第三話 余は寝る
第三話 余は寝る
拠点らしきものができ、兵らしき者たちが集まり始めた頃、当然のように「これからどうするか」という軍議が開かれることになった。四天王――いや、まだこの時点では四人が揃っていたわけではないが――の中心である利家が、真剣な面持ちで私に告げた。
「殿。今後の方針について、御下命をいただきたく存じます」
薄暗い広間に、簡素な床几が並べられ、集まった浪人たちの視線が一斉に私へと注がれた。上座に据えられた私に、居並ぶ面々の視線が突き刺さる。誰もが答えを待っている。
私は内心で泣きそうになっていた。(策なんてあるわけないだろ! 俺はただの歴史オタクの大学生なんだぞ!)
だが私に策などあるはずもない。歴史オタクの知識は「桶狭間で信長が勝つ」という、もはや役に立たない一点のみだったのだから。義元の狙いも、今川軍の兵站も、この時点ではまだ何も分かっていない。ただ漠然とした不安だけが、私の胸を圧迫していた。
胃がきりきりと痛んだ。責任の重さ、命の重さ、押し寄せる期待――そのすべてが限界を超えた。額から冷や汗が流れ、視界が微かに歪む。
「……好きにせよ。余は寝る」
私はそう言い捨てると、誰にも止められる間もなく奥の間へと引っ込み、泥のように眠りについてしまった。ただの現実逃避である。布団に潜り込んだ瞬間、私は心の中で叫んでいた。(もう無理だ、考えたくない、寝て全部忘れたい……!)
残された利家たちは、しばし沈黙した。広間には気まずい静寂が流れ、誰も口を開かない。やがて、一人の年配の浪人が静かに口を開いた。
「……殿は、我らを信じ、すべてを託されたのだ」
利家がその言葉に深く頷いた。「今宵、今川の別動隊が近くの村を襲うという報せがあった。殿はそれをすでにご存知の上で、我らに采配を委ねられたに違いない」
(いや、知らない。本当に何も知らない。ただ寝たかっただけだ)
利家は静かに立ち上がると、集まった兵を率いて夜陰に紛れ、今川の別動隊へ奇襲をかけた。雨上がりのぬかるんだ道を、足音を殺して進む兵たち。月明かりも届かぬ闇の中、利家は先頭に立って槍を構えた。
「殿の御信頼に応えねばならぬ! 者共、続けぇい!」
相手が油断しきっていたこともあり、被害はほとんどなく、完全な勝利を収めた。今川の別動隊は、まさか夜襲を受けるとは思ってもみなかったのだろう。慌てふためいて逃げ惑う様子を、利家たちは容赦なく追い立てた。
翌朝、私が目を覚ました時には、すでにすべてが終わっていた。窓から差し込む朝日を眩しく感じながら、私はゆっくりと身を起こした。久しぶりに、何も考えずに眠れた夜であった。
「殿! お目覚めですか! 殿の御眠りの間に、我らは見事、今川の別動隊を打ち破りましてございます!」
利家が満面の笑みで報告に来た。その顔には、昨夜の疲労など微塵も感じさせない高揚が滲んでいた。
(は? 俺、ただ寝てただけだよね? 何かした覚えなんて一切ないんだけど?)
私は困惑しながらも、努めて平静を装った。「……そうか。大儀であった」
「殿は眠りながらにして、我らに采配のすべてを託された。これぞ『魔王の沈黙』――何もせずして勝利を導く、恐るべき御境地にございまする!」
利家の目には、心底からの尊敬が浮かんでいた。それを見て、私はもはや反論する気力すら失っていた。
こうして、私のただの寝坊とストレス回避行動は、「魔王の沈黙」という物々しい二つ名を得ることとなった。以後、私が困難に直面して眠ってしまうたびに、家臣たちはそれを「深い策略のための熟考」と解釈するようになり、この誤解は物語の終盤まで、決して解けることなく積み重なっていくことになる。
その日の夜、私は一人、寝所で天井を見上げながら考えていた。(このままだと、俺は本当に「魔王」になってしまうんじゃないか……)
しかし、その不安すら、翌朝には誰かに聞かれて「殿の深い憂い」として語り継がれることになるとは、この時の私は、まだ知る由もなかった。




