平穏な環境を守るだけで、こんなにも多くの人々の暮らしが、豊かになっていく――その事実は、私にとって、何よりも大きな喜びであった。
数日後、今川方の陣中で、この市場の存在についての報告が、ある物見からもたらされた。
「織田方の勢力圏内に、大規模な市場が形成されておるようにございます」
軍監は、その報告に、しばし考え込んだ。「市場か……。これは、いかなる意味を持つのだ」
物見は、続けた。「各地の商人が、自由に品物を交換し、経済活動を活発に行っております。これにより、織田方の勢力圏内は、これまで以上に、豊かさを増しつつあるように見受けられます」
軍監は、深いため息をついた。「奪わず、支配せず、それでいて、確実に富を蓄えていく――これは、これまでの戦のあり方とは、まったく異質な現象だ。もはや、単純な軍事力では、この者に対抗し得ぬのやもしれぬ」
この報告は、今川方にとって、新たな脅威として認識されることとなった。ある重臣は、義元への報告書に、こう記した。
「織田信照なる者、経済的にも、確かな力を蓄えつつございます。これを、単なる軍事的脅威として捉えるのみでは、その真の危うさを見誤ることになりましょう」
拠点においては、私は、そのような今川方の警戒など、まったく知らぬまま、ただ、市場の発展を、素朴な喜びと共に見守っていた。ある夜、私は、藤吉郎と共に、拠点の縁側で、この日の出来事を振り返っていた。
「なあ、藤吉郎」私は、ふと思いついたことを口にした。「みんなが、安心して暮らせるようになるのが、こんなに嬉しいことだって、俺、今日、改めて実感したよ」
藤吉郎は、静かに微笑んだ。「殿の御心が、この市場の賑わいに、確かに表れておりまする」
私は、その言葉に、少し誇らしい気持ちを覚えながら答えた。「これからも、みんなが、それぞれの場所で、豊かに暮らせるように、俺にできることを、続けていきたいな」
その素朴な想いを胸に、私は、その夜も、静かに眠りについたのだった。今川方は、この経済戦略と誤認した現象の裏に、単なる一人の青年の、素朴な願いが存在していることを、まだ、知る由もなかったのである。




