第二十六話 商人の旗
第二十六話 商人の旗
拠点周辺の情勢が安定していくにつれ、これまで戦火を恐れて往来を控えていた商人たちが、少しずつ姿を見せるようになっていた。街道を行き交う荷車の数は、日を追うごとに増え、拠点の周辺には、ささやかながらも、活気ある市の気配すら漂い始めていた。
しかし、その一方で、新たな問題も浮上していた。ある日、拠点に、疲れきった様子の商人たちが数名、駆け込んできたのである。
「信照様、お助けください!」商人の一人が、切羽詰まった様子で訴えた。
「どうした」私は、その只ならぬ様子に、思わず身を乗り出した。
「街道にて、野盗の一味に襲われましてございます。荷はすべて奪われ、仲間の一人が深手を負っております」
私は、その話を聞き、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。(せっかく、この辺りが平和になり始めていたのに……。野盗まで出てくるなんて)
私は、負傷した商人の手当てを急がせながら、四天王たちを呼び集めた。「街道の安全を、何とかできないか」
(訳:商人たちが安心して行き来できないと、経済も回らないし、みんなの暮らしも豊かにならない。何とかしてあげたい)
利家が、真っ先に反応した。「殿、それがしにお任せあれ。野盗の一味など、この利家がすぐに討ち果たして御覧に入れましょう」
「いや、討ち果たすだけじゃなくて……街道全体の安全を、継続的に守れるようにしたいんだ」私は、思いついたことを、そのまま口にした。
四天王たちは、その言葉に、しばし考え込んだ。やがて、藤吉郎が口を開いた。「殿。それでしたら、商人たち自身に、護衛を組織してもらうというのは、いかがでしょうか」
「商人自身に、護衛を?」
「はい。我らが常に街道すべてを警備するのは、現実的ではございませぬ。されど、商人たちが自ら護衛団を結成し、我らがそれを後押しする形であれば、より広範な安全を確保できましょう」
私は、その提案に、素直に感心した。「それはいいアイデアだな。うん、好きにして」
(訳:藤吉郎の考えなら、きっとうまくいくはずだ。任せる)
こうして、商人たちの間で、自主的な護衛団の結成が進められることとなった。藤吉郎が仲介役となり、複数の商家が資金を出し合い、腕の立つ浪人たちを雇って、街道の警備にあたらせる体制が整えられていった。
数週間後、この護衛団は、目に見える成果を上げ始めていた。街道での野盗の被害は激減し、商人たちの往来はさらに活発になっていった。護衛団の旗印には、いつしか、拠点の名を象徴する印が掲げられるようになっていた。
ある日、その護衛団を組織した商人の頭領が、拠点を訪れ、私に深々と頭を下げた。
「信照様の御庇護あればこそ、我ら商人も、安心して商いを続けることができまする。この御恩、決して忘れませぬ」
私は、少し戸惑いながらも、素直に応じた。「いや、これはあなた方自身の努力の成果だと思う。俺は、ただ、みんなで話し合うきっかけを作っただけだから」
(訳:本当に、俺は大したことをしていない。藤吉郎の発案と、商人たち自身の努力の賜物なんだから)
頭領は、その言葉に、感慨深げな表情を浮かべた。「信照様は、まことに謙虚な御方にございます。されど、この街道の安全は、確かに信照様の御威光あってこそ、成し得たもの。我ら商人一同、これよりは、信照様の御威光を、この旗印に掲げさせていただきたく存じます」
そう言うと、頭領は、護衛団が掲げる旗を私に示した。そこには、拠点を象徴する印と共に、「信照公の街道」という文字が、力強く記されていた。
私は、その旗を見つめながら、複雑な思いを抱いた。(俺、そんな大それた名前をつけるつもりなんて、全然なかったんだけどな……)
しかし、その旗印は、その後も商人たちの間で、確かな信頼の象徴として広まっていくこととなった。「信照公の街道」を利用する商人たちは、他の地域の商人たちよりも、明らかに安全かつ円滑に商いを行うことができた。この評判は、瞬く間に近隣の商人たちの間にも広まり、拠点を経由する商人の数は、さらに増加していったのである。
その夜、私は縁側に座り、遠くに見える街道の灯りを眺めていた。以前は、夜になれば真っ暗闇に沈んでいたはずのその道が、今や、商人たちの往来によって、ほのかな灯りが絶えることなく灯り続けている。
「なあ、藤吉郎」私は、傍らにいた藤吉郎に語りかけた。「商人たちが、あんなに活発に行き来するようになるなんて、正直、想像もしてなかったよ」
藤吉郎は、満足げに頷いた。「殿。安全が確保されれば、人も物も、自然と集まって参ります。これは、戦で領地を奪うよりも、はるかに確かな、力の蓄え方にございましょう」
私は、その言葉に、深く頷いた。「そうだな……。俺、戦で何かを奪うことには、全然興味がない。でも、こうやって、みんなが安心して暮らせるようになるのは、素直に嬉しいよ」
その素朴な喜びは、この時の私にとって、何よりも純粋な感情であった。街道を行き交う商人たちの活気ある声を聞きながら、私は、この平和な光景が、少しでも長く続くことを、心の底から願っていたのである。




