第二十五話 兵は減らすな
第二十五話 兵は減らすな
佐々家をはじめとする北部豪族の合流により、拠点の勢力範囲はさらに拡大していった。しかし、それに伴い、今川方との小競り合いもまた、頻度を増していった。今川軍は、尾張からの本格撤退を決めたわけではなく、依然として一部の拠点を保持し続けている。その残存勢力との間で、局地的な衝突が繰り返されるようになっていたのである。
ある日、利家が意気込んだ様子で、私の前に現れた。
「殿! 今川方の残存部隊が、佐々家の領地近くに集結しております。この機に、一気に叩くべきかと存じます!」
私は、その提案に、内心で強い焦りを覚えた。(一気に叩くって、それ、大きな決戦になるってことじゃないか……)
「利家、その残存部隊の規模は、どれくらいなんだ」私は、努めて冷静に問いかけた。
一益が答えた。「およそ三百ほどかと。我らの兵力をもってすれば、正面から打ち破ることも、決して不可能ではございませぬ」
私は、その数字を聞き、さらに不安を募らせた。(三百人相手に正面から戦うなんて、絶対に大きな犠牲が出る……。誰かが死ぬかもしれない)
私は、ゆっくりと、しかし確固たる口調で告げた。「……兵は減らすな」
(訳:正面から戦って、誰かが死ぬのは絶対に嫌だ。何か別の方法を考えてくれ)
その一言に、利家は少し不満げな表情を浮かべた。「殿、しかし、正面から堂々と打ち破ってこそ、真の武勲というものではございませぬか。このまま奇襲や搦め手ばかりでは、いつまで経っても、我らの真の力が示せませぬ」
私は、その言葉に、内心で強く反論したかった。(武勲とか、そんなの俺はどうでもいいんだよ! みんなが無事でいてくれることの方が、よっぽど大事なんだ!)
しかし、その本音を、そのまま口にすることはできなかった。私は、必死に言葉を選びながら答えた。「利家、お前の武勇は、俺も、みんなも、十分に分かっている。だが、今は、犠牲を最小限に抑えることを優先したい」
一益が、静かに口を挟んだ。「殿の仰る通りかと存じます。奇襲を中心とした戦法であれば、我らの被害を最小限に抑えつつ、確実に敵を退けることができましょう」
小六も頷いた。「川筋を利用した奇襲であれば、敵の意表を突くことも容易にございます」
利家は、しばし葛藤の色を見せていたが、やがて深く息をついた。「……殿がそこまで仰るのであれば、致し方ございませぬ。この利家、奇襲による勝利にも、いずれ真の価値を見出しましょう」
こうして、今川方の残存部隊に対しては、奇襲中心の戦法が採用されることとなった。一益が事前に敵の配置と警備の隙を綿密に調査し、小六が退路と侵入路を確保する。そして、夜陰に乗じて、利家が少数精鋭の部隊を率いて奇襲を仕掛けるという、緻密な作戦であった。
作戦当日、利家は自ら先陣を切り、今川方の陣に切り込んだ。敵が反撃態勢を整える間もなく、拠点側の部隊は迅速に目的を達成し、速やかに撤退した。今川方の残存部隊は、大きな混乱に陥り、翌日には完全に撤退することとなった。
驚くべきことに、拠点側の犠牲は、軽傷者数名にとどまった。この結果に、拠点全体が沸き立った。
「殿の御下命通り、一人の死者も出すことなく、見事、今川方を退けましてございます!」利家が、興奮した様子で報告に来た。その表情には、当初の不満はもはや消え去り、確かな誇りが浮かんでいた。
私は、心の底から安堵の息をついた。「よかった……。本当によかった」
(訳:誰も死ななかった。それだけで、俺にとっては、何よりの勝利なんだ)
その安堵の様子を見て、一益が静かに言葉を添えた。「殿は、常に、犠牲を最小限に抑えることを第一に考えておられます。それでいて、確実に勝利を収める――これぞ、真の名将の資質にございましょう」
私は、その言葉に、複雑な思いを抱きながらも、もはや訂正する気力もなかった。(名将とか、そんな大層なものじゃないんだけどな……。ただ、怖いから、みんなに死んでほしくないから、それだけなんだけど)
この一件は、瞬く間に周辺の村々にも伝わり、「犠牲最小で勝利する魔王」という評判が、さらに広まっていくこととなった。ある村人は、こう語ったという。
「信照様の下では、我らの息子や夫が、無駄に命を落とすことがない。これほどありがたいことはない」
私は、その話を、後になって藤吉郎から伝え聞いた。(そうか……。俺が『兵を減らすな』って言い続けることが、実際に誰かの命を守ることに繋がっているんだな)
その夜、私は寝所で一人、静かに考えを巡らせていた。(俺は、天下取りとか、そんな大それたことは、全然望んでいない。でも、この『誰も死なせたくない』っていう想いだけは、絶対に曲げたくない。それだけは、俺の中で、確かな信念になっているのかもしれない)
その想いは、この時の私にとって、単なる臆病さや弱さから来るものだけではなく、確かな信念として、少しずつ形を成し始めていた。しかし、その信念が、この先どれほど多くの人々の命を救い、そしてどれほど多くの人々の忠誠を集めることになるのか、この時の私は、まだ十分に理解していなかったのである。




