第三十二話 幻影は増える
第三十二話 幻影は増える
保護圏が拡大するにつれ、拠点に集う援軍もまた、これまでとは比較にならない規模へと膨れ上がっていた。かつては利家一人が敗残兵を率いていただけの寄せ集めの集団であったものが、今や、各地の村や豪族から、自発的に援軍が集まるようになっていたのである。
ある日、拠点近くで、今川方の小規模な部隊との衝突が発生した。事前の情報網により、その動きを察知していた一益は、いつものように、少数精鋭での対応を提案した。しかし、この時ばかりは、事情が異なっていた。
「殿、援軍の申し出が、予想を超える数にございます」藤吉郎が、慌てた様子で報告に来た。
「え、どういうことだ」私は、困惑して尋ねた。
「近隣の三つの村から、それぞれ数十名ずつ、さらに佐々家からも、精鋭を送るとの申し出がございました。合わせれば、二百を超える兵力になろうかと」
私は、その数字に、思わず目を丸くした。(二百人……? 俺、そんなに大きな戦をするつもりなんて、全然なかったんだけど)
戦が始まる直前、拠点の広場には、続々と援軍が集まってきていた。それぞれの村の旗印を掲げた者たち、佐々家の精鋭たち、そして拠点に元々いた兵たち――彼らが一堂に会する光景は、これまで私が見てきた拠点の姿とは、まったく異なる、圧倒的なものであった。
私は、その様子を、拠点の高台から見下ろしながら、複雑な思いに浸っていた。(俺、誰にも援軍を頼んだ覚えはないんだけどな……。それなのに、こんなに集まってくるなんて)
利家が、興奮した様子で私のもとへやってきた。「殿! これほどの兵力があれば、今川方の小部隊など、容易く打ち破れましょう!」
私は、慌てて手を振った。「い、いや、これだけの人数を、無駄に危険に晒すようなことはしたくない。できるだけ、被害の出ない形で対処してくれ」
(訳:こんなに大勢が集まってくれたのは嬉しいけど、みんなを危険な目に遭わせたくはないんだ)
一益が、静かに頷いた。「承知いたしました。この兵力を活かしつつ、犠牲を最小限に抑える戦法を考えましょう」
結果として、圧倒的な兵力差を背景に、一益たちは、今川方の小部隊に対して、実際に戦闘を交えることなく、退去を促すという形で事態を収めることに成功した。今川方の指揮官は、集結した織田方の兵力を目の当たりにし、戦うことなく撤退を選んだのである。
戦が終わった後、援軍として駆けつけた者たちは、それぞれの村や家へと帰っていった。私は、彼らを見送りながら、ふと、一益に尋ねた。
「なあ、一益。今回みたいに、大勢が集まってくれるのは、正直、ありがたいことなんだけど……。次はどれくらいの人数が集まるか、事前に分かるものなのか?」
一益は、少し考え込んだ後、首を横に振った。「正直なところ、それがしにも、正確な予測は難しゅうございます。援軍は、あくまで各村や豪族の自主的な判断によるもの。殿が『助けてくれ』と直接命じられたわけではございませぬゆえ」
私は、その説明に、内心で頭を抱えた。(つまり、俺たちの兵力って、その時々で全然違うってことか……。それって、実は結構、危ういことなんじゃないか?)
一方、この一件は、今川方にとって、さらなる混乱の種となっていた。撤退した部隊の指揮官は、上役に報告した。
「織田方は、二百を超える兵力を、瞬時に集結させて御覧に入れました。これまでの部隊とは、比較にならぬ規模にございます」
軍監は、その報告に、深く眉をひそめた。「先の戦では、確か、数十名程度の部隊であったはずだが……」
「はい。それが、今回は二百を超える兵力が、あっという間に集まったとのこと。しかも、その兵の出所も、複数の村や豪族に分散しており、統一された軍としての実態が、まったく掴めませぬ」
軍監は、地図を睨みながら、深いため息をついた。「常に兵数が違う……。これでは、いかなる戦力分析も、意味をなさぬではないか」
この報告を受け、今川軍内部では、次第に「幻影の織田軍」という言葉が、より具体的な脅威として語られるようになっていった。ある時は数十名、またある時は数百名――その時々で兵数がまったく異なる敵に対しては、通常の戦力分析に基づく対策が、まったく通用しなかったのである。
「これは、まるで、幻を相手にしているかのようだ」ある部隊長が、そう漏らしたという。「実体を掴もうとすればするほど、するりと逃げていく」
私は、その頃、拠点で静かに休息を取りながら、今日の出来事を振り返っていた。(今回は、大した戦にならなくて、本当によかった。でも、こんな風に、突然、大勢が集まってくるのって、正直、まだ慣れないな……)
私の胸には、感謝と、そして拭いきれない不安が、同時に存在していた。多くの人々が、自分を慕って集まってくれることへの喜び。しかし同時に、その人数の多さが、いつか、制御できない何かへと繋がっていくのではないかという、漠然とした恐れも、確かに抱いていたのである。
その夜、拠点には、静かな安堵の空気が流れていた。しかし、この一連の出来事が、今川軍にとって、そして周辺の諸勢力にとって、どれほど大きな意味を持つことになるのか、私自身は、まだ十分に理解していなかったのだった。




